福田村事件のレビュー・感想・評価
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映画に何を求めるのか
自分にとって映画とは何なのか、なぜ映画を観るのか、
そんな疑問を抱きながら、映画に何かを求め続けている私にとって、この映画は一つの答えのように思う。
具体的にどこがどうだったとかいう批評めいたことは、私には書けない。
キネマ旬報で何人かの識者が書いている通りなんだろうと思う。
ただ、一つ言わせてもらえば、在郷軍人会の分会長は、自分(達)がしでかしたことを、人のせいにして、妻に擁護され、救われてしまっている。あの台詞は、それがふさわしい人に言わせしめるべきではなかったか。なぜあんな輩を助けるのか。
最後に。
この映画で再確認させてもらいました。
あらゆる差別は理不尽だ。
若い人にこそ観て欲しい
公開前からこの映画のことは知っていましたが、公開から二月以上経ってやっと観てきました。
森達也監督初の劇映画。それも関東大震災直後に起こった集団殺人事件をテーマにした内容だけに、よくある社会派の映画のように暗く重い作品になっているのではないかと危惧していたのですが。
観て良かったです!
悲惨な内容ですが、日本的な湿っぽさや重苦しさがあまりなく、ある種の救いがあるためか後味は悪くありません。と言ってもエンタメ作品ではありません。考えさせてくれる映画です。
帰り道、8年前に読んだ森監督の著書『すべての戦争は自衛意識から始まる』を思い返していました。
人間の持つ悪しき性(さが)を突きつけられ、偏見、差別、暴力といった負の力は無知や無理解や愚かな恐怖心から生まれる……と強く感じます。
若い世代の人に是非観て欲しい映画です。
やっぱり分かり合えない
この作品を見て、人と人が分かりあうことは無理なことなのではと感じた。
いま現在世界で日本で起きている争いごととリンクして、分かりあうことの難しさを感じた。
そして、ちょっとしたパニックが起きるとどんな人でも簡単に制御が出来なくなるのだと。
ひとりひとりのリテラシーを高め、ひとりひとりが考え意見を持つことが分かり合うことに繋がるのではと思いつつ、リテラシーにはばらつきが生まれるものだし、現実的に難しいと感じた。
役者それぞれの演技が際立つ。
それぞれが懸命に生きている日常がふとしたきっかけで狂気に変わることを感じる演出も素晴らしいと感じた。
今こそ観るべき映画
群集心理の狂気をみた。
あの場に自分が存在していた場合
「やってしまえ」と叫ぶ側なのか
「落ち着け、早まるな」と抑える側なのか
果たしてどちらにいたんだろう?と考える。
狂気に呑まれた人間を制止するのは難しい
出来上がった混沌の渦の中に身を任せた方が
簡単なのかも知れないが、それは罪だ。
時代が変わっても差別は無くなっていない
ふとしたことで、人は容易く堕ちてゆく。
色んな感情がありのままに描かれていた。
直視するのが苦しい場面もあった。
突き付けられたのは、リアル。
それをもって、明確な答えなど出ていない。
だけど、観て欲しい。観るべきだと思った。
剥き出しの感情。躍動感。音楽。映像。
すごい作品だったと思う。
今の時代、よくこんなタブーだらけの映画が上映できましたね。それだけでも凄いと思う。
この映画はしんどい。見終わってしばらくは手がガクガクと震えた。クレジットを最後まで見ずに早くその場から逃げた。
まず映画の感想として。
・福田村事件というのが1923年9月にあった。大震災をきっかけとして、日本人が日本人を虐殺するという史実があったということを初めて知った。
