ヒトラーのための虐殺会議のレビュー・感想・評価
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会議進行の教科書。しかし...
かの悪名高いホロコーストの方向性を決定付けたヴァンゼー会議を映画化した本作品。
映画丸々会議シーンという刺さる人には刺さる構成。
内務省、法務省、外務省、ナチ党官房、総督府そして作戦の実行者である親衛隊の官僚たちが集い、お役所にありがちな縄張り争いや負担の押し付け合いを交えつつ、極めて理性的に「ユダヤ人問題の最終的解決」のための計画を話し合う。
会議の中身はえげつないの一言に尽きるが、美しい湖畔のほとりの別荘で、音楽もなしに淡々と会議が進む様は謎の美しさすら漂う。
具体的なプランを用意して臨むホストの親衛隊、それぞれの立場や状況からさまざまな意見を出す官僚たち。席次を気にし、ブレイクタイムを用意し、反対派の人物には個別に諭す。
会議の議題に関して言えば、許されるべきものではないが、壮大なプロジェクトを前にして、それをいかに実行に移すかを真面目に議論する官僚たちの姿は社会人にとって、どこか胸が熱くなる瞬間があるのではないだろうか。
それでも「ユダヤ人問題の最終的解決こそが正義である」という命題に誰ひとり疑問を持たない空間には、人種ヘイトを行動規範とするナチズムの恐ろしさを否が応でも感じさせられる。そして、「仕事だから」と私たちもこうなる可能性が常にあることに背筋が凍る思いがする。
淡々と進む映画だが、あまりにも重い、考えさせられる2時間。個人的にオススメの一作である。
唯一不満点を挙げるとすれば、親衛隊のラインハルト=ハイドリヒを演じる役者が史実のハイドリヒにあまり似てないこと...くらい。
全体主義の恐怖
1942年1月20日、ナチス側によるユダヤ人問題について話し合ったバンゼー会議の記録。
案の定、『12人の怒れる男(2008)』とはいかないですね。ヒトラーを総統とするゲシュタポ主導の会議でした。同意を求める方法も全体主義らしい。会議は淡々と進み、費用や輸送などの具体的な数字が生々しく、反論する文民側の根拠も正当性がある。それに文民側はいつの間にか総統の面目に議題をすり替えてるのもいい切り口。それでも…。
第一次の屈辱を味わったドイツの実行力と即決力は恐ろしいものを感じますね。たとえ、この結末が知っていても実行するかも知れないほどの憎悪と熱量と絶対性がある。戦争は始まってしまったら誰にも止められないと理解できた作品でした。
どこか、スター・ウォーズの帝国軍会議にも似ている。
処刑方法効率会議の残酷さ
休みの日にたくさんの映画の中からなんでこの映画選んじゃったかな。
惨殺の仕方をいかに効率よく処刑側の兵士がなるべく心を痛めないように行うかの会議。
重いし辛いよ。
でも、たまにこういう映画も観らんといかんのやろな。
ハンナ・アーレントは、「ヒトラーやヒムラーからの命令を実行しただけ...
ハンナ・アーレントは、「ヒトラーやヒムラーからの命令を実行しただけ」と繰り返すアイヒマンを「全体主義」「凡庸な悪」「思考停止」と言った。確かに無知の穴は、今日もいたるところに開いている。だが、本作を観るとその表現だけでは少し物足りない。
アウシュビッツでは、ナチスによって「ユダヤ人」が虐殺された以上のことが、ユダヤ人であるというだけで殺された「個人」に対して行なわれていた。歴史がそれを「ユダヤ人の虐殺」としてしか扱わないのなら、人々の記憶が忘却された頃、また人類はナチスと同じところに行き着くかもしれない。
あらゆる抑圧の犠牲者たちの無数の幽霊の前で、我々はその痕跡をかき集めるしかない。焼き尽くされたユダヤ人の「個人」。その痕跡や灰、声なき記憶を忘却してしまう世界なら、どんな正義も、どんな法律も在りえないということだ。
もしも私がタイムスリップして、この日のこの会議の16人目の参加者になったらどうするだろう、と想像しながら鑑賞していた。
〝十二人の怒れる男〟みたいに、最初は私一人が異を唱えるが徐々に賛同者が増える…なんてことは絶対無理だろう。「なんだお前!」って言われて銃殺されておしまいだよね。
それでも黙ってるわけにはいかないじゃん!!
