「メモリアル要素は隠れミッキーのように散りばめられた過去作オマージュ」ウィッシュ ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
メモリアル要素は隠れミッキーのように散りばめられた過去作オマージュ
ディズニー作品は有名どころしか知らない私でも、「ん、これはアレでは?」と思う箇所がぽつぽつとあり、ちょっと調べたら結構な数の小ネタがあったようでびっくり。100年の歴史へのリスペクトということだろう。
タイトルはディズニーを象徴する楽曲「星に願いを」からであることはわかりやすい。アーシャの7人の仲間(7人のこびと。名前の頭文字も一致)、魔法使いである王マグニフィコに弟子入りするアーシャ(ファンタジア)、空を飛びたいという願い(ピーターパン)、鏡よ鏡(白雪姫)、などなど。他にも、「衣装や行動がそれっぽい」みたいなレベルを含めるとかなり仕込まれていたようだ。
監督2人はインタビューで、「チャレンジしてほしいイースターエッグ」として、森のシーンの背景に登場する「柳の木のおばあさん(ポカホンタス)」を挙げている(私はポカホンタスを観ていないので当然分からず)。
絵柄はアナ雪などで見たようなやたらリアルな質感のものとは違い、あえて絵本っぽくしたような温かみのあるタッチだ。パンフレットによると、水彩画をイメージしたとのこと。
パッと見てディズニーキャラとわかる個性を持つキャラクターが並ぶ中で、スターのデザインだけがちょっと浮いて見えた。ああ見えてミッキーマウスに着想を得たキャラらしいのだが、巷で言われる通りどう見ても星の◯◯◯ィの……ゲフンゲフン、日本のゆるキャラにいそうなルックス。さすがに動きはディズニーっぽかったが。
映像の美しさや歌と動きの調和はディズニーらしいハイクオリティ。
ロサス王国では、18歳になったら「願い」を王に預け、王は魔法の力で預かった願いを叶えてくれるという。しかし、アーシャの100歳になるおじいちゃんサビーノの願いはいまだに叶えられておらず、願いを預けたばかりのサイモンは早速生気が抜けている。ここで、「そういうケースがままあるのに、どうしてみんな王様に預けるの?」という素朴な疑問が湧いてしまい、今ひとつ感情移入出来なくなってしまった(野暮なことは百も承知)。
何年も待たされて叶えられないことに疑問を持つ人が出てくる、というバグを防ぐためなのか、預けたこと自体を忘れてしまう、という設定。でも、サビーノの預けた願いが長年叶えられていないことをアーシャが知っていたように、預けた願いが何年も叶えられないことがあれば本人以外の周囲の人間にはわかるのでは? アーシャ以外誰も疑問を持たない様子なのが不思議だ。
こういった不自然なルールの説明を序盤のナレーションや台詞に詰め込んでいたことも、世界観への没入を妨げた。
王の作為に気づけない民衆の願いを救うため、真実を知るアーシャが奔走する。さながら目覚めた活動家のようだ。
彼女は17歳なので、まだ願いを預けていない。「この願い 諦めることはない(So I make this wish to have something more for us than this)」と歌いつつ、アーシャの個人的な願いについてはほぼ語られず、彼女の行動原理はおじいちゃんや他人の願いの奪還。このように、個々の欲求がテーマに据えられながら、主人公の個人的欲求がぼやけている点も物語の引力を減じたような気がする。いっそ、預けてしまった自分の願いを取り返す、みたいな設定で自分ごととして動いてくれた方がパワフルな話になったかもしれない。
しかし、自分の願いを王様に預けて叶えられるのを待つ(そして自分では何も努力しない)ことが現実の何を暗示しているかよく考えると、目標のための努力を先延ばしにしてしまう、明日から本気出すメンタルとよく似ているような気がしてきた。我が身を顧みてその点は反省しきりだ。ロサスの市民を笑えない。
サイモンは正気が抜けてるんではなく、ねぼすけインスピレーションの眠たい顔ですよ!
自分の欲求が少なく他人のために動くところは歴代のプリンセスをイメージしてるんだと思います!
ホントだ❗️
確かにロサスの市民を、私も笑えません。でも、あれほどの儀式をして叶えてもらおうとするのなら、10億円当たれ❗️とか、大谷選手のようになりたい❗️とか、とんでもない願いを(私なら)すると思いますが、ロサスの方々は割と謙虚というか、やればできそうな、身近なことを国王に預けてたようにも見えました😄