正欲のレビュー・感想・評価
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個人的には猛烈な衝撃作 もう観る前の自分には戻れない
『生欲』
「自分がどういう人間か、人に説明できなくて
息ができなくなったことってありますか?」
私はあります。
「明日が来なければいいと思って生きてきた」
そんな人の気持ち、理解できますか?
「誰にもバレないように、無事に死ぬ為に生きてるって感じ」私もそんな感じ。
家庭環境 性的指向 容姿
異なる5人の人生が、少しづつ繋がってゆく。
正しい欲とは?欲に正しいも不正解もないのでは?"普通"って何?普通じゃない癖(フェチ)を持ってたら捕まるの?可笑しな世界だ。
異なる5人なのに、5人全ての気持ちが理解できた。共感した。苦しくも、嬉しくも、羨ましいとも思った。
「どうせ私の気持ちなんて誰もわからない」
そう思って生きている人達に、
そう思ってない人にも
是非観て頂きたい。痛烈な衝撃作。
理解できないかもしれない。嫌悪感を抱くかもしれない。
私のように逆に苦しくて泣いてしまうかもしれない。でも、世の中にはこういう人間が山ほどいる。この世界の中に誰か一人でも理解してくれる相手が居たら、抱きしめ合える人が、居たら、居て欲しいと願う。私にも居たら良かったのになと、昨夜も3時頃も、今も、毎日、毎晩、絶望する日々。
「いなくならないよ」その言葉のあとの、とてもシンプルな愛の歌 Vaundy「呼吸のように」が、この作品を観終えたエンディングだからこそ深く胸に刺さり、涙が止まらなかった。
入院前からずっと観たかった作品
この近辺では昨日で上映終了でした。間に合った、、、良かった、、、この作品に出逢えて良かった。原作ではより深く登場人物の過去が知れるということもわかったので、時間があれば読んでみたいと思った。
⚠️以下ネタバレ含んだ私の感想です。
「これで擬態できないかな?世間なみに。この世界で生きていく為に 手を組みませんか?」
この言葉を発した磯村勇斗くんにきゅん。
そりゃ嬉しいさ。そこで初めて心からガッキーの笑顔が。ほっとした表情。私も指輪💍貰った事あるしさ、ヴィヴィアンのよ。今でも持ってるよ。付けらんないけど。
「逃げ癖がついた人間は生きづらいまま」
仰る通りでございます。
カレーオムライス 私の好きな得意な料理
同級生や友達の結婚式には出た事がない。この歳で一度もない。他人の幸せが辛い。コース料理が食べれない。不登校だった。男性恐怖障にもなった。人間不信にもなった。
拘束前に押さえつけられたトラウマで。触れられるとパニックやら過呼吸やらフラッシュバックやら手の震えやら。でも好きな人の画像は保存します。スクショします。見てるだけで幸せなのです。
人生の通知表 大晦日 お正月子供のアイコン
「うっさい話し掛けんな」「何その目 こっわ」
私もあの目ひん剥いた目👁で発した事があります。
はじめてのおつかい嫌いは大嫌いです。
明日生きていたくない人死にたい人
社会の一員流れに乗るのが「普通の人間」なんですか?
そう、バグ。この作品を観た夜中にバクった。
では、私の癖を晒しましょう。
私は眼鏡とスーツと白衣が好きです。
子供の頃嫌いだった注射も採血も点滴も今では当たり前のこと。好きか嫌いかと問われれば好きだ。思い出して下さい。佐藤健の恋はつづくよどこまでも を
全国の女性がきゅんとしたはずです。それと一緒です。イケメンの医者に惚れた。それだけの事。
拳銃や手錠も好きです。『Switch』という漫画がありハルというキャラクターがどストライクです。オタク?そうなんでしょうね。
それの何がいけないんでしょうか?
