福田村事件のレビュー・感想・評価
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現在だからこそ必見
ドキュメンタリー出身の監督だからか事前の整理とセッティングがものすごく丁寧で、我々観客は登場人物達をそれなりに理解するのみならずちょっとした親近感すら抱くようになるが、後々何が起こるかはある程度知っているので前半から祈るような気持ちになる。
いざその日が訪れてからも事が重大化するまでは時間があり、なるほど官民結託した流言飛語はこうして一見悪意のない大衆によって街道沿いに広かったのだとよく分かる。(実際にどのように広がったのかを詳細に研究した書籍も最近出た。)
そしていざ事が始まる瞬間は呆気なく、誰もが「身を護る」「村を護る」とだけ思っている。そう。それは彼らの意思によるものではそもそもなく、それまでに国家権力とメディアによって周到に用意された分断と偏見と差別と、だからこそ「仕返し」されるのでないかという恐怖によって起こるべくして起こったことなのだと分かる…
そうした状況の前では、周到に配置されたいわゆる「リベラル」な人々が如何に無力かということも。
観れば分かる。これは「100年前に起こった僕らに関係ないこと」などではないと。誰もが今まさに思い当たるだろう、彼らの姿は僕らの姿だと。僕らはことほどさように、簡単に鬼畜に、殺人犯になり得るのだと。我々は差別主義者で虐殺者たり得るのだと…
こうやって白日の下に曝し記憶し反省することによってしかこの罪は贖えないんだと。
劇中、行商人一行が「日本人か否か」を誰何されるが、観客誰もが考える『朝鮮人なら殺してええんか!?』というセリフが虐殺の始まりとなるのもまた良く出来ている。
劇映画として良く出来すぎているためにすべてフィクションなのではないかと考えてしまいそうになるが、おそらく若干マイルドにされた事実なのだと心に刻む必要がある。
欠点があるとするなら、みな役者さんなので少々小綺麗に過ぎることと、朝鮮帰りの奥さん(田中麗奈)のエピソードが不要に思えたことくらい。
多分望んで出演されたと思しき豪華出演者の方々の演技も素晴らしいものだった。
震災100年目で、朝鮮人虐殺の『事実』を否定する政治家どもが大手を振っている現在だからこそ作られる意味があるし、必見の作品。
分断は悲劇を生む
久しぶりに映画を観ることができた。事実に基づく悲しい事件。
今だって、例えばロシア人だから悪じゃない。社会主義の夢は潰えた。
新聞は提灯記事を書いても存在意義を失いつつある。
敵って何か。憎しみの連鎖が悲しい。
恐ろしく激しい作品
その時の時代がそうさせたのでしょうが、これが真実であるとしたらとても恐ろしく悲しい事件です。
根拠もなく、噂だけを信じた国民が、国のためという後ろ盾だけで殺人を犯してしまう。
人を信じた町長や真実を報道したい新聞記者の弱い立場が当時の日本の政治だったのでしょう。
この事はもっと国民が知らなければならないと感じました。
そこじゃない気が...