・被害者の出自は被差別部落民でエタと表現されている。彼らは一族郎党で薬の行商を生業としている。その彼らもハンセン病者に薬を巧みに売りつけ、わしらみたいなモンはもっと弱いモンから銭を取り上げんと生きていけんのんじや、という現実がある。さらに朝鮮人から飴を買った時、朝鮮人とわしらはどっちが下か、と問い、わしらの方が上に決まっとると、言わせている。
これには私にも実体験がある。高校生の時、友達に誘われて部落問題を扱う集会に出たが、私にはピンと来ず場の空気が暗く嫌になった。部落問題とは何かを友達と話す中で、当時、より身近な朝鮮人部落を例に話す友がいた。そこは養豚場を地区でやっていて、夏場の臭いが酷かった。その友にも私にも朝鮮人部落の方が明らかに下に見えた。
この映画の背景には差別の重層構造がある。部落差別、朝鮮人差別、ハンセン病、社会主義、共産主義に対する嫌悪感、女性、軍隊、天皇制、そうした構造的な差別と偏見が下敷となっている。
・亀戸事件や甘粕事件は社会主義者や組合運動家が殺害された。こちらの方は教科書にも載る位だから知っていたし現場も訪ねたが、福田村事件が歴史の闇に葬られて来たのは、同和問題が背景にあり、しかも当事者がそこにはいて、時代的、地域的にまだ差別が顕在化していたから、語るに語れない状況があったのだろう。加害者側も当然、その子孫がいてそれはタブーとして語らず記録にも残さずという状況だったからだろうと思った。
・映像の持つ迫力
虐殺のきっかけとなったのは「朝鮮人なら殺してもええんか?」という新助の対して、赤子を背負ってまま無言、無表情でいきなり鳶口を新助の脳に突き刺したトミのシーン。
最後の所の野田署で信義が殺された9人の名前を一人ずつ呼名するシーン。その中には妊婦で殺害された女性の中に宿っていたであろう、[望]も含まれる。災害や戦争による大量死の場合、その死者数が先んじたり、その数字の根拠が論点となったりするが、一人一人の生きた証としての名前を呼ぶ、or刻む行為はとても大事なのがよく分かるシーン。
・定住者と放浪者の対比
殺人や強盗事件では今でもよく住所不定無職と報道される。定住者は昔なら農民で今なら勤め人だろう。放浪者とはそれが叶わない人たちで、古今東西、差別の対象とされて来た。その代表としてエタの行商人であり、この映画の被害者達だ。
本来ならその村で薬を売り、また次の行商地に移動し、ある程度売ったら村に帰るはずだった。それが大震災をきっかけとして、集団殺戮にあい、国体護持の生贄となった。朝鮮人は口実で非定住者に対する差別や下に見る風潮がこの惨劇の底辺にある。
そういうヨソモンに対して自分たちのコミュニティとは違うニオイを感じ、それを差別する、特に危機的状況においては排除する、それは良いとか悪いとかではなく、ホモ・サピエンスのDNAに刻まれた宿命なのではないか。だから被害と加害は容易に入れ替わるはずだ。
私が面白いなと感じたのは朝鮮で提岩里教会事件に関わってしまった澤田とその妻の静子も放浪者。ラストの利根川に小舟で浮かび村を捨てる二人はそうする以外選択肢はなかっただろうから。
次に映画のパンフレットを読んで。
・一番の見どころは市川正廣さんと佐伯俊道さんの対談だ。市川さんは地元在住で市の職員をされ、福田村事件追悼慰霊碑の建立に携わった方。映画がこの事件を世に問う事で闇に葬られて来た被害者を浮かび上がらせるのは良いが、地元には加害に携わった関係者の子孫がいる。この映画の持つ虚構が独り歩きし、それが福田村事件の真実とされては困ると、映画に対してかなり批判的だ。一方、映画の脚本を手掛け制作者側の佐伯さんは、この映画の興行としての成功、予算、尺の問題から、虚構を入れないと成立しないという立場だ。両者の一致点はこの事件を直視し、後世に伝えていくという点だ。両者の立場の違いが鮮明で読んでて緊張感が伝わる。またこういう予定調和的でない、オープンな議論こそ、こうした事件を防ぐ土壌だと思った。
最後に
・韓国の慶州にナザレ園がある。
