福田村事件のレビュー・感想・評価
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人物描写に引っ掛かりを感じるところもあるが、劇映画として事件を描く意義を十分に証明した一作
1923年の関東大震災の最中起きた、自警団による一般人の集団殺害事件を描いた一作。
森達也監督は、『A』(1997)、『FAKE』(2016)などの切れ味の鋭い作品により、ドキュメンタリー映画作家という印象が強いのですが、学生時代から演劇などの創作劇の経験を積んできたという経緯があります。本作は確かに劇場公開長編映画としては初監督作品ということになりますが、物語の構成、そして演出の手際にはむしろ手練れ感が漂っています。
森監督であれば、震災時の恐怖心と疑心暗鬼が、ごく普通に生活していた人々を集団殺人に駆り立てた福田村事件を、もちろんドキュメンタリー作品としてつぶさに描くことができたでしょう。しかしなぜ本作をあえて「劇映画」として作らねばならなかったのか、その理由は、主演の一人である永山瑛太に、ある台詞を言わせるためだった、と言っても良いでしょう。
序盤からの比較的長い日常描写から、一転大震災によって混乱に陥る人々を、観客はいわば傍観者として居合わせることになります。そしておそらく観客のほとんどが震災時の集団殺害事件という許されない事態が起きたことも知っているわけですが、しかし混乱の渦中にある人々のやりとりを見聞きしているうちに、「良識的」と観客自らが思い込んでいた判断に、非常に危うい要素が入り込んできます。永山瑛太の台詞は、観客ですら、いつしか判断力を失ってしまっていることを、これ以上ないほど鋭い形で突きつけてきます。
題材上決して楽しい気分で鑑賞できる作品ではないのですが、震災時に何があったのかを忘れないためにも重要な作品です。
劇映画として完成度が高く、見応えのある作品であることには間違い無いのですが、登場人部の描き方、特に女性の描写(情緒的な側面を過剰なまでに強調する)は、現代の作品として適切なのだろうか、と少し引っ掛かりを感じました。
いや~この映画はすごかった~
その映画の言わんとすることがすぐ浮かぶ場合と、何日かしてからおぼろげながら出てくる場合とに分かれるけど、この映画は明らかに少し頭の中で熟成させる必要があるかな。
『福田村事件』という悲惨な事件をテーマとしながらも、この映画は完全に今の日本社会の問題点を映し出そうとしているように思った。
一人ひとりの登場人物が、何に影響をうけて、どう考え、どういう行動をとるか、丁寧に見るととても興味深いし、同時に悲しくもなる。
自分の価値観との対比の中で、それぞれの登場人物に同情や嫌悪感が湧きそうになるけど、まずは、それを手放しそのまま受け取ることが大切なのかなと思う。そうすると、日本ってこういう国だよな~というのがだんだん見えてくる。
その上でわれわれはどこに進むのか?映画の中にヒントが隠されているように思った。
これからの日本は?
この事件、初めて知りました。
集団心理の恐ろしさを感じました。
情報を流す側の新聞も偏った記事しか出さない。それにおどらされた人達。昔は情報が少なくて自分で考える力が無かったから…と考え。
でも、今だってコロナが流行り始めた頃、コロナ差別があったりと、変わりないじゃないかと思った。
今は逆に情報過多で、どの情報を信じるか どの情報が目に入るかで、判断が変わってくる。
とても考えさせられる映画で息子にも見て欲しいと思ったけれど、濡れ場が多くて勧められない。
この映画の内容に必要だったのか?と疑問。
関東大震災から100年、加害者も被害者も傍観者も子孫や遺族に取り返しのつかない傷を残した狂気の沙汰。
関東大震災朝鮮人虐殺事件は、その当時にも非難の報道をした新聞が一部にあり、現在も地域によっては犠牲者の慰霊が行われたりしているようだが、永年の間“知る人のみぞ知る”事件だった。震災100年目の今年に向けて、テレビ、新聞、ネット記事などでとりあげられるようになり、少し知ることができている。
多くの朝鮮人や間違えられた中国人が犠牲になり、共産主義者もリンチにあった騒動の陰で、千葉県の福田村で起きた事件は、さらに闇の奥に封印されてきたようだ。
森達也監督初の劇映画だという。
かなり取材をされたようなので、なぜドキュメンタリーではなく劇映画にしたのか疑問に思ったのだが、それは観れば解る❗
これは、いわゆる再現ドラマではない。架空の人物で実際の事件をなぞったからこそ、犠牲となる行商集団の棟梁(永山瑛太)に「朝鮮人なら殺してもええんか!」と叫ばせることができたのだ。
