福田村事件のレビュー・感想・評価
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心に留めるべき事件なのでしょうが…
歴史的事実が題材とはいえ、旧「八つ墓村」みたいだったらどうしようと怯えながら観に行きました。同時にどんなにおぞましい内容でも目を背けずに見るぞ!見て考えるぞ!と覚悟を決めて観に行きました。
そのせいか、なんか、思ったよりもソフトというか、観客のショックを和らげようとする制作側の配慮がかなり感じられて、映画の印象が薄くなったように思えました。
あの女性記者は、安全圏で視聴する現代の観客の共感(と正義感の満足?)を得るために登場させたのか?村長が群集を必死で止めようとしていたのは、福田村の子孫の方々への配慮なのか?等いろいろ考えてしまいました。
現実はもっと無表情で淡々としていたのかな。日常と非日常は連続していて何の前触れもBGMもなく、いきなり血を見るほどエスカレートしたのかな。
不安や恐怖によるストレスが高まって集団ヒステリーから暴力事件に発展することは、今でも起こりうることですし、日頃の差別や、差別の自覚・うしろめたさがあるゆえの「仕返しされるかも」妄想が恐怖を拡大することもあるでしょう。でも、警察の謀略というのはひどすぎます。
映画をきっかけに体験したことのない状況について思いを馳せ、自分ならどうするだろう、現在アタマでこれが正しいと思っていることを、そんな極限状況で実行する勇気があるだろうかと考えこまずにはいられません。
それだけ大切なことを描いてくれた作品でした。
…もうちょっと登場人物がシンプルでもよかったなぁというのが残念でした。
映画に何を求めるのか
自分にとって映画とは何なのか、なぜ映画を観るのか、
そんな疑問を抱きながら、映画に何かを求め続けている私にとって、この映画は一つの答えのように思う。
具体的にどこがどうだったとかいう批評めいたことは、私には書けない。
キネマ旬報で何人かの識者が書いている通りなんだろうと思う。
ただ、一つ言わせてもらえば、在郷軍人会の分会長は、自分(達)がしでかしたことを、人のせいにして、妻に擁護され、救われてしまっている。あの台詞は、それがふさわしい人に言わせしめるべきではなかったか。なぜあんな輩を助けるのか。
最後に。
この映画で再確認させてもらいました。
あらゆる差別は理不尽だ。
若い人にこそ観て欲しい
公開前からこの映画のことは知っていましたが、公開から二月以上経ってやっと観てきました。
森達也監督初の劇映画。それも関東大震災直後に起こった集団殺人事件をテーマにした内容だけに、よくある社会派の映画のように暗く重い作品になっているのではないかと危惧していたのですが。
観て良かったです!
悲惨な内容ですが、日本的な湿っぽさや重苦しさがあまりなく、ある種の救いがあるためか後味は悪くありません。と言ってもエンタメ作品ではありません。考えさせてくれる映画です。
帰り道、8年前に読んだ森監督の著書『すべての戦争は自衛意識から始まる』を思い返していました。
人間の持つ悪しき性(さが)を突きつけられ、偏見、差別、暴力といった負の力は無知や無理解や愚かな恐怖心から生まれる……と強く感じます。
若い世代の人に是非観て欲しい映画です。
高評価ばかりなのが怖い
香川県在住。森達也の映画、本が結構好き。
制作を知った公開2年くらい前から気になっていた。
予告を観たとき「テレビの再現Vみたいなクオリティになっているのでは…」と大いに不安になった。
しかし、事前に武田砂鉄のラジオでの監督インタビュー、水道橋博士と町山智浩の監督インタビュー、好きな町山智浩さんの紹介情報などでテンションを上げ、鑑賞。
感想は、「テレビの再現Vなら良かった」である。
この歴史的事実、朝鮮人虐殺の事実にスポットが当たる事には大いに意義がある。
だが、映画の出来は最低。思想ではなくクオリティの話。日本映画の悪いところが詰め込まれている。
さらに、SNSでは絶賛の嵐、町山さんや宇多丸さんも絶賛。柳下毅一郎だけは映画の出来には直接触れずに、脚本家の色が強く出ていると言うに留めていた。(ドミューン出演時。この時その場に水道橋博士も居たので言いづらかったのかもしれない)
批判レビューにはイチャモンコメントまで付いている。まるで言論封殺。