大人の男性が小さい男の子が好きな事は犯罪ですか?確かに売買は駄目。
でも、好きな事は仕方がない。
その線引きは非常に難しい。
薬だってそう。捕まる薬とそうでない薬の違いって何ですか?もうわかりません。
どうかまだ、終わらないで欲しい。
上映を続けて欲しい。一人でも多くの方に、この苦しみを知って欲しい。
この苦しみを、誰かと分かち合えたなら、、、
法の正しさと生きづらさ
とても現代的で難しい、複雑なテーマを扱った作品。
原作ファンや俳優のファンでもなければ、何か目的を持って映画を観るというのはかなり減ってきているかもしれない。そういう意味でこの作品はサブスクで観ようとすればスマホや他の日常の作業や雑音にさえ飲み込まれてしまう可能性が高く、集中して作品と向き合わなければ何を伝えたいのかも分からないと評価されてしまうかもしれない。
分かりやすさで言えば本作は分かりにくいし、複雑で、同時期に検察を皮肉る作品としては公開された『法廷遊戯』の方が一般的に評価されやすいと思う。
しかし自分が思いもしない、全く別な角度から鈍器で殴られるような衝撃でいえば本作の方が空恐ろしさを描いていると個人的には思う。
タイトルの「正欲」は性欲でもあると同時に多くの人が口にする「普通」や「一般」「平均」としての「正しく」あろうとする姿やそれに擬態して自身の欲望を隠す様を表しているのだろうか。
昨今、LGBTQに代表される性的マイノリティが世界的に注目を集め、諸外国の中には同性婚などに踏み切る国もある。
日本でもLGBT法案が通過し、心の性は女性と自認する身体の性は男性の人が女性の公衆浴場に入ろうとする問題や性犯罪者、小児性愛の問題が議論されているが、そうした中で既存の法律や社会規範が前提としているモノが崩れつつある現代だからこその作品だと思う。
作中には様々な他の人とは違う、自分にとって当たり前の欲を持つ人が登場する。作中に登場する日付から2019年を舞台である時代背景を念頭に考える必要があると思う。
非常に挑戦的な作品で、法の全体としている社会的規範や常識で計れない人々に対して適度な距離感とグレーをはっきりさせようとする現代の在り方に対する皮肉が込められていると評価している。
特に中盤移行のそれぞれの人物がどう繋がっていくのかは、本作の肝で、一般的に良い人とされる人が一番怖いという教訓でもあると思う。
また大学生の表面的なだけの言葉のキャッチボール、YouTuberの社会を知っている風に見せる演出などへの皮肉の込められ方も含めて演出が巧み。
★1.5は公開時期が時流を捉えるにはLGBT法案が通る半年〜1年前が適切だと思われた点。
また後の時代にどう評価されるかはわからないが、ホテルでのバストアップで夏月と佳道が語るシーンは解像度が高すぎ、ノイジーさや暗さが足らない気がした。
まるでそこだけ後から撮り直しでもしてツギハギをしたようなトーンの違いを感じた異物感から。
また夏月と八重子をどちらも黒髪ロングで揃えるのは意図してなのかキャラクターのイメージがダブり気味に思えたから。
以下、主な登場人物について。
★稲垣吾郎演じる「寺井啓喜(ひろき)」は横浜地方検察庁で働く検事。作中でもっとも模範的常識人だけれど、一番辛い立ち回りかもしれない。物静かに見える役柄から反転する怒号、苛立ちの演技は作中ダントツ。
不登校YouTuberに感化されて我が子がYouTuberになる。学校に行く時より我が子が生き生きとしていると喜ぶ母親。耳障りの良い事を言って広告などで収益化をしている人は詐欺師同然と…次第に夫婦と親子の関係は別居から協議離婚調停へ。いわゆるモラハラやペアハラ(ペアレンツ・ハラスメント)の役所。
★東野綾香演じる「神戸八重子」(かんべ)、金沢八景大学の学祭実行委員で「ダイバーシティフェス」を企画。兄弟もいるが、男性から性的に向けられる視線に吐き気や過呼吸になる程の男性恐怖症で、自分の言いたい事も面と向かって言えない。空気が重くなるような絵に描いたような陰気なタイプ。長い黒髪が重々しさマシマシに伝わり、そこから覗く表情は焦点がここではない何処か遠くを見ているようで光はなく、息が詰まりそうな演技が怖い。
★佐藤寛太演じる「諸橋大也」(だいや)、金沢八景大学のダンスサークルの花形。昨年のミスターコンテストの準ミスター。水に対して性的興奮をするが、人に暴露できず、誰にも理解されない事をダンスにぶつける。口数が少なく眼光の鋭さとキレのある動きの奥に何を考えているか分からない不気味さが同世代の学生には大人びて格好良く見えるかも。
★磯村優斗演じる「佐々木佳道」(よしみち)、偏愛を中学時代の桐生夏月と分かち合う。広島育ちだが中学3年の途中で横浜に転校。両親が事故で他界し、広島に戻り、同級生の結婚式で夏月と再会する。
★新垣結衣演じる「桐生夏月」、イオンモールの寝具売り場で働く販売員。結婚適齢期を迎えても恋人を作らず、親や周りから不思議がられ生きづらさを抱えている。メイクの影響もあるだろうけど、年齢相応に影のある演技も出来る女優さんなんだな改めて感じた。
許可証
彼女にとっては彼が。彼にとっては彼女が生きててもいいっていう許可証なんだろうと思う。
⭐︎5.0は決して面白かったわけではなく、減点に値する要素が見当たらなかったからだ。
マイノリティの人々の目線というか生き辛さの話なのかなぁと思いながら観ていたのだけれど、そんな局所的な話を入口にして、人が根源的にもつ仕組みの話になっていった。
承認欲求って言葉は、他人から認めてもらいたい欲の事だと思っていたのだけれど、この物語にもソレは当てはまり…たった1人にでもいいから必要だとされる事も、承認欲求が成就された形なんだと思う。
人ってのは、そんなに弱いのかなぁと思う反面、確信をもって同意してしまう自分もいる。
別に1人で好き勝手に生きていきゃいいじゃんよ、なんて思っていたのだけれど、きっと俺は本当に1人になった事がないのだと思われる。
