「作劇は「怪物」に及ばない」正欲 LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)
作劇は「怪物」に及ばない
自分は水フェチでもないし、毎日死にたくもないが、学校には馴染なかったし、そこそこ生きづらい学生時代だったので、共感できる事は多い。ただ、夏月(新垣結衣)と佐々木(磯村勇斗)が、唯一無二の相手と「結ばれた」以降はまさに『惚気』。小児性愛と勘違いされる件は蛇足にも思えたが、「いなくならないよ」という言葉で締めるには必要な展開には感じた
人間が社会を作る以上、生きづらい少数者が生じるのは必然。無論、ひとりも取り零さない社会が理想だけど、最大公約数をとる上で取り零しは生じてしまうもの。自分は非喫煙者なので、快適な社会になりつつあるが、同僚の喫煙者に不満は絶えない。一見踏iみ込んだテーマにもみえるが、人種・宗教・同性愛・オタクなど、マイノリティの苦悩は擦り倒されている。個人的には「怪物」の方が、全体的な作劇も生きづらさの表現も、数段上な気がする。
特に気になった2点を別記する。特に気になった2点を別記する。
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①水フェチへのネガキャン映画?
水流や水しぶきに性的興奮を覚える者の生きづらさが主題となるが、その感覚は分かるようで分からない。佐々木佳道に至っては生きる望みすらない。ただ、水流で逝けるならそんなお手軽な事ないじゃん。小児性愛者のように被害者を生まない性癖なので、何を隠すことがある? 性癖を共有出来ない事が生きづらいのは、水猥談がしたいから? SNSで繋がり易い時代。ネット上で猥談なんてし放題な気もする。
本作ではSNS友達を作った結果、小児性愛者に疑われてしまうが、そんな事本当に起きる?下着フェチとか制服フェチが犯罪に手を染めやすいイメージはあるが、水フェチは小児性愛と親和性があるのだろうか? あるいは、何かにフェティシズムを示すものは、同時に犯罪性があるフェティシズムも保有しやすいのだろうか? もしそうでないなら、本作は水フェチに対する、かなりなネガティブキャンペーンにみえる。
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②対比する検事が正しくも幸せにも見えない
ストーリーの構図として、寺井検事(稲垣吾郎)は典型的な社会人であるべきに思える。少なくとも序盤くらいは、彼が一般的な幸せを謳歌する描写が欲しかった。無論、子育てで問題を抱える実情や、不登校の息子への不寛容さが徐々に明かされてもいい。ただ、本作では、朝食を一人で食べていたり、木で鼻を括った出来損ないの正論しか言わない登場の時点で変わり者にみえた。その後も、一瞬たりとも彼が正しくも幸せにも見えなかった。なので、夏月や佐々木との対立構図が成立しえなかった。町山智浩さんが強調していたラストの対決も、全く成立していない、監督も同じ演出意図なら、失敗作にしか感じない。