の方へ、流れるのレビュー・感想・評価
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イメージは変わったが存在感あり
3月17日『死体の人』公開を前に、本作のコメントを鑑賞時シネマサロンに投稿していたのでそれの焼き直しです。
不祥事前に唐田えりかさんのこと少し気になってた(ソニー損保のCMしか見たことなかったが)ので鑑賞。不純な関係を持つ女性がほかの男に対して、やや作為的に近づくのは現実味はない。ただライトな会話劇として楽しめるし、それも移動しながらなのでスケールは小さいがちょっとしたロードムービー的な面白さがある。唐田さん目当てだったが、遠藤雄弥さんの表情の豊かさに目がいった。ラストの描写は劇中、智徳が里美が純真だと思い込んでいたので不純な交際を驚いたのと同様に、本作を観る観客も里美が再び純真だと思い込んでいたのをひっくり返すというレトリックだと思った。唐田さんは以前のイメージから時を経て大分変わっていたが、確かに声質の硬さは感じるが少し気味悪いくらいの存在感。時代が違うのかもしれないが、かつて不倫で騒がれた女優も活躍したし、かなりの周回遅れかもしれないけど事務所を辞めなかったからには図太く頑張って欲しい。
上映後の竹馬靖具監督の舞台挨拶ではシナリオの原型は5年前の3つの作品を織り交ぜて創ったもので、際どいセリフもそのとき書かれたと。タイトルの意味は、“の方へ”は本作に出てくる文庫本のマルセル・プルースト『失われた時を求もて』の第1篇『スワン家の方へ』から、“流れる”は隅田川で撮影したのと、幸田文の映画化もされた『流れる』から、本作の広がりや連続しているイメージをタイトル化したという。文学好きの監督のようで、次回作にも期待したい。上映館では『天上の花』で東出昌大さんの翌日舞台挨拶の告知が掲げてあり、なんか因縁を感じました。
徹底的に感情を排し、言葉の持つ力や放たれる台詞の波及力に信頼を委ね...
徹底的に感情を排し、言葉の持つ力や放たれる台詞の波及力に信頼を委ねて作られた、男女の静かな会話劇。散々言われているように、ホンサンスや濱口竜介っぽい。会話の内容も戯曲のよう。
冒頭、唐田エリカが魅せる目の演技。この子は肝が据わっている。男を観察する目線のみで、ただならぬ雰囲気を漂わせている。
そこから男と女の奇妙な交流が始まる。言葉でも虚構と現実をないまぜにしながら、女はファムファタール的に男を翻弄させていく。知的で冷静ながら、空気を切り裂くようにバシッ、バシッと芯を捉えつつ決まっていく会話。時に互いの歪さを指摘し合うシーンも相まって、2人の間に流れる空気感には常に妙な緊張感が流れている。
心を通わせる(ように見える)中で次第に芽生えていく、名付けようのない関係。そこに男が踏み込んでから均衡が崩れる。
あー結局そこなのかと。
一見、知的に、複雑に会話しているように見えても、結局男はセックスアニマルなので、下心を会話で包んで見えないようにしているだけで、結局最初から下半身で動いていたということなのだろう。
受ける女も、共犯ではあるが、分かりながら自ら掴みに行こうとする。けれどもそれは、男の待ち人の登場で、あっさりと終わりを迎える。
その後は互いに、腹に据えた黒いモノが見え隠れしたところで話は幕を閉じる。裏切り合ったのだとしたら、これはドローだ。
★★★
これは会話劇の、ある種の到達点である。気づいたらとんでもない地平へと、流されていた。
何がホントで何がウソかは分からない。人は多面体であり、自分が見たい部分のみを見て都合よく相手に幻想を抱いては、見えなかった部分が見えた時に「裏切られた」と勝手に思い込む。実際は、見えていなかっただけなのに。
今年見てよかったと思える映画の一本。これから何が起きるのか緊張感を持って見届けるには、静寂と一定の暗闇が約束された劇場での鑑賞がベストだと感じた。
(追記)
遠藤雄也のラストのセリフは、割とああゆう男日常にいるいる(てか、いた!)と思いながら見ていた。「(待ち人いるのに君を好きになるなんて)こんなこと初めてだ」とか、既視感のあるセリフすぎて。(だいたい、こんなこと言う奴が初めてなわけない)ホラー?ノアール?というか、フツーに現実にいる。