俳優陣は皆様、素晴らしかった。
新垣さんと磯村氏は特にだし、男性恐怖症の女性も抜群だったなぁ。
新垣さんの台詞がいちいち刺さり…どこにも居場所がなく「地球に留学してきたようだ」とか「命の形が違うんだよ」なんて言ってた彼女が、彼と抱き合い?「世界の中心になったみたい」なんて台詞は、それまでどれほどの疎外感を受けていたのだろうと思うし、そこまでだった疎外感はたった1人の理解者によって砂の城の如く崩れるのだと思えた。
彼女が稲垣氏に向ける台詞も味わい深い。「惚気をきいてくれてありがとう」って。
おそらく理解できない感情だったと思うし、唾棄する程の嫌悪感もあったんだと思う。でも彼女は惚気る。他の人が標準装備している欲求がちゃんと彼女にもあったわけだ。
依然、内側は変わらない。
特殊な性癖もそのままだし、自分が普通になったとも思ってないだろう。なのだが他人に自慢したい事が増えたのか、それとも自慢できる程、自身に自信がもてたのか分からないけども、一度切られた彼女の堰は塞がる事はないようだった。
生きていく上で「理解者」の存在って絶大だなぁと思える。
俳優陣は、そんな感情の機微を巧みに表現してくれてた。
演出も上手いなぁと思うのは、稲垣氏のパートで…彼は精一杯歩み寄ろうとしてるのであろうなぁと思う。動画撮影の際に同席してたりするのは、きっとそういう事なのだろう。
あんな風に奥さんに泣き喚めかれて、子供に反論されたら、自身の正当性は落ち葉のように吹き飛ぶ。お願いだから泣かないで、と。彼に同情してしまった。多様性の現状を如実に表してるパートだと思えた。
長らく家長制度を継承してきた日本社会において、奥様と子供は弱者にあたりもして、それはそのまま日本の社会にも変換できる。
凄い剣幕で自身の権利を主張する。今まで是だった事が否定されていく。弱者救済と言えば聞こえは言いが、弱者という立場の人達から脅迫されてるような状況にもなりうる。
どこまでを許諾してよいのか困惑する。
その先の未来の予測が立たないから。
その予測出来ない未来を度外視してでも対応するのが現代の風潮ではあり、変革の渦中でもあるから致し方ないとは思う。
稲垣氏の立場は絶妙で…言ってる事は分かる。理解しようともしてるけど素直には受け止められない。でも、お前ら俺を悪者にするなよ…みたいな感じだった。
実際、タイトルである「正欲」だけど、性欲にかけられたりもしてたけど「正しい欲望」とか「正当な欲望」なのだと思う。
人としてある正しい欲求や欲望。
マイノリティである人達にもそれは装備されてて、だからこそ生きにくいって話なのだけど…「水」程度な事ならば受け入れもする。
でも作中にあったように小児性愛者とかカンニバルとかなら多様性の項目からは除外する他ない。
百歩譲って需要と供給が一致しているのならば、どうぞその狭いコミュニティで謳歌してくれとは思う。
人肉を食べたい人と、自分の肉を食べて欲しい人がいて、互いの欲望が満たされるなら補完しあえているのであろう。ただ、それ以外の人を巻き込むなとは言いたい。
殺人とかになってくるとまた話は違う。
そう言った意味でも稲垣氏の職業が検察官なのかな?人を管理する基準である「法」に関連させているのは技ありだった。
磯村氏らの処遇が気になるところではある。
前例からは判断できない動機があって、それを認めなきゃいけないのが現在の多様性社会でもある。法が追いついてないと言うのがた乱暴だと思うのは、元々そういう性質ではないからだ。
法の枠組みを逸脱してるというか網羅できてる訳がない。彼らに適用しきれない法によって彼らの人生は変わってしまう。
普通じゃない彼らを普通の価値観で推し量る。そんな理不尽さを抱えているとも言える。
ラストカットも絶妙で…稲垣氏のリアクションも良かったけれど、立ってる場所による価値観の分断って日常的に起こるのだなぁと思える。
閉ざされた空間に1人残る稲垣氏と、その空間から出ていく新垣さん。それは旧世代の常識に囚われた人々の暗喩のようで、彼はその中で悶々と自問自答を繰り返すのだろうか?
それとも、安全な檻から出ていく無謀な冒険者を意味するのだろうか?いずれにせよ、その扉は閉まり、両者を隔てる壁によって分断される。
どちらかがその扉を開けない限り分かり合える事はないのだろう。
厳選と言うと語弊があるのだけれど、新垣さん達は唯一無二なんだと思われる。個体数が少ないからと言えばいいのかな?その関係性が「愛情」ってものに変化していくのならば、稲垣氏が交わした結婚っていう愛情が根底にあるはずの契約は安心とか建前とかなのかもしれず…唯一無二と言う根拠は新垣さん達と比べて薄いようにも感じる。
まぁ、子供っていう未知なるものを抱えた時点で比較するべきものでもないようにも思うけど。
ラストに至り、かなり重たい天秤を突きつけられたようでもあった。
「人は1人じゃ孤独も感じられない」なんて歌詞があったけれど、誰かが居ないと自分すら分からない不自由な生き物なんだなぁと思う。
一昔前までは「普通じゃない=異常」って価値観だったように思うけど、昨今は「普通じゃない≠異常」になっていて、細分化もされていってるって事なのだろう。
分かりきってる事だけど、普通じゃないって事だけで罪に問われる事などない。
ただ一つ。
ズルいなぁと言うか浅ましいなぁと思うのは、ビジュアルによる印象の違いだ。
美くしい人が主張するものは正論と受け止めがちな自分に気づく。きっとそうでない人が主張すると暴論に聞こえてしまうのだろう。
とても愚かな思考だと自覚はする。するが…条件反射にも近いような気がしてる。
展開が遅い
4~5人の登場人物の視点でグルグル進行していくため、どうして展開の遅さを感じずにはいられなかった。
動き出したのも1時間経過したぐらいからだったと思う。
そこから一気に面白くなった。
映画館じゃなきゃ見れない作品とも言える
稲垣吾郎さんがハマり役!
