福田村事件のレビュー・感想・評価
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田中麗奈ちゃんをイジルな!
大方の批評は出たので一言。 いくら今や人妻、母親だからと行っても、 同衾シーンや自ら求めるシーン、更にスカートを履いているとはいえ、ズロースを脱ぐシーンなどイジリ過ぎだ😢。 デビュー直後からのファンがどんなに悲しんでいるのか解らないのか! イジリ過ぎなので、0.5点減点。
100年前の関東大震災という特殊な事情だけか?
「差別はダメだ」という なまやさしい言葉では 語ることができない衝撃 人間って どうして「自分(達)の方が優れている」とか 「自分(達)より下だ」と 見下してしまうのだろうか 群集心理・集団心理、同調圧力は ときに 暴走してしまう、ということも描かれている それらは 関東大震災という特殊な事情によってもたらされたのだろうか 関東大震災から100年たったいまでも (SNSを中心に)暴走してはいないか
今、そこにある危機‼️❓
ドキュメンタリーで関東大震災時の朝鮮人虐殺を観たら、内務省が朝鮮人の放火や井戸へ毒など監視するよう告示したのは有名だが、それ以前に新聞が同じ事を煽り記事にしていた。 人種差別等は日本では少ない歴史だが、イジメやハラスメントの自殺は世界でも指折り。 差別や迫害はなくならないが、誰もが認識して努力していかないと、酷いことになることはわかる。 殺す側の人間、この映画の中での傾向のある人間は、身近に沢山いる。 現実的には、君子危うきに近寄らず、だろうが、そんな悪と闘う気概は持ちたいと思う。 井浦新や東出の役柄のように、新聞記者役の女性まではいかなくても。 人種や歴史的差別の外にいても、我々のハラスメントの被害は切実です。 これは他山の石とせず、臥薪嘗胆で気をつけていきたい。 この映画が全国的に配給されるだけでも、まだまだ世の中捨てたものではない。 全ての人に、是非。
当時の空気にどこまで近づけたか
事件の概要は知ったうえで鑑賞。 当時の状況を丁寧に描こうとした姿勢はうかがえるが、事件が起こる瞬間まで村人には危険が及んでいない状態だったので、一方的な殺戮が行わる理由がイマイチ伝わらなかった。 現在とは環境が違いすぎるし当時の状況も完全再現は無理なのは承知の上だが、濡れ場を入れるよりもっと違うエピソードを入れたほうが当時の雰囲気に近づけることはできたのではないかと思う。 とはいえこの映画によって事件のことが広まったことは、これからの教訓として良かったと思う。
いずれにしろ、作品を取り巻く外野がダメ
森達也氏が撮った劇映画という事実だけで、「リベラル」は観に行って絶賛、「保守」は観もせずに酷評という構図が、最初から出来上がっているのが、何ともやりきれない。 おそらくは左派委員の多い、キネマ旬報の年間選考などでは、それなりの順位を獲得するのだろうが、それが作品に対する、純粋で正当な評価になるのかどうかは、個人的に疑問だ。
100年前、戦時中の関東大震災のころの混乱、朝鮮人(誤認)虐殺の話...