この映画は、朝鮮人に間違えられた日本人が殺された…というセンセーショナルな事件を題材にしながら、朝鮮人虐殺事件そのものに照明を当てている。
当時の人たちの常識の非常識さが滑稽なほど顕になっていて、人間の本性とか行動原理とかを炙り出している。これがフィクションの効果だ。
我々観客は、その非常識な常識がどんな情報によって生成されたのか、その元凶が何だったのかを想像し、それが招いた事態に戦慄する。
千葉日日新聞社で、犯罪者は一律「不逞の鮮人」だと報じておけば良いという風潮が説明される。上司(ピエール瀧)と若い女性記者(木滝麻生)との会話だ。
木滝演じる記者は誤った報道が人心を惑わせるのだと、この事件に接してあらためて痛感する。ピエールはそんな事は知っていながら、この時代で新聞屋が生き残る道を歩んでいたのだ。
市井の人たちが「日本人は朝鮮人をいじめてきたから、朝鮮人の仕返しが怖い」といった会話をしていたりする。
折しも、日本統治下の朝鮮半島で朝鮮独立運動が活発化し、武力鎮圧によって大勢の朝鮮人が虐殺された。これを正当化するため朝鮮人は賊徒であるかのような報道がなされ、人々はそれを信じていた。
森達也監督が100年前の日本の恥部をさらけ出したのは、世界に向けてというより日本人に対して、ほんの3〜4世代前の祖先がこのような愚かで怖ろしい行いをしたことに目を背けるな…と、突きつけたかったからかもしれない。
そして、お前は何がおかしいと思うかと、問いかけられている気がする。
なぜなら、そこに絶対的な悪人は存在せず、人に疑問すら持たせなくする擦り込まれた先入観や、人から判断力を竜巻のように剥ぎ取っていく集団心理/群集心理の様子が描かれていて、元凶は画面に出てこないからだ。
本当の悪は何だったのか、この映画の中だけではなく、軍国主義日本帝国の歴史に、あるいは戦後から今現在までの日本人の中にも、どこかに本当の悪が隠れているのだと言っているのかもしれない。
井浦新演じる失意の元教師が朝鮮半島の赴任地で体験したとする事件は、朝鮮独立運動の中で起きた一つの事件にすぎない。同じような体験をした日本人は大勢いただろうが、彼のように自責の念に苛まれた者ばかりではなかっただろう。何を常識ととらえるかによって、人の判断は大きく隔たるのだから。
朝鮮側でさえ、独立運動に参加しない若者に対して主導者から暴力的な脅迫があったとも言われている。
この映画が見せる人間とは、群衆とは、そして国家とは…我々は何を見てどこに行くべきなのだろうか…。
敢えて今作られた意味を考える
関東大震災の後に朝鮮人に対する虐殺があったことは知っていたが、その裏でこんな事件が起きていたとは知らなかった。
当時の人々が大震災によるパニック状態にあったことは理解できる。平和な暮らしがよそ者に荒らされるかもしれないという恐怖が沸き起こるのも無理からぬ話である。しかし、不透明な情報に惑わされ、集団ヒステリー状態に陥っていく状況は異常としか言いようがない。差別と誤解と偏見が生んだ余りにも愚かしく、余りにも凄惨な事件である。
そして、こうも思う。もし自分が実際に福田村にいたらどうだろう…と。声の大きな誰かが「こうだ!」と叫び、それに追従する多数の人々を前にして、果たして自分は何ができるだろうか…。正直、こんなに殺気だった状況では周囲の同調圧力に抵抗できる自信はない。
劇中では、澤田が過去の贖罪のようにして暴動を鎮めようとしていた。その心中は察するに余りあるが、集団に対する一個人の声など”その程度”のものでしかないのであろう。あそこまでヒートアップしてしまったら、もう誰にも止めることはできない。それが事実なのだと思う。
これは現代のSNSにおける一斉叩きにも似ていると思った。誰が何のために情報を流布しているのか?裏ではどのような思惑が働いているのか?情報が氾濫している時代だからこそ、受け止める我々にも細心の注意、精査が必要だ。
本作は単に過去の事件を暴いて見せたというだけではない。現代に通じるメッセージを突きつけた大変意義深い作品だと思う。
監督は「「A」」、「A2」等の森達也。これまでドキュメンタリーを撮ってきたが、本作で初めて劇映画に挑戦している。
意外にと言っては失礼だが、演出は端正で大変観やすく作られていると思った。もっとドキュメンタリータッチで攻めてくるのかと思いきや、変に奇をてらうような箇所もない。
唯一、澤田が静子に過去のトラウマを告白するシーンは長回しで撮られており、従来のドキュメンタリーのような生々しさを感じられたが、そこ以外は至って正攻法な演出に徹していると思った。