と言っていいのかわかりませんが、本当にハマり役でした。
稲垣さん演じる寺井は、いつも『正しい』んですよね。
それでいて、ピュア。
登場人物の中で、一番ピュアかもしれません。
寺井は自分の"正しさ"を振りかざします。
それは時に家族、または仕事で会う被疑者たちに対して。
その、『正しいが正義』と信じて疑わない姿、逆に清々しかったです。
それが稲垣さんの雰囲気と合わさって、どこか憎めないんですよね。
映画全体としては、原作にはないシーンが大胆に入ってるな、という印象でした。
でも、このシーンはカットしないで!というシーン
(ビジネスホテルのシーンや、中学校の蛇口のシーン)
はきちんと盛り込まれており、安心しました。
原作とイメージが違うなと思った方がお三方。
まずは神部八重子です。
映画のあそこまでオドオドしてる子が学祭の実行委員になるかな?と。
もう少し、普段は割と普通な学生という印象でもよかったのかなと。
次は寺井の部下です。
原作では体育会系のイメージだったので。
最後は夏月の両親です。
ちょっと年齢上すぎません?
おじいちゃんおばあちゃんに見えました。
いろいろ言いましたが、原作の雰囲気はそのままに、うまくまとまっており、観てよかったです。
映画の方が後味よかったかも。
みんな寺井に言いたいこと言ってくれましたもんね。
えっ!こんな作品
稲垣とガッキだから舐めてた。原作は、朝井リョウやし。しかし、違うやん。びっくりだよ。
稲垣みたいな人多いね。特に、偉いさん。自分が法律だって。ラストは、救われるね。待ってるって
変わった人でも生きていけるよって!
ラストシーンは物足りなかったが・・・
アセクシュアル(無性愛者)・水フェチというマイノリティを扱った映画。ガッキーファンの私としてはストーリーはさることながら、まあまあ作品として楽しめた。服を着たままの夏月(ガッキー)の模擬セックスシーンとか、佐々木佳道人(磯村勇斗)の家の窓ガラスとぶっ壊すシーンとか、まずそうにご飯を食べるシーンとか、今までにない彼女の様々な演技を観ることが出来たし、いまの社会に内在しているいろんな問題を彼ら視点で意識させてもらえた。
でも、まあ、いまどきのLGBT問題など、古い頭の私らの世代には少々理解しがたいところもあった・・・。わからないこともないが、私らを含め、おじさん達の代表=寺井啓喜役(稲垣吾郎)の標準思考は古いと説教をされているような映画だったかもしれない。マイノリティに拘りすぎると、標準ってなに?って、悪いこと?って聞き直したくなる世代だからね。とはいえ、やかましいわと切って捨てられない時代・・・。
大学生神戸八重子役の東野絢香(いい味だしていたよ)がアセクシュアルな問題に悩むのはリアルだが、あのガッキーでは少し現実感が乏しいかもしれない。もちろんアセクシュアルといってもいろいろなものがあるようなのだけれど。でもガッキーがヒロインだから映画の興行としては成立するのだろうなあ。
ガッキーの最後の台詞「いなくらないから」が、この映画の肝かもしれないが、それでも、ラストシーンは物足りなかった。この手の、観客に結末を委ねる作品っていうのはエンタメとして不十分だと私は思う。ま、ともかく、ガッキーが頑張っていたので、★3.7あげたい。
無理解も、定型に押し込めようとする善意も同じ穴の狢
横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、息子が不登校になり、教育方針を巡って妻と度々衝突している。広島のショッピングモールで販売員として働く桐生夏月は、実家暮らしで代わり映えのしない日々を繰り返している。ある日、中学のときに転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知る。ダンスサークルに所属し、準ミスターに選ばれるほどの容姿を持つ諸橋大也。学園祭でダイバーシティをテーマにしたイベントで、大也が所属するダンスサークルの出演を計画した神戸八重子はそんな大也を気にしていた(公式サイトより)。
たった二文字のタイトルだが、造語の意味は意外に深い。「正」は移ろいゆく世の中に左右されやすい相対的な尺度であるのに対して、「欲」は腹減ったとか、眠いとか、ヤリたいとか、当人が感じる絶対的な希望である。本作はその相対的な「正」と絶対的な「欲」の狭間に生まれた群像劇である。
作中、当事者でない方々が、理解ありそげな解釈を、善意かつ無自覚にLGBTQやダイバーシティという定型に押し込めようとするシーンが何度か登場する。並行して、多様性に一切理解を示そうとしない検事の家庭も底糸として描かれる。SNSによる情報発信が容易になり、本当に理解・共感しているのか、あるいは別な目的を含意するのか、とても曖昧になっている現代の言説空間をシニカルに描く印象的なモチーフである。テレビを見ながらぼそっと呟く桐生の母と、意識の高い学園祭実行員の彼女と、一切理解しようとしない検事はある意味で同じ穴の狢と言える。
生まれ持ってしまった「癖」そのものではなく、そこに起因する「孤独」が人が苦しめるという文脈は、無味無臭無色不定形な「水」を通して鮮やかに暗喩される。水であっても、器があれば留まることができるし、繋がることができる。桐生と佐々木のベッドの上での真似事がそんな邂逅を思わせる。
