福田村事件のレビュー・感想・評価
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主役いなくても成立するのでは・・・
「あなたはいつもみているだけなの?」
137分、監督は森達也、めんどくさがってたけどしぶしぶ観に行きました。やだー、おもしろいじゃない。長さは感じませんでした。思想を演説してるような映画を想像してたんだけど、違った。ちゃんと映画だ!
何かのインタビューで森監督はエロ要素を入れたくなかったけど強く言えず後悔しているというようなことを言っていた。なに言ってるんだ、エロがなかったら出来事であって、映画にはならないじゃないか。
村人たちに交錯する、情念の発露の結果が惨劇に結びついているのだと思う。そこを丁寧に書いていたのがよかった。それぞれエピソードとして面白かったし。義父に胸押しつけるのは笑った。
女性にいろいろ託しすぎな気はするものの、みんな個性があり、各々の思いがあり、複雑さを想像させるのがとても良かった。田舎=女性=他者って感じ。
善良な人たちが群衆心理で酷いことを…という触れ込みだが、「善良な村人」など一人もいない。ずるかったり、弱かったりする人たちがいる。
人権派の村長が惨劇の目の前でなにもできなかったり、「上がそうしろと言ったからだ」と自らの罪を引き受けない姿こそが本質だと思った。
守ろうと声を上げた人たちが救いだし、きちんとやるべきこと(=声を上げること、みてるだけでいないこと)も提示しているのが誠実だと思った。たとえ無力だったとしても。ちゃんと応えてくれた人もいたし。
有名な俳優たくさん出てるし、もっとキャッチーな宣伝もありだったのでは。左翼映画だとばかり思ってたよ。
それにしてもみんな肌つやがよい。村人に見えるまで時間がかかった。1923年は祖父が3歳。祖父母を思うと、当時の人たちは「近代的自我」みたいなのはあまりなかったんじゃないかな。はっきり意見をいう女性たちにやや違和感はあった。仕方ないけど。新聞記者に夢見すぎかな。サラリーマンだよ。部長に意見なんてしない。
良かったシーン
馬買ってきなっていうたくましさ
土手で妻の不貞をみている男と目が合うところ
新聞記者と社会主義者はなんか浮いてた
水道橋博士よかった。ああいう役はやっぱり背の低い男でなくてはいけない。デカいとああはならないんだな
貧すれば鈍する
心に留めるべき事件なのでしょうが…
歴史的事実が題材とはいえ、旧「八つ墓村」みたいだったらどうしようと怯えながら観に行きました。同時にどんなにおぞましい内容でも目を背けずに見るぞ!見て考えるぞ!と覚悟を決めて観に行きました。
そのせいか、なんか、思ったよりもソフトというか、観客のショックを和らげようとする制作側の配慮がかなり感じられて、映画の印象が薄くなったように思えました。
あの女性記者は、安全圏で視聴する現代の観客の共感(と正義感の満足?)を得るために登場させたのか?村長が群集を必死で止めようとしていたのは、福田村の子孫の方々への配慮なのか?等いろいろ考えてしまいました。
現実はもっと無表情で淡々としていたのかな。日常と非日常は連続していて何の前触れもBGMもなく、いきなり血を見るほどエスカレートしたのかな。
不安や恐怖によるストレスが高まって集団ヒステリーから暴力事件に発展することは、今でも起こりうることですし、日頃の差別や、差別の自覚・うしろめたさがあるゆえの「仕返しされるかも」妄想が恐怖を拡大することもあるでしょう。でも、警察の謀略というのはひどすぎます。
映画をきっかけに体験したことのない状況について思いを馳せ、自分ならどうするだろう、現在アタマでこれが正しいと思っていることを、そんな極限状況で実行する勇気があるだろうかと考えこまずにはいられません。
それだけ大切なことを描いてくれた作品でした。
…もうちょっと登場人物がシンプルでもよかったなぁというのが残念でした。
映画に何を求めるのか
若い人にこそ観て欲しい
公開前からこの映画のことは知っていましたが、公開から二月以上経ってやっと観てきました。
森達也監督初の劇映画。それも関東大震災直後に起こった集団殺人事件をテーマにした内容だけに、よくある社会派の映画のように暗く重い作品になっているのではないかと危惧していたのですが。
観て良かったです!