そーだな…
時代背景が過分に影響してるからなー、
戦争とか、村という閉鎖的なコミュニティとか、
差別が肯定できてしまう時代の流れとか…
わたしは、この事件、この作品で知ったのですが、
個人的には、映画としてデフォルメされたものじゃなく…
殺戮のシーンが観たいわけじゃないし、事実をもっと知りたいな、と。
ドキュメンタリーで、きちんと知りたいな、と思いましたー。
作品としては、テンポが悪く長く感じました。
補足
殺戮のシーン、歌舞伎の見せ場のように煽るような打楽器のBGMが、
とても苦手でした。
そこじゃない、そうじゃないって、気がしてしまいました。
もっと、それぞれの気持ちを知りたかったです。
弱さと愚かさを持つ人なら胸をえぐられる映画
凄い映画でした。
今年のマイベストワン。クライマックスでは身体が震えるほど泣いた。
関東大震災に乗じた日本人による朝鮮人の大量虐殺。しかも発端は内務省が流した誤報、つまりデマ。市井の人が朝鮮人を殺さないと自分たちが危険だと狂乱状態になり、朝鮮人とみるや竹槍や銃で次々に殺戮。しかも、日本人や中国人なども誤って殺されている。自衛意識もあったとは思うが、根本は差別意識。
しかも福田村事件は、香川県からきた薬の行商団が朝鮮人と勘違いされ、子どもや妊婦も含む10名が殺された無惨な事件。
自分たちが下に見ている人間は酷い目に遭わせてもやむなしみたいな、歪んだ選民思想は、現代も感じることがある。
本作が描き出す人間の弱さと愚かさは胸をえぐります。
あらすじの核は上述の行商団虐殺ですが、誤報を訂正しない地元新聞社と若い記者の対立や、共産主義の日本人の役者が斬首された話(これは史実)なども織り込まれ、当時の社会に巣喰う病巣を何層にも描いています。
作品は重苦しいだけではなく、エンタメ要素もバランスよく配合されているので、140分集中して見ることが出来ました。
もしお近くで上映中ならば、ぜひ劇場でご覧ください。
違和感
作中人物の言葉が、違和感があり、集中できませんでした。
福田村とは現在の野田市にあたる。しかし、近隣は陸続きで言えば、埼玉県だし、川を越えれば茨城県。
で、話方ですが、語尾にぺをつけるのは茨城県。だいじ(大丈夫)と言うのは栃木県なんですね。それで違和感を感じました。イントネーションも聞いたことないもので、茨城県と栃木を足して割ったようなものでした。
勿論、緻密にリサーチされているのでしょが、疑問だらけです。私の無知なのかもしれません。
これが私の違和感です。
作品は、人種差別云々よりも、人がひとで無くなる瞬間に、本来人間が隠し持っている本性に、ただ、ただ、戦慄を覚えました。
悲しいけど観てもらいたい映画
戦争の悲惨さを描いた作品です。
おそらく、今もどこかの国で行われているガス抜き。
戦争に駆り出された若者の死が尊いのはもちろんだか、失った家族の怒りの矛先を朝鮮人に向ける大本営。
主人公が誰なのか分からないような、ドキュメンタリータッチで描かれています。
登場人物の背景の深掘りに手を抜いてなく、悲惨な事件が起こった世情を表現しています。
伏線の回収が素晴らしい。旅立つ少年に渡した〇〇や朝鮮人にお礼に貰った◇◇などの小物が後に意味をなしてくる。
見慣れた映画ほどのスケール感がないのは予算の関係だろうが、退屈せずに鑑賞出来ました。
本来の自分の意見を感じる勇気を貰いました。
戦争の爪痕…
日本人の悪い習慣を上手く描写しながら、今までに日本人が行動した悪行を詫びているようにみえた
日本人は単純で年上や位が上の人には絶対服従といった感覚が未だに残っている(儒教でも無いのに…)
自分に自信を持てない為に、強い者(その場のキーマン?)に巻かれてしまう…天皇制をひいている限り、この感覚の根底は覆されない とても悲しい民族日本
外の世界もちゃんと観て、その上で日本が良いと感じるかどうか 自分の人生人任せでは…
先生夫婦はどこに行ったのか…
流布される情報をただただ鵜呑みにするな
関東大震災の五日後、千葉県福田村の住民が香川の行商団を“不逞鮮人”(当時の蔑称)と誤認し殺害した事件を映画化。
敵愾心・恐怖心を煽る偏向報道と、異質な者を恐れ排除せんとする集団心理が招く悲劇。貴方の縋った情報は事実か? 自ら考え判断したか?
いまの時代だからこそ観るべき秀作です。
不要と思える人物描写(特に男女関係)によるテンポの悪化など、劇映画としての不満はある。だが後半以降はまるで緩やかに加速してゆく悪夢のようだし、最終盤は劇映画であることを忘れるほどの緊張感・恐怖感・嫌悪感。
“異質”だからこそ外部の目で冷静に事態を判断できていた人々、そして血の通った“人間”への不当な扱いに怒りを燃やす人々。彼らの無念が伝わる終盤に泣いた。
恐ろしいのはまず、この事件が関東大震災直後の流言飛語による犠牲のほんの一部に過ぎないということ。不確かな情報を信じた民衆に殺害された朝鮮の人々は数千人に及ぶと言われているし、震災に乗じるようにして殺害された反政府活動家も存在する(本作でもそこは抜かりなく描写されている)。
もうひとつ恐ろしいのは、僕自身がこの環境に置かれた時に正しい判断が出来るか自信が持てない事。誰かの伝聞や侮蔑の声や組織に流されず、目の前の“人間”そのものを信じて行動できるだろうか?
