正欲のレビュー・感想・評価
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無理解も、定型に押し込めようとする善意も同じ穴の狢
横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、息子が不登校になり、教育方針を巡って妻と度々衝突している。広島のショッピングモールで販売員として働く桐生夏月は、実家暮らしで代わり映えのしない日々を繰り返している。ある日、中学のときに転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知る。ダンスサークルに所属し、準ミスターに選ばれるほどの容姿を持つ諸橋大也。学園祭でダイバーシティをテーマにしたイベントで、大也が所属するダンスサークルの出演を計画した神戸八重子はそんな大也を気にしていた(公式サイトより)。
たった二文字のタイトルだが、造語の意味は意外に深い。「正」は移ろいゆく世の中に左右されやすい相対的な尺度であるのに対して、「欲」は腹減ったとか、眠いとか、ヤリたいとか、当人が感じる絶対的な希望である。本作はその相対的な「正」と絶対的な「欲」の狭間に生まれた群像劇である。
作中、当事者でない方々が、理解ありそげな解釈を、善意かつ無自覚にLGBTQやダイバーシティという定型に押し込めようとするシーンが何度か登場する。並行して、多様性に一切理解を示そうとしない検事の家庭も底糸として描かれる。SNSによる情報発信が容易になり、本当に理解・共感しているのか、あるいは別な目的を含意するのか、とても曖昧になっている現代の言説空間をシニカルに描く印象的なモチーフである。テレビを見ながらぼそっと呟く桐生の母と、意識の高い学園祭実行員の彼女と、一切理解しようとしない検事はある意味で同じ穴の狢と言える。
生まれ持ってしまった「癖」そのものではなく、そこに起因する「孤独」が人が苦しめるという文脈は、無味無臭無色不定形な「水」を通して鮮やかに暗喩される。水であっても、器があれば留まることができるし、繋がることができる。桐生と佐々木のベッドの上での真似事がそんな邂逅を思わせる。
ワンショットで無音のシーンが多い磯村勇斗と新垣結衣の生気を失った、世の忍び、嫉みながら生きていく前半部分と、徐々に人間としての水分を取り戻し、血色が良く、笑顔が多くなっていく後半部分の対比的な演技はお見事。「正」の権化である検事役を稲垣吾郎が好演。存在感抜群の東野絢香は本作が映画初出演というから驚く。
期待度○鑑賞後の満足度◎ 水フェチばかり強調してテーマがボヤけているし人物の描き分けもも一つなので映画として成功しているとは言えないけれども、久しぶりに自分に向き合わせてくれたので点は甘くなってます。
①(原作未読)原作を読んでから観ようと思っていましたが間に合わず。
②ダイバーシティという言葉が独り歩きしているのは確かですね。うちの会社でも「ダイバーシティ、ダイバーシティ」と二言目には言っているけど、社員はどこまで分かっているやら。
ダイバーシティとはマジョリティーがマイノリティーに対して違いを認めてあげるよ、という上から視線のものではなくて、すべての人はみんな一応ではないのだから(自分の物の見方が正しいと固執するのではなく)個々の違いをお互いに認め合おうよ、というものの筈。
③私もフェチがあるし(でも何のフェチもない人って世の中にいるのかしら?)今まで殆ど人に言ったことのない性癖もありますけれども、これまでの人生でそれほど生きにくいと思ったことはありません。
だって結構擬態って簡単なのです。そんなことあり得ないと自分の考え方・見方に捕らわれ自分の世界の外に有るものが見えていないということは其だけ想像力がない・鈍いという事で、鈍いゆえに周りにそういう人がいるのに気付かないのだから仮面を被っていても分からない(こんな言い方すると悪辣だけど)。
ただ、「一人くらい分かってくれる人がいるとホッとする」、「そんな自分が嫌になる」、「時々ウソを付くのが嫌になる」という気持ちはよく分かります。
勿論、人間は一人一人違うので「自分は周りの人とは違う」「社会の中で異質な存在だ」「いわゆる“普通”に生まれてきたかった」という孤独感や疎外感、絶望感、マジョリティー(映画のなかでは「当然の様に“明日が来る、明日も生きている”と思う人達」と形容されている)の無神経な言葉による心の傷、そういう事にもっと敏感な人達がいるのはよく分かります。特に若い人に多いんじゃないかな。
