福田村事件のレビュー・感想・評価
全371件中、301~320件目を表示
戦争の爪痕
虚しい…
映画を見て身体が震えたのは初めてだった。
身体が震える程の恐怖は、東日本大震災の津波の映像を見た時以来だ。
「本当に怖かった。」
この事件を私は知らなかった。
以前、別映画鑑賞時に本映画の予告を見たことがきっかけでこの事件を知ることとなった。
とても惹きつけられる予告映像だったので、強く印象に残ったことを覚えている。
その時、この映画は絶対に観なくてはならないという謎の使命感を抱いた。
と、大袈裟に書いたが、実のところは
「この企画は、森達也監督がNHKや各配給会社にこの企画を提案したところ全て突っぱねられたから、自分で映画を撮ってやろうと始まった」という制作秘話がある。
もしかしたらDVD化もサブスク配信もされないんではないかという焦りから、急いで映画館へ駆け込んだというのが本音だ。
事前に予習をしていた為、大まかな事件内容は知っていたが、これを映像で見せられるとなるとかなりの覚悟が必要だと思った。
この上映が終わった後、自分がどんな感情を抱くのか予想した。
「憤怒」か「悲壮」か…
そして「熟考」した後に何かしらの言葉を紡ぐのだろうと…
そう思っていた。
その結果は「虚無」だった。
鑑賞中、急激に血の気が引いて行く感覚に襲われた。
様々な感想が頭の中を駆け巡っていく。
「完全にディストピア…」
「どうして、村人達は駐在の確認を待てなかったの?」
「本当に朝鮮人が怖かったの?人を殺す為の大義名分が欲しかっただけじゃないの?」
セリフにもこだわりを感じた。
事件前に登場人物達が発したセリフが、事件発生から事後に起こった事の皮肉になっている。
例えば、「教育は大事」と言っておきながら、風評を疑いもせず、怖いという理由だけで無抵抗な人間を殺したり、
「天皇は俺たを助けてくれない」のようなセリフがあったが、大正天皇が崩御すると福田村事件の逮捕者は皆釈放されたりと
なんとも胸糞悪い…
登場人物に誰一人清廉潔白な人物は居らず、皆が生きていく為に、家族を守る為に、欲望を満たす為に、自分たちの主義主張を正当化する為に何かしらの悪い部分を持っている。
中にはまともな意見を持っている人もいたけれど、残念な事に100年前の世界線では、その価値観はマイノリティだったようだ。
「俺は待てと言った」とどんなに主張しても殺された人達は戻って来ない。
「どんなに自分達を正当化しようと、朝鮮人であろうと人を殺してはいけない。」
事件から100年経った今、このような発言をしたとしても非国民だと罵られたり、逮捕されることは無いし、その価値観は殆どの日本人に共有されている。
【私は、今の日本に生まれたことを心の底から幸せだと感じている。】
最後に一つだけ言いたい。
この映画は絶対「PG12」では無い。。。
不穏な空気感、惨殺シーン、所々のエロ要素など含めるとR15以上は必要だろ!
というクレームを1件入れて、今回のレビューを終わりにしようと思う。
やりきれない
終盤のキャラクターの交差が良かった。 森達也監督は"多声性"と仰っ...
