福田村事件のレビュー・感想・評価
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エンタメに振られたとはいえ骨は十分にある
1910年に併合し、太平洋戦争の敗戦までの36年間、朝鮮/韓国を植民地とした日本。「我々日本」が当時行った蛮行は長い間封印されることとなった。歴史の授業で習うことはなかった。
思えばそれらを映像化して提示したのが映画だった。但しミニシアターでの上映がほとんどで、観る人は限られたのだが。
今作は日本を舞台に関東大震災(1923年9月1日)前後の狂乱を切り取った。
朝鮮人の反日感情が高まる中、反鮮人感情を高めんと偽りの情報で日本国民を操作する国家。震災を機に戒厳令を敷き多くの朝鮮人、そしてどさくさに紛れて社会主義者たちを排斥した。
そう、日本国家は朝鮮人を殺すことを正義とした。
千葉県の福田村では朝鮮人と疑われた日本人が確証もないまま虐殺された。
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豪華キャストで思いのほかエンターテイメントに振られていたのに驚いたけど、国家の犯した罪をしっかりコミットし、さらにSNSの情報に踊る100年後の我々へ辛辣なメッセージを送る骨のある作品だった。
馴染みやすいので多くの人に届くことを祈る🙏
てか、名古屋でも上映館が増えてる😱🙌
キツイ
こう言う映画だって事は覚悟決めて見に行ったつもりだった。
キツイ・・劇場出て直ぐ喫煙所で心落ち着かせたけどキツイ。
なんだコレは?人はあんなにも愚かであんなにも悲しいのか、コレが本当に有った事なのか。
実際に逮捕者も出て法的には裁きが下ったらしい、でも刃を振るった者だけが悪いのだろうか、本作でも描かれてたけど差別や偏見の目を持っていた者もそこに大きく加担してたんじゃないだろうか。
そして主犯格に当たるだろう水道橋博士も法的には殺人犯なんだろうけど、あの時代のあの立場ならそう判断しちゃうんだろうな、軍服に着られてしまった彼の姿には哀れみすら感じてしまった。
あの時代あそこに居たら僕もそこに加担していたかも知れない、いや、あの時代じゃ無くても学校や職場、SNS上でこんなの聞いたり見たりするんじゃ無いか?
知らない、考えない、正しさを見ない は愚かで悲しいんだと思う。
僕は昔TVで見たザンボット3に不条理な差別意識は持っちゃいけないと学びました、今もそれは正しい事と信じて疑って無いですよ。
この福田村事件を見た事も人生に必要で、正しい事だと信じてますよ。
善悪含めて人間は人間でしかない
少し前にNHKで関東大震災100年目の特番で、当時の記録映像を鮮明に処理しカラー化したものを見ていたのですが、その中で流言飛語による朝鮮人虐殺事件の話題もあり、本作がそれを基にした作品だという事で評判も良かったので気になり見に行ってきました。
鑑賞後思ったのは事件そのものにスポットを当てるというより、当時の人達の気質であったり当時の社会の空気感をより強調して描いた作品であって、個人的にはこちらの方が好みなので良かったです。
しかし、作品タイトルから事件そのものを丹念に描いた作品を予想した(期待した)人は、毎回ですが作品の質とは関係なく期待したものと違うというだけで文句が出ているようですね。
私自身勉強不足で、朝鮮人虐殺事件を描いた作品だと思っていましたが、作中に出てくる朝鮮人は朝鮮飴を売る女性(少女?)一人だけでしたし、本作の核にあるテーマは流言飛語による集団心理の怖さであり、人間の根本にある差別意識の複雑さを描いた作品だったように思えました。
本作の事件は後半の見せ場ではありましたが、前半から中盤まで複数の登場人物のオムニバス的な人間ドラマが並行して描かれていて、上記した様にどちらかと言うと当時の日本の“時代の空気観”を描くことを主体にした作品だった様に思います。なので、(一つ前に書いたレビューで)私が昔見た『ソルジャー・ブルー』という作品とジャンルも国も全く違うのに構造的にはそっくりの作品でした。
で、ここからは少し作品の話から脱線しますが、私は戦後生まれの戦後教育を受けて育った人間なので、一応建前的には「差別は悪い事」として教えられてきた世代でありますが、それから私が高齢者になった今も差別が無くならない現実も見てきたし、本作でも“差別”という根幹の部分はありますが、流言飛語・集団心理・パニック・ヒステリー・正義悪・(若しくは)偽正義、といった様々な今の社会問題とリンクする要素の詰まった作品の様に思えました。