他に、印象に残ったのは静子が倉蔵の船に初めて乗るシークエンスだろうか。ここは本作で最も映像的に凝ったカメラアングルになっていると感じた。
一方、開幕シーンとエピローグ・シーンについては少し面白みに欠ける気がした。映画は始まりと終わりが重要だと思う。もっと頓着しても良かったのではないだろうか。
脚本には、本作の企画も務める荒井晴彦が参加している。前半は、田舎の閉塞感、複雑に絡み合う村人たちの群像劇をじっくりと表現している。そして、クライマックスでは一転。それまでの抑制されたトーンを突き破るような瞬発力で事件に至る経緯を生々しく描写している。伏線の回収、村人たち夫々のドラマが帰結する構成が見事で、ベテラン作家の手腕に唸らされた。
また、貞次と嫁の関係には、いかにも荒井晴彦らしい”官能”が垣間見れてニヤリとしてしまった。ドラマ上ここまでの描写が必要とは思わなかったが、荒井晴彦らしい痕跡を確認できたという意味では面白く観れた。
更に、本作では「亀戸事件」についても少しだけ描かれている。朝鮮人だけでなく共産主義者も弾圧されたという歴史的事実は、意外に知ってる人も少ないのではないだろうか。また、事件の被害者となった行商人たちが被差別部落の出身者だったという事実も重要だと思う。こうしたサブドラマを盛り込んだことによって、本作は更に作品としての厚みが増しているという感じがした。
一方、一つだけ残念に思ったこともある。それは地元新聞社に勤める女性記者の描き方である。彼女の正義感丸出しなセリフが悉く説教じみて聞こえたのが残念だった。おそらく今の世のマスコミに対する批判から、こうした大上段な物言いになってしまったのだろうが、余りにもストレートで優等生すぎるため、かえって上っ面だけの言葉に聞こえてしまった。
キャスト陣は芸達者が揃っていて夫々に好演していると思った。
特に、静子を演じた田中麗奈が素晴らしい。退屈な田舎暮らし、不甲斐ない夫に対する不満を抱えながら、都会的な服に身を包み日傘をさして歩くという自らのスタイルを貫き通す所に、彼女の芯の強さがはっきりと見て取れる。本作には他にも女性キャラが複数登場してくるが最も複雑に造形されていて面白く観れた。
他に、倉蔵を演じた東出昌大、澤田を演じた井浦新、新助を演じた永山瑛太も適役である。
そして、意外だったのは、長谷川を演じた水道橋博士が中々に良かったことである。小柄な身体で虚勢を張る姿に、卑小さ、憐れさを覚えた。
フィクション映画として最大の賛辞を送りたい
監督自らフィクションと言っているようにこの映画はフィクション。ファンタジーという部分ではドラマ仁や戦国自衛隊と変わりない。
少なくとも殺害シーンはそんな事実はなく
命を脅かされた状況で朝鮮人を庇うはずがないだろう
ファンタジー映画を鑑賞して、事実のように村人を非難するものがいることに戸惑う
現代であっても、簡単に噂を検証もせず信じ込め人達、私には「お前たち現代人も大正の人々と変わらない、寧ろそれ以下じゃないか」という映画監督の痛烈な皮肉に感じた
俳優陣の力の入った演技、テンポ、一番心が動かされたのは朝鮮人の疑いを晴らすために水平社宣言を朗読するシーン、命乞とはそのようなものであろう。
だからこそ、瑛太の「朝鮮人なら殺していいのか?」
自分のみならず、仲間が危険に晒されている中での浮いた台詞には冷めた。
悲しい史実があったんだ。
福田村事件を知り上映待ちでした。
記憶の継承が語り継がれる意味のある映画だったと思います。
日本と朝鮮人に対する差別や迫害、同じ人間でありながら集団となった狂気が潜んでる社会の裏側の怖さ、身震いする程伝わって来ました。
関東大震災から100年経過したこの時代に事件を風化させる事なく伝えていく事件でもあると思いました。
誰も止める事が出来なかった殺戮、湾曲した背景に《お国のために》を称える人々の浅ましさが当時を物語っていたのてしょう。
まさか飴を買ってくれたお礼にと貰った扇子が命取りになってしまった事や亡くなった九人の名前を呼ぶ少年を見た時、身震いする自分がいました。
時代は繰り返す
気になっていたが近くの映画館で予定がなかったんですが上映になり見にいくことができました。
見終わった後は胸糞悪いような気持ちになりました。(映画に対してではありません)
人間の汚い部分を見た気持ちになりました。
そして、現代にも通じたものを感じました。
コロナ騒動。こちらも似たようなものではないでしょうか。
こういった人の心理は変わらないものですね。
自分の考え方を考える調味料となる映画でした。
素晴らしい作品ありがとうございました!