虐殺は続く
「福田村事件」を観る。あまり好きではない「映画はプラカードではない、映画の出来としてどうかだ」という言説があるが、この映画は群像劇として非常に素晴らしくて、そこは軽々とクリアした上で戦争が差別を生み、その差別を温存し増幅させる今だにこの国に存在する社会構造を告発する映画でした。
「菊とギロチン」の桐生麻生さん演じる新聞記者がその差別を増幅させるシステムを担う機関に成り下がった新聞社を糾弾するシーン、これは朝鮮人虐殺を無かったことにしようとする権力に抗うことのできない今のこの国のマスコミへの糾弾でもあるよね。
あと、題材に朝鮮人ではなく朝鮮人と間違えられた日本人が虐殺された福田村事件を取り上げたことに対する疑問も出ていましたが、あの時に日本人が朝鮮人に何をしたのか、朝鮮半島で何が起こったのかということは重要なシーンでしっかりと描かれています。
ピエール瀧さん、豊原功補さん、水道橋博士さんらが、それぞれ「かつて理想を持っていたのにファシズムに屈した記者」「デモクラシーを唱えるが全く体現できない村長」「愚直に国体に身を捧げる男」を演じていて素晴らしかったです。博士、この役は大変だったろうな。
日本人として見ておくべき作品
公開前から気になっていたので鑑賞。
関東大震災直後の朝鮮人の流言飛語が飛び交う混乱した状況で福田村で起きた行商団15名が虐殺事件に巻き込まれた実際の出来事を描いています。
関東大震災が起きて100年という節目にこういう作品が公開される意義は大きいし、多くの人に見てもらいたいと感じました。
ただ上映時間が137分とやや長めなのが気になりました。前半の様々な人間関係を丁寧に描きたい気持ちは理解できますが、実際の衝撃的な出来事との乖離が大きく前半の地味なドラマ部分の回収も微妙な気がしました。
しかし今見ておく価値のある映画というのは変わりないので興味が少しでもあれば映画館でご覧ください。
出演者はもちろん作品完成に協力した関係者の苦労が少しでも報われることを心より願います。
永山瑛太、豊原功補が個人的には良かったです。
ちなみにテアトル新宿は昼の回から満員御礼でした。
日本人必見
見るべき価値のある映画。
平日の10時台の上映に行ったがほぼ満席。連日続いているとのこと。このような映画に関心のある人がたくさんいるのだ。
関東大震災の朝鮮人虐殺とともに、売薬の行商団の同じ日本人を朝鮮人と決めつけ虐殺した本当にあった事件をもとに映画化したもの。その事件の様子はリアルで迫力があった。
ルポライターの辻野弥生さんの本が元になっている。
単にそのときだけの人間の心理状態がそうさせたのではなく、そこには軍部や元軍人の力、戦争、出兵、韓国併合、朝鮮半島での独立運動激化、日本人と朝鮮人労働者、天皇制、民主主義、社会主義への弾圧、言論統制などがさまざまな形で日本人の心を歪め、朝鮮人への恐怖心、差別意識が醸成されてきたのだ。それは、どこにでもある日本の日常生活の中に潜んでいた。
常識ある冷静な人たちも出てくるがそれは少数で、力で押さえつけられる。
朝鮮人なら殺してもいい。
それにしても100年前の事件がひた隠しにされ、殺害した住民も自分たちは国のために国の通達で自警団を結成し自分たちの地域のために立ち上がったのだと。
見たこともないのにデマを流し続ける人たち、国もそれに加担する。真実を伝えるべき新聞社も正面切って立ち向かおうとしない。若い記者が自分が実際に見てきた事実を記事にすることも待ったが掛かるという葛藤。
映画を通してこのような事件を初めて知った。森達也監督に感謝である。
永山瑛太、東出昌大、豊原功補、松浦祐也らが迫力ある演技をしてくれた。中でも、大正期の井浦新とその妻、田中麗奈が大人のエレガントな女性としてひときわ目を引いた。広島を舞台とした「夕凪の街 桜の国」(2007年7月)から16年経ったのだから。
今を生きる私達が観るべき、識るべき重厚な一本
1923年9月6日
100年前の今日
福田村事件が起きた
公開中の森達也監督の映画で初めてこの凄惨な事件を知った。
関東大震災の騒擾の中で香川県の薬行商人の集団15人のうち幼児や妊婦を含む9人が、福田村(及び田村村)の村民により虐殺された事件だ。
大杉栄などの社会主義者や多くの朝鮮人がデマによって殺害されたことは有名だが、この事件も朝鮮人と疑いをかけられ、暴走する集団心理の狂気によって発生した。
朝鮮人差別だけではなく、部落差別、職業差別と重層的な差別構造が招いた事件だと思う。
100年立って日本人が理性的に進化を遂げた訳ではなく、人間である以上他者をラベリングし、異質なものを排除する性質は変わりはない。
今でも十分に起こり得るだろうし、自分が集団の中で加害者になることもあり得るだろうと思う。
そしてパンフレットが分厚い。
(映画とパンフレットはセット!)
