「優しい虐待」正欲 かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
優しい虐待
寺井検事の言い分、ほとんどがまっとうに思える。
「人間の皮を被った悪魔いるんだよ!」全くご尤もです。
子どもたちが動画配信を始めてイキイキしてきたと母親は全面応援だが、単にコドモの言いなりになっているだけ。肝心の動画は子どもたちがフォロワーさんの要求に応じて自らを消費しているだけで子どもたち自身のためになることはなにもない。
子供は苦言を呈する父より自分の言いなりになってくれる母が良いに決まってる。
見当違いに父を憎む子供の出来上がりだけど、お片付けも命じられずに育ったコドモはどんなオトナになるんだろう。
社会で生きていけるおとなになるための「しつけ」がされない育て方は、優しい虐待といえないか。
この夫婦のキャラクターは類型的。かなり悪意のある描かれ方と思う。
人と変わった性指向があることを後ろめたく感じるのは分かる。
でも、「水フェチ」だからといって特に世の中の害になるわけでなく、カミングアウトしたところで「そーですか」で済むんじゃないか?
ガッキー、磯村くん、佐藤くんがコミュ障で生きづらいのは他にも原因があるとしか思えない。
嗜好とかシュミは理屈ではなく、ただただ心の底から湧いてくるものなので、同じ志向を持つ人とは魂のレベルで理解し共感できる仲になれそう。
コミュ障同士なら相手は唯一無二で、巡り合ったことで二人に生きる気力が出てきたのは分かる。
このあたりでちょっと面白くなってきたのにその後の展開が予想通り暗転。
変態教師が磯村くんや佐藤君を仲間だと証言したとしても、犯罪の証拠が全くないのに逮捕・送検までされるものか? それに、検事なら様々な事件を見ているはずで、世の中には理解できないような志向を持つ人達が普通にいるのを身に染みていると思う。
肝心なところが嘘くさくてはまともに観る気が削がれる。
くらし安心に電話したら、吹き出す水見たさに磯村くんが修理に飛んできそう。
humさん
夏月と佳道は、映画の中では少数派を迫害する世間に対して、寄り添ってともに戦う同志、のように描かれた気がするのですが、私としては、この二人が、恋愛感情の有無に関わらず、二人の中でのびのびと隠すことなく自分の志向を発揮していくことで、自然に自分を肯定するようになり、気づいたら「戦わなければいけない世間」はどこにもなかった、というような話が見たかったです。
こんにちは。
私はかばこさんがこの上でトミーさんに書かれている内容を、作品を考えるときに開きはじめた扉の向こうにあったものして受けとりました。
2人の正欲は2人なりにはあれはあれで性欲に相当する正欲(なんかややこしいですね😅)なので、温もりや重みを感じてみた体験は2人にとってはそれまでの正欲になにかが確かにプラスされたようにみえました。人の思いっていろいろだなぁとつくづくおもいます😌
トミーさん
ガッキー、ずっと不貞腐れてて、人生捨てたいみたいでしたけど、そういうガッキーが共鳴できる磯村くんと巡り合って、生きづらい二人が変わっていくさま(良い方に)を追ったほうが面白い映画になったんじゃないか、と個人的には思ってるんです。。。
自分の正欲が世間的に認知されそうもない!だから生きづらい、は短絡し過ぎと思います。じゃあ生きるの辞めれば? と言われたら恨み言ばかりじゃあ、あまりにも弱いし自己本位過ぎる。
コメント失礼します
子どもに対してしつけのレビュー同感です☝️あの母親に対しての嫌悪感を感じた。言いたいことは分かるんだけど夫の意見も一度聞き入れてもっと話し合うべきかなと
多様性って都合がよく使われすぎな気もする
あとレビュー最後のクラシアン……(笑)
コメントありがとうございます😊
おっしゃる通りです。マイノリティの方とそうでない人、誰しもが暮らしやすい世界にすることがダイバーシティですもんね。
渇水の時と合体していれば、磯村勇斗は欲求を満たすことが出来ますね😁
コメントありがとうございます。
お返事はここでいいのかしら。
まっとうな事言う寺井検事が無理解な人みたいな扱いで、それはどうかと思いました。
母親の優しい虐待。本当にそう思いました。
uzさん
共感とコメントありがとうございます。
この夫婦は、悪意ある描かれ方をしているように感じました。
特に、奥さん。
専業主婦なのに、息子のユーチューバー活動に入れあげて家事をしない、役割を果たさないという浅はかな悪妻、夫に出す夕食はレトルトカレーとか。散らかった玩具を強調するところも、しつけがおろそかになってるじゃん、と奥さんの責任のように見えます。
そして、啓喜は、レトルトカレーでも文句を言わない、散らかった部屋を見ても小言を言わない。理解ある夫のようにみえるんですが。
玩具が散らかっていたら、啓喜が息子に、「ちょっとお片付けしような」と言ったら良いじゃないですか。子育て、しつけは父親と母親と、両親の役割のはずですから。
啓喜の言うことは大方はまっとうで正論ですが、息子を育てる当事者意識がない、他人事のようです。これが丸見えで、子育ての当事者にならない頭でっかちな夫とダメな妻でダメな母という類型的な二人として描かれていたように見えます。
水フェチは、普通じゃないことに苦しんでいたのはわかりますが、なんか小児性愛者と絡めるために出してきたものみたいに思えました。
こんにちは。
頭ごなしに否定する啓喜に対し、散らかった玩具を強調するカメラアングル。
このあたりは、どちらも正しくないことをバランスをもって描かれていたと思います。
水フェチに関しては、害の有無より、“普通”と違うことに苦しんでたのではないでしょうか。
そのために、結婚・出産が幸せという考えを押し付ける同僚が配置されたのかと。
コメントありがとうございます。
寺井の家庭の描かれ方は作為を感じましたし、息子が登校拒否する理由が見えなかったのでどう解釈したらいいのか分かりませんでした。
本作、「あってはならない感情なんてない」と登場人物に言わせつつ、矢田部の小児性愛は一切掘り下げないので、ちょっと綺麗事感がありました。
もっと既存の倫理観ギリギリのフェチという設定の方がテーマを鋭く切り出せると思うのですが、「水」という上品な設定は何だか及び腰に見えます。
他人の邪魔をしないことは大事、しかし距離を置く自由はお互いのために必要だと思います。あらゆる価値観を誰もが肯定することなんて出来ないので。
吹き出す水見たさに飛んでくる磯村くんを想像して笑ってしまいました。共感ありがとうございました。
こんにちは~
コメント&共感ありがとうございます。
ラストは残念でしたね~
佐々木、ダンス少年と嘘偽りなく水が好きと言ってるのに寺井には信じて貰えず…でも寺井のリアクションは間違ってないですよね(笑)
かばこさん、コメント返信ありがとうございます。
普通であることが悪いこと、我慢して学校へ通っている子どもやその親が馬鹿みたいに言われるのはなんだかなぁって思います。
大吉さん
確かに!
「月」なんか殺人鬼と言っていい役だったのに。。。
思うに、真面目で真摯でピュアであるがゆえに… という不器用さ、気の毒感が先に来てしまう役、それにとってもハマるからでしょうか。