最近はSNSとかで人と常時繋がることがすぐ出きるし(させられるし)当たり前みたいだから、私の若い頃より確かに生きづらいかも知れません。
④私は基本的に一人が好きだし(他人といると自然とその人に合わせようとするので疲れます。会社では勿論協調性が重視されるし、仕事をスムーズに進めるためにとても愛想よく上司・同僚とも仲良くしていますけれど、家に帰るとなるべく一人でいたい)、“一人でいると寂しい”という気持ちがハッキリ言ってよく分からりません。
歳を取る程(若い頃は自分は結構普通の善良な人間だと思っていましたけれども)、「自分って変わっているよな」「良い人間とは必ずしも言えないな」と思うようになっできました。でも、ハッキリ言ってもうどうでも良い感じ。
ただ、今現在現役で社会のなかでイヤでも他人と関わって生きて行かねばならない若い人はそうそう達観出来ない、というかまだ感性がビビットで繊細なので傷付きやすく苦しいんでしょうね。
新垣結衣演じる桐生夏月の職場(イオンモールらしい)で声をかけてくる徳永えり演じる腹ボテの同僚は完全に自分は勝ち組意識で“いつも一人で可哀想だから声をかけてあげてるのに”とまさに上から目線。典型的なマジョリティータイプで(自分がやってることの方が遥かにハラスメントなのに、ハラスメントという言葉を自分の都合の良い様に使ってるし)夏月ならずとも「うるさい。ほっとけ」と言いたくなりますが、実生活の私はついつい合わせてしまい心にもない言い訳・お追従をしてしまう小心者です。
⑤という訳で敢えて自分から人と繋がりたいとは思っていない人間だと思っていましたが、本作を観ているうちに、こうやって映画が好きで観ているという事によって本当は自分は社会や世界と繋がりたい、と思っているのではいか、と気付かされたように思います。
(だから鑑賞後の満足度◎にしています。)
⑥本作のことではなく自分の事ばかり書いてしまいましたが、この映画を観ながらこんなことばかり考えていたので、ヘンテコですがレビューには間違いないのでは、と言い訳しておきます。
⑦人物の描き分けがも一つと書きましたが、新垣結衣演じる桐生夏月と礒村優斗演じる佐々木佳道とはよく描かれているように思います。だから余計水フェチが強調されちゃたのかも。
新垣結衣は一度もてはやされていた時は、どこが良いのかな、と思っていましたがしっかりした演技で夏月というキャラクターをキチンと血肉化しています。
礒村優斗くんも、『月』では殆ど感情移入出来なかったのですが今回はとても感情移入できる役でした。
二人がセックスの真似事をするシーンはとても切ない。
⑧ただ、あれだけのことで佐々木君や諸橋君を逮捕することはないでしょう。
証拠が上がっているわけではないし、先ずは参考人として呼ぶのでは?
ラストの稲垣吾郎演じるマジョリティーの権化みたいな検事の価値観を揺さぶるための、検事と夏月とを対決させる為にムリクリ設定したんでしょうね。
⑨稲垣吾郎は今までになく大人っぽく男っぽい風情でしたが、類型を演じているだけで内面までは描き切れていない。演出の責任かも知れませんけれど。
⑩映画としては成功していない、でも問題提起という点では及第点、というところでしょうか。
スッキリしない
役者たちと語り口は興味をひくが、どのキャラも好きになれない。せめてガッキー位は好きにならせてくれ〜!
水フェチは居場所がなくて死にたくなるほどのことなのか。アセクシャルと水フェチを両方もつ美男美女が同じクラスにいた、ガッキーはとはいえ佐々木くんにストーカー的に執着。むむむ。
あとたとえカムフラージュだとしても互いを確信的に受け入れられる二人が同居していたら自然に愛情が芽生えるんじゃないかな。あの辺はホンワカして、この線で終わればと思ったのだが。
やめジャニのCULENが製作に名を連ね一時は筆頭グループに属していた稲恒メンバーが小児性愛を口汚く罵るという構図、面白いというかあなたたちも知ってたでしょう!などと脳の一部が要らぬ反射。念の為、稲垣吾郎のことは好きである。
多様性と言われる時代でも生きづらいと感じる人はいる
気になっていた映画でやっと観に行けました!