そこには事件を25年に渡り追い続けた研究者がなんと映画の創りを批判する内容も載っている。曰く、史実とは異なる。
確かに、この映画は切り取り方によって功罪両面があるかもしれない。
しかし、今を生きる私達が観るべき、識るべき重厚な一本であることは間違いない。
柄本明、井浦新、田中麗奈、豊原功補、永山瑛太、東出昌大、カトウシンスケなど、名だたる俳優が集結しているのも頷ける。
狂気化する群衆心理は人間の本性(追記有)
関東大震災から100年という日に公開された実話に基づくストーリー
1923年9月1日は、関東大震災から100年の節目。関東大震災の直後、多くの朝鮮人が犠牲になった。朝鮮人たちが「放火している」、「井戸に毒を混入している」、「略奪をしている」などの流布やデマを信じきった民衆の行動が招いた惨劇だ。この映画で犠牲者の中心として扱われているのは、朝鮮人ではなく日本人である。現在の千葉県野田市にあたる当時の野田村に香川県から来た行商が朝鮮人と間違えられて惨殺されたのだ。この事件を本映画では被害者側からだけの視点ではなく加害者側からの視点で描く。正直、筆者が映画を見る前に思ったのは、日韓関係が改善に向かっている時期に、韓国人の反日感情を再燃させるようなものを日本人が作ったのかと直感したが、その直感は事件について無知な筆者の的外れなものであった。100年前に発生したこの事件は、特殊な環境で起きた異例の事件ではない。現代の世界中のあちこちで現在進行形で起きていてもおかしくないことであり、我が国もその例外ではない。どこでも起こり得る、誰もが被害者にも加害者になり得ると訴えているように思えてならない。
野田村という半ば閉ざされた空間で生きようとした3種類の加害者
この映画で加害者として扱われている野田村は、震災で大きな被害を受けたわけではなかった。しかし未曾有の災害、というより災害に乗じて根拠のない噂を信じた結果、在郷軍人会などが中心となって自警団を組織し、朝鮮人に対する差別意識、恐怖心に加え、最高潮に達した警戒心のあまり、たまたま香川から来て村に入ろうとした行商人を朝鮮人と決めつけ殺害してしまったのである。ただ、村の中の全ての人がそのような人達であったとはしていない。筆者は映画の中で殺害現場にいた人たちは3種類に区分した。1つ目は、前述の表現がそのまま当てはまる人たちだが、村の中で周りの人たちと支え合い村の中で生きていく人たち、つまり村の中心層である。2つ目は村を出入りする人たちを渡す船頭と自由や民主主義思想で村の人たちを啓蒙しようとする村長、すなわち、村で生きながらも村の外の世界に眼を向け、中心層をある種冷めた目で見ることができる人たちで、3つの層と中心層の中間層である。3つ目は村で生まれ育ちながらも村には馴染まず村の外の人となったもの(朝鮮に行って帰ってきた)と新聞記者であり、ほとんど外側で村を客観的に見ている外層である。
殺戮に手を下していな人も加害者として描写
この事件で起きた殺戮で、第一の中心層の人々は当然直接の加害者として描かれている。ただ、第二層、第三の層の人たちも加害者と見ている。第三の層は、朝鮮人がこの機に乗じて放火や略奪などしてるなどということが事実でないことや政府や新聞までもがデマの流布に加担していることを知りながら、歯止めを掛けられなかったという意味での責任である。第二の層は、第三の層ほどの確信は持っていないが、第一の層より外の世界との接点があり、デマや流布を鵜呑みにしないで良心に基づいて行動しようとするが、結局は村人として生きていかなければならない境遇に囚われて、目の前で起きている殺戮を止められなかった責任である。
悪意ある情報に脆弱な中心層
冷静に考えれば、日本に滞在している朝鮮人たちも同時に被災して困窮しているはずだから、そのようなことは起こらないだろうし、そのような噂が立っても広がらないだろう。しかし、行政やメディアまでもが根拠のない噂を拡散した。そうした情報を鵜呑みにして、忠実に守ろうとする人たちが野田村の人々だった。彼らは農村として団結して生活し、お国が兵隊を出せと言えば命を投げ出す志願者を出す。伝統を守って生活し、なかには色事などで揉め事も起こるが、最後は村民として団結して生きる。昔も今も変わらない自分の置かれた境遇に反発心もありながら、受け入れ必死に生きていく決して特殊とは言えない人々なのだ。これを特殊だと言えばみんながそれぞれ特殊であるということではないか。不貞など今でもあるし、これからもなくならない。普通選挙も始まっていないから政治は上の人がやることで自分たちは従うしかない、変えられないと思っているし、実際に変えられない。今の人々にも選挙権は持っているが行使しないで、自分たちは変えられないと思っている点で当時の人とは全く違うと言い切れるだろうか。