100年前、戦時中の関東大震災のころの混乱、朝鮮人(誤認)虐殺の話題。 この強烈な出来事、映像で衝撃を覚えました。黒歴史を隠さず公開したことに拍手です。 が、残虐すぎて目を何度もそむけてしまいました。 なかでも、刺さった言葉が: "その眼で見たのか?" "否、皆が言っているから" "犠牲者を数だけで数えない、一人一人に名前があるんです" でした。 私的には、ここ数回の海外旅行では (中国2023.09 とか イラン2018.11 とか)、現地の方々に親切にしていただいてばかりでした。 伝聞やメディアの鵜呑みではなく、自らの目でみたものを信じること。まだまだ学ばないと。痛感しました。
人物描写に引っ掛かりを感じるところもあるが、劇映画として事件を描く意義を十分に証明した一作
1923年の関東大震災の最中起きた、自警団による一般人の集団殺害事件を描いた一作。 森達也監督は、『A』(1997)、『FAKE』(2016)などの切れ味の鋭い作品により、ドキュメンタリー映画作家という印象が強いのですが、学生時代から演劇などの創作劇の経験を積んできたという経緯があります。本作は確かに劇場公開長編映画としては初監督作品ということになりますが、物語の構成、そして演出の手際にはむしろ手練れ感が漂っています。 森監督であれば、震災時の恐怖心と疑心暗鬼が、ごく普通に生活していた人々を集団殺人に駆り立てた福田村事件を、もちろんドキュメンタリー作品としてつぶさに描くことができたでしょう。しかしなぜ本作をあえて「劇映画」として作らねばならなかったのか、その理由は、主演の一人である永山瑛太に、ある台詞を言わせるためだった、と言っても良いでしょう。 序盤からの比較的長い日常描写から、一転大震災によって混乱に陥る人々を、観客はいわば傍観者として居合わせることになります。そしておそらく観客のほとんどが震災時の集団殺害事件という許されない事態が起きたことも知っているわけですが、しかし混乱の渦中にある人々のやりとりを見聞きしているうちに、「良識的」と観客自らが思い込んでいた判断に、非常に危うい要素が入り込んできます。永山瑛太の台詞は、観客ですら、いつしか判断力を失ってしまっていることを、これ以上ないほど鋭い形で突きつけてきます。 題材上決して楽しい気分で鑑賞できる作品ではないのですが、震災時に何があったのかを忘れないためにも重要な作品です。 劇映画として完成度が高く、見応えのある作品であることには間違い無いのですが、登場人部の描き方、特に女性の描写(情緒的な側面を過剰なまでに強調する)は、現代の作品として適切なのだろうか、と少し引っ掛かりを感じました。
関東大震災から100年、加害者も被害者も傍観者も子孫や遺族に取り返しのつかない傷を残した狂気の沙汰。
関東大震災朝鮮人虐殺事件は、その当時にも非難の報道をした新聞が一部にあり、現在も地域によっては犠牲者の慰霊が行われたりしているようだが、永年の間“知る人のみぞ知る”事件だった。震災100年目の今年に向けて、テレビ、新聞、ネット記事などでとりあげられるようになり、少し知ることができている。 多くの朝鮮人や間違えられた中国人が犠牲になり、共産主義者もリンチにあった騒動の陰で、千葉県の福田村で起きた事件は、さらに闇の奥に封印されてきたようだ。 森達也監督初の劇映画だという。 かなり取材をされたようなので、なぜドキュメンタリーではなく劇映画にしたのか疑問に思ったのだが、それは観れば解る❗ これは、いわゆる再現ドラマではない。架空の人物で実際の事件をなぞったからこそ、犠牲となる行商集団の棟梁(永山瑛太)に「朝鮮人なら殺してもええんか!」と叫ばせることができたのだ。 この映画は、朝鮮人に間違えられた日本人が殺された…というセンセーショナルな事件を題材にしながら、朝鮮人虐殺事件そのものに照明を当てている。 当時の人たちの常識の非常識さが滑稽なほど顕になっていて、人間の本性とか行動原理とかを炙り出している。これがフィクションの効果だ。 我々観客は、その非常識な常識がどんな情報によって生成されたのか、その元凶が何だったのかを想像し、それが招いた事態に戦慄する。 千葉日日新聞社で、犯罪者は一律「不逞の鮮人」だと報じておけば良いという風潮が説明される。上司(ピエール瀧)と若い女性記者(木滝麻生)との会話だ。 木滝演じる記者は誤った報道が人心を惑わせるのだと、この事件に接してあらためて痛感する。