ヒトラーのための虐殺会議のレビュー・感想・評価
全115件中、81~100件目を表示
恐ろしき完璧さで実効性を目指す能吏たちの会議
配給会社もテーマは異常だがビジネス会議として見れると宣伝している通り、有能な官吏たち、組織人たちの会議である。完璧さを求めるドイツの職人気質よろしく、各人が多面的に検討し、なんなら合理的で効率的なアイディアを出し、特にあのアイヒマンがある意味キレキレの能吏ぶりを発揮している。ユダヤ人に対する配慮は全くなくても、関わるドイツ人にはかなり配慮して結論を出すのが恐ろしくも滑稽で不気味であり、合理性を追求した果てにユダヤ人大虐殺に至る近代国家の恐ろしさに、ああこれがアドルノとホルクハイマーが書いていたことなのだなと思った。
好みの問題
ずーっと引き込まれてました
どんな会議も眠気はくるよねー
内容が内容だけに寝はしなかったけど。
どこかで特集を見たなーゲットーに囲ったユダヤ人が飢餓で惨めに死なせることは尊厳を踏み躙っている。なので、楽にしてあげようということでガス室送りとか…はぁ?斜め上を行くというより、次元が違いすぎて理解不能。
こちらでは、もう少し肉付けされていました。
ドイツってなんで優秀(私的感想)なのに、戦争に負けるのかと疑問に思っていてのだけど。なんか見てて分かった気がする。
教訓
平和だ。
醜悪
小難しい会話劇が延々と繰り広げられる
挿入歌も、エンドロールも音楽なし!エンタメ性もなし!!
これほど“会議”に特化した映画は珍しいし、むしろ世界史の勉強のさらに深掘りする時間として、知識を深める作品かと。
それにしてもホロコーストのことを淡々と語る役者たちの凄さ。彼らは台詞を覚えて、演じながら、何を思ったのだろうか。それが一番気になった。
鬼畜のような言動・行動をする彼らにも家庭はあって、もうすぐ子どもが生まれようとしている…そんな場面も映し出されるが。
押し黙るしか無いというか、なんというか。
もう、二度とこんなこと起きてほしく無い、それしか言えない。
あの年長者の牧師が一番まともだったな…
結局彼はあの後どうなったのだろう?
決して面白くも無いし、感動もしない。
だけど、やっぱり見るべき作品だと思う。
戦争の狂気ここにあり。
人間はここまで残酷になれる
人間の残酷さをありありと描写していました。
僅かな脚色・演出はしているものの、議事録の会話通りにした「再現フィルム」なので、カットとしては面白くありません。
ひたすら会議。
本当に事務的でビジネス的。
効率について延々と議論していて、誰一人としてユダヤ人の虐殺には反対していないという、非道な会議の姿は異様。
ある人物が銃殺に反対する理由は、兵士の精神的負荷を心配したフリして、実は戦線に回す銃弾を確保したいだけとか。
混血児の殺害に反対する理由は、自分が作った法律を否定されたくないだけの事務方とか。
この会議に参加した連中、全員死刑にならないと(または暗殺されるべき)!と憤る内容でした。
数人は捕まらず、立件されなかったらしいし。
折に触れ、このように反省と批判を込めて過去を振り返るドイツの姿勢には敬意を抱きます。
(というか、ここまで酷い虐殺が明るみになったのも、歴史上3~5回くらいしかないしね…隠されたものは無数にありそうですが)。
中国とロシアで似たようなことが行われている可能性がある今、観るべき映画だと思いました。
有名な史実が並ぶ
The Conference
ホロコーストの方向付けを最終決定した主要幹部らの会議。気の利いた仕事で評価されてきた軍人。自省庁、各地方の立場からの駆け引きも、前提が違うとこうも歪んでしまう。映画としてのキーマンの2人が後半に違う表情を見せる。音楽で脚色されない、館の外の哀愁とは違う静寂が意図を持つ。
鑑賞というよりか傍聴
した感覚。
それくらい映画的な情緒をなるべく廃していたように見受けられた。
やはり自国の恥部を描くのもあってか演出らしい演出をしないという演出なのか?