この映画を一ミリでも批判してはいけない雰囲気が漂っている。
それはこの事件が内包する「集団心理」「言論封殺」と完全に印象が重なる。
(ただ、この事については、東京都の対応など朝鮮人虐殺がなかった事にされそうな風潮の中、この映画を批判する事でそれに加速がかかってしまうのではないか…という心配から、皆あえて言わないのでは…という事も考えられる)
繰り返すが、この歴史的事実をピックアップする事は意義があるし、私は森達也のドキュメンタリーや著作、考えにかなり共感している贔屓者だ。
しかし映画のクオリティは酷い。どう酷いかは他の低評価レビューを見ると概ね同じだ。
何故こんなに出来が悪くなってしまったのか。
柳下毅一郎さんのコメントからいろいろ考えてみた。
まず、脚本が最大の要因である事は間違いないだろう。(批判の多い説明的なセリフ…エロシーンなど)
そして、森達也監督は役者に自由にやらせて、演出をほとんどしていなかったのだと推察する。脚本を読み、役者が各々考えて作ってきたのだろうその演技は、全体の統一や自然さからはかけ離れていった。監督は役者に自由にやらせ、それをドキュメンタリー撮影時と同じように、「目の前で起こる事」を忠実に追いかけて拾っていったのだと思う。
結果、脚本に引っ張られて出てきた役者の自意識や過剰さ、クセ、統一性のなさなどがそのままカメラに納められてしまった。監督の目の前で起こっているのは役者の「演技」であり、それは舞台を撮影しているようなものになってしまったのだ。ドキュメンタリー監督としての性質が物語作品では裏目に出たのだと思う。
映画に映し出される演技は、役者への演技の付け方だけで決まるのではない。優れた監督は役者の自意識を編集でコントロールすることができる。ほんの一例だが、スコセッシの「沈黙」では、窪塚の癖のある演技や前のめりな自意識を、編集と演出でここまでコントロールできるのか…と感心した。
インタビューなどの発言から、森達也監督は、脚本も、役者の演技も、往々にして受け身だったのではないかと推察する。しかし監督とは全体をコントロールしするものではないのか。だから映画は「〇〇監督作品」と冠するのではないのか。
もう一度言うと、この事件にスポットを当てた事には大きな価値がある。
ならば、この事件を調査したドキュメンタリーを作るか、いっそテレビの再現ドラマのように、事件の概要を丁寧に説明するくらいが良かった。アンビリバボーなどの再現ドラマは面白い。そのように作れば良かったのだ。
コムアイなど役者は良かった。彼らの演技が不味く見えるのは、脚本家と監督の責任である。
舞台と映画は違う。映画は編集によってまずいセリフも、下手な演技もうまく処理できてしまうのだ。それが劇映画の醍醐味だ。そして、森達也はドキュメンタリーにおいて「映画は嘘をつく」という事にこれ以上ないくらい自覚的であったはずだ。しかし、大嘘をつかねばならない劇映画では上手く行っていないのだ。
今回の劇映画の下手さ=監督の「嘘のつけなさ」はやはり森達也はドキュメンタリー監督として優れているのでは…などと思った。
やっぱり分かり合えない
この作品を見て、人と人が分かりあうことは無理なことなのではと感じた。
いま現在世界で日本で起きている争いごととリンクして、分かりあうことの難しさを感じた。
そして、ちょっとしたパニックが起きるとどんな人でも簡単に制御が出来なくなるのだと。
ひとりひとりのリテラシーを高め、ひとりひとりが考え意見を持つことが分かり合うことに繋がるのではと思いつつ、リテラシーにはばらつきが生まれるものだし、現実的に難しいと感じた。
役者それぞれの演技が際立つ。
それぞれが懸命に生きている日常がふとしたきっかけで狂気に変わることを感じる演出も素晴らしいと感じた。
今こそ観るべき映画
群集心理の狂気をみた。
あの場に自分が存在していた場合
「やってしまえ」と叫ぶ側なのか
「落ち着け、早まるな」と抑える側なのか
果たしてどちらにいたんだろう?と考える。
狂気に呑まれた人間を制止するのは難しい
出来上がった混沌の渦の中に身を任せた方が
簡単なのかも知れないが、それは罪だ。
時代が変わっても差別は無くなっていない
ふとしたことで、人は容易く堕ちてゆく。
色んな感情がありのままに描かれていた。
直視するのが苦しい場面もあった。
突き付けられたのは、リアル。