傑作だと思う
おおまかなあらすじだけ押さえてから鑑賞しました。知らなかった日本での、朝鮮半島での壮絶な事件に、涙が出ました。他、クライマックスでも涙、涙。
あちこちからすすり泣く音が聞こえてきて、泣いてるの私だけじゃないんだな・・そりゃそうだよね・・・と思いました。
差別など人の醜さ、犯罪は「恐怖」からくるのであろうこと、集団心理の恐ろしさを感じました。
今も、殺しなどはなくても、こういうことはあると思います。
上映中、何度もハンカチで涙を押さえないと見れませんでした。メイク直ししようと思って、終わったあとトイレ行ったら、同じように直されてる方がいました。
ねぇ・・・、泣いたよねぇ。
(余談ですが、お気に入りのウォンジョンヨのマスカラをつけて行きましたが、あんなに涙出たのに全然取れてませんでした。すごい、さすが)
私は心に深く刻み込まれ、もう二度はなかなか見れないけど、パンフレットを買って帰りました。脚本も載ってるので、つかみとれなかったところとか後からつかめました。(上映中に朝鮮語が出てきますが、訳が無かったので)
パンフレットもおすすめです。
人間の複雑怪奇な多重性、個と集団での存在における変化(へんげ)を描いた大傑作
長文ですが、興味を持たれた方はよろしければお読みください。
■人間の持つ「多重性」を当時の日常生活に据えた描写
少々長いな・・と思って見ていた時間もあったが、終わってみれば「必要だった」という感想。出てくる人たちは善人ではない。普通の人々。
・すぐに女の人に暴力を振るう粗野な男
・村に戻って来た静子さんにいろいろ詮索する村の女たち
・記者が見たことよりお上の伝達を信じるのかと、ジャーナリストとしての矜持を問われる新聞社の部長
・讃岐の薬売りのリーダーは、嘘も方便とばかりに商売では強かに振る舞うも、癩病のお遍路さんに施しをする。また、朝鮮飴売りの女の子に優しくする面を見せ、この人物も食べていくための表の顔と心根の優しさとが多重性として描かれる。
・東出さん演じる船頭も、単なる好色な若者なのかと思いきや、集団虐殺の時にはもめ事のきっかけを作ったことをすぐに悔やみ、皆を制止するような正義感も発揮する。
・その船頭を静子さんに寝取られた腹いせに豆腐に結婚指輪を仕込んで届ける咲江の気持ち。
みんなみんな、生々しい人間のいや〜な部分だが、誰もが普通に持ち合わせている性質。
・新さんが演ずる主人公「澤田」は最も多くの日本人の型を体現している。
→「見ているだけ」と静子さんに嫌というほど指摘され、クライマックスでも「またあなたは見ているだけなの⁈」と言われ、そこで漸く一瞬正義の人になる。
が、「嫌なものを見てしまったらそこから逃げる」(福田村に戻ることになる動機が表している)のがやっぱり人間の本質なんじゃないかと思わされる。
そういう「見なかったことにする」「見て見ぬふりをする」私たちを今回の主役で表している。
・薬売りの瑛太さんへ最初にマサカリ(ナタ?)を振るい、集団虐殺の口火を切る「トミ」。
→この人が強く印象に残った。彼女は本所に出稼ぎに行った夫が殺されたと思っている。その恨みは「火を放った」「井戸に毒を入れた」と言われている朝鮮人…この恨み、負のエネルギーがここで一気に爆発する。
頭で考えるより先に手が出てしまうこの描写。ホントにすごい。驚愕。
こういう、人の多層性というか多重性の描写には唸らされた。
■入れ込まれたテーマと、そこから受け止めた感想は大きく三点
・集団になった時の人間の残虐性(ヘイトや戦争に通じる)と、そうなったらどうにも止められない状態になることの恐ろしさ
・メディアやジャーナリズムとはどうあるべきか
→メディアに踊らされぬ「熱い心と冷たい頭」(by緒方貞子)が必要だということ
・集団(ムラ社会)のもつ異質排除、日本の持つ個を認めない社会構造と、そこに含まれる問題
感じたのは以上3点だが、新さんの舞台挨拶にあったように、澤田が受けた「日本人による朝鮮人の虐殺を目の当たりにした心の傷(感情が死んでしまった、見ているだけになってしまった状態)も一つ重要な要素としてあると後で思わされた。