役者陣について。
下手をすれば四方から叩かれ兼ねない題材にも関わらず、自ら出演を申し出たという東出昌大氏。あの大きな体躯が最後、小さく小さくうずくまる姿に、思わず目頭が熱くなった。
部落差別を受けてきた“えた”の立場として朝鮮の人々に同情を示す役柄の永山瑛太氏も見事。「朝鮮人なら殺してもええんか」の一言に内包された怒りの深さに震えた。
井浦新氏は観客あるいは作り手の視点に最も近く、真偽を見定める事の難しさも示す。過去を独白する場面の切実さよ。
田中麗奈さんは都会的で奔放・コケティッシュ。周囲の役と浮いて見えると思いきや終盤、その芯の強さと純真さが、この救いの無い物語における微かな光明になっていたと思う。
水道橋博士は一番の憎まれ役。最後の独白に怒りが沸き……すぐ引いた。「デマだと思わなかった」なんて泣き言が通じない事は、彼自身が一番分かっていた気がしたから。あれは誤った情報を信じ続けた者の末路。明日は我が身よ。
留意すべきなのは、本作は「為政者側の嘘を信じるな!」とか、そんな単純なテーマじゃないという点ですよね。監督自身も以前から述べてる通り、本作の物語もまた作り手の主観。どこまで信じ何を受け取るかは観客に委ねられてる。
劇中で流布される「震災に乗じた“鮮人”の犯罪行為」も、あの時あの状況で聞けば100%デマと断言できるだろうかという怖さを感じました(井浦新氏の「でも、やるかもしれない」という台詞が俯瞰的で見事)。しかし情報を鵜呑みにした集団が恐怖に駈られて動くと、もう歯止めが利かない。たとえそれが誤った方向に向かっていたとしても。
宗教団体・芸能事務所が絡む隠蔽・情報操作、SNSによる裏付け不詳の誹謗中傷やフェイク映像等々と、昨今ほどにマスメディアの信憑性が揺らいでいる時代も無いのでは。
流布される/されない情報には常に何者かの意図や目的があり、我々受け取る側はその中で一体何が正しいかを“各々で”精査しなければいけない。そして、意見が一方に偏るような状況を避け、ベストな選択を見定めなければならない。
とても難しいけれど、そういう事だと思います。
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追記:
映画の題材とは直接関係無いところで感じ入ってしまったのは、監督と役者の関係性の所。
先にも書いた通り、本作が必ずしも劇映画として優れているとは僕は思っていないんですよ。リアリティを削ぐメロドラマ的要素やテンポの点で。
だけどこの映画の登場人物達には、彼等の放つ言葉やその眼差しには、強力無比のリアリティがある。本物の怒り憎しみ哀しみを覚える。
監督の伝えたい物語に、映画の顔たる役者陣が、そして骨子を支えるスタッフが、血肉を与えて命を吹き込む。そんな映画の、超常的とすら呼べる力をひしひしと感じました。その点でも忘れ難い映画。
震災100年後に公開された事自体に大きな価値があると思います。
「東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。」この作品でも描かれていましたが、当時の内務省から地方警察長官に打電された通信文が導火線になって各地で自警団が結成され多くの韓国人(韓国人と間違えられた内地人)および社会主義者が殺害されたそうです。(日本の官報記載で528人。実際はさまざまな推定数値あり数千人規模になっていたとの説もあります。《WIKI》より。)
背景としては、韓国を併合したばかりで、当時強権的だった日本人の統治者も一部殺されていて、騒然とした世相があったのだと思いますし、自警団に殺害される可能性のあった300人の韓国人・中国人を守った神奈川県の警察署長もいたとの話も伝わっており、「日本人は残虐なのだ」と一概に短絡するのはこの作品をみた後でも、私はまずいと思っています。しかし、日本人の被差別部落民9人(妊婦・子どもを含む)を韓国人と誤認して殺害したという事実そのものを、容赦なく描くことで、逆に差別の無意味さや、群衆心理の暴走の恐ろしさを、見事に浮き彫りにしていると思いました。