(追記)
他の方のレビューを拝見していると行商の親方の最後の言葉に反応しているものが少なくない。確かに平等を訴えている言葉を発した後に自分の夫が朝鮮人に殺されたと思い込んでいた女性に殺され、それが堰を切ったように虐殺の場に発展したのは衝撃的なシーンであった。ただこの部分は実話だろうか?裁判の証言記録を見たりして書き上げられたのだろうか。混乱した状況で何がトリガーになったのかが検証されたのか。映画を通じてメッセージを伝えたい思いが出ているのはわかるが、割り引いて冷静になって考えてみても良い気がするのだ。
きさまも悪魔かもしれんな、おい
史実をもとにしたフィクションなので、誰が殺されるかはわかっているのに、いよいよ殺られるというところまでは「朝鮮人と間違えられないでくれ」と思ったが、
「朝鮮人なら殺してもいいのか!」という行商人の叫びでハッと「否」と気づいた直後からの虐殺。
脚本・演出・役者の仕事にまんまとしてやられたとも言い訳できるが、ここは素直に自分を恥じたい。
人種性別職業出自いかなる理由であれ差別、ましてや殺人などは絶対に許されない。
平時ではそう思っている。
しかし条件が重なってしまうと、思想とは真逆の行動をとる可能性がある。悲しいかな私たちには。
拙文のタイトルは永井豪の漫画「デビルマン」の一節。国が作った「悪魔狩り部隊」が人間の中から悪魔をあぶり出すのだが、見た目では人間と悪魔、ましてや悪魔と合体した人間「デビルマン」の区別はつかないので、今作「福田村事件」と同じく、結果的に無差別殺人となってしまう。
差別を防ぐ努力は大切だと思う一方で、歴史は所詮繰り返すという諦念感を少なからず私は持っている。今般のSNSを眺めるだけでも、残念ながらその思いは増長する。
それでも、少しでもこうした悲惨な事が起こる可能性を下げるためには、「個の確立」以外にないと私は思う。回りの目ばかり気にして同調圧力に屈しない気構えが必要だ。大切な人を守るためには、知恵も必要。批判覚悟でいうと、「殺すより、殺されるほうを選ぶ」ことも必要かもしれないとまで思っている。
新しい映画ではなかったが、普遍的なテーマが冷徹な視線で描かれていていい映画だと思います。
特に水道橋博士には助演男優賞をあげてもいいんじゃないでしょうか。怪演でした。
100年前に起きた実際の事件だが、現代の日本で起きても全くおかしく...
劣等感と同調圧力と無知
私は6歳から東京、千葉に住んでいたのに福田村事件や亀戸事件の事を聞いたことがありませんでした。関東大震災後の朝鮮人虐殺について知ったのは10代半ばの頃で、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマが飛び交ったから、というもので、当時はどうしてそいういう発想になるんだろうと不思議でしたが、恨まれる心当たりがあったのだとは思い付きませんでした。朝鮮人だけでなく間違われた人やどさくさ紛れの殺人まで行われていたことにも驚きました。
差別は劣等感の裏返しではないかと思っています。
本作では、無知によって不安が増幅されて、集団パニックが起こる様子が語られています。正常な判断が出来なくなり、ごく平凡な人間が狂気に支配されていきます。
これは日本人として、人として、知っておくべき事件です。
映像作品としては、地震の再現はあれで良かったと思いますが、関東大震災をよく知らない人が理解できるように、被災の状況がどれだけ悲惨だったかの描写がもっと欲しかったところです。
あと、登場人物が多いけれど見た目が似通っているので、途中まで人物の区別がつけにくかったです。
智一はまた教職に就いてほしいなと思いました。
人間の命は平等である!
集団心理、先入観、そして相手を卑下して自分が優位に立とうとする醜い自尊心。
この話はもっとキチンと後世に伝え続けなければならない事件だと思いました。
そもそも、いくら国益だからって殺しても良い人間なんていません。戦争反対。
全371件中、301~320件目を表示