それをもって、明確な答えなど出ていない。
だけど、観て欲しい。観るべきだと思った。
剥き出しの感情。躍動感。音楽。映像。
すごい作品だったと思う。
今の時代、よくこんなタブーだらけの映画が上映できましたね。それだけでも凄いと思う。
この映画はしんどい。見終わってしばらくは手がガクガクと震えた。クレジットを最後まで見ずに早くその場から逃げた。
まず映画の感想として。
・福田村事件というのが1923年9月にあった。大震災をきっかけとして、日本人が日本人を虐殺するという史実があったということを初めて知った。
・被害者の出自は被差別部落民でエタと表現されている。彼らは一族郎党で薬の行商を生業としている。その彼らもハンセン病者に薬を巧みに売りつけ、わしらみたいなモンはもっと弱いモンから銭を取り上げんと生きていけんのんじや、という現実がある。さらに朝鮮人から飴を買った時、朝鮮人とわしらはどっちが下か、と問い、わしらの方が上に決まっとると、言わせている。
これには私にも実体験がある。高校生の時、友達に誘われて部落問題を扱う集会に出たが、私にはピンと来ず場の空気が暗く嫌になった。部落問題とは何かを友達と話す中で、当時、より身近な朝鮮人部落を例に話す友がいた。そこは養豚場を地区でやっていて、夏場の臭いが酷かった。その友にも私にも朝鮮人部落の方が明らかに下に見えた。
この映画の背景には差別の重層構造がある。部落差別、朝鮮人差別、ハンセン病、社会主義、共産主義に対する嫌悪感、女性、軍隊、天皇制、そうした構造的な差別と偏見が下敷となっている。
・亀戸事件や甘粕事件は社会主義者や組合運動家が殺害された。こちらの方は教科書にも載る位だから知っていたし現場も訪ねたが、福田村事件が歴史の闇に葬られて来たのは、同和問題が背景にあり、しかも当事者がそこにはいて、時代的、地域的にまだ差別が顕在化していたから、語るに語れない状況があったのだろう。加害者側も当然、その子孫がいてそれはタブーとして語らず記録にも残さずという状況だったからだろうと思った。
・映像の持つ迫力
虐殺のきっかけとなったのは「朝鮮人なら殺してもええんか?」という新助の対して、赤子を背負ってまま無言、無表情でいきなり鳶口を新助の脳に突き刺したトミのシーン。
最後の所の野田署で信義が殺された9人の名前を一人ずつ呼名するシーン。その中には妊婦で殺害された女性の中に宿っていたであろう、[望]も含まれる。災害や戦争による大量死の場合、その死者数が先んじたり、その数字の根拠が論点となったりするが、一人一人の生きた証としての名前を呼ぶ、or刻む行為はとても大事なのがよく分かるシーン。
・定住者と放浪者の対比
殺人や強盗事件では今でもよく住所不定無職と報道される。定住者は昔なら農民で今なら勤め人だろう。放浪者とはそれが叶わない人たちで、古今東西、差別の対象とされて来た。その代表としてエタの行商人であり、この映画の被害者達だ。
本来ならその村で薬を売り、また次の行商地に移動し、ある程度売ったら村に帰るはずだった。それが大震災をきっかけとして、集団殺戮にあい、国体護持の生贄となった。朝鮮人は口実で非定住者に対する差別や下に見る風潮がこの惨劇の底辺にある。
そういうヨソモンに対して自分たちのコミュニティとは違うニオイを感じ、それを差別する、特に危機的状況においては排除する、それは良いとか悪いとかではなく、ホモ・サピエンスのDNAに刻まれた宿命なのではないか。だから被害と加害は容易に入れ替わるはずだ。
私が面白いなと感じたのは朝鮮で提岩里教会事件に関わってしまった澤田とその妻の静子も放浪者。ラストの利根川に小舟で浮かび村を捨てる二人はそうする以外選択肢はなかっただろうから。
次に映画のパンフレットを読んで。
・一番の見どころは市川正廣さんと佐伯俊道さんの対談だ。市川さんは地元在住で市の職員をされ、福田村事件追悼慰霊碑の建立に携わった方。映画がこの事件を世に問う事で闇に葬られて来た被害者を浮かび上がらせるのは良いが、地元には加害に携わった関係者の子孫がいる。この映画の持つ虚構が独り歩きし、それが福田村事件の真実とされては困ると、映画に対してかなり批判的だ。一方、映画の脚本を手掛け制作者側の佐伯さんは、この映画の興行としての成功、予算、尺の問題から、虚構を入れないと成立しないという立場だ。両者の一致点はこの事件を直視し、後世に伝えていくという点だ。両者の立場の違いが鮮明で読んでて緊張感が伝わる。またこういう予定調和的でない、オープンな議論こそ、こうした事件を防ぐ土壌だと思った。