悲惨な内容ですが、日本的な湿っぽさや重苦しさがあまりなく、ある種の救いがあるためか後味は悪くありません。と言ってもエンタメ作品ではありません。考えさせてくれる映画です。
帰り道、8年前に読んだ森監督の著書『すべての戦争は自衛意識から始まる』を思い返していました。
人間の持つ悪しき性(さが)を突きつけられ、偏見、差別、暴力といった負の力は無知や無理解や愚かな恐怖心から生まれる……と強く感じます。
若い世代の人に是非観て欲しい映画です。
やっぱり分かり合えない
今こそ観るべき映画
今の時代、よくこんなタブーだらけの映画が上映できましたね。それだけでも凄いと思う。
この映画はしんどい。見終わってしばらくは手がガクガクと震えた。クレジットを最後まで見ずに早くその場から逃げた。
まず映画の感想として。
・福田村事件というのが1923年9月にあった。大震災をきっかけとして、日本人が日本人を虐殺するという史実があったということを初めて知った。
・被害者の出自は被差別部落民でエタと表現されている。彼らは一族郎党で薬の行商を生業としている。その彼らもハンセン病者に薬を巧みに売りつけ、わしらみたいなモンはもっと弱いモンから銭を取り上げんと生きていけんのんじや、という現実がある。さらに朝鮮人から飴を買った時、朝鮮人とわしらはどっちが下か、と問い、わしらの方が上に決まっとると、言わせている。
これには私にも実体験がある。高校生の時、友達に誘われて部落問題を扱う集会に出たが、私にはピンと来ず場の空気が暗く嫌になった。部落問題とは何かを友達と話す中で、当時、より身近な朝鮮人部落を例に話す友がいた。そこは養豚場を地区でやっていて、夏場の臭いが酷かった。その友にも私にも朝鮮人部落の方が明らかに下に見えた。
この映画の背景には差別の重層構造がある。部落差別、朝鮮人差別、ハンセン病、社会主義、共産主義に対する嫌悪感、女性、軍隊、天皇制、そうした構造的な差別と偏見が下敷となっている。
・亀戸事件や甘粕事件は社会主義者や組合運動家が殺害された。こちらの方は教科書にも載る位だから知っていたし現場も訪ねたが、福田村事件が歴史の闇に葬られて来たのは、同和問題が背景にあり、しかも当事者がそこにはいて、時代的、地域的にまだ差別が顕在化していたから、語るに語れない状況があったのだろう。加害者側も当然、その子孫がいてそれはタブーとして語らず記録にも残さずという状況だったからだろうと思った。
・映像の持つ迫力
虐殺のきっかけとなったのは「朝鮮人なら殺してもええんか?」という新助の対して、赤子を背負ってまま無言、無表情でいきなり鳶口を新助の脳に突き刺したトミのシーン。
最後の所の野田署で信義が殺された9人の名前を一人ずつ呼名するシーン。その中には妊婦で殺害された女性の中に宿っていたであろう、[望]も含まれる。災害や戦争による大量死の場合、その死者数が先んじたり、その数字の根拠が論点となったりするが、一人一人の生きた証としての名前を呼ぶ、or刻む行為はとても大事なのがよく分かるシーン。
・定住者と放浪者の対比
殺人や強盗事件では今でもよく住所不定無職と報道される。定住者は昔なら農民で今なら勤め人だろう。放浪者とはそれが叶わない人たちで、古今東西、差別の対象とされて来た。その代表としてエタの行商人であり、この映画の被害者達だ。
本来ならその村で薬を売り、また次の行商地に移動し、ある程度売ったら村に帰るはずだった。それが大震災をきっかけとして、集団殺戮にあい、国体護持の生贄となった。朝鮮人は口実で非定住者に対する差別や下に見る風潮がこの惨劇の底辺にある。
そういうヨソモンに対して自分たちのコミュニティとは違うニオイを感じ、それを差別する、特に危機的状況においては排除する、それは良いとか悪いとかではなく、ホモ・サピエンスのDNAに刻まれた宿命なのではないか。だから被害と加害は容易に入れ替わるはずだ。
私が面白いなと感じたのは朝鮮で提岩里教会事件に関わってしまった澤田とその妻の静子も放浪者。ラストの利根川に小舟で浮かび村を捨てる二人はそうする以外選択肢はなかっただろうから。
次に映画のパンフレットを読んで。
・一番の見どころは市川正廣さんと佐伯俊道さんの対談だ。市川さんは地元在住で市の職員をされ、福田村事件追悼慰霊碑の建立に携わった方。映画がこの事件を世に問う事で闇に葬られて来た被害者を浮かび上がらせるのは良いが、地元には加害に携わった関係者の子孫がいる。この映画の持つ虚構が独り歩きし、それが福田村事件の真実とされては困ると、映画に対してかなり批判的だ。一方、映画の脚本を手掛け制作者側の佐伯さんは、この映画の興行としての成功、予算、尺の問題から、虚構を入れないと成立しないという立場だ。両者の一致点はこの事件を直視し、後世に伝えていくという点だ。両者の立場の違いが鮮明で読んでて緊張感が伝わる。またこういう予定調和的でない、オープンな議論こそ、こうした事件を防ぐ土壌だと思った。