さらに、プロレタリアートのサイドストーリー(亀戸事件。ここだけ実在の人物=平沢計七)も入ってきて、ちょっと情報量多すぎ感もあるが、まあそこは映画が「見せる」ので許容範囲。
木竜麻生さん演じた記者は確実に「作り手の思いで足したフィクション」だと思ったが、澤田夫妻もフィクション。そこはちょっと意外だったが、彼らが外側から村人やムラ社会を俯瞰するというつくりの映画だからそれも当然か。
人として、一番やってはいけないことは弱いもの(自分より下の者)いじめだと思っている。
だがそれは人間の最も醜い本質として誰の心にもあり、時に怪物のように出てくる。
これを、理性でコントロールできることこそ、また人間の本質である。
その究極の「弱いものいじめ」にどう至るのかをわかりやすく、説得力のある形で描いた凄まじい力と、ドラマとしての高揚感を持った大傑作のエンタメ作品だと思った。
■その他印象に残ったところ
・自分たちが穢多だとわかったらだめ、と行商の先輩がのぶ少年に諭す場面。
・瑛太扮する薬売りが村人に「鮮人なら死んでもいいってことか⁈」とつかみかかる場面。
・殺される薬売りの敬一(子どもたちをよろしく、の杉田雷燐)が
「俺は何のために生まれてきたんだ…」と呟きながら絶命する場面。
→このセリフはパンフ収録のシナリオと異なる。こちらの方が良いとされたのだと思う。
・音楽が素晴らしかった。エンドロールのピアノ曲も良いなあと思っていたら、鈴木慶一。
虐殺のクライマックスの太鼓による劇伴音楽が、止められない勢い、行くとこまで行ってしまう凄さを表すのに非常に効果的に使われていると感じた。
・ラストシーン、のぶ少年は生き残りとして讃岐の村に帰り、そこで好きなミヨと再開する。この結末が、映画冒頭のミヨがお守りをのぶにかけてやり「これがいつかあんたを守るから」にバックデートする、一筋の希望につながる作りになっている。
一度死んだも同然の壮絶な体験をしてもなお、良くも悪くも、のぶは生き残りとして人生を積み重ねて行くのだ。ラストにこれを持って来たことこそが、作り手が後世に残したい言葉なのだと思った。
■映画から派生して考えてしまったこと
なぜここまで観客を動かすことができているのか、自分なりに考察してみた。
今の日本で起きていることが100年前と変わらない、「変えないと」「それでいいのか」と思っている人が多いということではないか。
自分が職場で、学校で、いじめられている、あるいは、社会や政治にいじめられている
…と感じている人が多いということではないか。
ネットでのヘイト攻撃や外国人に対する日本社会や政治のあり方、自分たちが国(政治や社会)から受けている苦しみや閉塞感(分断や格差)、疑問等もあるのではないか、というところに落ち着いた。
映画全体から本当に、本当に、多くのことを考えさせられた。
・朝鮮人と日本人の対立構造
・被差別部落問題の歴史的背景
・軍人や警察のヒエラルキー
・男性の従属のもとで生きている当時の女たち
このように学びの材料が詰まりまくった映画。それをよくここまで消化、整理できたと感心する。
シナリオ(脚本部)、演出(監督)、演者、その他すべてこの映画にかかわった人々に最高の敬意を表します。
南米の悲劇を描いた「ミッション」との対比
「福田村事件」は関東大震災直後に起きた悲劇であり、事件のあらましは公式HPにも、本作の紹介文にも書かれている。起きる結果は最初からネタバレしている。どんな事件か知りたいだけなら、Wikipediaの記載を読んだ方が、お金も時間もかからない。本作が描きたいのは、加害者と被害者の日常であり、不穏な状況を醸成したマスコミや警察や政府の所業。
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①知っていても胸糞悪いラスト