最後に
・韓国の慶州にナザレ園がある。
慶州ナザレ園はかつて半島に渡って行った日本人妻が終戦と朝鮮戦争の動乱の中で、行き場を失い、その後、日本に身請け人のいない日本人女性達が帰国できず施設に残り、やがて養老院の体を成していった施設だ。私はここに2度、訪れている。
・この映画と共通するのは、対象となるのが何れも日本人だと言う点。
・従軍慰安婦問題とこのナザレ園をクロスさせて、埋もれた歴史の闇に光を当てるような映画を森達也監督にはぜひ創ってもらいたい。
異質を排除する
関東大震災朝鮮人虐殺事件は、向き合わなければならない歴史だと思っていた。
福田村事件は、震災現地から離れた千葉県
虐殺されたのは香川県の行商人達
で女、子供も含む。
何故だろうと理解できなかった。
地震による大きな被害もない地域だ。
些細ないざこざで、「こいつら言葉がおかしい、朝鮮人ではないか」と騒ぎが大きくなる。
自警団が取り囲む。
言葉がおかしいと言うが讃岐弁は千葉弁と比べても変な発音はない。
行商人達15人のうち半数は女子供だ。
武器も持たない。
対して自警団は、200人。
手に手に武器を持っている。
見に不安を感じる事もない。
「朝鮮人じゃあないか、殺してしまえ」と叫ぶ村人に対して
行商人のリーダーは、
「朝鮮人なら殺しても良いのか」
と発した言葉が私の疑問を解いてくれた。
自分達の側でないものは『人間』でないので殺しても良いと言う
異質を排除する論理だ。
女子供や戦う意志のない男たち9名を惨殺する。
この史実と、日本人は向き合い考えるべきだろう。
この映画は、それを突きつけている。
沈黙
この作品が上映されると聞いた時に初めて福田村事件というものを知りました。関東大震災後に朝鮮人が差別されていた歴史があったという事は歴史の授業でチラッと習いましたが、日本人同士でも疑われて殺されたなんて残虐な事件があったというのはかなり衝撃的でした。
戦争で死ぬことが名誉と言われることがまだ普通だった1923年が舞台になっています。今考えるとやはり戦争はおかしい事ですし、死ぬ事が素晴らしいなんて全く思えません。時代が時代なのでこれが普通だったと思うとそこでまず恐怖を覚えてしまいます。
前半ではゆっくり村の描写や当時の過ごし方、人々の関係性をじっくり描いていきます。だいぶスローなのでかったるいと思うところはちょくちょくありましたが、そこは役者陣のパワーでなんとかカバーしていたなと思いました。
朝鮮人を差別していたり、主義者を殺す描写を挟み出したあたりから不穏な雰囲気が漂っていき、それが終盤の事件の大爆発に繋がっていったなと思いました。
福田村で詰め寄られるシーン、本当に怖かったです。10人そこらに村中の人々が寄ってたかって言い詰め寄りますし、確認するまで待てと言ったって無駄な正義感が働いて何度も何度も暴言を吐いては威嚇をする、同じ人間でもやってはいけないラインを余裕で越えてしまっていて、1人の行動で村人のリミッターがぶっ壊れて商人たちを襲い始める映像が静かに、そして獰猛なくらいに激しくなっていく様子が末恐ろしかったです。
邦画洋画問わず、子供を殺す描写ってあまり多くないんですが、直接的には見せずとも子供を斬り殺すシーンがあったのは衝撃的でした。リンチの描写も無抵抗な商人をこれでもかと滅多刺しにして川に流したり、積んだりと人扱いしていないのが見て取れました。
最終的に日本人という事が証明された時も、反省の弁なんて一切言わず、お国のために村のためにとほざくだけなのも拍車をかけてムカつきました。話も聞かずに自分たち優先で行動したのにその言い分はなんだと、殺戮をあれだけ起こしておいてあんな態度なんて信じられないです。とても辛かったです。
全体的に寄り道が多かったのが今作の残念なところだと思います。3組ほどの描写を見せつつも、それが最終的に事件のパートへ合流する構成になってはいるんですが、不倫の描写を長々と映す必要性はあまり無いと思いましたし、震災の描写の嘘っぽさが拭えず、そこまでの緊張感がプツッと切れてしまいました。
