「〈女の子の夢〉から〈人類の理想〉へ」リトル・マーメイド Pocarisさんの映画レビュー(感想・評価)
〈女の子の夢〉から〈人類の理想〉へ
予想以上に素晴らしい作品でした。
まとめるとタイトルの通りです。
アニメ版(1989年)から、映像も脚本も、何倍もスケールアップしています。
たとえ人にバカにされても理想を語りたい、という人がディズニーにはまだいるのだなと思いました。
最初に「人魚」について。
「人魚」という存在は、作品中にも登場するように歌声で男性の船乗りを誘惑するものということになっていて、その背後には女性は男性に害をなすという女性嫌悪(ミソジニー)思想があるわけです。まず、これをアンデルセンが人間を助け、一時なりとも対等に恋愛をする存在にアップデートしました。
アンデルセンにはそれでも最後に女性だけが犠牲になって終わるという限界があったのですが、これをアニメ版が生きたまま王子様と結ばれるという話にアップデートしました。
そしてこの実写版は、アニメ版の弱点(もちろんそれ自体は1989年の作品なのですから仕方ない部分もあります)をほとんど全面的に補い、何度かのルネッサンスを経て「プリンセスと魔法のキス」以降のディズニー長編アニメが明確に提示している「女性は男性によってのみ幸せになるのではない」「男性にとって都合のいい女性像を、〈女の子の夢〉=女性の理想像のように幻想させる作品はもうつくらない」「女性も男性と同じように一人の人間である」「ならば女性の理想は人類の理想である」という方針を、まさに体現した作品となっていました。
これは指摘するまでもないですが、「人魚」と「人間」(海と陸)は対立する種族、国家、あるいは人種などなどのメタファーとなっています。
この両者の和解と和平の象徴がアリエルとエリックであるというところに収れんするように物語が組み立てられています。
そもそもの初めからそうしたテーマの作品としてつくられていることに注意すべきでしょう。ここはすでにアニメ版とも微妙に違っています。
ただ一方で、人間も人魚も、人種的な壁はほぼ取り除かれている世界で、いずれにもあらゆる人種、肌の色が混ざり合って暮らしています。人魚にもアジア系(黄色人種からインド系含む)、ヒスパニック系もいて、王子様の城下町は南米のイメージですね。(この点、あるレビューが「白人だらけのキャスト、原作に忠実に再現されたキャラクターばかりの中に黒人は異質でしかなかった。」と書いていますが、これは完全に間違いです。むしろ白人のほうが少数派だったくらいです。たぶん一番多いのはヒスパニック系でしたし、エリックの養母である女王は黒人女性でしたよね。このレビュワーは本当に映画を見たのでしょうか)
まず、トリトン王は家父長主義的な、娘を自分の思い通りにし、監視する存在という点がアニメ版よりも強調され(と当時に、そうした古い父親像に違和感を抱いているのはアニメ版通りです)、しかしそうした強権的な姿勢を反省して娘の「味方」となります。家父長主義の相対化という点は、アニメ版よりもかなり自覚的になされていると思いました。
アリエルとエリックの出会い。ここもアニメ版と微妙に変わっています。アニメ版だとアリエルはエリックのルックスを見た時点ですでに恋したように描かれますが(アンデルセンのまま)、今作では自分を犠牲にしてでも犬(マックス)を助ける姿を見て好きになるという展開に微修正されています(さりげなく描かれていますがおそらくそういう意味だと思います)。つまり、人間と異類とを差別しない王子の内面をアリエルは見ているのです。
ですから、アニメ版ではトリトン王に宝物を壊された後に王子の像の頭部をいつくしむのに対し、今作では王子そのものの像ではないうえに、手の部分に寄り添っています。それは犬を助ける手なのです。
一方、エリック王子も、アニメ版ではアースラが化けた女性(これは「人魚」の魔力である「声」に幻惑されているので前に触れた古来の人魚のままです)をコロッと好きになりますが、今作ではアリエルのことを前日のデートでかなり愛するようになっており、であるからこそアースラの「声」に幻惑されている自分自身に戸惑っています。
(なお、デートの場面での「アリエル」という名前の伝え方はアニメ版よりずっといいと思います)
アニメでは、アリエルが声を取り戻し、その魔力とないまぜの形で「君だったんだ」と今度もまたコロッとアースラからアリエルに傾くという展開に見えてしまっていました(そのつもりはないのかもしれないがそのような形になってしまっている)が、実写版ではその前からアリエルを愛し始めていたからこそ「声」が戻って愛が確かなものになるという展開です。ここもきちんと考えられた展開となっていました。
二人とも、アニメ版よりずっと人を好きになることについて誠実なキャラクターになっているわけです。
そういう点も含めて、人間の感情を「一目ぼれ」的な簡単なものとせず、きちんと納得できる展開に乗せ、なおかつ異なる存在との共生というテーマを背後において、今のアメリカ、ひいては世界は直面している問題への理想を語ります。
ここでアースラも何らかの形で共生の枠の中に入ったなら本当に文句はなかったのですが、それは高望みしすぎというものでしょうか。
他にもアップデートされている点はたくさんあると思いますが、また改めて鑑賞して確認したいと思います。
キャストの人種的配置に一部の方はヒートアップしているようですが、この作品が、というかディズニーがいま語ろうとしているテーマからして、こうした俳優の人種的配置もその趣旨に完全に沿ったものです。それより何より、女性を一人の自立した存在とするからこそ、〈女の子の夢〉ではなく〈人類の理想〉をアリエルに託そうとしているその姿勢をこそ見てほしいと思います。