映画としては
退屈。
まぁ、2時間会議の様子を流してるだけだし、誰かが激高して殴り合うとかも無いし。
民族虐殺の計画を出店計画を話し合っている様で、薄気味悪さはある。それが、罪の意識なのか、本音の只の数字としか思ってないのか・・・・多分、後者だろうなぁ。
映画としてではなく、知るべき事実
ヒトラーは出てこず、ドイツの高官達がユダヤ人をどうするかの会議
ただそれだけのストーリーです
ユダヤ人問題の最終的解決について会議が、人として思ってなく、まるで物を扱っているような話し方に気持ち悪くなるくらいです
たった90分でビジネス会議のように淡々とスムーズに進む会議
これをずっと聞いているのがしんどくなってしまいました
途中アウシュヴィッツという言葉が出てきて「関心領域」を思い出しました
貨物列車に乗せて、そして行き着く先が「関心領域」のアウシュヴィッツ
たくさんのドイツ人の感覚が麻痺してたのでしょう
観ていて全然楽しくないし、俳優さん達の演技がどうとかそういうのでもないけど、実際こういう事があって、あんな悲劇に繋がったという事実は知っておくべきだと思いました
会議だけですごいことを決めてしまっていた
ユダヤ人大量虐殺の方法を決めるために集まった高官たち
それを決める「ヴァンセー会議」を映画にしたもの
ヒトラー総統のためにまるでビジネス会議のように
決定事項を話し合っていく物語
少し反対意見もあるもののユダヤ人を虐殺することは前提
ほぼ会議のシーンだけですが見飽きることなど全くなく
それどころか一言も聞き逃さないぐらい集中しました
無双状態のドイツ軍の歴史的瞬間。
それは領土拡大が目的ではなく、ユダヤ人(ジプシー、劣等ドイツ人含む)を、ヨーロッパ全土から根絶やしにすること。
忌々しいガス室での処理を画期的な方法論としてアイヒマンが冷静に淡々と伝える所業に、ドイツ中枢の気高さや賢さが滲み出る。
『さぁみなさんユダヤ人をどの様に最終解決しますかね?』
ヒトラーの為の虐殺会議
🌀パッケージを見て一言‼️
『さぁみなさんユダヤ人をどの様に最終解決しますかね?』ってな感じで出ましたけど。
1942年〜🇩🇪ドイツのベルリンの高級住宅街
別荘ヴィアンゼ
ヴィアンゼー会議の議事録より作成された会話でユダヤ人を移送しどの様に排除する?などの話をドイツ人の幹部達が話し合う会話劇映画。
🌀何故ユダヤ人が殺される事に?大まかに軽く説明。(ユダヤ人迫害はもっと昔からの歴史もある)
第一次世界大戦で負けたドイツ。街が壊れ、生活や経済が破綻。街が荒廃し、ドイツが連合国と手を組む為に、1320億マルクもの賠償金。
また1929年から始まった世界恐慌で失業者が増え、不満の募る国民を奮起させ支持を集めたナチスドイツのヒトラー!
「この原因はユダヤ人だ」と煽りにあおった事がユダヤ人を排除する事になっていく。
◉56点。
🟢感想。
1️⃣会議の様子をひたすら流しているのだから基本退屈でした。実話なのでしょうがないですね。
2️⃣徐々にユダヤ人に対する嫌悪感が言葉で増えてくる様が怖かった。
★彡決して殺すとかは言わないで例えがやばいです。
3️⃣最近よく聞くハイドリッヒ❗️
★彡新たなヒトラーネタが無いので次の人物に焦点を当ててきてるのかな?楽しいけど。
😱😨😰😥😓🫥🍷🍾🥃🕍🚬🚪📑📝
ナチスの恐ろしい計画がどのように現実化されたのか、終始会議に焦点を...