個人的には唐田エリカがマニックピクシードリームガールになる結末じゃなくて本当に良かった。
"以下の通り"
『As it follows』という文字がラストシーンの後に浮かび上がる意味は、タイトルの英訳なのであろうか、河口の街を舞台としていて川の流れが印象的に差込まれるカットに、時間の流れも相俟って移ろう心情を1日を通して表現した物語を表わす説明文の全頭句としての"以下の通り"なのであろうか、かなり不思議なお伽噺的要素を帯びた作品である
本来ならばプロセスを時間を掛けて行なう恋愛関係への構築をたった1日で成立させてしまうプロットは、その会話の量の膨大さが特徴の構成だ 辛辣な台詞が続き、観る者に不安を与えることでその願いを昇華して欲しい願いを、それでも掛けたハシゴを外してしまうことで無残にも打ち砕く意外性をクライマックスに持ってくるが、しかしそこからの信頼ならざる登場人物達の嘘を暴露する演出は二転三転したストーリーの面白さを与えてくれる
そんな男と女の豹変を、しかし抑揚を落とした台詞回しの独特さと共に奇妙な雰囲気を醸し出すことに成功しているのではないだろうか その何とも摑み所の無さ、倫理観の希薄さ、しかしそれが正しく人間臭さの根源であることへの充分な証明であり、複雑さをアピールした小気味よい内容であった 色々と世間を騒がせてしまった主役の俳優だが、演技力は高いと感じるのでストレートではない拗れた物語を表現し続けて欲しいと願う気持を最後に付け加えておく
なにがなんだかわっからねぇ
バスの中で立ったまま厚い文庫本(チェーホフ?)を読む男の斜め後ろから本を除きこむ若い女性。なんか小馬鹿にしたような表情。バスを降りる男が床に落としていった本の栞を拾う女。声をかけ、渡せる余裕があったようなのに。姉のお洒落?な雑貨屋で留守番をする女。拾った栞と同じものが店内に飾ってある。店の前の公園にバスの男が居るのにを気づいて、店の看板をOPENにひっくり返す女。男は公園で疎縁になりつつある女を待っているようす。
男が店の中に入ってくる。栞の値段を尋ねる。品物には値札がなぜかない。
栞の値段は法外に高い。
男の落とした栞をエプロンのポケットに入れておきながら、渡さない女。
やな感じ。
男はトイレを借りたいといい出す。わざと350メートル離れた場所の公衆トイレを案内する女。意地悪。
冗談だって?人が悪いわ!
トイレを借りたお礼にこの辺りを案内させてくれと突然言い出す男。この辺と言っておきながら、なぜかタクシーで西の方に移動する二人。広い公園で真偽のあやふやな童貞ボーイの書きそうなセリフのキャッチボールを繰り返す二人。
遠藤雄弥は唐田えりかに合わせて、棒読みセリフ? それともそうゆう監督からの指示?
眠い。
とうとう寝てしまった。
唐田えりかと遠藤雄弥がキスしたらしいが、見てない。
大損した!
男は探していた女と再会し、よりを戻した様子。
後日、違う道で店の女とすれ違う。
連れの女から離れて女に連絡先を教えてくれと言う男。
ぜんぜん、わっからねぇ話だった。
朗読を聴いているような
の方へ、流れる タイトルからして少し濱口竜介っぽさがありますが、前作の「蜃気楼の塔」の作風を踏襲しつつも、前作までには無い役者陣の演出には好感を持て大きく飛躍した感がある。
短い時間の映画だったからそれも好転していると感じた。
ゴシップと映画の評価は関係無いし、分けた方がいい気がする。
唐田えりかさんは、存在感がある
映画の内容としては、会話劇なので、鑑賞している人の想像力、解釈力に頼るところが大きい。集中して観ていないと取り残される作品です。
唐田えりかさんの演じる里見のなんとも捉えどころのない存在感と、遠藤雄弥さん演じる智徳の優柔不断な軽薄さの掛け合いは面白かったです。
でも、この作品は、舞台(演劇)で演じたほうが面白そうだと思いました。
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