主な登場人物は5人です。
それぞれが生きる上で問題を抱えています。
検事である寺井啓喜は不登校の息子が原因で妻とは喧嘩ばかり。
桐生夏月と佐々木佳道、大学生の諸橋大也は水フェチ。
神戸八重子は男性恐怖症を患っています。
夏月と佳道は生きづらい世界で生きていくために手を組み結婚することに。
ありのままを理解してくれる人がそばにいることでやっと安息の地を得ることができました。
啓喜は息子が配信する動画サイトが停止されそのことで喧嘩になり別居状態になります。
フジワラサトルの名のアカウントを使用していたのは諸橋大也でした。
八重子から男性恐怖症の苦しみを告白されるも不快な表情をします。
八重子は大事だからこそ理解したいという切実な気持ちを必死に訴えます。
自分も今、繋がれそうな人がいるという大也の言葉に
よかった、1人じゃなくてと安堵をみせる八重子でした。
佳道と大也は連絡取り合い同じ動画サイトで知り合ったコバセという人物とともに水の動画を撮ることに。
公園に集まった3人は、居合わせた子供たちと一緒に水遊びの動画を撮ります。
コバセは水フェチの他に小児愛者でもありました。
ある日、夏月が帰ってくると家の前にパトカーが止まっており、家から警察官と一緒に佳道が連行されていきます。
コバセこと矢田部の家から証拠となる映像が押収されており犯罪は間違いないものの、佳道と大也はただ水が好きなだけだと言っています。
啓喜は佳道の妻である夏月と面会することに。
最後に伝言を頼むも調停中なのでできないと夏月に言います。
ですが何を言おうとしているのか聞くと
私はいなくならないからと伝えてくださいと。
夏月は部屋を出て終了。
いろいろ考えさせられる映画でしたね…
多様性と言われる時代でも理解されない苦しみに生きづらさを感じてる人もいるし水フェチなるものもあるんですね🤔
勉強になります!
いい映画をありがとうございました😊
価値観が揺さぶられた
原作未読だったので、予想を超えた展開にびっくりした。自分はマジョリティでマイノリティのことは理解しきれないところがあるのだなと実感し、映画を通じ得難い体験をした。
すごく良かった
2023年に見た映画では一番刺激を受けた作品です。もともと直近で見た「月」での磯村勇斗さんの演技に惹かれてこちらも鑑賞しました。原作は知りませんが感想としてはすごく良かった。どの役者さんも演技力があり安心して最後まで見ることができました。この物語のテーマとなる性的趣向は一般社会からしたら少し理解し難い複雑なもので、最近よく映画やドラマで扱われるジェンダーものとはまた違った側面での視点を見せてくれた作品です。私自身30代で独身で物語の中で描かれてる周りは普通に結婚してみたいなあの感じ、すごくわかります(苦笑)
あと、自分にも分かり合える理解者がいてくれたらなーといつも思います。
はい、すみません。話が少し逸れましたが、映画のラストはその後2人がどうなったのかは描かれていません。どうかまた互いに理解し合える2人でただ幸せに暮らしていてほしいと思います。初めて見た役者さんですが、佐藤寛太さんも難しい役どころをしっかり演じていました。同じ大学のオドオドした女の子も印象深い演技でした。そして何より磯村勇斗さん、月に続いて、この正欲と次々と難しい役どころに挑んでいて本当に素晴らしい役者さんだなと思います。ガッキーも吾郎ちゃんも久しぶりに見れて良かったし、いい演技をしてました。主題歌のvaundyも良く、しばらくはこの曲ばかり頭の中で流れてます。
原作未読。結構はしょってる?
