「ヴィランよければ全てよし❗️なのだけれど…」リトル・マーメイド 盟吉津堂さんの映画レビュー(感想・評価)
ヴィランよければ全てよし❗️なのだけれど…
ヴィランが好きだ(笑)。
ヒーローももちろん好きなのだけれど、子供の頃からヴィランが好きだった。
アクション映画も、アメコミ映画も、そしてもちろんディズニー・アニメも、自分にとってはヴィランが魅力的かどうか、というのが何より大事なのであり、ヴィランが魅力的な映画は自分にとって面白い映画なのである。
要するに「ヴィランよければ全てよし」なのである(笑)。
我ながらかなり偏った映画の見方をしていると思う。
ヴィラン・フェチとでも言うのだろうか(笑)。
そういうヴィラン・フェチの目から見るとこの作品のアースラはアニメの実写化としてはまさにパーフェクトと言っていい稀有な存在だった。
容貌も演技も、まさに「アニメから抜け出てきたような」という最大限の賛辞を送ることができるキャラクターだ。
実写化された『美女と野獣』のガストンも『アラジン』のジャファーも『シンデレラ』の継母も悪くはなかったが、本作のアースラは突出している。
このアースラを観ることができただけで自分としては大満足だった。
もちろん、ディズニーアニメが実写化されるたびに感じる様々な違和感はこの作品にもある。
そもそもアニメーションとはアニメーターが全てをコントロールする一種の「完璧な世界」だと自分は思っている。たとえ低予算だろうと監督に才能がなかろうと、そこにあるのはひとつの「完璧な世界」なのだ。
一方で実写映画とは監督と生身の俳優がぶつかり合い火花を散らし合って作り上げる「意外性だらけの世界」と言えるのではないだろうか。
「完璧な世界」に心地よく浸っていた観客が「意外性だらけの世界」をそう簡単に受け入れられるわけがないし、「意外性だらけの世界」が「完璧な世界」を超えるということもほとんどあり得ないことだと思う。
それでもときには実写映画の持つ「意外性」が功を奏するときもある。
今作でいえば黒人のハリー・ベイリーをアリエル役に起用したことがそうだ。
ポリコレに配慮した作品の改変は当初から物議を醸したが、蓋を開けてみればハリー・ベイリー演じるアリエルはとても可愛らしくて黒人のマーメイドは成功だったと言えるだろう。
何よりハリー・ベイリーの圧倒的な歌声にはあらゆる批判をはねのける力強さがあった。
だけど一方で、人魚たちで多様な人種を表現しようとしたり、人間と人魚という異種族間の融和をことさらに強調したりされると、どうしてもメッセージ性の強さというのが気になってしまう。
監督のロブ・マーシャルはゲイなので、やはり差別に苦しんだ経験もあるだろうし、色々訴えたいこともあるんだろうな、とは思う。
ポリコレへの配慮や、作品にメッセージを込めること自体を否定するものでは決してないし、ハリー・ベイリーの起用のように成功する場合もあるから一概には言えないけれど、オリジナルの作品世界を大きく変え、ときには破壊しかねないような作品作りには頼むから慎重になってくれと思わざるを得ない。
なんでもかんでも新しいことをやればいいってものではないのだ(笑)。
ディズニーほどの巨大企業ともなれば作品が批判を受けるときは世界的なレベルになってしまうわけだから、ポリコレに配慮した作品作りをしようとする会社側の方針も理解できなくはない。
でも娯楽作品を作るときに一番大事なのは当然のことながら「面白さ」である。
あらゆる方面に配慮するような八方美人的な作品作りや、差別撤廃とか世界平和のような大義名分を掲げる学級委員的な作品作りが作品全体を萎縮させ「面白さ」を削っていくことになるのは昨今のポリコレ作品に対する観客の拒絶反応を見ても明らかである。
面白い作品を作ろうとすれば、誰かを傷つけ、誰かを置き去りにし、誰かを怒らせるものなのだ。
もちろん誰かを傷つけたり、置き去りにしたり、怒らせたりしていいわけがない。いいわけがないのだけれど、面白い作品作りをしようとすれば、どうしても避けては通れないことなのである。
だから作り手たちは面白い作品を作るために、常に自分も傷つく覚悟、血を流す覚悟、十字架を背負う覚悟が必要なのだと思う。
「面白さ」とは「毒」というスパイスだと言ってもいいかもしれない。
かつて、ウォルト・ディズニーが生きていた頃は作品の中に「毒」を混ぜるその匙加減が絶妙だった。
少量のスパイスをピリッと効かせることで料理が格段に美味しくなるように、娯楽作品にもホンの少量の不謹慎なネタとかブラックなネタといった「毒」が入ることで面白味が増すものなのである。
人間は「お行儀の良い正しさ」だけでは息が詰まってしまうものなのだ。もちろん「毒」があり過ぎると観客はドン引きしてしまうので、その匙加減が大事なのだけれど。
往年のディズニー・スタジオにはウォルトをはじめ、「毒」の匙加減が分かっている名料理人たちが確かにいた。ただ、今の時代はその「毒」もポリコレ的にアウトになりつつある。
時代の流れとして致し方ない部分もあるとは思うけれどディズニー作品をこよなく愛してきた自分としては、これからのディズニー・スタジオに、ポリコレの圧力をかいくぐって「毒」のスパイスを効かせられる名料理人が育つ環境が整うことを願ってやまない。
全体として、ロブ・マーシャルは悪くない仕事をしたと思う。ハリー・ベイリー演じるアリエルは魅力的だったし、メリッサ・マッカーシー演じるアースラはパーフェクトだった。
他のモヤモヤする部分はどうあれ(笑)、ハリー・ベイリーの歌う姿とメリッサ・マッカーシーの堂々たる怪演を観るために自分はまたこの作品を観ることになるだろう。
フォロー、共感とコメントありがとうございました
ポリコレという言葉だけが一人歩きして、本来の理想はどうあるべきかがとても計算式的、機械的に回答を出そうとした結果がこんな感じなのかもしれないですね
色んな意味でバランスってとても難しい
私もヴィランのキャラが立っている映画ほど面白いと思いますよ!
ターミネーターのシュワちゃんだって元々はヴィランですもんね
確かに最近のディズニーはマーベルにしろ、スター・ウォーズにしろ、ポリコレへの配慮しすぎな感がありますね‼️特にディズニーアニメの実写化でそれをやると、長年のファンが抱いているイメージを壊しかねない危険性があると思うんですが・・・‼️でも今作のアースラは良かったですね‼️
『白雪姫』もかなりのがっかりでした。
私もポリコレはそこまで否定派ではないんですが…、元々のイメージや作品を変えてまでやる事かと。
『リトル・マーメイド』や『白雪姫』をヘンにいじくらないで、オリジナルの作品でやって欲しいものです(^^;