上で『ソルジャー・ブルー』と似ていると書きましたが、アメリカの映画産業というか、アメリカ映画はずっとこれらの問題を手を変え品を変え、娯楽作品の中でもこれらをメッセージとして作ってきたように思え、だからこそ私たちが子供の頃に憧れたのは、上記した流言飛語・集団心理・パニック・ヒステリー・正義悪・(若しくは)偽正義に惑わされず(陥らぬ)自分自身を失わない人間をヒーロー像として描き続けてきた様に思うのです。だから、その逆の性質を悪として人々は考えられるようになった気がします。
しかし統計的にどうなのかは分かりませんが、現実は映画のメッセージは届かず、むしろ今の世界のネット社会を見る限りその思いは逆行して悪い方向に向かっている様な気もするし、今も昔も人間の本質は何も変わっていない様な気もするし、いやいや亀の歩みの様に物凄くゆっくりではあるが少しずつは良くなっているという見方も出来ます。
私たちの様に戦後教育を受けた人間でもそうなのですが、私たちの親世代の明治後期・大正・昭和初期生まれの戦前の教育を受けていた人達はどうだったのか?日本映画ではあまり描かれてこなかった部分を本作では描かれていて結構考えさせてくれることが多く勉強になった作品でした。
残念ながら失敗作
100年前の過ちを繰り返さないために
日本が軍国主義へと急速に傾いて行った時代。まだ閉鎖的なムラ社会がいたるところに見られた時代。
そして部落出身者や在日朝鮮人に対する差別が堂々と罷り通っていた時代。
100年前と今とでは社会状況は大きく違うが、これを過去の歴史の記録としてだけ捉えて良いのだろうかと考えさせられた。
コロナ禍もそうだが、非常事態に陥った時に人は冷静な判断力を失う。
そして混乱に乗じて国は権力者に都合の良い法律を通そうとする。
関東大震災では何の根拠もない流言飛語によって多くの在日朝鮮人が犠牲になった。
そしてそれを焚き付けたのは国であり、報道は言論の自由を奪われ、国に都合の良い情報しか発信しなかった。
今はそうではないと果たして言い切れるだろうか。
コロナ禍でもデマによって在日の外国人が襲われたというニュースが流れていた。
どれだけ情報が得られる世の中になったとしても、それを正しいものかそうでないかは個人個人がしっかりと見極めなければならないのだ。
この映画を観て、どのようにして拡散されたデマによって人々にイメージが植えつけられるか、そして集団心理によって人が凶暴化するかをまざまざと見せつけられた。
とてつもない不幸が襲いかかってきた時に、人は知らず知らず敵を作り出してしまうものだ。
そしてその敵はマイノリティな存在であることが多い。
弱いものがさらに弱いものを虐げる社会の構造は、今もそれほど変わらないのだと思う。
福田村事件で犠牲になった行商人の一行も部落出身者だった。
「日本人と同じように良い朝鮮人もいれば悪い朝鮮人もいる」
報道記者の恩田が部長に対して放った言葉だが、これが本来正常な人間の考え方だ。
しかし国や民族という呼称ですべてを一括りにしてしまう人間もいる。
それが緊急時であれば尚更だ。
国のお達しにより自警団を築き上げ、瞬く間に凶暴化していく村人の姿は恐ろしかった。
もちろんその土壌はずっとあったのだろうが。
そして彼らはそれを正義と信じて疑わない。
一度火がついた村人たちは信じたいものしか目に入らなくなる。
どれだけ村長が止めようと、どれだけ日本人であると説明しても、行商人の一行を包囲して村人たちは聞く耳を持たない。
そんな中で包囲された行商人の親方である沼部が口にした「朝鮮人なら殺していいのか」という言葉が耳に突き刺さった。
村人たちは物事の本質を何も理解していないのだ。
そして沼部の言葉がきっかけとなり暴動はエスカレートしてしまい、子供も含めた9人の尊い命が失われてしまう。
そして彼らが日本人だと分かっても、村人たちは村を守るための正当な理由があったのだと主張する。
これも国による洗脳なのだと強く思った。
関東大震災の混乱に乗じて、社会主義思想の人々を弾圧する軍の姿にも寒気を感じた。
日本の戦時体制が加速化するきっかけとなった関東大震災から100年、また同じ過ちを繰り返してはならないと強く感じると同時に、自分の頭でしっかりと情報を判断する力を持つことの重要さを実感させられた。
現代に通じるメッセージ
常識の向こう側
美醜善悪清濁。
世間の認識の反対側に、
常にカメラを置く森監督。
『A』と続編では教団側、
『FAKE』では本人。
本当に濁なのか、
世間がいうように悪なのか、