ワンショットで無音のシーンが多い磯村勇斗と新垣結衣の生気を失った、世の忍び、嫉みながら生きていく前半部分と、徐々に人間としての水分を取り戻し、血色が良く、笑顔が多くなっていく後半部分の対比的な演技はお見事。「正」の権化である検事役を稲垣吾郎が好演。存在感抜群の東野絢香は本作が映画初出演というから驚く。
期待度○鑑賞後の満足度◎ 水フェチばかり強調してテーマがボヤけているし人物の描き分けもも一つなので映画として成功しているとは言えないけれども、久しぶりに自分に向き合わせてくれたので点は甘くなってます。
①(原作未読)原作を読んでから観ようと思っていましたが間に合わず。
②ダイバーシティという言葉が独り歩きしているのは確かですね。うちの会社でも「ダイバーシティ、ダイバーシティ」と二言目には言っているけど、社員はどこまで分かっているやら。
ダイバーシティとはマジョリティーがマイノリティーに対して違いを認めてあげるよ、という上から視線のものではなくて、すべての人はみんな一応ではないのだから(自分の物の見方が正しいと固執するのではなく)個々の違いをお互いに認め合おうよ、というものの筈。
③私もフェチがあるし(でも何のフェチもない人って世の中にいるのかしら?)今まで殆ど人に言ったことのない性癖もありますけれども、これまでの人生でそれほど生きにくいと思ったことはありません。
だって結構擬態って簡単なのです。そんなことあり得ないと自分の考え方・見方に捕らわれ自分の世界の外に有るものが見えていないということは其だけ想像力がない・鈍いという事で、鈍いゆえに周りにそういう人がいるのに気付かないのだから仮面を被っていても分からない(こんな言い方すると悪辣だけど)。
ただ、「一人くらい分かってくれる人がいるとホッとする」、「そんな自分が嫌になる」、「時々ウソを付くのが嫌になる」という気持ちはよく分かります。
勿論、人間は一人一人違うので「自分は周りの人とは違う」「社会の中で異質な存在だ」「いわゆる“普通”に生まれてきたかった」という孤独感や疎外感、絶望感、マジョリティー(映画のなかでは「当然の様に“明日が来る、明日も生きている”と思う人達」と形容されている)の無神経な言葉による心の傷、そういう事にもっと敏感な人達がいるのはよく分かります。特に若い人に多いんじゃないかな。
最近はSNSとかで人と常時繋がることがすぐ出きるし(させられるし)当たり前みたいだから、私の若い頃より確かに生きづらいかも知れません。
④私は基本的に一人が好きだし(他人といると自然とその人に合わせようとするので疲れます。会社では勿論協調性が重視されるし、仕事をスムーズに進めるためにとても愛想よく上司・同僚とも仲良くしていますけれど、家に帰るとなるべく一人でいたい)、“一人でいると寂しい”という気持ちがハッキリ言ってよく分からりません。
歳を取る程(若い頃は自分は結構普通の善良な人間だと思っていましたけれども)、「自分って変わっているよな」「良い人間とは必ずしも言えないな」と思うようになっできました。でも、ハッキリ言ってもうどうでも良い感じ。
ただ、今現在現役で社会のなかでイヤでも他人と関わって生きて行かねばならない若い人はそうそう達観出来ない、というかまだ感性がビビットで繊細なので傷付きやすく苦しいんでしょうね。
新垣結衣演じる桐生夏月の職場(イオンモールらしい)で声をかけてくる徳永えり演じる腹ボテの同僚は完全に自分は勝ち組意識で“いつも一人で可哀想だから声をかけてあげてるのに”とまさに上から目線。典型的なマジョリティータイプで(自分がやってることの方が遥かにハラスメントなのに、ハラスメントという言葉を自分の都合の良い様に使ってるし)夏月ならずとも「うるさい。ほっとけ」と言いたくなりますが、実生活の私はついつい合わせてしまい心にもない言い訳・お追従をしてしまう小心者です。
⑤という訳で敢えて自分から人と繋がりたいとは思っていない人間だと思っていましたが、本作を観ているうちに、こうやって映画が好きで観ているという事によって本当は自分は社会や世界と繋がりたい、と思っているのではいか、と気付かされたように思います。
(だから鑑賞後の満足度◎にしています。)
⑥本作のことではなく自分の事ばかり書いてしまいましたが、この映画を観ながらこんなことばかり考えていたので、ヘンテコですがレビューには間違いないのでは、と言い訳しておきます。
⑦人物の描き分けがも一つと書きましたが、新垣結衣演じる桐生夏月と礒村優斗演じる佐々木佳道とはよく描かれているように思います。だから余計水フェチが強調されちゃたのかも。
新垣結衣は一度もてはやされていた時は、どこが良いのかな、と思っていましたがしっかりした演技で夏月というキャラクターをキチンと血肉化しています。
礒村優斗くんも、『月』では殆ど感情移入出来なかったのですが今回はとても感情移入できる役でした。
二人がセックスの真似事をするシーンはとても切ない。
⑧ただ、あれだけのことで佐々木君や諸橋君を逮捕することはないでしょう。
証拠が上がっているわけではないし、先ずは参考人として呼ぶのでは?