人物の描き方が浅い所があったような。原作未読だから、興味深く鑑賞できたけど、もっと各人物に深掘りできる物語があったんじゃないのかなあって。例えば女子大生のトラウマとか。
稲垣&新垣の対峙のシーンが山場なんだろうけどそこにたどり着くまでの展開が急すぎたような印象。
これはドラマでやった方が良かったんじゃないかなあとも思った。1人1話くらいで。そしたらもっと味わい深かったかもなあ。
でも「可愛い」イメージの新垣がシリアス面を発揮できたのは良かった!あと、稲垣の理解が足りない父親役もいいね。「十三人の刺客」の殿役といい、悪役あってるよね。しかも正義に負けない「パーフェクトヒール」になれそうな予感!今後の活躍に期待だなあ。もっと出てほしいよ。
あ、稲垣の部下の人、「オカルト」の爆弾魔の人だよね!メジャー作品にも出てるの見ると嬉しいな!
逮捕?
最後の逮捕はラストカットを撮りたかっただけなのではという違和感は拭えなかった。
この映画に小児愛的な要素が必要だったとは思えず、それだったら全員の設定を小児愛にして、一線を越えない人と一線を越えてしまった人の構造にした方がわかりやすかった気がする。
性的マイノリティの孤独ってなにか。
遺伝子を残せないこと?普通との比較?共感されないこと?普通で相手がいない孤独な人と水をみて興奮する人なら後者の方が幸せという見方もできる。
とりあえず原作に興味持ったのでポチりました。
そしてみんな思っただろうけどガッキーがまた戦略的な結婚をしてしまった。
思ってたよりは見れた😐
ガッキー推しだけど内容的にも絵的にも個人的にはそそらないから鑑賞するか迷ったけどガッキー愛に押されて鑑賞。
予想してたよりは見れたし性的嗜好ではないが自分も考え方とかが他の人とは違うところがあり、おそらく少数派だから今作を見てて色々と考えさせられるところはあった。
で、正解があるようでないし、無いようであるって感じで難しいなぁと感じた
途中ガッキーの行動に恐怖もあったけど意外にブレーキかかったなぁ
もっとぶっ壊れてくれても良かったのに…
言われてるように今までにガッキーだけど自分が求めてるものとは違う
ただガッキーが出演してなかったら絶対に見てないしなぁ
序盤がとにかくテンポ遅く長く感じ、逆に後半はもっと見ていたかった
あとあれだけで逮捕されるのおかしくないかな〜?よく分からんけど
ガッキー愛で★プラスかな
「水フェチ」の映画(← つまらなかった。時間のムダ使いは一人で、どうぞ~)
「水フェチ」って実際いるの?
水に浸かったり、水しぶきや水の掛け合い、水に濡れた衣服に性的刺激を求めるマイノリティ。
一方、不登校の小学生は大人に手伝ってもらいながらのYouTube投稿。そして、視聴者の要望に応えて、水を使った投稿をしようと父親の手を借りようとする。
その母親は、子どもに寄り添い過ぎて、夫と大喧嘩。
この映画は、簡単に言えばマスターベーション的な社会を描こうとしているのだろうが、もっと掘り下げて共感させる映画に出来なかったのだろうか?
社会や他者に関心をなくし、しかも命の温かみもない「水」に強い性的関心を示す若者たち。結局は彼らは自分たちの欲求する狭い世界で生きている。まさに、他者に交わることなく、自己完結したマスターベーション世界の住人たちだ。
こんな人間たちが、社会の中で他者と協力し助け合い、ともに生きることなど出来る分けがない。だから、映画に「自殺」「無気力」「虚無感」が出てくる。
不登校は、学校や社会の生きにくさを告発する意味では、ある面、意味もあるだろうが、自分たちの主張ではなく、視聴者におもねり流されてテーマを決め、しかも大人たちに手伝ってもらって、自分たちの生き方を貫いているような気になっている。・・中途半端なんだよね。
しかも実際、完璧な不登校や引きこもりって出来るのかな?結局は自分に関わる衣食住すべては、他者との関わり中で得ていることを、彼らは自覚していない。
つまり、彼らは家族や社会から与えられ、また奪って生活している存在に過ぎない。・・結局は彼らも、社会や他者に関心はなく、その不条理と戦う勇気やパワーもなく、せいぜい、自分たちのYouTube登録者数が上がることにしか関心がない。・・彼らも「水フェチ」と同じ種類の人間予備軍に過ぎない。・・「水フェチ」よりは重症ではないけどね。
人とのつながりが切れた人間の行き着く先は、結局は、狭い部屋に閉じこもり、何も成すことなく死んでいく人生か、自ら暗闇にダイビングしていくか、小児性愛者などのような、他者への感情に鈍感な犯罪者への道だろう。
活路は自分自身で見つけ出さなければならない。映画の登場人物たちは、自らの力と理解ある大人たちの力を借りて、この迷路から抜け出すことが、唯一の生きる道につながるだろう。
ふつうって何だろう? 自分が懐妊して一方的に幸せアピールして、不躾...