観客のみなさん、どうですか。
と。
本作は、
善悪清濁を並べて、
整理しないでそのままを観せる。
ラブシークエンスも、
整理しない、
醤油工場での経験に基づくセリフや、
通訳をした経験のセリフ、
のような、
活きたセリフのシークエンスを基準にプロットの整理もしない、
どこかに書いてあった事件をそのままセリフにしても活きないがそのまま。
ハンセン病患者が住処を追われるのは、
『砂の器』でもあった。
そんな清濁善悪美醜全部乗せ、
さあ、直列繋ぎで召し上がれと。
国籍による、
仕事や住処による、
病気などによる、
この直列繋ぎを、
五部作くらいの、
ドラマのような、
映画のような、
作品にすれば、
最近でいうと『三体』や『ダーウィン事変』のような、
エンターテインメントの
ちょっとしたパラダイムチェンジの、
可能性も孕んでいる。
もちろん、
パラダイムチェンジといっても、
古今東西の作り手にとっては、
普遍的な内容だが、
観客にとって、
繰り返し起きている現実に、
見ないふり、
知らないふり、
では済まなくなってきてるのでは?
という危機感が迫ってきているのかもしれない。
『i 新聞記者』の評はyoutube にアップしています。
何故、朝鮮人の生活を描かない??
マイナス面もある
多くの方が既にコメントされているので、そのプラスの評価には私も同意する。朝鮮人や部落出身者差別は決してあってはならないし、反面教師として現代社会でも十分留意していく必要があり、そこに一石を投じた作品として極めて高い価値がある。ただし、一方で気になる描写もあり、その点だけ述べさせていただく。例えば当時の官憲が朝鮮人犯罪を捏造流布したとの単純な前提があるが、果たしてそうなのか?実際犯罪はあったがために注意喚起が
されたという可能性はないのか?この映画やレビューではそこは完全に所与のもの(官憲による捏造犯罪)として取り扱っているが、疑問が残る。またうら若き朝鮮人女性一人を名前が朝鮮人名だというだけでいきなり警護団員が竹やりで突き刺すというのは、過剰表現ではないのか?これは韓国や中国の反日映画の日本人像そのままであり、こんな表現に異を唱えるスタッフはいなかったのか?更に朝鮮人被害者数が6000名としているが、これは諸説あり数百人~なかには6000人という説まで明確にはわかっていない数字であるが、これまた最大値の6000人が所与のものとなっている。これでは南京虐殺10万人のフェイクの数字(中国共産党の一方的発表の数字でこれは当初の数字から年々拡大していった)と扱いは同レベル。テーマや問題意識は素晴らしく決して否定するものではなし、福田村事件そのものは悲惨な事実として忘れてはならないが、このような周辺部分の表現はサブリミナルに鑑賞者に事実として刷り込まれてしまうリスクがあり、懸念が残る。その点恐縮ながら星一つマイナスである。
なかったことにはできないぜ
100年前の史実を基にしたドラマで、特別な筋書きはないのがドキュメンタリー監督の森達也らしい。それゆえ、どのように虐殺が起きたのかと、地震が起きてから次第に高まる不穏さに息苦しさが増していく。
政府(内務省)の意向に沿って偽情報を拡散するメディア。国や村を守るとイキって人々を扇動する男と軍人。不安に過敏で付和雷同で行動する民衆。弱い者がより弱い者を見つけて安心する心理。日本と日本人のクソな部分が100年前の事件に凝縮されている…と、実はそれらはすべて現代にも通じている話なのだった。
そんななか、当時としては奔放なコムアイや田中麗奈と、私生活から当て書きしたのかと思われるモテモテの矢切の渡し?東出君の姿には、事件と対照的な平和さがあってホッとしてしまう。
「地震のあとには戦争がやってくる」と阪神淡路大震災の後に清志郎が書き遺しているけど、東日本大震災から干支が一回りした今、Jアラートが無駄に鳴り響き、台湾有事が喧伝される…。負の歴史を繰り返さないためにも、まずは大年増の厚化粧(by石原慎太郎)や官僚のメモを読むだけのメガネに朝鮮人虐殺の歴史をうやむやにさせるべきではない。
群集心理の怖さ。
ピエール瀧・東出昌大・永山絢斗の兄の永山瑛太と、世間に賑わせている人が出ていることは吹っ飛ぶくらい引き込まれ、今年の中で衝撃度1番の作品になった。
関東大震災のあと数日間の千葉県福田村で起こった出来事。
混乱の中、香川から来た行商のグループが朝鮮人に間違われて10人(そのうち1人はお腹の子ども)殺された事件を再現した作品である。
朝鮮人だったら殺してもいいのか!
