福田村事件のレビュー・感想・評価
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田舎ってやだな〜
色んなモノを詰め込み過ぎ
デマの怖さ
恐ろしき集団心理
人間の業の渦の先
事実を形容して見せられる森監督の手腕に唸る
ひざを崩す博士
背景にある不安と群衆心理の怖さ
大きな災害が起こった時には、きまってデマの問題がクローズアップされます。
もちろん、中には「話題で関心を惹きたい」という、いわば愉快犯という確信犯もいないわけではないでしょうけれども。
しかし、多くは、背後に(被災してしまったことの)漠然とした不安があることは、間違いのないことと思います。
「災害時にデマが広まりやすい背景として、社会全体が不安に包まれていることが挙げられる」(2024年1月6日閲覧:東洋経済オンライン)という指摘もあり、「デマとの闘いにおいて、まず重要なのは自己省察である。つまり、私たちは容易にデマにだまされる可能性があることを自覚し、情報に対して謙虚な姿勢を保つべき、ということだ」(前同)という論者の指摘に、評論子も無条件に賛同するものです。
実際、その竿頭に立ったときに、同調圧力が決して弱い社会とは言えない中で、どれほどの「自己省察」ができ、「謙虚な姿勢」がとれるかどうかは、評論子自身もはなはだ心許ないところではありますけれども。
しかし、そういう知識や平素の心がけがあるか、ないかでも、また結果は違ってくるのではないかと思ったりもしています。
本作は、そういう実相を余すところなく描いた一本として、佳作の評価が適切と思います。
(追記)
生成AIの普及は、個人が容易に偽画像や偽動画を作成できる環境を生み出し 、ディープフェイクの大衆化が起こった。これは、偽情報や誤情報の爆発的な増加を意味し、「Withフェイク2.0」とも称される新たな局面に突入しているとも指摘されています。(前掲の東洋経済オンラインの論者)
そういう現実を前にして、人は本作によって浮き彫りにされるような無意識の深層心理から自由でないことを、改めて、常日頃から意識しておく必要を、本作は訴えかけているようにも思います。
評論子は。
(追記)
とくに、本作の場合には、この件に特有の背景があり、その背景が事件の直接の「引き金」になっているように思えてならないのです。評論子には。
それは、当時の在邦朝鮮人の方々は、社会の下層労働力として、平素も、日本人にいじめられ、酷使されていたことには、疑いがなかろうと思います。
(後の戦時中などは、略々(ほぼほぼ)強制的に日本に連れて来られた方々ということで、畑で日常の野良仕事をしているところを、無理やり軍のトラックに乗せて連れてきたりもしたらしい)。
だからこそ、大震災などの世情不安に乗じて、ここぞとばかりにそれらの朝鮮人たちが暴動を起こすのではないかと危惧した。否、むしろその現実化を確信してしまったという背景です。
ふだん、彼・彼女らを虐(しいた)げていることは、日本人自身も、明に暗に、認識はしてはいたことでしょうから。
その意味ではとても、とても切ない事件ですが、その反省の意味でも、そのことはしっかりと受け止めなければならないことだと思います。評論子は。
(追記)
本作を観終わって、公安条例でデモ行進を規整することの合憲性を論じた判例の一節が脳裏に浮かびました。
デモ行進は「動く集会」ともいわれ、もちろん表現の自由(憲法21条)の保障下にあることは、間違いのないことなのですけれども。
ある場合には、それを規整する(あえて「規制」とは書きません=届出制として、警察当局が必要な警備体制を敷くことを可能とする)ことは、やむを得ないのかも知れません。
この判決を下したときに、最高裁の裁判官たちの脳裏には、きっと本作のようなケースが思い浮かんでいたことは間違いのないことと思います。
「およそ集団行動は、学生、生徒等の遠足、修学旅行等および、冠婚葬祭等の行事を除いては、通常一般大衆に訴えんとする、政治、経済、労働、世界観等に関する何等かの思想、主張、感情等の表現を内包するものである。この点において集団行動には、表現の自由として憲法によって保障さるべき要素が存在することはもちろんである。ところでかような集団行動による思想等の表現は、単なる言論、出版等によるものとは異なって、現在する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によって支持されていることを特徴とする。かような潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的に内外からの刺激、せん動等によってきわめて容易に動員され得る性質のものである。この場合に平穏静粛な集団であっても、時に昴奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によって法と秩序を蹂躙し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在すること、群集心理の法則と現実の経験に徴して明らかである」(最高裁判所昭和35年7月20日判決)とし、「本来平穏に、秩序を重んじてなさるべき純粋なる表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包している」(前同)と心配したのは、まさに本作のような事態であったことは、疑いのないところだと思うからです。
法治国家って、もろい
例えば、悪いやつが自分の村に来た場合、とっつかまえて、警察につき出す。そして、国がさばく。大正期でも日本は法治国家。なぜ、自警団が殺してもいいって事になるのか。
