「無理解も、定型に押し込めようとする善意も同じ穴の狢」正欲 えすけんさんの映画レビュー(感想・評価)
無理解も、定型に押し込めようとする善意も同じ穴の狢
横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、息子が不登校になり、教育方針を巡って妻と度々衝突している。広島のショッピングモールで販売員として働く桐生夏月は、実家暮らしで代わり映えのしない日々を繰り返している。ある日、中学のときに転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知る。ダンスサークルに所属し、準ミスターに選ばれるほどの容姿を持つ諸橋大也。学園祭でダイバーシティをテーマにしたイベントで、大也が所属するダンスサークルの出演を計画した神戸八重子はそんな大也を気にしていた(公式サイトより)。
たった二文字のタイトルだが、造語の意味は意外に深い。「正」は移ろいゆく世の中に左右されやすい相対的な尺度であるのに対して、「欲」は腹減ったとか、眠いとか、ヤリたいとか、当人が感じる絶対的な希望である。本作はその相対的な「正」と絶対的な「欲」の狭間に生まれた群像劇である。
作中、当事者でない方々が、理解ありそげな解釈を、善意かつ無自覚にLGBTQやダイバーシティという定型に押し込めようとするシーンが何度か登場する。並行して、多様性に一切理解を示そうとしない検事の家庭も底糸として描かれる。SNSによる情報発信が容易になり、本当に理解・共感しているのか、あるいは別な目的を含意するのか、とても曖昧になっている現代の言説空間をシニカルに描く印象的なモチーフである。テレビを見ながらぼそっと呟く桐生の母と、意識の高い学園祭実行員の彼女と、一切理解しようとしない検事はある意味で同じ穴の狢と言える。
生まれ持ってしまった「癖」そのものではなく、そこに起因する「孤独」が人が苦しめるという文脈は、無味無臭無色不定形な「水」を通して鮮やかに暗喩される。水であっても、器があれば留まることができるし、繋がることができる。桐生と佐々木のベッドの上での真似事がそんな邂逅を思わせる。
ワンショットで無音のシーンが多い磯村勇斗と新垣結衣の生気を失った、世の忍び、嫉みながら生きていく前半部分と、徐々に人間としての水分を取り戻し、血色が良く、笑顔が多くなっていく後半部分の対比的な演技はお見事。「正」の権化である検事役を稲垣吾郎が好演。存在感抜群の東野絢香は本作が映画初出演というから驚く。