ふつうって何だろう?
自分が懐妊して一方的に幸せアピールして、不躾に恋人がいるか聞いて独り身なことを「かわいそうな人」って言うことは「ふつう」?
同級生が結婚してクラス全員に声かけて、全員揃うことが大事だよね!って身元探し回って、みんなでよろこびあって、また独り身に恋人をあてがおうとしたり同性愛者かと聞くことが冗談だと思ってることが「ふつう」?
大多数が感じること選ぶことに何も違和感なく乗っかれる人間は、とても生きやすいだろうと思う
いろんなことに違和感を感じて、共感できないだけで仲間外れみたいな気持ちになるのはなぜだろう
正常位のポーズをマネするシーン、みんながふつうにやってる姿がいかに滑稽かが伝わって、本当にね、みんな変態だよね
だけど、性的嗜好が人とは違っても、ひとりは寂しいと思うし、誰かといると安心するんだよ
(もちろんひとりで平気な人だっているけど)
ひとりでいる寂しさと、誰かを想う気持ちと、誰かと繋がる安心感に涙がでた
初めはマイノリティでも性的対象は人間なのかと思ってた
それすらも無意識の偏見なのかもしれない
世の中にはいろんな人がいて、たまたま自分が大多数とされる性的嗜好を持って生まれただけで、どうなるかは選べないし、もし自分がそうだった時、それだけで人間として破綻してるとか、そんなことないのに
誰かを「変態」だと言って笑える側に生まれてきてよかったね
それをしても咎められない世界に生きててよかったね
たまたまそうじゃないだけなのにね
誰かのことを理解しようなんておこがましい
理解できるわけないんだから、わからないからって「いるわけない」なんて言っちゃだめだ
とても皮肉がきいてるのは、マイノリティでふつうじゃないとされる2人が「いなくならない」と繋がっていて、マジョリティである夫婦がお互いを理解しあえず離れようとしていること
そういうこと実際たくさんある
正しさとは、ふつうとは何だろう
恋愛映画
原作は見ていません
緩急のない落ち着いた恋愛映画のように感じた。多くの人が持っている他者に理解してほしい気持ち。お互いに理解しあう形で、共に過ごす行為は恋愛のように思えた。
恋愛映画として考えた時、もっと緩急が欲しいと感じた。なぜ、緩急が欲しいと感じたのか?疑問に思った。多分、私の恋愛の緩急は性欲が要因だと思う。そしてそれを当たり前に求めていた。それがない恋愛であったら緩急もないのだろうと思った。
ストーリーは、最期の場面で気になる部分があった。映画だと当たり前であるが、現実的に繋げて考えると難しい場面だと思う。物語としては良いものであった。また、繋げることは出来なくない。その部分を丁寧に描いて欲しかった。
映画としては、水の音の表現は素晴らしいし、映像的にも素晴らしかった。何かしらを考えさせる内容はその手の気持ち良さを感じた。総じて面白い映画であった。
是非多くの人に見られる映画になってほしい。
思想のように
ぼくは小さな頃、碁石で遊ぶのが好きだった。
その碁石で囲碁をする訳では無かった。
碁石を並べ、人に見立てて、キャラクターとして動かして遊んだ。
母がぼくに言ったのは、「安上がりな遊びを見つけてくれてよかったわ…」ということだった。
ぼくは、ぼくの世界にとても満足していた。
という訳で、若干でも〝石遊びフェチ〟であったのかもしれない。…。
「正欲」は、変わったフェチズム、〝水フェチ〟の人々が、社会に受け入れられない自分たちの生き辛さを思いながら、繋がりを求める物語だ。
そしてその人々と関わる人々の話である。
ぼくは、劇中の人々が、どうして生き辛いのだろう、と、とても思った。
というのは、〝水フェチ〟ってとても安上がりじゃないの?という思いだ。
それはぼくの母が、石遊びに熱中しているぼくを見て言った言葉のその気持ちと、ほぼ同じであるように感じる。
ぼくには、その〝水フェチ〟さえも、作品作りにおける道具のひとつのように感じた。
屁理屈をもって理屈を語らないで欲しい。
〝水フェチ〟ならば、ふたりのベッドシーンも水を介するべきではと思う。
