福田村事件のレビュー・感想・評価
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きさまも悪魔かもしれんな、おい
史実をもとにしたフィクションなので、誰が殺されるかはわかっているのに、いよいよ殺られるというところまでは「朝鮮人と間違えられないでくれ」と思ったが、
「朝鮮人なら殺してもいいのか!」という行商人の叫びでハッと「否」と気づいた直後からの虐殺。
脚本・演出・役者の仕事にまんまとしてやられたとも言い訳できるが、ここは素直に自分を恥じたい。
人種性別職業出自いかなる理由であれ差別、ましてや殺人などは絶対に許されない。
平時ではそう思っている。
しかし条件が重なってしまうと、思想とは真逆の行動をとる可能性がある。悲しいかな私たちには。
拙文のタイトルは永井豪の漫画「デビルマン」の一節。国が作った「悪魔狩り部隊」が人間の中から悪魔をあぶり出すのだが、見た目では人間と悪魔、ましてや悪魔と合体した人間「デビルマン」の区別はつかないので、今作「福田村事件」と同じく、結果的に無差別殺人となってしまう。
差別を防ぐ努力は大切だと思う一方で、歴史は所詮繰り返すという諦念感を少なからず私は持っている。今般のSNSを眺めるだけでも、残念ながらその思いは増長する。
それでも、少しでもこうした悲惨な事が起こる可能性を下げるためには、「個の確立」以外にないと私は思う。回りの目ばかり気にして同調圧力に屈しない気構えが必要だ。大切な人を守るためには、知恵も必要。批判覚悟でいうと、「殺すより、殺されるほうを選ぶ」ことも必要かもしれないとまで思っている。
新しい映画ではなかったが、普遍的なテーマが冷徹な視線で描かれていていい映画だと思います。
特に水道橋博士には助演男優賞をあげてもいいんじゃないでしょうか。怪演でした。
100年前に起きた実際の事件だが、現代の日本で起きても全くおかしく...
劣等感と同調圧力と無知
私は6歳から東京、千葉に住んでいたのに福田村事件や亀戸事件の事を聞いたことがありませんでした。関東大震災後の朝鮮人虐殺について知ったのは10代半ばの頃で、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマが飛び交ったから、というもので、当時はどうしてそいういう発想になるんだろうと不思議でしたが、恨まれる心当たりがあったのだとは思い付きませんでした。朝鮮人だけでなく間違われた人やどさくさ紛れの殺人まで行われていたことにも驚きました。
差別は劣等感の裏返しではないかと思っています。
本作では、無知によって不安が増幅されて、集団パニックが起こる様子が語られています。正常な判断が出来なくなり、ごく平凡な人間が狂気に支配されていきます。
これは日本人として、人として、知っておくべき事件です。
映像作品としては、地震の再現はあれで良かったと思いますが、関東大震災をよく知らない人が理解できるように、被災の状況がどれだけ悲惨だったかの描写がもっと欲しかったところです。
あと、登場人物が多いけれど見た目が似通っているので、途中まで人物の区別がつけにくかったです。
智一はまた教職に就いてほしいなと思いました。
人間の命は平等である!