慶州ナザレ園はかつて半島に渡って行った日本人妻が終戦と朝鮮戦争の動乱の中で、行き場を失い、その後、日本に身請け人のいない日本人女性達が帰国できず施設に残り、やがて養老院の体を成していった施設だ。私はここに2度、訪れている。
・この映画と共通するのは、対象となるのが何れも日本人だと言う点。
・従軍慰安婦問題とこのナザレ園をクロスさせて、埋もれた歴史の闇に光を当てるような映画を森達也監督にはぜひ創ってもらいたい。
異質を排除する
関東大震災朝鮮人虐殺事件は、向き合わなければならない歴史だと思っていた。
福田村事件は、震災現地から離れた千葉県
虐殺されたのは香川県の行商人達
で女、子供も含む。
何故だろうと理解できなかった。
地震による大きな被害もない地域だ。
些細ないざこざで、「こいつら言葉がおかしい、朝鮮人ではないか」と騒ぎが大きくなる。
自警団が取り囲む。
言葉がおかしいと言うが讃岐弁は千葉弁と比べても変な発音はない。
行商人達15人のうち半数は女子供だ。
武器も持たない。
対して自警団は、200人。
手に手に武器を持っている。
見に不安を感じる事もない。
「朝鮮人じゃあないか、殺してしまえ」と叫ぶ村人に対して
行商人のリーダーは、
「朝鮮人なら殺しても良いのか」
と発した言葉が私の疑問を解いてくれた。
自分達の側でないものは『人間』でないので殺しても良いと言う
異質を排除する論理だ。
女子供や戦う意志のない男たち9名を惨殺する。
この史実と、日本人は向き合い考えるべきだろう。
この映画は、それを突きつけている。
タイタニック構造のドラマで成功。
見る時点で周知の史実に現実架空混交する善悪群像を投げ込み現代的思考でドラマを紡ぐタイタニック構造の採用で成功。
衆愚と老害と報道の功罪なるある種凡庸な主題も筋金入りの森達也だから掘り下げが何枚も深い。
私的年テン上位当確。
本筋と無縁の田中麗奈の美と不気味を買う。
映画を楽しめます。観てよかった1本です。
関東大震災後の内務省の企てた通達と工作活動、当時の国策促進メディアによって煽られた大衆が大量殺戮をする映画なので、退屈するのかなあと懸念もありました。しかし、始まってみると最後まで映画に浸れました。テーマである大衆の暴走の背景として、大正時代の田舎の人々の暮らしや風景が、宴会や野辺の送り、被差別部落民の薬の行商シーン、お遍路さんのシーン等を通じて丁寧に描かれており、農村の人間模様も相まって退屈どころではありません。殺戮シーンは、控えめに感じました。そのシーンを徹底的に陰惨にする必要もなかったからでしょう。最近の邦画はいいものが増えましたね。ミニシアターでしたが観客の入りもまずまずでしたよ。観てよかった。
流言飛語と群集心理の怖さ、そして人種差別
100年前に実際に起こった虐殺事件を題材にして描かれた衝撃の実話。関東大震災をきっかけに流言飛語が飛び交い混乱に陥ってしまう群集心理の怖さを痛感しました。
二度と繰り返してはならない事件ですが、現代では流言飛語に加えてフェイクニュースも飛び交う時代であり、100年前と何も変わっていない事実を重く受け止めなければならないでしょう。
流言飛語と群集心理の怖さ、そして人種差別まで、問題山積であることを問いかけている作品であり、後世に伝えるべき名作です。
2023-162
知るべき映画
2度鑑賞しました。
1度目は歴史を鑑賞。
2度目は人物の背景や伏線の意味を探しながら。
映画化への脚色もあろうかと思いますが、実際の殺戮への階段はもっと生々しいと想像は難しくなかった。
それでも十分に胸が引き裂かれる思いがしました。
出演者の演技も皆素晴らしく引き込まれました。
多くの人に見てもらいたい作品でした。
正義というものの定義がグラグラ 自分が信じてるものは自分に都合の良...
