「Beyond The Diversity」正欲 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
Beyond The Diversity
群像劇&章立ての構成でストーリーテリングが始まる
原作は未読だが、作者朝井リョウが自身のエポックメイキングと位置づけている物語だそうだ
確かにかなり突飛な設定を配している事は疑いようもない 実際にそういうフェティシズムの同好がいるのかは不明だが、無機物自体に性的好奇心が宿るのかは、自分もその辺りは理解が届かない 比較的周知されている事例とすれば"ブルセラ"、"ブーツ&ハイヒール"、そして今作でも薄くニアミスかもしれない"Wet&Messy"が思い出される wikiから引用すると「行為が社会規範に従わない場合がある。そうする事によって、自由と開放の心地よい感情を表現する。それは、そんな事はすべきでないし、そんな事をするには年を取りすぎていると自分で分かっている事をやって、それを楽しんでいるというポジティブな後退感をもたらす」という理由付けがあるようである
水に濡れている人間に対しての性的興奮ならば心情は分らずとも、異性や同性の艶めかしい肢体がセットとなればその行く末は性技に直結することが想像可能である 但し、今作のように、滝や壊れた水道管、はたまた給水器から溢れる水(今作には無いが、昔のNYの壊れた消火栓等も同類であろう)そのものに性欲が掻立てられ、あまつさえ自慰行為に迄昇華できるその想像力の逞しさなのか、そもそも迂回せずともダイレクトに性的欲求がホルモンであるオキシトシン、テストステロンの分泌を促す特殊な回路が形成されているのか、それは解らない
なので、そこに今作のテーマを沿えてしまうとどうしても賛否の溝がひろがってしまう 単純に今作はそれをメタファーとした『理解不能な人達が現実にこの地球に共存しているという事実』を再確認することがキモなのではないだろうか 例えば宗教観でもよいし、もっと言えば苛める側と苛められる側、性格的に相容れない者同士、相手を理解、もっと突っ込めば"赦す"事が人間は可能なのだろうか?その叡智は将来に人間は獲得できる可能性を秘めているのか、それをヴェールとして描いてみせつつ、しかしあくまでサスペンスドラマとして、敢えて全ての元凶であるペドフィリアを抱く男にまんまと利用されてしまった顛末をバッドエンドで帰結させる不条理劇ということだけなのであると思う
ヴェールを主眼に置いてしまうと今作は見誤る そのミスリードを巧く取り入れた凝った作品であるのは明白だ ガッキーが水に沈もうが、自慰の演技を頑張って演じようが、そこがベストカットなのではなく、ラストのガッキー対決に於ける、決して自分を否定しない人間同士が"矛盾"という沼に嵌る罰ゲームを回避しようと藻掻く面白さを愛でる作品なのだろうと思うのだが・・・
家族が壊れる道がみえている検事と、同じ星から地球に留学に訪れたカップル その繋がりの差がバックボーンとなり、心情の折れ線グラフを絶妙に表現した秀逸な内容なのである
"肉を切らせて骨を断つ" 『正義』など、相対性、立場でのポジション取りなだけであり、優劣など皆無なのだということを突きつけた今作、大変素晴らしい映画であった