集団心理、先入観、そして相手を卑下して自分が優位に立とうとする醜い自尊心。
この話はもっとキチンと後世に伝え続けなければならない事件だと思いました。
そもそも、いくら国益だからって殺しても良い人間なんていません。戦争反対。
意義は大きい
「過去のこの国の汚点を知る」「人の愚かさ」「集団心理の怖さ」「思い込みから事実確認しないまま暴走することの危険性」を示し、学ぶにはいい教材的な内容。
抑えられつつ効果的な音楽とも相まって、残酷な史実を浮き彫りにしていました。
関東大震災において、日本人の自警団たちが、韓国(朝鮮)人、訛りのある地方人、被差別集落民、社会主義者らを数千人規模で虐殺した史実を、警察や政府資料に記録が残っているにもかかわらず、(現政権与党や東京都知事などが代表的で)「見たくないものをなかったことにしたい」「政治的に利用しやすい方向へ歴史を修正しようとする」動きを牽制する意味では、作られた意義は大きい。
そして、直接手を下していないものの、見ていることしかできなかった傍観者も同罪であり、歴史を知らないままでいた観客にも他人事ではない、という事実を突きつけてくる。
ただ、本事件に関しては背景に差別問題があることで、関係者たちが多くを語っていない。
僅かな裁判資料と、事件の被害者側の生存者で当時子供だった人が晩年語ったことくらいしか記録がなく、詳細がわからない。
そんな中で、ドキュメンタリーの手法で物語を構成することで、すべてが本当のことのように錯覚させられてしまうという点については、多少疑問も残る。
それと、監督の政治的主張がにじみ出るシーンやセリフがいくつかあると感じ、感情誘導しようとする表現がストレートすぎて拙く、そこにひっかかりを覚えました。
朝鮮人なら殺しても良いのか?まさにそう思った
1923年、澤田智一は日本統治下の朝鮮から、妻の静子とともに故郷の千葉県福田村に帰ってきた。澤田は日本軍が朝鮮で犯した虐殺事件の目撃者であり、それ以降妻を抱けなくなっていた。静子は離婚すると家を出て、船頭と浮気ををしたが、見ていた智一は自分のせいだと妻を責めれなかった。その日は9月1日で、関東大地震が発生し、多くの人びとが大混乱となり、朝鮮人が日頃の腹いせに女性を襲ったり、井戸に毒物を投げ込んだりして日本人を殺しているというウワサがが飛び交っていて、福田村でも朝鮮人対策のため自衛団を結成していた。9月6日、香川から関東に来ていた、沼部新助を親方とする行商団15名は次の地に向かうために利根川の渡し場に到着し、そこで、沼部と船頭との渡し賃に関する口論が発生した。その騒動により自衛団や軍隊、村長などが駆けつけた。日本人の証明書を役場で鑑定してもらってる間、沼部がたまたま飴売り少女に貰い、持っていた朝鮮の扇子によって朝鮮人と決めつけられ、1人の女性が斧を振り下ろした事をきっかけに、村民の集団心理に火がつき、大虐殺が起こってしまった。という実際に起きた事件の話。
確かに朝鮮人による犯罪も何件かは有ったようだが、日本人も火事場泥棒していただろうし、朝鮮人や中国人を特別視するほどの率では無かったらしい。なのに、朝鮮統治下で独立運動などをテロとして取り締まった日本軍の朝鮮での行動、日本に来ていた(連れて来られた)人たちに対する差別、またこの行商人たちのように被差別部落出身の人たちに対する差別、そんな差別が当たり前の時代に起きた悲劇だという事を知っておかないといけない、と思った。
朝鮮人なら殺しても良いのか、というごく当たり前の疑問さえ持てなくなるほど村八分を恐れ、集団心理や腰抜け新聞社の様子など、リアリティが有った。
日本人が殺されたから事件で、朝鮮人や中国人が殺されても事件にならなかったのか、やはり疑問が残る。
自分たちの先祖による過去の過ちを知り、今後に活かしていきたい、と強く思った作品です。
本当に多くの人に観てもらいたいと思います。
出演者では、澤田夫妻役の井浦新、田中麗奈、行商団の親方役の永山瑛太、船頭役の東出昌大、いつもの柄本明など、素晴らしかった、
朝鮮アメ売りの少女役の碧木愛莉が可愛かったのと、、井草マス役の向里祐香が色っぽかった。