後から知った情報で夫婦をはじめフィクションの人物が多く、そこは映画に昇華するためには致し方ないのかなと思いました。実在した人物にも少し色を加えてしまったのはリアリティを薄めてしまったのかなと思いました。テンポも特段良いわけではないので、台詞回しに違和感を覚えてしまったのは惜しかったなと思いました。
主人公としての役割はかなり薄く、主人公はおらず、一つの物語に多くの登場人物が同じくらいの頻度で登場しているといった見方が一番良いと思います。
時代は1世紀ぐらい違いますが、直近で観た「キリング・オブ・ケネス・チェンバレン」と同様、思い込みで衝動的に行動してしまった結果、あってはならない事が起きてしまったという悲劇を映像越しで体験する事ができました。自分が当事者で被害者or加害者の立場にいても行動を起こす事はできなかったと思いますし、誰かに従って失敗の策を選んでしまうのではないかなと色々考えされられました。
しっかり劇場で観ることができて本当に良かったです。これは書籍でじっくりと読んでまた考えを深めたいなと思いました。
鑑賞日 10/17
鑑賞時間 15:45〜18:10
座席 C-12
タイタニック構造のドラマで成功。
見る時点で周知の史実に現実架空混交する善悪群像を投げ込み現代的思考でドラマを紡ぐタイタニック構造の採用で成功。
衆愚と老害と報道の功罪なるある種凡庸な主題も筋金入りの森達也だから掘り下げが何枚も深い。
私的年テン上位当確。
本筋と無縁の田中麗奈の美と不気味を買う。
被差別部落
大正の時代にしては汚れ感が少ない画面と、不必要に多いお色気シーンにハズレを引いたかと思いましたが、途中からこの世界へ引き込まれました。
村人達が普段の生活の延長線上で、突然気が狂った訳でもなく(1名以外)、虐殺を行っている様子。
第三者として見ていると、何で?と思ってしまいますが、村の当事者だったらどうにもできませんね、これ。
また思わぬところで穢多の生活が少し垣間見られて嬉しかったです。
水平社宣言を御守りにして行く穢多達、襖もある良い宿に泊まっているようにも見えましたが、行商で稼げているからでしょうか。
より下の身分の物を漁る浅ましさ、笑えます。
お上に逆らうと碌なことはないとか、船頭に絡んだり、人を見て態度をコロコロ変えるような信念の親分と一緒にいるような輩だから、一歩間違うとこんな運命になるのかもしれません。
あ、あの記者さんには、何故あの場に居合わせたのか不思議でイラッとしますが、村長の言葉を引き出してくれたので良いのかな
映画を楽しめます。観てよかった1本です。
関東大震災後の内務省の企てた通達と工作活動、当時の国策促進メディアによって煽られた大衆が大量殺戮をする映画なので、退屈するのかなあと懸念もありました。しかし、始まってみると最後まで映画に浸れました。テーマである大衆の暴走の背景として、大正時代の田舎の人々の暮らしや風景が、宴会や野辺の送り、被差別部落民の薬の行商シーン、お遍路さんのシーン等を通じて丁寧に描かれており、農村の人間模様も相まって退屈どころではありません。殺戮シーンは、控えめに感じました。そのシーンを徹底的に陰惨にする必要もなかったからでしょう。最近の邦画はいいものが増えましたね。ミニシアターでしたが観客の入りもまずまずでしたよ。観てよかった。
流言飛語と群集心理の怖さ、そして人種差別
100年前に実際に起こった虐殺事件を題材にして描かれた衝撃の実話。関東大震災をきっかけに流言飛語が飛び交い混乱に陥ってしまう群集心理の怖さを痛感しました。
二度と繰り返してはならない事件ですが、現代では流言飛語に加えてフェイクニュースも飛び交う時代であり、100年前と何も変わっていない事実を重く受け止めなければならないでしょう。
流言飛語と群集心理の怖さ、そして人種差別まで、問題山積であることを問いかけている作品であり、後世に伝えるべき名作です。
2023-162
知るべき映画
2度鑑賞しました。
1度目は歴史を鑑賞。
2度目は人物の背景や伏線の意味を探しながら。
映画化への脚色もあろうかと思いますが、実際の殺戮への階段はもっと生々しいと想像は難しくなかった。
それでも十分に胸が引き裂かれる思いがしました。
出演者の演技も皆素晴らしく引き込まれました。
多くの人に見てもらいたい作品でした。
正義というものの定義がグラグラ 自分が信じてるものは自分に都合の良...