顔や言葉を観ても、ゲノムの主成分分析を観ても、韓国人と我々は一番似ているわけ(本州・四国の日本人のDNAは10%が縄文人・90%が渡来人だそうです。)で、多分共通の祖先だったのではと考えています。しかし、祖先が共通でも、戦争や虐殺がおこるのは、中国4千年の歴史を観ても、現代の北朝鮮と韓国、ロシアとウクライナを観ても明らかであって、あまり意味はないのかもしれません。大事なことは、①こうした事件を確実に起こった「事実」として認識すること、②それはどのような条件で起こりうるのかを把握すること、③人間である以上、条件が整えば、同じ事はどの国でもいつでもおこりうることをしっかりと認識し、未然予防に努めること、なのだと思いました。
「なかったことにする」というのは一番安易な道で、一番避けねばならならないと思います。条件が整えばまた再発するのかもしれないのですから。この映画を観て思ったそのはその一点につきます。そして映画にしにくい素材をよくぞ映像化し、関東大震災100年後に公開してくれた。そのこと自体にこの作品の最大の価値があるのではと思いました。
今も脈々と続く集団リンチ
100年前の関東大震災のたった5日後に、当時の福田村(現在の千葉県野田市)において、流言飛語を元に本当に起きた地元の自警団員による香川県から薬を売りに来ていた日本人の虐殺事件。被害者には妊婦や子供たちもいたという。
その事件に至るまでの地元の村人たちのそれぞれの日常の変化や、被害者である行商人のストーリーが淡々と描かれ、ラスト20分に彼らが交錯し、酷すぎて直視することを避けたくなるような狂気の沙汰を見せつけられる。
映画で描かれた福田村事件以外にも、千葉県の検見川や埼玉県の妻沼町、群馬県の藤岡などでも同様の事件が起きており、この映画では日本人というよりも「人間」の負の側面、残虐性が浮き彫りにされている。
これらの事件は決して過去に起きた「昔の人」が起こした事件というだけではなく、学校でのいじめや、SNSでの言動による集団リンチなど、現在においても形を変えて脈々と受け継がれている。
この映画をただ心に留めておくだけでなく、テーマのひとつでもある流言飛語によって評判が広まり、多くの人にこの映画を見てもらいたいと、心の底からそう思った★
忘れません
NHK「クローズアップ現代」でこの映画が紹介されていて、この事件を初めて知りました。
殺される場面の残酷さに、どれほど怖かっただろうかと、胸が痛みました。鑑札を確認しに行った人も、早く帰ってきたらいいのに…。インテリ村長は、ダメだと言っておけばいい、自分は言ったからな、という感じで、迫力がない。でも、実際にあの場にいたら、私もああいう感じになるのかもしれない。
勇気を出してその人たちは日本人だと言っても、狂った皆には聞こえない。そのことがとても怖かったです。
現代は、あんなにあからさまな差別はなく、人を堂々と殺すのもあり得ないけれど、ネットでの誹謗中傷があります。人の中身なんて、そんなすぐには変わらない。今の私たちも、どんなきっかけで福田村の人たちと同じように暴発するかもしれない。
せめてデマを流す片棒を担がないようにしたい。
この事件を忘れないようにします。
台風に煽られ🌀福田村まで
マジで凄いの出来たな!🥹
友達に誘われたので今日まで我慢してた
100年前の事件ゆえに映像資料はほとんど無く、森監督は初めて劇映画(フィクション)に稀代の名脚本家 荒井晴彦氏と共にクラファンで映画化に挑戦、大手映画会社には全て断られ自主制作となりました😑
ドキュメンタリー映画だって製作者のフィルターを透過するから完全なノンフィクションなんてものはそもそも存在しない
しかし、30年前なら右翼にコ⭕️サレルかもしらんね😑
