「多様性ではなく作者の自己満足と自己顕示欲が表れた作品」正欲 ひろさんの映画レビュー(感想・評価)
多様性ではなく作者の自己満足と自己顕示欲が表れた作品
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映画というより作品そのものに対する評論。
水に対する性欲をマイノリティとか、多様性とか呼ぶだろうか。いや、呼ばない。
何でもかんでもマイノリティとか多様性と美化して表現すれば正当化できる、受け入れられると思うのはお門違いだ。若い作者はその点を大きく誤解している。
少数民族やLGBTなどマイノリティが擁護、評価される点には理由がある。
少数化だからという点で理由なく擁護されたり評価される事はない。
朝井リョウは性格的に「あまのじゃく」。だから、誰もマネしない、マネできない独自性にこだわる。水に対する性欲を題材にしたのは、ほとんどの人が「性欲」として想像を超えて認める事ができない対象だからだろう。
実際のところ、「水に対する性欲」ではなく「水ファン」「噴水フェチ」という意味あいであれば、世間にいくらでもいる。しかし、それでは「マイノリティ」ではないし、そこらへんの噴水ファンを題材にしても小説にならない。だから、無理やり「水に対する性欲」と性欲に結び付けたように見える。
これが、作者(朝井リョウ)が本当にその性癖(水に対する性癖)があり、水の画面を見ながら自慰行為を行うような習慣があるのであれば、作品としての価値を認める。しかし、自分がその性癖がないにも関わらず、極めてレアな性癖、それも、性癖とはいえないような「癖」を描くのは、単なる作者の空想や想像を文字や映像にしたに過ぎず、何の意味もない。
この作品は超少数派を描く事によりあまのじゃくの作者自身が自己満足し、陶酔するため、単に話題性が評価される事を狙った薄っぺらい作品としか評価する事はできない。
読むだけ、見るだけ時間の無駄だ。
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