福田村事件のレビュー・感想・評価
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日本人の弱さ、卑屈をよく撮ってくれた
日本人の弱さ、ダメなところを徹底的に描いた映画だが、見てよかった。私たちは福田村の村人のように殺人はしていなくても、歴史のあちこちで色々な弱い立場の人たちを「見殺し」にしてきた。今も何らかの形でしているかもしれない。そこから目を背けてはいけないことを痛感した。
哀しい映画ではあるが、風景は美しく、時代色もよく出ている。脇役の未亡人役のコムアイの醸し出す妖しさと哀しみ、在郷軍人会分会長役の水道橋博士が体全体で表現する憎たらしさと小人物ぶりが秀逸の力演である。
”八つ当たり”の正当化
大正12年、関東大震災後のとある小さな村で起きた殺害事件。
なぜ公にされず、口を紡がれた事件なのか。
いつの時代も人間性は変わらない、と言うことぐらいにしか感じられない。
至極当たり前のことが起きる。
国際問題とかじゃない、人間の性質の問題。
映画から学びを得たい人には向かない作品。
日本の隠してきた事件を目の当たりにするという点ではアリ。
ただこの手の映画は映画館じゃないと集中できないから迷っているなら見た方がいい。
スマホ片手のながら見だと全く論点が見えてこないと思う。
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時に人は余裕がない時に、”八つ当たり”と言う行動を正当化する。
最後まで承認をかばった人間は、映画の序盤で一度は村八分同様の扱いを受けた者で
他者の痛みとある意味での”はけ口”を知っていた住民だったのよね。
こういうことに気がつけたのは、2時間半の長尺で一見意味のない人間模様を細部まで描いたからなんだろうな。
あの時代の人が現代にいたら、部落差別の現状を見て落胆するやろな。
今も昔もなんら変わっっちゃいねえ。
東出さんにあの役どころをオファーしたの中々強気だよね…w
黒歴史を知れる作品
人間が一番怖い
田中麗奈ちゃんをイジルな!
すごかった
これまで数多く映画は見てきているのだけど、ここまでひどい朝鮮人差別や部落差別を描いたものは見たことがない。部落民が朝鮮人だと勘違いされて惨殺されるというねじれが生じている。福田村の人々は部落差別をしていない。なので正確には部落差別は描かれていない。しかしその誤解を生むのは瑛太ら行商人の彼らが被差別者で、差別に対して「ほらきたな」みたいな構えがあったことが遠因になっているのではないだろうか。「ほら来たぞ、あれ?ちがうけど」みたいな、その頃には誤解が深まっているような感じだったのではないだろうか。
「その人らは日本人だ」という言葉に対して「朝鮮人なら殺してもいいのか」と返す。
しかし、自分自身ひどいなどと思っているのだが、あの情報のない状況で強い同調圧力があって、すっかりその気にならないとも言えない。普通の善人みたいなそこらの人々が簡単に鬼になる。竹やりで殺されるなんて恐ろしすぎる。また子どもを平気で殺すのもドン引きだ。
水道橋博士さんに注目していたのだけど最初はどこに出ているのか分からなかった。月の家圓鏡みたいな人がいるなと思ったら水道橋さんだった。喉がつまったようなしゃべり方で、立場が強いってだけで威張っているすごい意地悪な男だった。
身近な問題として朝鮮人差別や部落差別がない地域で暮らしてきており、平和であることをありがたがることも忘れている。もしこんな事態が発生したら家族全員で誰も来ない山奥に逃げるしかない。加害も被害もつらい。
100年前の関東大震災という特殊な事情だけか?