若松プロ系製作の影響が大きすぎかなぁ
堪能できる映画 絶対見るべき
「内務省からの通達」
多様な人物は善悪に色分けされず配されて、「悪人を作らない」という演出が、かえって現代の誰にも起こり得るかもと提起してくるのです。
わたしが住んでいる千葉県の流山のすぐそばで、妊婦、婦女子を含む日本人9名が地元の自警団に殺されたという史実に衝撃を感じました。
まず、この事件を掘り起こした制作陣の気概を買いたいです。今年110年を迎えた関東大震災では「朝鮮人暴動」のデマが広まり、各地でいわれなく朝鮮人や日本人が殺傷されました。その一つ、千葉で実際に起きた福田村事件を題材としたフィクション。ドキュメンタリーを主戦場とする森達也監督が劇映画を初めて演出した作品です。地元に住む自分でも知らなかった歴史の闇に埋もれた惨劇。ここでは当時の世相を浮き彫りにし、殺されたものたちの名前と顔を取り戻し、当事者の目から語り直す力作です。
■ストーリー
物語は、香川県から被差別部落の薬売りの行商団が関東に向かうところから始まります。沼部新助(永山瑛太)を親方に初体験の少年も加えた総勢15人。
一方、日本軍による朝鮮独立運動の弾圧に心を痛めて、日本統治下の朝鮮から戻った元教師の澤田智一(井浦新)と妻の静子(田中麗奈)。古里の千葉県福田村(今の野田市)に戻って農業を営み始め、再出発を目指します。
そんな村では、シベリアで夫が戦死した咲江(コムアイ)は、夫の留守中に村の船頭、倉蔵(東出昌大)と関係を持っていました。そのほか、老いた父親井草貞次(柄本明)と妻のマスの関係を疑う息子の茂次(松浦祐也)など小さな村の中にも愛憎が蠢いていました。、
また軍の威信をかさに、のさばる在郷軍人会の分会長長谷川秀吉(水道橋博士)と民主主義を信奉するインテリの世襲村長田向龍一(豊原功補)とはことあるごとにぶつかっていたのです。
そこに大地震が発生。避難民からもたらされた「朝鮮人蜂起」のうわさに、村は騒然となります。
「朝鮮人が日本人を襲っている」とのうわさが日増しに大きくなり、村では自警団を組織。地震から5日後の6日。村に入った行商団のリーダー新助と船頭の倉蔵の言い争いをきっかけに自警団の一人が行商団を問い詰めるのです。朝鮮人ではないのか!と。
その結果朝鮮人と誤解された香川の行商団の15人のうち、妊婦や幼児を含む9人が殺害され、6人が生き残ってしまいました。後に全員が日本人、香川の被差別部落出身者だったことが分かるのです。
■解説
デマは日韓併合に始まる朝鮮人への差別意識が招いたものですが、被害者側の部落差別の関係者が口を閉ざし、その後の検証を難しくした面があります。映画ではほかにも職業や性別など重層的な差別の構造を通じて、一見のどかな村落共同体の排他性をあけすけに描かれます。
背景に、韓国併合以来の韓国での独立運動の高まりと、反日感情を警戒する日本で強まった朝鮮人差別があります。地元紙の記者楓(木竜麻生)は、震災後の凶悪事件発生を報じる記事を、犯人は“主義者か鮮人か”という決まり文句で結ぶことに抵抗します。多様な人物は善悪に色分けされず配されて、一人の中に差別も偏見も、善意も持ち合わせるように描かれているところが、森監督のこだわったところ。
森監督は、「悪人を作らない」演出に神経を配ったそうです。加害者となった自警団も、村や家族を守ろうとした市民であるという視点を忘れたくないからです。「あくまで、普通の人がなぜやってしまったのかに焦点を当てた。その場にいたら、自分は加担しないと言えるのだろうか」という森監督のインタビュー記事は、胸に迫りました。
ドキュメンタリーではなく、劇映画を選んだのは当時の資料が乏しかったこともあるようです。事件は長年タブー視されてきましたが、たとえ劇映画の形でも歴史の闇に光が当てられたことは、意義があることでしょう。
地震を契機に不安と恐怖が噴出し、流言飛語に点火されて惨劇に至ったのはどんな状況だったのか。平凡な人間がいかに集団的な狂気に至るか。資料の隙間を想像力を駆使して埋め、真実に肉薄できるのが虚構の力。製作、俳優陣の気迫と覚悟も感じられます。