正義というものの定義がグラグラ
自分が信じてるものは自分に都合の良い真実なのだと
真実は残酷で信じたくないものかもしれない
自分にとって都合の悪い真実を
自分は本当にちゃんと受け入れられてない
日本の歴史の一端なんていう生優しい映画じゃなかった
人間の根源的なところを突かれてとにかくずっと苦しい
自分が一番何もみえてないのではないか
正しいと思って声高に主張することが誰かを傷つけているんじゃないか
そういうもう超絶基本的な、
でもきちんと毎回意識してないと流されて忘れそうな大事なことを
バシバシ両頬引っ叩いて思い出させてくれるカンフル映画
100年目だからか
関東大震災の数日後、千葉県福田村で実際に起きた事件。
話の2/3程事件が起こる迄の村や東京や被害にあった薬売りの人々の話。
東出昌大扮する船渡しの女性関係っているのかな?
wikiを見ると、事件の全容に関してはほぼ事実通り。
やはり、ナチのユダヤ人虐殺が頭に浮かぶ。
『十円五十銭』を言わせるところ、卑劣すぎて情けなくなった。
現在と違い、情報伝達が上手くいかず、地域の独特な方言だと伝わりにくいのはわかる。
また、薬売りの人たちは、被差別部落なので素性を詳しく言いたくないのも禍いしたのか❓
遠因として当時日本政府が、新聞社を使って朝鮮人の印象を凶悪殺人犯放火犯に仕立て上げたからとしている。
実際に目にしていない村人に不安を持たせるに充分である。
村人=自警団=ちょっとしたきっかけで殺人集団となり得る者たち。
wikiには、自警団での暴力とあるが、れっきとした殺人であり、恩赦などで許されるものではない。
昔だから有耶無耶にされたのか。
今ならこんな事件が起こりもせず、きちんと
断罪されるだろうか⁉️
現在情報手段が発達しているが、その拡散により凶器となって人々の命を殺めてしまう事象が多々見られる。いつ何時当事者被害者になるとも限らない。また、加害者になりはしないか⁉️
自分があの薬売りだったら、あの場をどのようにして切り抜ければ良かったのか⁉️
団長の永山瑛太さんが、
「朝鮮人だったら殺してもいいのか⁉️」
と叫んだ途端に、夫が殺されたかもしれないと不安に苛まれる妻に殺されて、それを発端にやる気満々の村人たちが、怒涛の如く殺戮し出した。
本作を観た感想だが、あの言葉は正論だが、あの時点で言うべきではなかったのではないかと思ってしまった。実際にはどうだったかはわからない。
本事件は、当時の朝鮮人差別により間違って日本人を殺してしまった、日本人に申し訳ない、というわりには恩赦が出てほぼ無罪となる。
殺人して無罪とは⁉️
これは、部落民だったからなのか?
当時の朝鮮人差別、部落民差別を炙り出し切れていないので、と言っても、やはり無理なことかとも思う。
そういう現社会だからか、何が起こるかわからない。
知らなかった事件を提示してくれたのは良かったが、100年前だからと決して油断できない状況だと気を引き締めねばならないと感じた。
うーん。
日本で最も信用している
ジャーナリストのひとりが
森達也氏だ。
だからこれまでの作品は
すべて見てきたし、読んできた。
’
本作は、彼が初めて作った劇映画。
取り上げたのは、関東大震災直後に
実際に起こった虐殺事件だ。
心無いデマでたくさんの朝鮮人が
殺されたことは歴史に残っているが、
この事件は、朝鮮人と間違えて同じ
日本人を虐殺した、千葉県福田村で起こった。
’
40分に及ぶ虐殺シーンは人間の愚かさ、
同調圧力の怖さ、群集心理の酷さを
嫌というほど、教えてくれる。
善人でも人は殺せるのだ。
歴史の闇に隠されていたこの事件を知らしめた
だけでも、この映画の価値は十分にあると思う。
’
だけど、うーん。
劇としては前半の村の人間関係の話は長いし、
台詞も役者の演技もこなれていないものが多く、
むかーしの芝居を観てるようだった。
’
まぁ、子どもの頃最初に観た映画が「小林多喜二」
という環境に生まれた僕は、タッチが似てて
懐かしかったけど。
’
森さん、二本目、期待してます。
’
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