正義というものの定義がグラグラ
自分が信じてるものは自分に都合の良い真実なのだと
真実は残酷で信じたくないものかもしれない
自分にとって都合の悪い真実を
自分は本当にちゃんと受け入れられてない
日本の歴史の一端なんていう生優しい映画じゃなかった
人間の根源的なところを突かれてとにかくずっと苦しい
自分が一番何もみえてないのではないか
正しいと思って声高に主張することが誰かを傷つけているんじゃないか
そういうもう超絶基本的な、
でもきちんと毎回意識してないと流されて忘れそうな大事なことを
バシバシ両頬引っ叩いて思い出させてくれるカンフル映画
うーん。
日本で最も信用している
ジャーナリストのひとりが
森達也氏だ。
だからこれまでの作品は
すべて見てきたし、読んできた。
’
本作は、彼が初めて作った劇映画。
取り上げたのは、関東大震災直後に
実際に起こった虐殺事件だ。
心無いデマでたくさんの朝鮮人が
殺されたことは歴史に残っているが、
この事件は、朝鮮人と間違えて同じ
日本人を虐殺した、千葉県福田村で起こった。
’
40分に及ぶ虐殺シーンは人間の愚かさ、
同調圧力の怖さ、群集心理の酷さを
嫌というほど、教えてくれる。
善人でも人は殺せるのだ。
歴史の闇に隠されていたこの事件を知らしめた
だけでも、この映画の価値は十分にあると思う。
’
だけど、うーん。
劇としては前半の村の人間関係の話は長いし、
台詞も役者の演技もこなれていないものが多く、
むかーしの芝居を観てるようだった。
’
まぁ、子どもの頃最初に観た映画が「小林多喜二」
という環境に生まれた僕は、タッチが似てて
懐かしかったけど。
’
森さん、二本目、期待してます。
’
集団ヒステリー事件⁉️
ちょっと怖すぎるわー。顔見知りばかりの集団に危険な噂が入り込み不信感がエスカレートして、余所者を排除しようとする‥。今でも世界中で大なり小なり似たような事はいっぱい起きている。平和ボケで大過無く過ごせる毎日がどれだけありがたいことか。当たり前の毎日では無く、運が良いだけなんだよね。いつになく謙虚だわ。水道橋博士のテンパった煽り役がはまり過ぎでナイス👍。
男の面子とかいうもの
以前、アウシュビッツビルケナウ収容所を訪れた際に初めて知ったこと。それは、一番初めに収容所に入れられたのが、大学教授などのナチスに反対する知識人達ということでした。それが徐々に共産主義者、社会主義者、ユダヤ人、ロマ、同性愛者などに広がっていったそうです。だから、ホロコーストはユダヤ人の人種差別問題ではありません。
福田村では、朝鮮人だからという理由で村人による人殺しが正当化されていました。一方東京では、社会主義者だからという理由で国家による人殺しが正当化されていました。本作を鑑賞していると良く分かりますが、多数派や権力による人殺しが正当化される時には主たる理由は必要ありません。髪が長いからとか、髭をはやしているからとか、なんか怪しいからとかそんな感じです。
しかし、朝鮮人や社会主義者を直接的にも間接的にも殺した日本人は、後の第二次世界大戦では自分達が殺されることになりました。その頃には、澤田や田向の様な民主的な人間やファシズムを止める人間はもう居なくなっていたことでしょう。大衆は、日本軍の無茶苦茶な命令に従うことしかできず、300万人以上が犬死しました。これが、直接的にも間接的にも人を殺した結末です。
劇中、長谷川が村を守るために(朝鮮人を殺せ)と言ってましたが、あれは嘘です。軍隊は、権力の面子を守るためだけにしか動きません。長谷川は殺した旅人が朝鮮人ではなかったことに酷く動揺しましたが、これは殺した人間が日本人だと、自らの面子が保てないためです。
だから、私は男の面子というものが大嫌いだし、ホモソーシャルな集団も大嫌いです。
日本社会全体がホモソーシャルなので当たり前ですが、昨今でも東京五輪や大阪万博、その他たくさんのことが、ホモソーシャルな集団の面子を守るためだけに行われ、これからも行われようとしてます。そもそもの行動原理が面子のためと自分の利益なんで、このまま放置するとあの敗戦と似た様なことが何らかの形できっと起こると思います。だから、私は想像したいのです。劇中で殺された人達は、実は私の分身だし、彼らの面子のために酷い目にあうのは私なのだと。