ナチスの恐ろしい計画がどのように現実化されたのか、終始会議に焦点を当てた内容でした。会議の内容がもう本当に怖すぎる。『関心領域』とセットで、歴史の負の遺産について直視することの大切さを再度認識できます。
【”ユダヤ人問題の最終的解決会議”1942年1月20日、淡々と進む世紀の蛮行を決めたヴァンゼー会議の90分を再現した作品。故に恐ろしい作品でもある。】
■今作を観ると、議長のハイドリヒ国家保安本部長官(フィリップ・ホフマイヤー)は、あくまで穏やかな表情と口調で会議を進めている。
会議の中の文言は”特別処置””東方疎開”と言った言葉でユダヤ人問題の解決策が話し合われる。
内務省次官シュトゥッカートを筆頭に、政治家たちはユダヤ人問題に慎重だが、親衛隊中将のオットー・ホーフマンを中心に、軍人達の”特別処置”を強力に進める姿勢が目立って行く。
そして、中盤から”特別処置”の方法に議論が移って行くが、銃殺だと1100万人のユダヤ人掃討には多大なる工数や、ドイツ兵の精神的負担が懸念される事から、ルドルフ・ヘスの名が上がり、ガス室の利用が”効率的”である、と言う流れになって行く。
恐ろしいのは、アーリア人至上主義によりドイツ人以外は人間ではないという話が自然に出たり、ユダヤ人をモノのように論じるヴァンゼー会議に出席した15名の軍人、政治家たちの姿である。
<この、たった90分の会議で600万人の罪なき人たちがホロコーストの犠牲になったのである。
今でも、世界のどこかで同じような会議が行われているのだろうか。
何とも、暗澹たる気持ちになる映画である。
だが、いまだに戦争が無くならない現代に生きるのであれば、今作は観なければイケナイ映画でもあるのだろう。
今作が、ほぼドイツ人監督、キャストで作られた映画である事も、意義があるであろう作品であると私は思います。>
ある会議
1942年冬の1月20日。
ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖畔の別荘にナチスの高官30名ほどが、
集まりユダヤ人1100万人の【最終清掃計画】を、
事細かに決定した会議。
題名に「ヒトラーのための・・・の虐殺会議」とあるが、
その会議はどうして「ヒトラーのため!!」だったのか?
ヒトラーは登場しない。
ユダヤ人は「殺されるだけの罪を犯した・・・」
と、高官の一人は言う。
その罪とは?」
「キリストを十字架にかけて殺した罪人」の事だろうか?
会議を聞いていて驚くのは、あまりにも自分勝手で自己中。
①コスト重視
②効率・・・列車→ガス室→焼却炉→灰を捨てる
③安楽死(?!)とまで言っている。
(青酸ガス室は15分で楽に死ねるから)苦痛は少ない、
と考えている。)
④血の海にしたくない。
⑤虐殺に従事する者の精神的負担を最小にする手段。
アウシュヴィッツ収容所はポーランドの辺境にあると聞く。
最近「関心領域」が公開されて話題になっているが、
アウシュヴィッツ収容所の壁ひとつ隔てた屋敷に、
収容寺の所長一家が【幸せに庭に薔薇を育てて、美味しいものを食べ、
まるで隣で虐殺が行われているなんて、
考えもせずに優雅に暮らしている」
その無関心な鈍感さを描いて評判になっている。
(私は観てないのですが・・・)
アウシュヴィッツの積み上げられた死体は、
骨と皮のギリギリまで痩せているし、
男も女も髪を剃られて丸坊主。
とても食べ物が与えられてるようには見えない。
アウシュヴィッツへ至る迄にどれ程の辛苦を舐めてきたのか?