主演の井浦も「目を背けたくなるような歴史を知ってこそ、良い方向に変わっていく未来がイメージできる」と強調しています。
■いまの日本につながること
私たちは、この作品が、いまの日本の当面している問題とそっくりかかわっていることに愕然とします。
たしかに差別で集団殺戮は起らないでしょう。
しかし森監督出発点となった、オウム真理教の教団内部を撮ったドキュメンタリー「A」(1998年)を思い出すとき、本作のようなことが現代でも起りかねないことを想起させます。
監督が接した信者の一人一人は善良で穏やかで、「凶悪集団」と いうイメージから、かけ離れていました。「でも同時に、命じられていたら、地下鉄にサリンを撒いていただろうな」と信者たちは語るのです。「なぜ普通の人が、こんなことやったのか。その問いが自分の中にずっとあった」と森監督は語ります。
ましてネット社会となった今日。この事件が起こった当時よりも、デマの拡散は一層容易に起こりやすくなっています。それを一層顕著にしていることが活字離れと思考力の低下。ネット動画を倍速で視聴し、情報源にしているとセンセーショナルなデマに感情的になりやすくなるのもも当然でしょう。
根拠のないデマの流布だけでは、炎上する人物や集団のいのちをとられることはありませんが、社会的に抹殺されて、名誉回復は困難になってしまいます。
それが本作の事件のように、たったひとりの囁いた不確実なコメントが拡散されて、大炎上を招くのです。
そういう集団心理の狂気を描いた本作の決して100年前の出来事ではないという主張は強い説得力を持つのです。歴史の闇を掘り起こしただけの迂遠な作品ではないゆえんです。
■最後に
本作は群像劇をうまくさばいています。
まずは「顔」が見えます。加害者も被害者も顔をしっかり映すのです。とりわけ、在郷軍人や自警団、村人一人一人、村長らの顔が見えます。多くの人物が登場する群像劇でありながら個々の内心を想像させるのです。それは、事態の緊迫度が増すにつれて強い震動の源となって押し寄せるのです。
また行商の薬売りを朝鮮人と誤解した村人の擦り半鐘で、在郷軍人や自警団らが集まってくるシーンでは、地元の警官は、署に帰り身元照会をするから待てと村民を落ち着かせますが、在郷軍人の面々や自警団は収まらず、押し問答を経て、意外な人物が虐殺のきっかけとなります。
祭り囃子のような太鼓の音がとどろく中、本能で逃げ、本能で追う両者を、それまで固定カメラで撮っていたのから、手持ちカメラに切り替えて緊迫した映像で映し出します。 その瞬間は、善悪の構図だけで捉えきれない。一種のトランス状態でした。
手持ちカメラながら画が大揺れすることはありません。いかにもドキュメンタリー監督の劇映画らしさを裏切る手法が、新鮮に感じました。
■繊細なディテールは特筆もの
救いようのない結末に向かう物語は、行商団と朝鮮飴の売り子の交流など繊細なディテールに満ちています。犠牲者の一人は臨月の妊婦でした。お胎の子が生きる時代には平等な社会になるよう、一同が願う場面があります。100年後の現実は果たしてどうなっているのでしょう。
世にも恐ろしい事件が何故起こったのか?それを知れるだけでも見る価値有り。
関東大震災後の混乱の中で、在日朝鮮人へのデマが流れる。
「あいつらは日頃イジメられてるから、この混乱に乗じて屋敷に火をつけたり、井戸に毒を流したりしている。朝鮮人を見つけたら殺せ!」
そういった世論の中で、部落出身の行商人が朝鮮人と勘違いされて、村人に襲われてしまう・・
なんとなく聞いたことはあったけどよく知らなかった事件だが、映画を見ると当時の社会情勢や雰囲気を感じられてよくわかる。
映画としては中盤まで続いた、事件と関係のない村での情事。これが長すぎた気がする。
あと疑問だったのが、行商人側が朝鮮人と間違われそうになり、一触即発の場面なのにやけに大人しかったこと。部落出身なので差別されるのを諦めてるのか?
役所の証明書を待ってくれと言うなり、謝って立ち去るなりできそうな気がした。
面白くはないけど、見る価値ある映画だと思う。
あたしの名前は!!!