そうでなければ、じゃあ、あのふたりのとてもいい思い出として映っているのは、公園で水と戯れていること、そのシーンのみになる…。
まあ、それでいいのかもしれないけれど、観客としては物足りない気もしてしまう。
というのは、そのあえてしてみたかった〝普通〟の方が、劇中としても、変わったフェチズムより良いものに見えてしまっており、扱われていた多様性というテーマについての説得力が弱くなってしまう感じをもった。
そういう意味でも、見ていて、何だかなあ、と思ったけれども、多様性とは、というメッセージと、Vaundyの「呼吸のように」はとても心に残る曲だったと思う。
こうして思うと、いつしか、ぼくは〝石遊び〟をやめてしまっている。
それは〝その程度のもの〟であったのかもしれない。
しかし、それを本当に、逃れられないかのように、行い続けていたらどうだったのだろう。どうなるのだろう。
それでも他者への繋がりを求めるのだろうか。
ぼくは他者への繋がりの為に、いつの間にか〝それ〟も、放棄してしまったのかもしれない。
そう思うと、〝水が好き〟というもので人との繋がりを持とうとすることは、とてつもないことにも感じる。
それは最早、性癖というよりも思想のように、ぼくは思うんだけど。
多様性と性欲と正しさと
まず原作は未読です。
多様性が叫ばれるなか、マイノリティが如何に「普通」という概念と向き合う息苦しさを描いた……最近はなどと書かれるのでしょう。
しかし、この物語の登場人物たちは「普通」に適応しているように見せて暮らしている『MIB』の「宇宙人」のように描かれます。
その戦わなければいけない「普通」は年齢の普通、地方都市の普通、学校の普通、職場の普通など様々な「普通」が壁となり立ち塞がる。
その対局として徹底的に社会常識と「普通」の守護者として稲垣吾郎演じる寺井。
『MIB』で行ったらエージェント側。
しかし、信じる普通を突き進むあまり破滅に向かう家庭。
仮初めの夫を同好の士として信じて待つといった新垣結衣演じる夏月。
「あなたはどっちが幸せに見える?」と喉元に刃物を突き付けられた様な作品でした。
個人的にはR-18にしてもっと全てをエロティックに描いても良かった気がします。
興行を考えると全年齢をにしなければなかったのでしょうし、俳優陣がR-18では無理だったでしょう。
ただもっと突っ込んで深く登場人物たちを絵描けたと感じました。
久々の邦画でしたが、個人的には好きなテイストでした。
またヨーロッパ受けしそうだなぁ……などと思いながら、観終わった後、喉に魚の小骨が引っ掛かったような気分のまま帰路につきました。
どんな欲があってもいい、公共の福祉に反しない限り。
寺井夫妻の紛争は、世の子どものいる家庭では、あるあるかと思います。
うちも、ありました。
どちらも、子どもの今と将来を想ってなのですが、そもそも前提条件が違うから、コミュニケーションがかみ合わない。
家族だから分かり合えるという幻想がマイナスに作用して、壊れるところまで行っちゃいましたね。
2人が一番大切な息子君の将来が心配です。
人生のかなり早い段階で、人と人とは分かり合えないと諦めた私としては、夏月と佳道のあり方は、ほほえましく、羨ましかったです。
同じ星の人に出会えてよかったね。
いつまでも、お互いにいなくならないで欲しいです。
一番胸糞悪かったのは、少年を買春する教師 矢田部さん。
男の人って、性欲?征服欲?みたいなものに振り回される生き物なのかなーとゲンナリ。
ジャニーさんもこんな感じだったのかなと思うと、ホントに気分が悪くなりました。
無知に付け込んでの搾取は、大人が子どもにすることではありません。
そして、私が一番頑張ったねと言いたいのは、女子大生の神戸ちゃん。
盛大な告白は空振りになったけれど、彼女が大きく変わるきっかけになったんじゃないかな。
一番心が動いたシーンでした、若いっていいな~。
監督の岸さん、「前科者」の人だったんですね!