ラストの稲垣吾郎演じるマジョリティーの権化みたいな検事の価値観を揺さぶるための、検事と夏月とを対決させる為にムリクリ設定したんでしょうね。
⑨稲垣吾郎は今までになく大人っぽく男っぽい風情でしたが、類型を演じているだけで内面までは描き切れていない。演出の責任かも知れませんけれど。
⑩映画としては成功していない、でも問題提起という点では及第点、というところでしょうか。
スッキリしない
役者たちと語り口は興味をひくが、どのキャラも好きになれない。せめてガッキー位は好きにならせてくれ〜!
水フェチは居場所がなくて死にたくなるほどのことなのか。アセクシャルと水フェチを両方もつ美男美女が同じクラスにいた、ガッキーはとはいえ佐々木くんにストーカー的に執着。むむむ。
あとたとえカムフラージュだとしても互いを確信的に受け入れられる二人が同居していたら自然に愛情が芽生えるんじゃないかな。あの辺はホンワカして、この線で終わればと思ったのだが。
やめジャニのCULENが製作に名を連ね一時は筆頭グループに属していた稲恒メンバーが小児性愛を口汚く罵るという構図、面白いというかあなたたちも知ってたでしょう!などと脳の一部が要らぬ反射。念の為、稲垣吾郎のことは好きである。
多様性と言われる時代でも生きづらいと感じる人はいる
気になっていた映画でやっと観に行けました!
主な登場人物は5人です。
それぞれが生きる上で問題を抱えています。
検事である寺井啓喜は不登校の息子が原因で妻とは喧嘩ばかり。
桐生夏月と佐々木佳道、大学生の諸橋大也は水フェチ。
神戸八重子は男性恐怖症を患っています。
夏月と佳道は生きづらい世界で生きていくために手を組み結婚することに。
ありのままを理解してくれる人がそばにいることでやっと安息の地を得ることができました。
啓喜は息子が配信する動画サイトが停止されそのことで喧嘩になり別居状態になります。
フジワラサトルの名のアカウントを使用していたのは諸橋大也でした。
八重子から男性恐怖症の苦しみを告白されるも不快な表情をします。
八重子は大事だからこそ理解したいという切実な気持ちを必死に訴えます。
自分も今、繋がれそうな人がいるという大也の言葉に
よかった、1人じゃなくてと安堵をみせる八重子でした。
佳道と大也は連絡取り合い同じ動画サイトで知り合ったコバセという人物とともに水の動画を撮ることに。
公園に集まった3人は、居合わせた子供たちと一緒に水遊びの動画を撮ります。
コバセは水フェチの他に小児愛者でもありました。
ある日、夏月が帰ってくると家の前にパトカーが止まっており、家から警察官と一緒に佳道が連行されていきます。
コバセこと矢田部の家から証拠となる映像が押収されており犯罪は間違いないものの、佳道と大也はただ水が好きなだけだと言っています。
啓喜は佳道の妻である夏月と面会することに。
最後に伝言を頼むも調停中なのでできないと夏月に言います。
ですが何を言おうとしているのか聞くと
私はいなくならないからと伝えてくださいと。
夏月は部屋を出て終了。
いろいろ考えさせられる映画でしたね…
多様性と言われる時代でも理解されない苦しみに生きづらさを感じてる人もいるし水フェチなるものもあるんですね🤔
勉強になります!
いい映画をありがとうございました😊
価値観が揺さぶられた
原作未読だったので、予想を超えた展開にびっくりした。自分はマジョリティでマイノリティのことは理解しきれないところがあるのだなと実感し、映画を通じ得難い体験をした。
すごく良かった
2023年に見た映画では一番刺激を受けた作品です。もともと直近で見た「月」での磯村勇斗さんの演技に惹かれてこちらも鑑賞しました。原作は知りませんが感想としてはすごく良かった。どの役者さんも演技力があり安心して最後まで見ることができました。この物語のテーマとなる性的趣向は一般社会からしたら少し理解し難い複雑なもので、最近よく映画やドラマで扱われるジェンダーものとはまた違った側面での視点を見せてくれた作品です。私自身30代で独身で物語の中で描かれてる周りは普通に結婚してみたいなあの感じ、すごくわかります(苦笑)
あと、自分にも分かり合える理解者がいてくれたらなーといつも思います。
はい、すみません。話が少し逸れましたが、映画のラストはその後2人がどうなったのかは描かれていません。どうかまた互いに理解し合える2人でただ幸せに暮らしていてほしいと思います。初めて見た役者さんですが、佐藤寛太さんも難しい役どころをしっかり演じていました。同じ大学のオドオドした女の子も印象深い演技でした。そして何より磯村勇斗さん、月に続いて、この正欲と次々と難しい役どころに挑んでいて本当に素晴らしい役者さんだなと思います。ガッキーも吾郎ちゃんも久しぶりに見れて良かったし、いい演技をしてました。主題歌のvaundyも良く、しばらくはこの曲ばかり頭の中で流れてます。
原作未読。結構はしょってる?