恥ずかしながらこの事件の事を知りませんでした。
無料パンフをゲットした際、珍しくちゃんと全部読みまして。。
わずかなその序説だけで、ゾクッとしたんです。
え。何で。こんな事件があった事を知らずにいたなんて。。
すぐに関連書籍を調べて、唯一ヒットした、辻野弥生先生の「福田村事件」を購入し読みました。
先生が千葉県で関東大震災の取材中に野田市のある住民から、福田村事件について書いて欲しいと依頼されたそう。
地元ではこの事件はタブーで、
「野田の人間ではあと50年は書けない」と。。
映画のEDでも説明されていたように、事件の事は活字で残された物はほぼなく、皆、口を塞いでいたそう。
「これ以上事件を蒸し返さないでほしい」
「せっかく忘れかけていた事なのに」
などの声も多く、取材中はかなりの葛藤とご苦労があったそうです。
そんな中、わずかに残る当時の新聞を頼りに取材を重ね、2013年に書籍化!
(しかし、出版元の廃業で絶版に。。)
そんな過程を経て、関東大震災から100年目にあたる今年の6月に再販が決まり私も手にする事が出来ました。
当事件の映画化で注目されたのもありますね。
福田村事件について記された貴重な本なので、機会があれば是非読んでみて欲しいです。
さて、本作なのですが、あらすじが全てなので敢えて書きません。
災害などの非常時に流言が発生し広がる理由として「急な不安」が大きな要因だと思います。
そして、その不安の蓄積や流言の広がりが、弱い立場の人々への攻撃に変わっていく様は、悲しいかな100年前の人事ではありません。
それこそコロナが感染拡大した時は世界中が一気に不安になったし、感染してしまった方々への暴言も聞かれました。
不安を抑える為なのか、誰かを攻撃する事へと向かう心理状態は現代人も同じだ。
そして権力のある側に加担し、情報操作したり、真実を報道しない新聞社。
(マスコミ)
これだって今のJ問題に通じる所があると思う。
歴史って。。
人間の過ちの過程を知る事ができる教科書だ。
よく「悲惨な歴史は繰り返すな」みたいな文句を耳にしますが、きっちりしっかり過ちを繰り返し続けて今に至っていると思います。
しかし、今の日本でこの題材をとりあげ、映画化したことは、大変意味のある事だし、製作陣の勇気を感じます。
現に私も知る事ができました。
映画として考えると。。
主人公(新ちゃん)の役割?が薄い。。ん?違うな何だろ?必要性かな?
PTSDについても、例えば、フラッシュバックに苦しむ様子や悪夢でうなされるシーンなどがあれば、説得力が増した?
4年間も妻(麗奈ちゃん)にさえ告白できなかったのに、その過去のトラウマを語るシーンも若干物足りない。
瑛太はそのイケメンがやや邪魔になったか。。
コムアイちゃんはすっかり女優さん。
良い味出してました。
そしてまさかの!
東出君が色気ムンムンでビックリしたw
お久しぶり。こちらも色っぽい麗奈ちゃんを何の躊躇もなく頂いちゃうのは好きでしたw
登場人物が多いですが、それぞれの背景や立場による考え方の違いなども丁寧に描かれていました。
集団心理による普通の人々が鬼畜になっていく様子もリアルでした。
自分も、あの時代の福田村の住人だったらと考えた時。。
ヤらないとヤられる。。
当時の人々が襲われたであろう恐怖が想像できてしまいます。
よく、この手の作品は、
若い人に観て欲しい!と言われると思うのですが、イヤイヤ、今の若い子の方がよっぽど柔軟だし、グローバルだから!
私のような40代〜の頭の固い世代こそ思考のアップデートをすべきですわ。
出どころ不明なデマに踊らされパニックになり、とり返しのつかない事をしでかすのって。。
この世代じゃん。。と思ってしまうのも偏見でしょうか。。^_^
しかししかし!
レイトショーで鑑賞しましたが、先輩方で大入りでした。
上映後、若干思想強め?の方2名ほどの力強い拍手におののき軽い尿漏れw
(ウソです笑)
いや、でもやっぱり!