聞くまでもない。
会議の終わりに、ある高官は、
「面白い日でしたね」と語り、
これから、
「最高に寛げるクラブへ席を移しましょう」と、
帰って行く。
虐殺計画の事細かい打ち合わせも、彼らにとっては日常の
有り触れた事柄に過ぎないのだろう。
それほど戦争とは人間を残酷にする。
なんとも☹️
ナチスドイツが、いかにしてユダヤ人を殺害してきたか?
証拠となり得る、当時1942年のベルリンの高級住宅地、ヴァン湖畔で行われた「ヴァンゼー会議」です。記録に残る実話ベースで描かれている。
出席者は15名のナチス・ドイツ政権の高官で、会議の時間は90分くらい。
ストーリーは、会議中の会話劇となんともシュールな作品です。
が…ユダヤ人を如何に根絶やしにするか、ドイツ人の兵士の負担をどう減らすかと言う内容を真剣にかつなんの躊躇なく話合っているのが、恐ろしい。
当時のドイツ人は本当にユダヤ人が悪で、ヒットラーが正しいと信じて止まなかった事が伺える。
中盤内務省次官のシュトゥッカートという人がいます。彼はもともと法律家です。混血のユダヤ人はどうするのか?と会議をちょい複雑な方向に持って行くので、この人は少しでも救いたいと言う気持ちがあるのか?と思って見ていましたが、終盤で個室に連れて行かれて個人的な会話を交わした後から、何も無し感が凄かった。
銃殺は、弾必要、ドイツ兵が心身喪失状態になってしまう為に、ガス(殺虫剤)を使って殺して行く案がそれなら効率が良いと全員賛成する。
いかに効率的に経費を押さえて大勢人間を殺せるか?
もう狂ってるとしか分からない域になっている。
頭の良い人格者だと思ってしまう口調で冷静に話し合っているのが、ホラー映画より恐怖でした。
こんな大事な会議に、ヒットラーが参加しないのも、不思議だ。
当時のドイツがいかに異様な方向に進んでいたかが伝わってくる作品です。
ドイツが、この様な作品を作っているのも後世に残る作品なんだと感じてしまう。
また、ユダヤ人関連や戦争映画の作品を見て感じるモヤモヤは、この様な悲惨な過去があるのに、現在も争い戦争が止まないのは、何の為?
世界の何処かで、戦争を起こすための恐ろしい会議が行われているのか?なんて思ってしまう。
ドキュメンタリーのような映画。 異常なことが、効率性、法への適合性...
ドキュメンタリーのような映画。
異常なことが、効率性、法への適合性、省庁間の縄張り争いも含め、粛々と議論されていく。狂気が、一見狂気に見えない怖さ。狂気の日常化か。
ガザの惨状をテレビで見ていながら、異常さを感じなくなっている我々も程度の違いこそあれ、同じかも。
「関心領域」も見た。この二つの映画には、映画的感興が全くといっていいほどない。これは映画ではなく、実際にあった現実であり、今も同じ性質のことが生じている日常だから、ではないだろうか。
ナチスドイツには老人ゲットーがあり大日本帝國にはPLAN75がある
この会議がどの様に踊ったのか?また、それが誠か嘘か?そんな事はどうでも良いと思った。
この演出家の狙いは会議のインターミッションで交わされる普通の書記役の女性とアイヒマンとの会話である。
「最初にこの施設を使っていただき大変に嬉しいです」と言うその女性は アイヒマンに
「楽しい職場です。他の部署より、良く笑います」と笑顔で言葉を向ける。空気が読めない程度で済む状況ではないはずだ。
女性が発する言葉が「楽しい職場です」とあまりにも短絡的、かつ稚拙な言葉である。
「65歳以上の老人は最終処分とはっきり言っている。」そんな話をしているその職場が「楽しい職場」
「北欧のデンマーク、ノルウェー、フィンランドがユダヤ人の恐ろしさを知らない」と発言する箇所があるが、イギリス、フランスをはじめウクライナ、ロシアまで反ユダヤ主義は歴然と存在した。
まぁ、大日本帝國はどうであったのだろう?ナチス・ドイツはワイマール憲法の隙間をヒトラーが掻い潜って無理矢理作った独裁国家と言われている。引き換え、大日本帝國は明治維新から引き続いた富国強兵、殖産興業によるとされている。さて?!