コムアイさんと東出さん、大好きになりました。どんどん映画に出て欲しいです。
恐怖は常に無知から生じる。
この映画を観て頭に浮かんだのが、タイトルにした言葉「恐怖は常に無知から生じる。」("Fear always springs from ignorance.")でした。19世紀アメリカの哲学者、思想家のラルフ・エマソンが、ハーバード大学で行った講演の中で述べたというこの言葉は、人が未知の物や事に触れたときに生じる恐怖の理由を、端的に説明している名言だと思うのですが、この映画で広く明らかにされた事件についても、とても良く当てはまるように思えました。この事件を100年前の一部の人たちによる所業と片付けてしまうのは簡単で楽ちんですが、決してそうではないことは、卑近な例であれば今般のパンデミックで少なからず広がった流言飛語や非道な行いを鑑みれば、火を見るより明らかでしょう。パンデミック初期に生じた大きな恐怖も、時が進み件のウイルスに関する正しい知識が徐々に得られるのに従い薄まって行き、やがて平常心を取り戻したという一連の動きは、エマソンの言葉を体現しているのに他ならないと思います。これは決して他山の石ではなく常に身の周りに起きているということ、不断の学びと知識の獲得が恐怖を遠ざけるということを、改めて認識させてくれた見応えの有る作品でした。なお上述の講演の内容は、'The American Scholar'という表題で出版され、「アメリカの学者」という表題で和訳も出版されています。
日本人の弱さ、卑屈をよく撮ってくれた
日本人の弱さ、ダメなところを徹底的に描いた映画だが、見てよかった。私たちは福田村の村人のように殺人はしていなくても、歴史のあちこちで色々な弱い立場の人たちを「見殺し」にしてきた。今も何らかの形でしているかもしれない。そこから目を背けてはいけないことを痛感した。
哀しい映画ではあるが、風景は美しく、時代色もよく出ている。脇役の未亡人役のコムアイの醸し出す妖しさと哀しみ、在郷軍人会分会長役の水道橋博士が体全体で表現する憎たらしさと小人物ぶりが秀逸の力演である。
”八つ当たり”の正当化
大正12年、関東大震災後のとある小さな村で起きた殺害事件。
なぜ公にされず、口を紡がれた事件なのか。
いつの時代も人間性は変わらない、と言うことぐらいにしか感じられない。
至極当たり前のことが起きる。
国際問題とかじゃない、人間の性質の問題。
映画から学びを得たい人には向かない作品。
日本の隠してきた事件を目の当たりにするという点ではアリ。
ただこの手の映画は映画館じゃないと集中できないから迷っているなら見た方がいい。
スマホ片手のながら見だと全く論点が見えてこないと思う。
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時に人は余裕がない時に、”八つ当たり”と言う行動を正当化する。
最後まで承認をかばった人間は、映画の序盤で一度は村八分同様の扱いを受けた者で
他者の痛みとある意味での”はけ口”を知っていた住民だったのよね。
こういうことに気がつけたのは、2時間半の長尺で一見意味のない人間模様を細部まで描いたからなんだろうな。
あの時代の人が現代にいたら、部落差別の現状を見て落胆するやろな。
今も昔もなんら変わっっちゃいねえ。
東出さんにあの役どころをオファーしたの中々強気だよね…w
黒歴史を知れる作品
歴史の授業は嫌いだったので、映画やドラマで事実に基づいた作品をやってくれると有難い。
恐怖心から村人が団結して敵を倒すという使命感正義感がどんどん狂気に変わり、見境なく歯止めが効かなくなる。戦時中の愛国心といった洗脳のような、敵意から起こった無惨な殺人事件。
これが教訓になったかどうかはわからないが、日本人は人種差別をしないように自然に身についている、と思う。
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