重いテーマを扱うも、ほの明るいラストを用意してくれるので、救われます。
次作も楽しみにしています(*^-^*)
”寺井が最初に置かれた理由について”
映画のエンドロールにせよ、食品の原材料名にせよ、説明の最初に置かれている名前がメインであると思う。今回エンドロールで最初に書かれていた名前は、「稲垣 吾郎 寺井 啓喜」であった。
それを見て、違和感を感じた。メインは桐生 夏月(新垣 結衣)でないのかと。寺井が最初に置かれた理由。そのことについて考えてみたいと思う。
稲垣が演じる寺井は、はじめから最後まで自分の常識に当てはまらない人間に対して、理解を示さない人物として描かれる。
映画を見終わって、自分は寺井に対して嫌悪感を抱いていた。もう少し歩み寄ればいいのにと。ただ、自分も歩み寄れているのかと疑ってみると、どこか、表面上で価値観を認めようと口ばかりで言っているだけになっているのではないだろうか。
本当に、自分と全く異なる価値観を持つ人を目の前にした時、その価値観を受け入れるこは出来るのだろうか。多かれ少なかれ、自分は寺井の側面を持っているのではないだろうか。
最も自分と照らし合わせて振り返るべき存在は、寺井であるからこそ、最初に書かれていたのではないかと考えた。
考えさせられる映画で、非常に満足できる内容であった。
女子大生役の東野綾香さん良いですね
予告編を3回くらい見ていたから、もっとすごいのを期待してしまっていたかな。予告のガッキーのセリフがほぼラストシーンだったとは。
でもさらに後のセリフが良いですね。稲垣吾郎の奥さんはいなくなったけど彼と分かり合うガッキーはいなくならないね。
その後の捜査でスマホやパソコンの解析して犯罪に絡んでないことが証明されて彼は戻って来れると私は信じます。
この人たちのフェティシズムがただの趣味の範疇ではなくもっと深刻なんですよという事はベッドシーン?のおかげでよく伝わった。冒頭の新聞記事から始まって、なかなか想像がつかない世界をわかりやすく説明してくれてた。
でも人が絡まない性的嗜好だと被害者がいないから、そこまで深刻になるかなあ?と思ってしまった私はまだ理解が足らないのかな。
相当昔の話ですがダウンタウンの出てるテレビ番組で「夫が私の目でしかイカないんです」という視聴者電話相談があって結構衝撃を受けて、あれが私にとって「観る前の自分には戻れない」(予告編のキャッチコピー)だったかもしれない。中ではイケなくて毎回目に押し付けてイク男性。奥さんはまつ毛がこすれてなくなりそう。電話がヤラセじゃなければ、ですけど。
東野綾香さんを初めて見たのですが演技といいヒラメ顔好きということもあり今後が楽しみです。
今という時代
傑作です。
キャッチコピーが、「観る前の自分には戻れない」。
でも、わたしは、まったくそうは思いませんでした。
だって、人の幸せに傷ついたり、自分の入ることのできない暖かな家の灯りに窒息しそうになったり、この世から消えてなくなりたい時も、あの少年のように父親を見たことも・・・そのすべてに身に覚えがあります。
そして同じ様に、わたしも、人を傷つけ、浅はかな正義を押し付け、それに気づきもしないこともあるでしょう。
だからこの映画は、今という時代を生きる大人に向けたお伽話だと思いました。
苦しいことばかりの人生だったけれど、そのおかげで、この映画に心から涙できる自分でいられた。
過去を振り返り、これで良かったと。
SNSの片隅で、今日もたしかに人が息づいている。
いつしか、その剥き出しの欲望と混沌の中から、ほんとうの希望が生まれてくるといいな。
そう祈ります。
原作を読んだ本好きとしての感想を添えて