これはナチス・ドイツのナチズムである。ファシズムとは違う。それを理解してから鑑賞すべきである。まぁ、日本は簡単に軍国主義と言う言葉で片付けられるが、日本にはナチズムは存在しなかったのか?「福田村事件」は良い例なのかもしれない。
なお、ラインハルト・ハイドリヒは
(暗殺 チェコスロバキア人に)
アドルフ・アイヒマンは
(モサドにより処刑)と言う運命である。アイヒマンは1960年代まで生きていた。アルゼンチンでモサドで暗殺されている。
この女性がどんな人物か知らないが、充分にナチス・ドイツに加担したと解釈できると思う。
また、ナチス・ドイツは優生保護法をとっており、病んだ者や障害を持った者まで最終処分の対象にしている。コミュニストやスラブ系、ロマ人はもとより。そして、行く末には日本人もその対象になり得たのだ。「マインカンプ」を熟読あれ。
いずれにしても、大日本帝國はこのナチス・ドイツよりも長く対米国戦争をした。と言う事は、それだけで「愚の骨頂」「空気が読めない」と言わざるを得ない。しかも、東京大空襲の作戦立案者に勲章まで授けている。
最後の最後に
アイヒマンに顔色一つ変えずに「議事録です」と渡すその女性の冷静さはホラー映画の如く恐ろしかった。
「75歳になったら死んでもらいます」って考えた人と同じくらい。
ずーっと話し合い、
とにかく話し合う内容。
これは、内容も重くもあるけど、映画として成立してるのか、ま、だからこういう作品ができたんだろうけど、それにしても話し合いばかりで見るのも重かった。
なにかハラハラするとか銃撃があるとか、スパイがいるとか、アメリカやソ連の登場人物が絡むとか、ぜーんぜんなく、見るのが大変だった。
ノットエレガント
「関心領域」をみて、アウシュビッツのことなどを調べている中でヴァンゼー会議を知り、この映画をみることにしました。
会議参加者全員がユダヤ人を排除することが自分たちに課せられた使命だと認識している。その共通認識におぞましさを感じましたが、すでにドイツ国内でユダヤ人迫害政策が始まってしばらく経っているのでしょうね。
その上で、対象とするのはドイツ国内だけでなく全ヨーロッパのユダヤ人1100万人であることの確認がされる。いくつかの国にはもう承諾もとっていると。これは初めて知った事柄でした。その当時のドイツに意見できない国の事情もあったでしょうが、宗教対立や経済的な妬みなどに起因するユダヤ嫌悪があちこちに存在していたことも想像されました。
最終解決のための具体的な方法を説明されるシーンで、どなたかがエレガントと口にするシーンがあります。ユダヤ人の遺体をユダヤ人に運ばせることに対するコメントです。こらをエレガントと言ってしまえる精神が恐ろしい。精神的苦痛というキーワードも、ドイツ人にむけてのものであって、ユダヤ人に向けたものは全くないんですよね。労働させるなら住居と食糧が必要というセリフはあっても、あくまで捕虜に対する扱いのような口ぶりで、人道的な観点からではない。そう決まっているから、と言わんばかり。
会議そのものは冷静に進行していき、自分が職場で遭遇するぐだぐだ会議と比べて羨ましいくらいスマートな進行なのに、内容の恐ろしさといったら。でもきっと彼らもそれが正しいと思い込んでいて、誇りすら抱いている。
誰もがその中心人物ではなくても、その一端を担うことになる可能性はある。
自分はどうしていくのか、考えさせられる。
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