今、そこにある危機‼️❓
ドキュメンタリーで関東大震災時の朝鮮人虐殺を観たら、内務省が朝鮮人の放火や井戸へ毒など監視するよう告示したのは有名だが、それ以前に新聞が同じ事を煽り記事にしていた。
人種差別等は日本では少ない歴史だが、イジメやハラスメントの自殺は世界でも指折り。
差別や迫害はなくならないが、誰もが認識して努力していかないと、酷いことになることはわかる。
殺す側の人間、この映画の中での傾向のある人間は、身近に沢山いる。
現実的には、君子危うきに近寄らず、だろうが、そんな悪と闘う気概は持ちたいと思う。
井浦新や東出の役柄のように、新聞記者役の女性まではいかなくても。
人種や歴史的差別の外にいても、我々のハラスメントの被害は切実です。
これは他山の石とせず、臥薪嘗胆で気をつけていきたい。
この映画が全国的に配給されるだけでも、まだまだ世の中捨てたものではない。
全ての人に、是非。
デマに踊らされ国民を守るためと、自己を免責するおぞましさ
行商の部落民、在日朝鮮人を中心に、ハンセン病患者、在郷軍人会、町長、軍隊内暴力、朝鮮での虐殺への加担、出兵で死んだ兵士の妻など多くを絡ませて、よくできていると思います。多くを盛り込みすぎかもしれません。
官憲のデマに踊らされ、国民を守るためと言って自国民を虐殺したのだと、事件後自己を正当化し免責するおぞましさ(水道橋)が、最も生き生きと感じました。
しかし、いくつか不満が残ります。
軍隊内で暴力を受けてた経験を持つ渡し守の描き方に違和感を覚えた。シベリア出兵で死んだ兵士の葬式での発言だけで良かったのではないか。色恋2話は話題の中心から大分それてしまった印象をもった。
朝鮮民衆に近づこうとして心ならずも軍の虐殺に加担させられ、夫婦関係が冷え切って帰農しようとする元教師の描き方も、違和感がありました。夫婦の反省の浅さこそを描くべきではなかったか。
事件後の描き方があっさりしすぎているように思います。
新聞記者も戦前の痛切な反省をしているように見えません。
口を閉ざした関係者すべての心の闇と不徹底さを抉り出すことが、必要であったのではないかと感じました。
消えることのない差別の歴史
現代にも続く差別の歴史の痛ましさを見せつけられた。人は愚かで残酷な生き物なんだと。結局はじぶんが可愛いのだ。
震災の時に大量の虐殺があったことは史実としては知っていた。でも,この映画を見るとそこに至る群衆の心理が浮き彫りにされて怖くなるのだ。
この映画で1番ショックだったのは日本人たちが朝鮮人を差別して酷い目に遭わせてることを自覚している所だ。だからこそ,彼らの反逆を過度に恐れ,そのためにさらに攻撃を加える。取り憑かれたように刺し殺す群衆、もう普通の心理状態ではなくなっていた。
朝鮮人なら殺していいのか,と叫ぶ瑛太の言葉は一瞬その場を支配していた。
日本人として,国を守るとか,村や家族を守るとかの大義名分をかざして竹槍を振り回す彼らは,この後,自分の行いをきちんと悔いているだろうか。
私たち日本人はこの歴史の事実をきちんと悔いているだろうか。みんなが見るべき負の歴史だと思った。
当時の空気にどこまで近づけたか
人間のエゴと醜悪さを徹底的に突きつけられる傑作!!
人間の恐ろしさと醜さをこれでもかというほど徹底的にえぐりまくった森達也監督の演出に圧倒され、終始 全身に力が入りっぱなし
良い意味で物凄く疲れましたが、ドキュメンタリー作家出身の森監督らしく、ストーリー・映像共に重厚感があり、とても見応えのある一級の作品に仕上がっています
ストーリーは差別を受け世の中の底辺で生きる香川の部落民が、彼らがさらに底辺として見下す朝鮮人の疑いをかけられ虐殺される
そんな彼らを殺したのは「朝鮮人が攻めてくる」という”ただの噂”に怯え、戒厳令に近い状況下で村を守ろうと一致団結した村人たち、という何とも皮肉で救いようのない最悪の結果となった実話をベースにした骨太の社会派ドラマ
とにかく本作では以下に羅列する、人間のエゴと醜悪さ、噂だけで簡単に間違った方向へ突き進む人々の迎合主義、一旦転がり出すと止められなくなる群集心理、といった人の不完全さ・弱点を容赦なく突きつけられ、終始 緊張感漂う不穏な空気に心身共に硬直状態に陥ります
・効きもしない物を良薬と言って人々に騙し売りする部落民が営む行商
・ゴシップや噂好きで、悪しき常識に乗せられ”朝鮮人”や”部落民”を見下す民衆
・東京に行っている夫が朝鮮人に殺されたかもしれないという噂だけで平気で朝鮮人の疑いをかけられた他人を殺せる若い女性
・徴兵された夫の留守中に義父や義弟とデキてしまう若妻達
・夫とのセックスレスの不満を他の男で満たす女性
・真実を解っていながら圧力に屈し、事実を隠蔽、歪曲するメディア
そんな骨太な作品、100年前の日本を背景にした映像が見事でしたが、それ以上にキャスティングが良かったです
最も存在感があったのは田中麗奈さん、毅然とし、他人には出自にとらわれず慈悲深いながらも、自分は夫との関係性に苦悩する、精神的に複雑で難しい静子役を艷やかに力強く演じており見事でした
部落民の行商リーダーを演じる永山瑛太さんも久しぶりに熱く激しい永山さんでした
昨今あやしかったり印象の薄い役が多かったですが本作はとても良かったです
豊原功補さん、群集心理を抑え込めず苦悩する村長がとても合ってました
最後に東出昌大さん、彼もまた出来のいい兄弟と比べられて辛い思いで生きてきたんだろうなと想像させる役を、ワイルドな風貌で男気を全面に出して好演しており良かったです
と、演出、ストーリー、キャスティングの全てがバランスよく完璧に混じり合った必見の名作です
いずれにしろ、作品を取り巻く外野がダメ
100年前、戦時中の関東大震災のころの混乱、朝鮮人(誤認)虐殺の話...