そもそも、町山智浩さんのラジオで本作を知り、Wikipediaで詳細を補完していた。それでも、終盤の惨劇はひたすら胸糞悪かった。村民が陥った狂気は、確かに誰で陥いり得る暗黒面なのかもしれないが、自警団の面々は大義名分さえあれば、朝鮮人を殺したくて仕方ないように映った。加害されるのが怖いなら、行商人を拘束し警察等に引き渡せばいい。自分なら、安全な処に女子供を退避させ、その周辺を護ったろう。しかし、村民は怖がってはおらず、殺してもいい奴らなんだから、早く殺させてくれと殺意に満ちていた。当時の空気は体感できないので、朝鮮人なら殺してもいいという差別意識の蔓延は理解しきれないが、現代にもネトウヨに限らず、韓国人に口汚い親族が自分にもいる。ユダヤ人、チベット人、ツチ族など虐殺された事例は少なくないが、日本人だって加害者だったし、これからも加害者なり得る事は忘れてはいけない。
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②待ち時間が長すぎる映画
差別やヘイトへの警告として本作は重要。ただ、映画作品としての評価を求められると答えに窮する。前述の通り、本作の観客は終盤に起きるクライマックスを、最初から知っている。正直2時間近くは、待ち時間である。その間に描かれるのは、農村の生活や部落民の行商の日々。それなりに起伏はあり辛くはないが、オリジナリティに乏しく既視感のある場面なのも確か。正直、幾つかのエピソードを削って尺を未自学した方が観やすくないか? あるいは、部落について説明する時間に割いた方が、若い聴衆に親切ではないか? 加害者もそこらに居るパンピーだったと描くだけなら、冗長な映画だった。
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③『ミッション』との対比
悲劇で終わる作品として『ミッション』を想起した。『ミッション』は、スペイン植民地が舞台の歴史映画。「福田村事件」との決定的違いは、終盤の悲劇がタイトルや紹介文からは、分からないこと。公開当時ヘビロテされたCMから、終盤の展開は予想できなかった。『ミッション』は、自身の愚行で大切な人を失い心を閉じた主人公(ロバート・デ・ニーロ)が、先住民に布教する宣教師を手伝うことで再生していく映画。宣教師が奏でるオーボエは美しく、エンニオ・モリコーネ作曲の『ガブリエルのオーボエ』は、映画史に残る名曲として演奏され続けている。しかし、終盤の悲劇が全てを無にする。その悲劇の間にも、流れ続ける旋律は美しく、涙が止まらなかった。
「福田村事件」も、終盤の展開を知らずに観たら、より心を抉られた気がする。「福田村事件」と謳っていないと、それまでのありふれ過ぎた日常に、観客は耐えられないかもしれない。ただ、作劇の仕方次第では『ミッション』の様になりえた気がする。
見るべき映画
恥ずかしながら事件のことを知らなかった私は衝撃的だった。
事実な事も驚きだったが映画として各立場からの描写から段々と交錯してラスト30分は全てが交わるのがすごかった。
役者も素晴らしくて、監督も支援した方も役者も全てがこの作品に欠かせなかった要素だと思う。
日本人なら見るべき映画と歴史作品だと感じた。
未来よ明るくあれ
正しさとか正義とか
時代や立ち位置でどうとでも変わるものなのかも
どこかで誰かが声をあげても小さければどこにも届いてくれない
今も、大衆はどこへ向かって進んでいるのだろうか
正しい道を歩んでいるのだろうか
誰かが泣いていたら、その手を引いて共に歩けるのか
今よりもはるかに多くの他国の人々が日本に来るでしょう
今ではない時代になった時、私は同じ人間として対等に接する事ができるのか分からない
社会主義も民主主義も理想は同じはずなのにどちらも権力者が思うままに振る舞っている時代はまだまだ続きそうですね
平和ボケした私の頭では到底未来の危機に対する備えすらままなりません
追記
高橋源一郎さんがラジオでこんなことを言っていた
関東大震災朝鮮人虐殺事件にまつわる小説を読んでどんな事があったのか事細かく描写されていて凄まじさが伝わると