こんな事実があったという事を知るだけでも価値がありますので、全ての年代に観て欲しい作品です。
怒りと悲しみで涙が止まらない
何が起こるか分かっていたけれど、その理不尽さと、そう仕向けられていく人々に怒りと悲しみが止まらない。
人々が恐怖やデマや集団心理で、狂気に駆られていく姿は、漫画の「デビルマン」の最終章や、名作小説から映画化された「蠅の王」にも通じる。
そして、流言飛語の元となる群集心理を作り上げていく、警察、軍、政府、報道。「ジャーナリズムは権力を監視する」という本分を忘れ、権力側のスポークスマンになってしまう新聞の罪深さ。
こんなひどいことが行われていいはずがないと感じる一方、マスコミやジャーナリズムは今もこのときと変わっていない。権力側に都合の良いニュースしか流さず、都合の悪いニュースにはだんまりを決め込む。綿々と今に続いている問題だと思う。
現代においても、同じ問題は起こりうるし、戦争で人を殺すことが愛国であると思わされてしまいそうで怖ろしい。
小規模上映だが、クラファンで制作されたとのこと。このような映画をこれからも世に出し続けられるよう、また、映画としても非常に良く出来た作品のため、多くの人に見て欲しい。重く苦しいが、緻密に重ねられている多数の人の視点と感情がドキュメンタリーではない、素晴らしい劇作映画として心を打つし、おそらく今後高く評価されると思う。
また、個人個人丁寧に描かれた俳優陣が全員とても素晴らしいが、特に永山瑛太と東出昌大は役にぴったりだし、井浦新と豊原功補の立ち位置は、正当だけど腰が引けるという自分に一番近い人間かもしれない。水道橋博士は最後まで分からず、大変な役者ぶりだった。必見。
無知の知、最後まで惹き付けられた。
事件のあった場所の近く、松戸で鑑賞。
9割くらい席が埋まっててびっくり。いちばん広いところで放映すればいいのに、ちなみにその後見た山田洋次監督作品は1割以下。
関東大震災でたくさんの方が亡くなったことも知っていますし、朝鮮人の虐殺があったことも知っています。が、どちらも知識として、テレビで見た程度です。
実際に映像で観るとかなり辛いものがあります。
もちろん、虐殺してしまった当時の日本人は罪深いとは思います。ただ、この映画ではそれを単に「悪」で描くだけではなく、もちろん美化もしていない。とてもバランスが良いと思いました。
歴史では、民族ということで殺されてしまった事件は多々ありますが、日本人も同じことがあったことを知るべきだし正しく理解していたい。
同時に、戦争=「悪」として考えることを停止しているのは良くないと思います。
現在も、朝鮮人と中国人は、正しい知識も無く一方的に文句言っていますが、同じことが日本人にも起こっているのかも知れません。
映画としてもとてもよく出来ていて、最後までどうなるのか惹き付けられました。俳優陣の素晴らしさもありますが、演出も良かったと思います。
強いて言うと、ちょっと長いこと、朝鮮人差別と部落(穢多)差別、らい病差別、女性差別など、テーマが満載すぎること、方言が強すぎて何言ってか分からないところはちょっとマイナスかな、、
それでも観終わったあとの、凄いものを観たと思います。公開される劇場が増えるといいですね。
アンダープレッシャー
我が国の近代史にて記憶されるべき恥ずかしい悲劇。この事実が映画化されること自身、日本文化の、日本映画の進歩だ。森達也監督初の劇映画との情報だけで見ていたが想像以上に幅広く絡み合ったドラマに驚くも脚本に荒井晴彦と佐伯俊道という名前を見つけなるほどと思った。
全体に大正時代の地方の生活が丹念に描かれ、同時代でも都会が舞台のリボルバー・リリーとの違いなんかも気になったわけである。そして田中麗奈と井浦新、コムアイと東出昌大、柄本明ら、永山瑛太らのグループが複層的に描かれ、水道橋博士や豊原功補や退役軍人たちまですべての登場人物が何らかのプレッシャーを感じている状況が事件の遠因として理解される。さらに外部情報のインプットが新聞などに限定されていることも。
役者では東出昌大はやっぱり色気あるなあと改めて。ただドラマ要素としては田中麗奈と東出はあそこまで描く必要はなかったのではと思う。
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