戦時中の思想と似ているが、現代における偏見にも問いかけている
福田村事件について、詳しいことは知りません。福田村の村人が行商団を朝鮮人と勝手に決めつけて、殺してしまうといった事件のようです。
まず、映画の中で事件まで行き着くまでの間が意外と長いです。
劇中では、行商団の親分を襲ったのは若い女性でしたが、なぜ駐在が来るまで待てなかったのか、疑問に思いました。そこが群衆心理の混乱を表しているのかな?
逆に言えば、若い女性が親分を襲わなかったら、駐在が来るまで待てたのではないかと思います。
現代のSNS等でも、言論の自由はありますが、特定の国や人物の悪口の書き込みをよく見かけます。
劇中では、新聞が正しい内容を伝える役目を果たしているかについても言及しています。
現代における偏見にも問いかけている重要な作品と感じました。
記者役の木竜麻生さんの真剣な眼差しがとても印象に残りました。
人物描写に引っ掛かりを感じるところもあるが、劇映画として事件を描く意義を十分に証明した一作
1923年の関東大震災の最中起きた、自警団による一般人の集団殺害事件を描いた一作。
森達也監督は、『A』(1997)、『FAKE』(2016)などの切れ味の鋭い作品により、ドキュメンタリー映画作家という印象が強いのですが、学生時代から演劇などの創作劇の経験を積んできたという経緯があります。本作は確かに劇場公開長編映画としては初監督作品ということになりますが、物語の構成、そして演出の手際にはむしろ手練れ感が漂っています。
森監督であれば、震災時の恐怖心と疑心暗鬼が、ごく普通に生活していた人々を集団殺人に駆り立てた福田村事件を、もちろんドキュメンタリー作品としてつぶさに描くことができたでしょう。しかしなぜ本作をあえて「劇映画」として作らねばならなかったのか、その理由は、主演の一人である永山瑛太に、ある台詞を言わせるためだった、と言っても良いでしょう。
序盤からの比較的長い日常描写から、一転大震災によって混乱に陥る人々を、観客はいわば傍観者として居合わせることになります。そしておそらく観客のほとんどが震災時の集団殺害事件という許されない事態が起きたことも知っているわけですが、しかし混乱の渦中にある人々のやりとりを見聞きしているうちに、「良識的」と観客自らが思い込んでいた判断に、非常に危うい要素が入り込んできます。永山瑛太の台詞は、観客ですら、いつしか判断力を失ってしまっていることを、これ以上ないほど鋭い形で突きつけてきます。
題材上決して楽しい気分で鑑賞できる作品ではないのですが、震災時に何があったのかを忘れないためにも重要な作品です。
劇映画として完成度が高く、見応えのある作品であることには間違い無いのですが、登場人部の描き方、特に女性の描写(情緒的な側面を過剰なまでに強調する)は、現代の作品として適切なのだろうか、と少し引っ掛かりを感じました。
いや~この映画はすごかった~
その映画の言わんとすることがすぐ浮かぶ場合と、何日かしてからおぼろげながら出てくる場合とに分かれるけど、この映画は明らかに少し頭の中で熟成させる必要があるかな。
『福田村事件』という悲惨な事件をテーマとしながらも、この映画は完全に今の日本社会の問題点を映し出そうとしているように思った。
一人ひとりの登場人物が、何に影響をうけて、どう考え、どういう行動をとるか、丁寧に見るととても興味深いし、同時に悲しくもなる。
自分の価値観との対比の中で、それぞれの登場人物に同情や嫌悪感が湧きそうになるけど、まずは、それを手放しそのまま受け取ることが大切なのかなと思う。そうすると、日本ってこういう国だよな~というのがだんだん見えてくる。
その上でわれわれはどこに進むのか?映画の中にヒントが隠されているように思った。
これからの日本は?