最後に
・韓国の慶州にナザレ園がある。
慶州ナザレ園はかつて半島に渡って行った日本人妻が終戦と朝鮮戦争の動乱の中で、行き場を失い、その後、日本に身請け人のいない日本人女性達が帰国できず施設に残り、やがて養老院の体を成していった施設だ。私はここに2度、訪れている。
・この映画と共通するのは、対象となるのが何れも日本人だと言う点。
・従軍慰安婦問題とこのナザレ園をクロスさせて、埋もれた歴史の闇に光を当てるような映画を森達也監督にはぜひ創ってもらいたい。
異質を排除する
関東大震災朝鮮人虐殺事件は、向き合わなければならない歴史だと思っていた。
福田村事件は、震災現地から離れた千葉県
虐殺されたのは香川県の行商人達
で女、子供も含む。
何故だろうと理解できなかった。
地震による大きな被害もない地域だ。
些細ないざこざで、「こいつら言葉がおかしい、朝鮮人ではないか」と騒ぎが大きくなる。
自警団が取り囲む。
言葉がおかしいと言うが讃岐弁は千葉弁と比べても変な発音はない。
行商人達15人のうち半数は女子供だ。
武器も持たない。
対して自警団は、200人。
手に手に武器を持っている。
見に不安を感じる事もない。
「朝鮮人じゃあないか、殺してしまえ」と叫ぶ村人に対して
行商人のリーダーは、
「朝鮮人なら殺しても良いのか」
と発した言葉が私の疑問を解いてくれた。
自分達の側でないものは『人間』でないので殺しても良いと言う
異質を排除する論理だ。
女子供や戦う意志のない男たち9名を惨殺する。
この史実と、日本人は向き合い考えるべきだろう。
この映画は、それを突きつけている。
タイタニック構造のドラマで成功。
映画を楽しめます。観てよかった1本です。
関東大震災後の内務省の企てた通達と工作活動、当時の国策促進メディアによって煽られた大衆が大量殺戮をする映画なので、退屈するのかなあと懸念もありました。しかし、始まってみると最後まで映画に浸れました。テーマである大衆の暴走の背景として、大正時代の田舎の人々の暮らしや風景が、宴会や野辺の送り、被差別部落民の薬の行商シーン、お遍路さんのシーン等を通じて丁寧に描かれており、農村の人間模様も相まって退屈どころではありません。殺戮シーンは、控えめに感じました。そのシーンを徹底的に陰惨にする必要もなかったからでしょう。最近の邦画はいいものが増えましたね。ミニシアターでしたが観客の入りもまずまずでしたよ。観てよかった。
流言飛語と群集心理の怖さ、そして人種差別
100年前に実際に起こった虐殺事件を題材にして描かれた衝撃の実話。関東大震災をきっかけに流言飛語が飛び交い混乱に陥ってしまう群集心理の怖さを痛感しました。
二度と繰り返してはならない事件ですが、現代では流言飛語に加えてフェイクニュースも飛び交う時代であり、100年前と何も変わっていない事実を重く受け止めなければならないでしょう。
流言飛語と群集心理の怖さ、そして人種差別まで、問題山積であることを問いかけている作品であり、後世に伝えるべき名作です。
2023-162
知るべき映画
正義というものの定義がグラグラ 自分が信じてるものは自分に都合の良...
うーん。
日本で最も信用している
ジャーナリストのひとりが
森達也氏だ。
だからこれまでの作品は
すべて見てきたし、読んできた。
’
本作は、彼が初めて作った劇映画。
取り上げたのは、関東大震災直後に
実際に起こった虐殺事件だ。
心無いデマでたくさんの朝鮮人が
殺されたことは歴史に残っているが、
この事件は、朝鮮人と間違えて同じ
日本人を虐殺した、千葉県福田村で起こった。
’
40分に及ぶ虐殺シーンは人間の愚かさ、
同調圧力の怖さ、群集心理の酷さを
嫌というほど、教えてくれる。
善人でも人は殺せるのだ。
歴史の闇に隠されていたこの事件を知らしめた
だけでも、この映画の価値は十分にあると思う。
’
だけど、うーん。
劇としては前半の村の人間関係の話は長いし、
台詞も役者の演技もこなれていないものが多く、
むかーしの芝居を観てるようだった。
’
まぁ、子どもの頃最初に観た映画が「小林多喜二」
という環境に生まれた僕は、タッチが似てて
懐かしかったけど。
’
森さん、二本目、期待してます。
’
集団ヒステリー事件⁉️
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