人物の描き方が浅い所があったような。原作未読だから、興味深く鑑賞できたけど、もっと各人物に深掘りできる物語があったんじゃないのかなあって。例えば女子大生のトラウマとか。
稲垣&新垣の対峙のシーンが山場なんだろうけどそこにたどり着くまでの展開が急すぎたような印象。
これはドラマでやった方が良かったんじゃないかなあとも思った。1人1話くらいで。そしたらもっと味わい深かったかもなあ。
でも「可愛い」イメージの新垣がシリアス面を発揮できたのは良かった!あと、稲垣の理解が足りない父親役もいいね。「十三人の刺客」の殿役といい、悪役あってるよね。しかも正義に負けない「パーフェクトヒール」になれそうな予感!今後の活躍に期待だなあ。もっと出てほしいよ。
あ、稲垣の部下の人、「オカルト」の爆弾魔の人だよね!メジャー作品にも出てるの見ると嬉しいな!
逮捕?
最後の逮捕はラストカットを撮りたかっただけなのではという違和感は拭えなかった。
この映画に小児愛的な要素が必要だったとは思えず、それだったら全員の設定を小児愛にして、一線を越えない人と一線を越えてしまった人の構造にした方がわかりやすかった気がする。
性的マイノリティの孤独ってなにか。
遺伝子を残せないこと?普通との比較?共感されないこと?普通で相手がいない孤独な人と水をみて興奮する人なら後者の方が幸せという見方もできる。
とりあえず原作に興味持ったのでポチりました。
そしてみんな思っただろうけどガッキーがまた戦略的な結婚をしてしまった。
思ってたよりは見れた😐
ガッキー推しだけど内容的にも絵的にも個人的にはそそらないから鑑賞するか迷ったけどガッキー愛に押されて鑑賞。
予想してたよりは見れたし性的嗜好ではないが自分も考え方とかが他の人とは違うところがあり、おそらく少数派だから今作を見てて色々と考えさせられるところはあった。
で、正解があるようでないし、無いようであるって感じで難しいなぁと感じた
途中ガッキーの行動に恐怖もあったけど意外にブレーキかかったなぁ
もっとぶっ壊れてくれても良かったのに…
言われてるように今までにガッキーだけど自分が求めてるものとは違う
ただガッキーが出演してなかったら絶対に見てないしなぁ
序盤がとにかくテンポ遅く長く感じ、逆に後半はもっと見ていたかった
あとあれだけで逮捕されるのおかしくないかな〜?よく分からんけど
ガッキー愛で★プラスかな
「水フェチ」の映画(← つまらなかった。時間のムダ使いは一人で、どうぞ~)
「水フェチ」って実際いるの?
水に浸かったり、水しぶきや水の掛け合い、水に濡れた衣服に性的刺激を求めるマイノリティ。
一方、不登校の小学生は大人に手伝ってもらいながらのYouTube投稿。そして、視聴者の要望に応えて、水を使った投稿をしようと父親の手を借りようとする。
その母親は、子どもに寄り添い過ぎて、夫と大喧嘩。
この映画は、簡単に言えばマスターベーション的な社会を描こうとしているのだろうが、もっと掘り下げて共感させる映画に出来なかったのだろうか?
社会や他者に関心をなくし、しかも命の温かみもない「水」に強い性的関心を示す若者たち。結局は彼らは自分たちの欲求する狭い世界で生きている。まさに、他者に交わることなく、自己完結したマスターベーション世界の住人たちだ。
こんな人間たちが、社会の中で他者と協力し助け合い、ともに生きることなど出来る分けがない。だから、映画に「自殺」「無気力」「虚無感」が出てくる。
不登校は、学校や社会の生きにくさを告発する意味では、ある面、意味もあるだろうが、自分たちの主張ではなく、視聴者におもねり流されてテーマを決め、しかも大人たちに手伝ってもらって、自分たちの生き方を貫いているような気になっている。・・中途半端なんだよね。
しかも実際、完璧な不登校や引きこもりって出来るのかな?結局は自分に関わる衣食住すべては、他者との関わり中で得ていることを、彼らは自覚していない。
つまり、彼らは家族や社会から与えられ、また奪って生活している存在に過ぎない。・・結局は彼らも、社会や他者に関心はなく、その不条理と戦う勇気やパワーもなく、せいぜい、自分たちのYouTube登録者数が上がることにしか関心がない。・・彼らも「水フェチ」と同じ種類の人間予備軍に過ぎない。・・「水フェチ」よりは重症ではないけどね。
人とのつながりが切れた人間の行き着く先は、結局は、狭い部屋に閉じこもり、何も成すことなく死んでいく人生か、自ら暗闇にダイビングしていくか、小児性愛者などのような、他者への感情に鈍感な犯罪者への道だろう。
活路は自分自身で見つけ出さなければならない。映画の登場人物たちは、自らの力と理解ある大人たちの力を借りて、この迷路から抜け出すことが、唯一の生きる道につながるだろう。
タイトルなし(ネタバレ)
ふつうって何だろう?
自分が懐妊して一方的に幸せアピールして、不躾に恋人がいるか聞いて独り身なことを「かわいそうな人」って言うことは「ふつう」?