見世物としてとても抑制されてました。
その効果もあってか、じっと議題に耳を傾けることができる。
各部署?(地域?)でユダヤ人の処理に手を持て余していたこと
最終処分所の選定
ユダヤ人混血人種の線引き
断種
銃殺のコスパの悪さ
その携わった自国兵士の精神衛生の問題
ユダヤ人輸送の選定とその段取り
殺害法から能率的な遺体処理
その労働者、人足問題、
台本というよりか、多分まんま「議事録」どうりに描いているのだろうけど
まるごと忠実なのか、部分的な創作があるのか気になるところ。
開会前の役人の席順の組み換えのあれこれだったり、
軍の主導の出来レースで進んでいた議題が
混血種の定義と処遇で紛糾し長官が中座するところだったり、、とか
白眉な展開は数箇所ありました。
点数は低めだけど、1100万人の最終処分方の具体策を話し合ってんだから
非常に興味深いに決まっている。
そして総統に怒られないよう皆さん必死でした
企業の退屈な会議と思わせて内容は物騒すぎた
大企業を思わせる雰囲気を限りなく思わせていて
内容は人をどう簡単に始末するか?が繰り広げられる
コストパフォーマンスを思う発言
総統はワンマン社長だな・・・と凍った表情で観ていた
エンタメ!等はなく淡々と内容が進んでいくが
一度観てほしいと思う
クールな演出だ。
それが正義
十五人のフツーの男たち
ナチス政権下のドイツで
1942年に開催された「バンゼー会議」の始終。
そこには政府の高官十五名が集まり、
「ユダヤ人」の対応につき協議。
しかし、その場の面々
『ラインハルト・ハイドリヒ』
『アドルフ・アイヒマン』
『ルドルフ・ランゲ』等の名前を見れば、
会議の内容は(後世の我々にとっては)自ずと明らか。
が、もっとも驚かされるのは、
後年「ホロコースト」として糾弾されるそれが、
あたかも現代のビジネスミーティングのように決められていく過程。
其処に、人間の心の奥底に潜む恐ろしさを垣間見る。
映画は会場の別荘からは一歩も出ぬ、
ほぼほぼ{ワンシチュエーション・ドラマ}。
二時間強の尺を会話で埋め尽くす、
かなり{ドキュメンタリー}に近い造り。
全ての登場人物が縦横に発言するため、
最初の内は顔と名前を一致させようと必死になるが、
中途から、いやそんな努力をしなくても、
本作は十分に堪能可能と思い直す。
すると不思議に、個々人の政治的背景やキャラクターが
却って浮かび上がる。
会議が開催される前から、既にして交渉は始まっている。
思惑を尋ねる者や、懐柔、根回しが其処彼処の小集団で行われて。
一方で主催者は、自分達の意志をなんとしても通したい。
中途の
武官と文官との対立、
もっともらしい数字の提示、
頭を冷やすための小休止、
席を離れての個別交渉、
オフサイトでの会話。
意見は頻発するものの、
声を荒げる者はおらず、皆が紳士的に振る舞う薄気味悪さ。
そうしたことが繰り返され、
議事は次第に纏め上がる。
しかし、鑑賞者の側は、
その経緯に神の視座で触れる時に、次第に怖気をふるう。
多くのユダヤ人を死に追いやる方策を会話しているにもかかわらず、
その雰囲気は新たなブロックチェーンを作り出すかのように、
ドライでビジネスライク。
省益を取るために交渉し、少しでも
我が方に有利で負担の少ない条件に帰結させようとの思惑は重なりつつ、
議題さえ異なれば、我々も至極普通に討議している雰囲気と近似ではないか。
会議が終了し、出席者達は一息ついた風に会場を後にする。
中には、この後で一杯どうですか、との算段をする者さえ。
しかし、当然のように、我々の心は晴れない。
時勢と立場が変われば、自分達が
何時、あちら側の人間になってもおかしくはないのだ。
史上最悪の会議の『議事録』
合理主義で効率主義のドイツ式会議の立場の切磋は凄まじい
当初からユダヤ人を殺処分するこの理不尽な会議!
死刑制度のある我が国も
未だにナチス以上に残虐な国民なのか、国家なのか!?
そんな問いが俺良の腹底から湧いてきた。
我が国には、
まだミニヒットラーがいるのではないか!?
1955年(昭和30年)に最高裁判所は絞首刑を合憲としました。
2000年以降、
日本では98人の死刑囚に対して刑が執行された(2022年7月26日時点)。
この映画はドイツ映画で、
第2次世界大戦時、ナチス政権が1100万人のユダヤ人絶滅政策を決定した
「バンゼー会議」の全貌を、アドルフ・アイヒマンが記録した議事録に基づいて映画化された。
そして、
1942年1月20日正午、ベルリンのバンゼー湖畔に建つ大邸宅にナチス親衛隊と各事務次官が集められ、
「ユダヤ人問題の最終的解決」を議題とする会議が開かれた。
何の罪もない1100万人ものユダヤ人の運命がたったの90分で決定づけられたそうだ。
そして、実際に600万人が抹殺された。
全115件中、81~100件目を表示