ピエールはそんな事は知っていながら、この時代で新聞屋が生き残る道を歩んでいたのだ。 市井の人たちが「日本人は朝鮮人をいじめてきたから、朝鮮人の仕返しが怖い」といった会話をしていたりする。 折しも、日本統治下の朝鮮半島で朝鮮独立運動が活発化し、武力鎮圧によって大勢の朝鮮人が虐殺された。これを正当化するため朝鮮人は賊徒であるかのような報道がなされ、人々はそれを信じていた。 森達也監督が100年前の日本の恥部をさらけ出したのは、世界に向けてというより日本人に対して、ほんの3〜4世代前の祖先がこのような愚かで怖ろしい行いをしたことに目を背けるな…と、突きつけたかったからかもしれない。 そして、お前は何がおかしいと思うかと、問いかけられている気がする。 なぜなら、そこに絶対的な悪人は存在せず、人に疑問すら持たせなくする擦り込まれた先入観や、人から判断力を竜巻のように剥ぎ取っていく集団心理/群集心理の様子が描かれていて、元凶は画面に出てこないからだ。 本当の悪は何だったのか、この映画の中だけではなく、軍国主義日本帝国の歴史に、あるいは戦後から今現在までの日本人の中にも、どこかに本当の悪が隠れているのだと言っているのかもしれない。 井浦新演じる失意の元教師が朝鮮半島の赴任地で体験したとする事件は、朝鮮独立運動の中で起きた一つの事件にすぎない。同じような体験をした日本人は大勢いただろうが、彼のように自責の念に苛まれた者ばかりではなかっただろう。何を常識ととらえるかによって、人の判断は大きく隔たるのだから。 朝鮮側でさえ、独立運動に参加しない若者に対して主導者から暴力的な脅迫があったとも言われている。 この映画が見せる人間とは、群衆とは、そして国家とは…我々は何を見てどこに行くべきなのだろうか…。
敢えて今作られた意味を考える
関東大震災の後に朝鮮人に対する虐殺があったことは知っていたが、その裏でこんな事件が起きていたとは知らなかった。 当時の人々が大震災によるパニック状態にあったことは理解できる。平和な暮らしがよそ者に荒らされるかもしれないという恐怖が沸き起こるのも無理からぬ話である。しかし、不透明な情報に惑わされ、集団ヒステリー状態に陥っていく状況は異常としか言いようがない。差別と誤解と偏見が生んだ余りにも愚かしく、余りにも凄惨な事件である。 そして、こうも思う。もし自分が実際に福田村にいたらどうだろう…と。声の大きな誰かが「こうだ!」と叫び、それに追従する多数の人々を前にして、果たして自分は何ができるだろうか…。正直、こんなに殺気だった状況では周囲の同調圧力に抵抗できる自信はない。 劇中では、澤田が過去の贖罪のようにして暴動を鎮めようとしていた。その心中は察するに余りあるが、集団に対する一個人の声など”その程度”のものでしかないのであろう。あそこまでヒートアップしてしまったら、もう誰にも止めることはできない。それが事実なのだと思う。 これは現代のSNSにおける一斉叩きにも似ていると思った。誰が何のために情報を流布しているのか?裏ではどのような思惑が働いているのか?情報が氾濫している時代だからこそ、受け止める我々にも細心の注意、精査が必要だ。 本作は単に過去の事件を暴いて見せたというだけではない。現代に通じるメッセージを突きつけた大変意義深い作品だと思う。 監督は「「A」」、「A2」等の森達也。これまでドキュメンタリーを撮ってきたが、本作で初めて劇映画に挑戦している。 意外にと言っては失礼だが、演出は端正で大変観やすく作られていると思った。もっとドキュメンタリータッチで攻めてくるのかと思いきや、変に奇をてらうような箇所もない。 唯一、澤田が静子に過去のトラウマを告白するシーンは長回しで撮られており、従来のドキュメンタリーのような生々しさを感じられたが、そこ以外は至って正攻法な演出に徹していると思った。 他に、印象に残ったのは静子が倉蔵の船に初めて乗るシークエンスだろうか。ここは本作で最も映像的に凝ったカメラアングルになっていると感じた。 一方、開幕シーンとエピローグ・シーンについては少し面白みに欠ける気がした。映画は始まりと終わりが重要だと思う。もっと頓着しても良かったのではないだろうか。 脚本には、本作の企画も務める荒井晴彦が参加している。前半は、田舎の閉塞感、複雑に絡み合う村人たちの群像劇をじっくりと表現している。