小説家はその時何があったのか伝えなければならない
己の感情を抜きにして淡々と書き記していかなければならないのだと
この映画に出会ったのはたまたま休みがあり、さてどんな映画を見ようかとサイトで探していたらつい最近ラジオで聴いた内容の映画に辿り着き多少鳥肌が立ったのだ
これも何かの縁なのだろう、そのまま導かれるようにこの映画を見たのだった
それまで関東大震災朝鮮人虐殺事件など聞いたこともなかった
ラジオで聴いた時、どれほど恐ろしいと思ったことか
そして直ぐに映画を見ることになるとは
過去にも幾つかの作品があるようなので何とか探して見てみたいものです。
期待して見たら駄作
前半のラブコメパートやら色々と殺傷シーンの明らかな演出過剰な部分が悪目立ちしていたように感じた。途中で過剰な演出に飽き飽きして眠たくなってしまった。
個人的に刺さる人には本当に刺さる映画だと感じた。
八つ墓村的 エンタメ要素強くて観客飽きさせない
重いテーマに対して申し訳ないけれどこれはエンタメとして十分楽しい。社会問題として真剣なものを期待して観に来た人は肩透かしだろう。自分はもう少し淡々と悲しさとかとか芸術性を期待してやってきたが、そこがなかったのでマイナス★1つ。主要登場人物のひととなりはよく書かれていたと思う。変な音楽が入ってこないのがまた良かった。
まずセリフが多く特に無名役者ほど演技が劇団みたいに大袈裟。田中麗奈の冒頭と遺骨を前に大袈裟に泣く女優さんに映画の方向性が期待してたものと違うがっかり感。気持ちをリセットして見ていけば慣れてくる。一番良かったのは東出。セクシーこの上なかった。恵まれた体格。未亡人が豆腐持ってきたときの笑顔の自然さ。これは今の日本で一番カッコイイ男だと思った。柄本明と嫁さんの関係も昔はよくあった話だと聞いていた。特に戦争で留守の奥さんは不義が多かったようだ。旦那さんがその自分のやりきれなさを人殺しでストレス発散というのも納得できる。水道橋博士も背が低いし優秀な村長と井浦新に比べ色々なコンプレックスがあって優越感にひたりたかったのだとう。希望はないような話でも井浦新が奥さんと一緒にみんなに呼びかけたところ、未亡人が恋人を寝取った奥さんを恨みで貶めなかったところ、東出くんも女にだらしないが人間としては良い人であったのが救われた。瑛太のハンセン病患者に詐欺まがいなことして、ブラシーボ効果になるから良いんだ 、そうでもしないと自分たちは生きてけないといった直後にお遍路さんに寄付してるところが全く今の世に生きる自分に通じてるようで良かった。いらないものを売りつける営業をやっていると身につまされるから。クライマックスは瑛太がチョウセンジンだと殺していいのかと言ったセリフが一番の見せ場だったろう。友人は話が散らばり過ぎと言ってたが自分はこのくらいカオスのほうが逆に臨場感あって生々しくて良いと思った。部落差別についても考えさせられる。SNSでスシローペロペロを過剰に叩いたり自殺に追い込んだり、集団で弱っているもの攻撃し過ぎるのは魔女狩りの時代から変わらない。実際の人を標的にしないで芸術や運動で気持ちを発散しないといけないね
追記 インタビューを見てわかったこと。制作陣は今調達できる人、モノ、カネで最高のモノを作ったと感じた。演技が大袈裟で芸術性にかけるのもしょうがない。お金が無い中で頼るものは人。溢れ出る演者の熱量を監督もあえて止めなかったのだろう。芸術作品は監督の細部のこだわりが求められるがそういったものはあまり感じられない。逆に
何度もとりなおしできない状況での監督の演者に対する期待と信頼感、それに応える演者達の意気込みと皆の熱い想いと勢いで作ったものでその勢いが飽きさせない。荒いとこが多くても所々とても良いシーンがあった。芸術的でも退屈な映画よりよっぽど良い。興業的にもっともっと成功して新しい戦前を作ろうとしている若い世代に波紋を投げかけて欲しい。
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