この事件、初めて知りました。
集団心理の恐ろしさを感じました。
情報を流す側の新聞も偏った記事しか出さない。それにおどらされた人達。昔は情報が少なくて自分で考える力が無かったから…と考え。
でも、今だってコロナが流行り始めた頃、コロナ差別があったりと、変わりないじゃないかと思った。
今は逆に情報過多で、どの情報を信じるか どの情報が目に入るかで、判断が変わってくる。
とても考えさせられる映画で息子にも見て欲しいと思ったけれど、濡れ場が多くて勧められない。
この映画の内容に必要だったのか?と疑問。
関東大震災から100年、加害者も被害者も傍観者も子孫や遺族に取り返しのつかない傷を残した狂気の沙汰。
関東大震災朝鮮人虐殺事件は、その当時にも非難の報道をした新聞が一部にあり、現在も地域によっては犠牲者の慰霊が行われたりしているようだが、永年の間“知る人のみぞ知る”事件だった。震災100年目の今年に向けて、テレビ、新聞、ネット記事などでとりあげられるようになり、少し知ることができている。
多くの朝鮮人や間違えられた中国人が犠牲になり、共産主義者もリンチにあった騒動の陰で、千葉県の福田村で起きた事件は、さらに闇の奥に封印されてきたようだ。
森達也監督初の劇映画だという。
かなり取材をされたようなので、なぜドキュメンタリーではなく劇映画にしたのか疑問に思ったのだが、それは観れば解る❗
これは、いわゆる再現ドラマではない。架空の人物で実際の事件をなぞったからこそ、犠牲となる行商集団の棟梁(永山瑛太)に「朝鮮人なら殺してもええんか!」と叫ばせることができたのだ。
この映画は、朝鮮人に間違えられた日本人が殺された…というセンセーショナルな事件を題材にしながら、朝鮮人虐殺事件そのものに照明を当てている。
当時の人たちの常識の非常識さが滑稽なほど顕になっていて、人間の本性とか行動原理とかを炙り出している。これがフィクションの効果だ。
我々観客は、その非常識な常識がどんな情報によって生成されたのか、その元凶が何だったのかを想像し、それが招いた事態に戦慄する。
千葉日日新聞社で、犯罪者は一律「不逞の鮮人」だと報じておけば良いという風潮が説明される。上司(ピエール瀧)と若い女性記者(木滝麻生)との会話だ。
木滝演じる記者は誤った報道が人心を惑わせるのだと、この事件に接してあらためて痛感する。ピエールはそんな事は知っていながら、この時代で新聞屋が生き残る道を歩んでいたのだ。
市井の人たちが「日本人は朝鮮人をいじめてきたから、朝鮮人の仕返しが怖い」といった会話をしていたりする。
折しも、日本統治下の朝鮮半島で朝鮮独立運動が活発化し、武力鎮圧によって大勢の朝鮮人が虐殺された。これを正当化するため朝鮮人は賊徒であるかのような報道がなされ、人々はそれを信じていた。
森達也監督が100年前の日本の恥部をさらけ出したのは、世界に向けてというより日本人に対して、ほんの3〜4世代前の祖先がこのような愚かで怖ろしい行いをしたことに目を背けるな…と、突きつけたかったからかもしれない。
そして、お前は何がおかしいと思うかと、問いかけられている気がする。
なぜなら、そこに絶対的な悪人は存在せず、人に疑問すら持たせなくする擦り込まれた先入観や、人から判断力を竜巻のように剥ぎ取っていく集団心理/群集心理の様子が描かれていて、元凶は画面に出てこないからだ。
本当の悪は何だったのか、この映画の中だけではなく、軍国主義日本帝国の歴史に、あるいは戦後から今現在までの日本人の中にも、どこかに本当の悪が隠れているのだと言っているのかもしれない。
井浦新演じる失意の元教師が朝鮮半島の赴任地で体験したとする事件は、朝鮮独立運動の中で起きた一つの事件にすぎない。同じような体験をした日本人は大勢いただろうが、彼のように自責の念に苛まれた者ばかりではなかっただろう。何を常識ととらえるかによって、人の判断は大きく隔たるのだから。
朝鮮側でさえ、独立運動に参加しない若者に対して主導者から暴力的な脅迫があったとも言われている。
この映画が見せる人間とは、群衆とは、そして国家とは…我々は何を見てどこに行くべきなのだろうか…。
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