そして、クライマックスでは一転。それまでの抑制されたトーンを突き破るような瞬発力で事件に至る経緯を生々しく描写している。伏線の回収、村人たち夫々のドラマが帰結する構成が見事で、ベテラン作家の手腕に唸らされた。 また、貞次と嫁の関係には、いかにも荒井晴彦らしい”官能”が垣間見れてニヤリとしてしまった。ドラマ上ここまでの描写が必要とは思わなかったが、荒井晴彦らしい痕跡を確認できたという意味では面白く観れた。 更に、本作では「亀戸事件」についても少しだけ描かれている。朝鮮人だけでなく共産主義者も弾圧されたという歴史的事実は、意外に知ってる人も少ないのではないだろうか。また、事件の被害者となった行商人たちが被差別部落の出身者だったという事実も重要だと思う。こうしたサブドラマを盛り込んだことによって、本作は更に作品としての厚みが増しているという感じがした。 一方、一つだけ残念に思ったこともある。それは地元新聞社に勤める女性記者の描き方である。彼女の正義感丸出しなセリフが悉く説教じみて聞こえたのが残念だった。おそらく今の世のマスコミに対する批判から、こうした大上段な物言いになってしまったのだろうが、余りにもストレートで優等生すぎるため、かえって上っ面だけの言葉に聞こえてしまった。 キャスト陣は芸達者が揃っていて夫々に好演していると思った。 特に、静子を演じた田中麗奈が素晴らしい。退屈な田舎暮らし、不甲斐ない夫に対する不満を抱えながら、都会的な服に身を包み日傘をさして歩くという自らのスタイルを貫き通す所に、彼女の芯の強さがはっきりと見て取れる。本作には他にも女性キャラが複数登場してくるが最も複雑に造形されていて面白く観れた。 他に、倉蔵を演じた東出昌大、澤田を演じた井浦新、新助を演じた永山瑛太も適役である。 そして、意外だったのは、長谷川を演じた水道橋博士が中々に良かったことである。小柄な身体で虚勢を張る姿に、卑小さ、憐れさを覚えた。
時代は繰り返す
気になっていたが近くの映画館で予定がなかったんですが上映になり見にいくことができました。 見終わった後は胸糞悪いような気持ちになりました。(映画に対してではありません) 人間の汚い部分を見た気持ちになりました。 そして、現代にも通じたものを感じました。 コロナ騒動。こちらも似たようなものではないでしょうか。 こういった人の心理は変わらないものですね。 自分の考え方を考える調味料となる映画でした。 素晴らしい作品ありがとうございました!
傑作だと思う
おおまかなあらすじだけ押さえてから鑑賞しました。知らなかった日本での、朝鮮半島での壮絶な事件に、涙が出ました。他、クライマックスでも涙、涙。 あちこちからすすり泣く音が聞こえてきて、泣いてるの私だけじゃないんだな・・そりゃそうだよね・・・と思いました。 差別など人の醜さ、犯罪は「恐怖」からくるのであろうこと、集団心理の恐ろしさを感じました。 今も、殺しなどはなくても、こういうことはあると思います。 上映中、何度もハンカチで涙を押さえないと見れませんでした。メイク直ししようと思って、終わったあとトイレ行ったら、同じように直されてる方がいました。 ねぇ・・・、泣いたよねぇ。 (余談ですが、お気に入りのウォンジョンヨのマスカラをつけて行きましたが、あんなに涙出たのに全然取れてませんでした。すごい、さすが) 私は心に深く刻み込まれ、もう二度はなかなか見れないけど、パンフレットを買って帰りました。脚本も載ってるので、つかみとれなかったところとか後からつかめました。(上映中に朝鮮語が出てきますが、訳が無かったので) パンフレットもおすすめです。
南米の悲劇を描いた「ミッション」との対比
「福田村事件」は関東大震災直後に起きた悲劇であり、事件のあらましは公式HPにも、本作の紹介文にも書かれている。起きる結果は最初からネタバレしている。どんな事件か知りたいだけなら、Wikipediaの記載を読んだ方が、お金も時間もかからない。本作が描きたいのは、加害者と被害者の日常であり、不穏な状況を醸成したマスコミや警察や政府の所業。 🎥 ①知っていても胸糞悪いラスト そもそも、町山智浩さんのラジオで本作を知り、Wikipediaで詳細を補完していた。それでも、終盤の惨劇はひたすら胸糞悪かった。村民が陥った狂気は、確かに誰で陥いり得る暗黒面なのかもしれないが、自警団の面々は大義名分さえあれば、朝鮮人を殺したくて仕方ないように映った。