今も本質はちっとも変わらない上に、更に民度も地に落ちそうな愛しの我が祖国で製作した、真の勇気を先ずもって称賛だ🫶
エンドロールに我が名も見つけて、本当に応援してよかった、この映画に関わった全ての人たちを私はココロから誇りに思います😾
とんでもない
恐ろしい。
朝鮮を併合して一方的に朝鮮人を虐げてきたのに関東大震災では数千人の朝鮮人が虐殺され、今作の福田村では日本人まで惨殺してしまった事実。
この史実が恐ろしいし、そう書いてる自分も誰かがイジメられているのを見て見ぬふりをした事もあればフェイクニュースや一部のみ切り取られた動画をSNSで拡散した事もあり、本質では同じでないかと身体の芯が冷えた。
本当の事かも分からず流れてきた情報を信じて拡散し、無差別に加害に加担しているという意味では今でも同じような行為が繰り返されている。
福田村事件からもう100年経つのに、まだこんな事をしている絶望感。
猜疑心や差別意識、村社会の集団心理など人が抱きやすい要素が複合的に絡んでいるとは言え、それでも、何の確証もない中で一方的にリンチ殺人を犯してしまえる人間が怖い。ごく普通の人たちが変貌してしまう姿が怖い。その辺のホラー映画よりよっぽど怖い。
このおぞましさを直視していかないといけない。
問題の本質は、日本人が殺されたことではない
「日頃から酷いことしているので、どんな仕返しをされるか分からない。やられる前にやってしまおう。」という、理屈にもならない自分勝手な言い分がまかり通ってしまったことに暗澹たる気分になる。
過剰な防衛意識が攻撃的な残虐行為に転嫁していく様には戦慄を覚えるし、過激な群集心理に同調していく人々の姿を見て、自分だったらどうするだろうかと考えさせられる。
事件が起きる前、薬売りの集団を巡り「日本人か朝鮮人か」という押し問答が繰り返されるが、本当の論点はそこじゃないだろうとモヤモヤしていると、瑛太演じる薬売りのリーダーが叫ぶ「朝鮮人なら殺してもいいのか?」という問いかけに、「その通り!」と膝を打ちたくなった。
これは、部落民として苦汁をなめてきた者だからこそ発することのできる「差別」に対する問題提起であろうが、後から考えれば、「福田村事件」そのものに対する問題提起にもなっているのではないかと思えるのである。
朝鮮人に間違えられた日本人が虐殺されてしまったことが、この事件を「事件」たらしめているのだろうが、問題の本質は、日本人が殺されたことではなく、何の罪もない多くの朝鮮人が、差別や偏見によって殺されてしまったというところにこそあるのだろう。
そういう意味で、虐殺の引き金にもなったこの問いかけが、ことさら強く心に響くのである。
その一方で、虐殺に至る被害者側と加害者側の日常が丹念に描かれている割には、特に、加害者側が、どうしてあのような暴挙に走ったのかがよく分からないのは気になる。
仮に、村民たちが、日頃の鬱憤を晴らすために虐殺行為に及んだのであれば、彼らが溜め込んでいた不平や不満を、もっと明確に描くべきだったのではないだろうか?
逆に、夫が出征中に他の男や義理の父親と姦通したり、セックスレスに悩む妻が不貞を働いたりといったエピソードは、それはそれでインパクトはあるものの、本当に必要だったのだろうかという疑問が残る。
威張りくさった在郷軍人が虐殺を煽り立てたり、過去に朝鮮人の虐殺に加担したことを悔やむ元教師がそれを止めに入ったりという構図も、いかにも類型的で、ありきたりだと言わざるを得ない。
ここは、むしろ、普段は何の悪意も持たない善良な人々が、デマや流言飛語に踊らされて殺戮者に豹変する様を描いた方が、集団ヒステリーの異常さや恐ろしさを強調できたのではないだろうか?
いずれにしても、100年前の事件でありながら、今の時代でも十分に起こり得る出来事を描いているという点において、大きな教訓を与えてくれる映画であるということは間違いない。
全359件中、261~280件目を表示