内務省が各地方長官などに、「朝鮮人は各地に放火」と打電(「爆弾を所持」という内容も書かれていたそう)した事実が描かれていた。
恐怖にかられ「村を守らねば」と考えたとしても、相手が武器をもたない少数者だったら、多人数で拘束できるでしょう。ましてや朝鮮人というだけで、みんなまとめて殺してしまえ、っていうのはどういう理屈。
そもそも、併合によって日本になった地域の住人、それって法的には日本人という事でしょう。15円50銭の発音が違う相手なら、倫理のストッパーを簡単に解除できるって、いろいろムリだらけ。
この映画を見て、そんな事に気付かされた。
「時代が人々をして、そうさせた」「現代の価値観で過去を裁くのは、いかがなものか」などと聞こえてきそうだけれど、映画の中で読み上げられた水平社宣言の一部分を聞けば、理想をかかげる心の純粋さに、時代など関係ないと思う。流されることなく、青臭い理想を謳いあげた言葉が、こんなにも美しいと感じられたことに驚いた。
わたしたちは個人なら倫理を求める一人一人だとしても、集団を守るための倫理は違う理屈で組み立ててしまう。オキシトシンが排他の心をあおり、アドレナリンが群集心理を高揚させ、行くところまで行ってしまう。そしてそれは、今、世界のそこかしこで行われている。自分の足元を見つめ直さねば、と思う。
劇映画は嘘をつかない
うーむ。。
こういう企画が通ったこと自体は朗報だし、単なる歴史のお話じゃなく、今だからこそ公開する意味があるってのもわかるんだけど、正直微妙。
まずキャスティングがありえないほど豪華。手頃な作品なら主役を張れるような面々がゴロゴロ。
ただ、当時としては教養があってリベラルな(現代の観客が感情移入できる)人はみんな現実ばなれした美男美女ばかり。
一方、近視眼的、短絡的な「普通の日本人」はリアルな日本人スタイル。宮崎アニメばりのルッキズム。モテまくりの東出くんはともかく、逆の方が効果的だと思うんだけどなぁ。。
本業の俳優じゃないコムアイは思いのほかよかったし、水道橋博士の熱演もよかったんだけど、あのキャラであんまり怖く感じられなかったのが残念。
実話とはいえ、あくまで劇映画として成立させるためには、得体の知れない空気に侵食されていく過程とか、ひょっとしたら自分も加担してしまうかも、というジワジワくる恐ろしさをもっと体感させないと意味ないのでは。
森達也の初監督作で、変なところはなかったけど、企画の荒井晴彦の意向に引っ張られたのか?ドキュメンタリー作品の方が緊張感あった。次に何が起こるか、この人が何を考えてるのか、ほぼ見たまんまで予想通りだもの。
そういう意味で脚本に難あり。
あんな男女のドロドロ、あそこまでボリュームなくても成り立つわけだし、それはそれで別の企画にできるはず。。柄本明のナゾの役得とか、中高年男性の願望強すぎない?
それより「福田村」の観客としては、事件に至る流れの描写に労力と呎を割いてほしかった。
音楽で惨劇を盛り上げようとするのも、いまいち上手くいってない印象。
せっかく国際的にも通用し得る企画なのに、肝心の部分が説教ってのは実にもったいない。お説ごもっともなんだけど、それ観客が脳内で思うやつだよね?
あと、どうせやるんならコムアイと東出くんのその後を見せてほしかった。てっきり2人が村を出るとこで終わるのかと思ったわ。
無駄に女優を脱がせんな
差別を描く社会派ムービーじゃねえのか
なんで無駄に女優を脱がせて大御所俳優の顔に押し当てさせてんだよ
無駄な濡れ場もあります
ストーリー的に自然な流れで必要性を感じるならまだしも、「…は?」となるような極めて唐突で理解不能な場面での濡れ場
監督の性癖と男俳優への忖度しか感じねえ
てか、社会派ドラマを描く上で必要ねぇだろ
気持ち悪い
こういう男は女性への差別意識に全く自覚が無いのだろう
他者の尊厳を無視することが差別なら、この監督がやったことも女優に対する立派な差別だ
映画のため、というプロの役者に対して最も権威を振り翳す脅し文句があったなら、さらに悪質極まりない
映画自体は、福田村事件について学ぶきっかけになると思います
部落差別が100年の時を経て薄まったように、女性への差別もいつか無くなってほしい
肉体的、生理的なハンデを無視して同じ負荷の労働を強いるような男性的平等ではなく、きちんと区別を持った人間的平等がいつかなされますように
2023年No.1の邦画
これを観る前はパーフェクトデイズがNo.1だったが、今はこちらが間違いなくNo.1だと思う。
重い内容だが、柄にもなく深く考えさせられ、鑑賞後に心にズーンとくるものがあった。
どの国にも負の歴史はある。ただ、その負の歴史に目を背けてはならないと思うのだが、背けるどころか、小池百合子都知事を筆頭に、なかったことにしてしまう近年の日本社会には危うさを感じていた。
そんな折にこの映画。私は恥ずかしながら福田村事件を全く知らなかった。
群衆心理によって、殺人を犯してしまう愚かさ…だけではないと思う。映画にも出てくるが、日頃から新聞は事件が起きると「不逞の朝鮮人の仕業か?」などと差別意識を煽っていた。さらに国家までがその賎民思想にお墨付きを与えていた。この愚かな発想は未だに日本人には根付いており「中国人や韓国人が治安を悪化させている」などと言う者が多数存在する。
当時、賎民思想がなかったなら、いかに群衆心理といえど殺人まで犯しただろうか?「朝鮮人なら殺してもええんか⁈」というセリフに対する答えは、「いいのだ」であったのだから。
余談ながら、田中麗奈って、いい演技するんだなーって思った。
アカデミー賞
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