はじめに、作品名である『正欲』の意味が正確にわかるのは小説であることを伝えたいです。私の発想力がなかったためかもしれないが、小説で読んでやっと『正欲』の意図することがわかりました。
映画として、入りの部分から「おっ?!」と思わされたので、最初から作品の世界に引き込まれました。そのシーンが何を意味しているのか最初はわかりませんでしたが、徐々に明確になっていき納得することができました。
内容の趣旨に関しては、今自分たちの世界を取り巻く内容であるが、自分たちが知っているものが全てでないことを突きつけられました。この作品を通して、自分の知らない世界で生きている人たちを理解するきっかけを与えてくれたので、とてもよい機会になりました。
お気に入りのシーンは“プロポーズ”(この表現で正しいかはわかりません)のシーンです。
単純に「こういった関係性に憧れるな」と思いました。でも、登場人物たちがこのような状況下にあるからこそ心救われる素敵な、大きな希望を象徴するシーンになったのだと思いました。
最後に、本作品の趣旨とは少し違うかもしれませんが、自分の他者に対する言動を振り返り、改めるよい機会になりました。自分の“あたりまえ”を相手に押し付けるような言動は起こさないように些細なことにも配慮をもって、考えて過ごしたいと思います。
※小説を読んだ者として、より生々しく、重く、深く作品を感じたい方は小説をおすすめします。周知のことと思いますが、映画は大衆向けに簡略されている部分が多々あります。
新垣結衣さんの演技が素晴らしい傑作!
一番印象に残ったのは新垣結衣さんの演技
いつもは可愛らしく柔らかい印象ですが、本作ではかなり特殊な嗜好を持つ役回りです
初登場シーンから回転寿司での目が据わったアップで登場し、お節介に話しかけてくる客にキレたり、嫉妬のあまり人の家に植木鉢をぶつける、それ以外にもこれまで絶対にNGとしてきたであろう”シーン”までも熱演していて、とても良かったです
アップも多く、あらためて可愛いい人だなあとしみじみ思い観てました
キャスティング面でいくと磯村勇斗さんも良かったです、最近 特に重いキャラクターの作品に出ることが増えて来ましたね、将来有望な若手実力派俳優の一人である事は間違いないでしょう
先日、「月」を見たばかりなので、普通にしていても、どことなく不気味さを感じたのは私だけでしょうか(苦笑)
人は一人一人 生き方も嗜好も違って当たり前だし、それを他人がああだこうだ言う権利は無く、”人に迷惑をかけていなければ”全く問題ない
さらに自分と全く同じ嗜好・価値観の人とずっと一緒にいられることほど幸せなことはない
主人公の新垣結衣さん演じる桐生夏月と磯村勇斗さん演じる佐々木佳道も他人には理解してもらえないであろう”水フェチ”として生きづらい人生を送っていて、そんな同じ嗜好を持つ者同士でずっと一緒にいようと決め、支え合い生きていくことを決めるが、”人に迷惑をかける嗜好の持主”達のためにささやかな幸せが奪われていく悲劇が描かれていき、とても切ない気分になりました
特にラスト、夏月が稲垣吾郎さん演じる検察官・寺井にトラブルに巻き込まれて拘留中で会えない佐々木へ頼んだ伝言、”私はいなくならないから”というくだりがとても辛く悲しい気分になりました
一方で伝言を頼まれた寺井はというと、自分はいつも礼節をわきまえ、常に正しい言動と行いでマジョリティと思っているはずなのに、妻と息子に愛想をつかされ別居状態になり孤独な状態に陥っている男、水フェチのカップルをなじっておいて、自分の方が彼らより不幸な人生を送っているという皮肉な展開も印象的でした
と、いろんな意味で考えさせられ、見ごたえのある、観て良かったと思える良い作品でした
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