加害されるのが怖いなら、行商人を拘束し警察等に引き渡せばいい。自分なら、安全な処に女子供を退避させ、その周辺を護ったろう。しかし、村民は怖がってはおらず、殺してもいい奴らなんだから、早く殺させてくれと殺意に満ちていた。当時の空気は体感できないので、朝鮮人なら殺してもいいという差別意識の蔓延は理解しきれないが、現代にもネトウヨに限らず、韓国人に口汚い親族が自分にもいる。ユダヤ人、チベット人、ツチ族など虐殺された事例は少なくないが、日本人だって加害者だったし、これからも加害者なり得る事は忘れてはいけない。 📽 ②待ち時間が長すぎる映画 差別やヘイトへの警告として本作は重要。ただ、映画作品としての評価を求められると答えに窮する。前述の通り、本作の観客は終盤に起きるクライマックスを、最初から知っている。正直2時間近くは、待ち時間である。その間に描かれるのは、農村の生活や部落民の行商の日々。それなりに起伏はあり辛くはないが、オリジナリティに乏しく既視感のある場面なのも確か。正直、幾つかのエピソードを削って尺を未自学した方が観やすくないか? あるいは、部落について説明する時間に割いた方が、若い聴衆に親切ではないか? 加害者もそこらに居るパンピーだったと描くだけなら、冗長な映画だった。 🎶 ③『ミッション』との対比 悲劇で終わる作品として『ミッション』を想起した。『ミッション』は、スペイン植民地が舞台の歴史映画。「福田村事件」との決定的違いは、終盤の悲劇がタイトルや紹介文からは、分からないこと。公開当時ヘビロテされたCMから、終盤の展開は予想できなかった。『ミッション』は、自身の愚行で大切な人を失い心を閉じた主人公(ロバート・デ・ニーロ)が、先住民に布教する宣教師を手伝うことで再生していく映画。宣教師が奏でるオーボエは美しく、エンニオ・モリコーネ作曲の『ガブリエルのオーボエ』は、映画史に残る名曲として演奏され続けている。しかし、終盤の悲劇が全てを無にする。その悲劇の間にも、流れ続ける旋律は美しく、涙が止まらなかった。 「福田村事件」も、終盤の展開を知らずに観たら、より心を抉られた気がする。「福田村事件」と謳っていないと、それまでのありふれ過ぎた日常に、観客は耐えられないかもしれない。ただ、作劇の仕方次第では『ミッション』の様になりえた気がする。
見るべき映画
恥ずかしながら事件のことを知らなかった私は衝撃的だった。 事実な事も驚きだったが映画として各立場からの描写から段々と交錯してラスト30分は全てが交わるのがすごかった。 役者も素晴らしくて、監督も支援した方も役者も全てがこの作品に欠かせなかった要素だと思う。 日本人なら見るべき映画と歴史作品だと感じた。
未来よ明るくあれ
正しさとか正義とか 時代や立ち位置でどうとでも変わるものなのかも どこかで誰かが声をあげても小さければどこにも届いてくれない 今も、大衆はどこへ向かって進んでいるのだろうか 正しい道を歩んでいるのだろうか 誰かが泣いていたら、その手を引いて共に歩けるのか 今よりもはるかに多くの他国の人々が日本に来るでしょう 今ではない時代になった時、私は同じ人間として対等に接する事ができるのか分からない 社会主義も民主主義も理想は同じはずなのにどちらも権力者が思うままに振る舞っている時代はまだまだ続きそうですね 平和ボケした私の頭では到底未来の危機に対する備えすらままなりません 追記 高橋源一郎さんがラジオでこんなことを言っていた 関東大震災朝鮮人虐殺事件にまつわる小説を読んでどんな事があったのか事細かく描写されていて凄まじさが伝わると 小説家はその時何があったのか伝えなければならない 己の感情を抜きにして淡々と書き記していかなければならないのだと この映画に出会ったのはたまたま休みがあり、さてどんな映画を見ようかとサイトで探していたらつい最近ラジオで聴いた内容の映画に辿り着き多少鳥肌が立ったのだ これも何かの縁なのだろう、そのまま導かれるようにこの映画を見たのだった それまで関東大震災朝鮮人虐殺事件など聞いたこともなかった ラジオで聴いた時、どれほど恐ろしいと思ったことか そして直ぐに映画を見ることになるとは 過去にも幾つかの作品があるようなので何とか探して見てみたいものです。
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