同級生が結婚してクラス全員に声かけて、全員揃うことが大事だよね!って身元探し回って、みんなでよろこびあって、また独り身に恋人をあてがおうとしたり同性愛者かと聞くことが冗談だと思ってることが「ふつう」?
大多数が感じること選ぶことに何も違和感なく乗っかれる人間は、とても生きやすいだろうと思う
いろんなことに違和感を感じて、共感できないだけで仲間外れみたいな気持ちになるのはなぜだろう
正常位のポーズをマネするシーン、みんながふつうにやってる姿がいかに滑稽かが伝わって、本当にね、みんな変態だよね
だけど、性的嗜好が人とは違っても、ひとりは寂しいと思うし、誰かといると安心するんだよ
(もちろんひとりで平気な人だっているけど)
ひとりでいる寂しさと、誰かを想う気持ちと、誰かと繋がる安心感に涙がでた
初めはマイノリティでも性的対象は人間なのかと思ってた
それすらも無意識の偏見なのかもしれない
世の中にはいろんな人がいて、たまたま自分が大多数とされる性的嗜好を持って生まれただけで、どうなるかは選べないし、もし自分がそうだった時、それだけで人間として破綻してるとか、そんなことないのに
誰かを「変態」だと言って笑える側に生まれてきてよかったね
それをしても咎められない世界に生きててよかったね
たまたまそうじゃないだけなのにね
誰かのことを理解しようなんておこがましい
理解できるわけないんだから、わからないからって「いるわけない」なんて言っちゃだめだ
とても皮肉がきいてるのは、マイノリティでふつうじゃないとされる2人が「いなくならない」と繋がっていて、マジョリティである夫婦がお互いを理解しあえず離れようとしていること
そういうこと実際たくさんある
正しさとは、ふつうとは何だろう
恋愛映画
原作は見ていません
緩急のない落ち着いた恋愛映画のように感じた。多くの人が持っている他者に理解してほしい気持ち。お互いに理解しあう形で、共に過ごす行為は恋愛のように思えた。
恋愛映画として考えた時、もっと緩急が欲しいと感じた。なぜ、緩急が欲しいと感じたのか?疑問に思った。多分、私の恋愛の緩急は性欲が要因だと思う。そしてそれを当たり前に求めていた。それがない恋愛であったら緩急もないのだろうと思った。
ストーリーは、最期の場面で気になる部分があった。映画だと当たり前であるが、現実的に繋げて考えると難しい場面だと思う。物語としては良いものであった。また、繋げることは出来なくない。その部分を丁寧に描いて欲しかった。
映画としては、水の音の表現は素晴らしいし、映像的にも素晴らしかった。何かしらを考えさせる内容はその手の気持ち良さを感じた。総じて面白い映画であった。
是非多くの人に見られる映画になってほしい。
思想のように
ぼくは小さな頃、碁石で遊ぶのが好きだった。
その碁石で囲碁をする訳では無かった。
碁石を並べ、人に見立てて、キャラクターとして動かして遊んだ。
母がぼくに言ったのは、「安上がりな遊びを見つけてくれてよかったわ…」ということだった。
ぼくは、ぼくの世界にとても満足していた。
という訳で、若干でも〝石遊びフェチ〟であったのかもしれない。…。
「正欲」は、変わったフェチズム、〝水フェチ〟の人々が、社会に受け入れられない自分たちの生き辛さを思いながら、繋がりを求める物語だ。
そしてその人々と関わる人々の話である。
ぼくは、劇中の人々が、どうして生き辛いのだろう、と、とても思った。
というのは、〝水フェチ〟ってとても安上がりじゃないの?という思いだ。
それはぼくの母が、石遊びに熱中しているぼくを見て言った言葉のその気持ちと、ほぼ同じであるように感じる。
ぼくには、その〝水フェチ〟さえも、作品作りにおける道具のひとつのように感じた。
屁理屈をもって理屈を語らないで欲しい。
〝水フェチ〟ならば、ふたりのベッドシーンも水を介するべきではと思う。
そうでなければ、じゃあ、あのふたりのとてもいい思い出として映っているのは、公園で水と戯れていること、そのシーンのみになる…。
まあ、それでいいのかもしれないけれど、観客としては物足りない気もしてしまう。
というのは、そのあえてしてみたかった〝普通〟の方が、劇中としても、変わったフェチズムより良いものに見えてしまっており、扱われていた多様性というテーマについての説得力が弱くなってしまう感じをもった。
そういう意味でも、見ていて、何だかなあ、と思ったけれども、多様性とは、というメッセージと、Vaundyの「呼吸のように」はとても心に残る曲だったと思う。
こうして思うと、いつしか、ぼくは〝石遊び〟をやめてしまっている。
それは〝その程度のもの〟であったのかもしれない。
しかし、それを本当に、逃れられないかのように、行い続けていたらどうだったのだろう。どうなるのだろう。
それでも他者への繋がりを求めるのだろうか。
ぼくは他者への繋がりの為に、いつの間にか〝それ〟も、放棄してしまったのかもしれない。
そう思うと、〝水が好き〟というもので人との繋がりを持とうとすることは、とてつもないことにも感じる。
それは最早、性癖というよりも思想のように、ぼくは思うんだけど。
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