このセリフに尽きる。
震災の大きさ、同和問題、朝鮮人を差別する、なんでもお国のため体質、群集心理の怖さ、それらがギュッと詰まっていて、●かもしれない→●に違いない!にすり替わる怖さ、決めつける怖さがビンビンに伝わってくる。
最後の30分くらいは小さく声が出てしまうほど衝撃だった。
回想シーンで出てきて、今回の事件とも関連する提岩里教会事件(ていがんりきょうかいじけん)も忘れてはならない。
暴走正義
忘れ去られる歴史
忘れてはいけない教訓として
森監督のドキュメンタリーではない作品という事で非常に興味を持って鑑賞しました。内容的には演出的に少し理解しにくい部分もありましたが、とても社会的意義のある素晴らしい作品でした。
今年は関東大震災100年という年で多くの震災関連の作品や出版物が出されていますが、特に本事件を中心としたデマ流言飛語による朝鮮人や共産主義者等への惨殺、殺害事件と関東大震災の死者10万人のうち4万人近い死者を出した本所被服所跡地の火災事故は今でも語り継ぐべき教訓です。人数の問題ではないのですが遠い昔や戦時中などと比べ現代では事故や事件などで数名亡くなるとニュースになってたりしますが、人の命の重さってなんだろうなあと思います。
福田村事件の判決は、田中村の1名のみ「懲役2年、執行猶予3年」の第二審判決を受け入れたが、あとの7名には大審院で懲役3年から10年の実刑判決が出された。しかし、受刑者全員が、確定判決から2年5か月後、昭和天皇即位による恩赦で釈放された。事件について調査を行った石井雍大によれば、出所した中心人物の一人は後に、選挙を経て村長となり、村の合併後は市議会議員を務めたという。今では想像もつかない時代です。
永山瑛太さんが
最後に言った言葉が全てですね。
少年が名前を呼んでいくところが一番心に残りました。
私にとっては、この作品はもうひとつだったのですが、この作品がちゃんと完成されたことと意外に話題になっているのはよかったです!
この作品に関わり合われたみなさん、お疲れさまでした。
田中麗奈さんが歳をとったのが、とてもショックでした。(「がんばっていきまっしょい」の田中さんがいつまでも心の中にあるもので・・・)
釘付けでした
ラスト20分はスクリーンに釘付けでした。映画ファンとして今までたくさんの映画を観てきましたが、釘付けなんて相当久しぶりかもしれません。外的要因で節度・モラル・良識などが通じなかった時代がたった100年前にあったということを改めて感じる映画です。久しぶりに書き込みをさせてもらいます。
監督の森達也さんの作品である新興宗教を題材にした映画が話題になったころ、監督がテレビ討論会にたくさん出演していて、「(思想が)右や左やではなく、もはやどっちでもいい」のような発言を始めとした監督の考え・理屈にとても共感したことを覚えています。現在も監督の名前が出てくれば自然と身体が反応してしまうので、今回この映画に遭遇することが出来ました。
この映画の根底にある「差別・集団心理」というテーマにとても関心があります。第二次大戦下でナチスのゲッペルスが「嘘も百回言えば真実となる」と発言したそうですが、ITの普及で「嘘か真か」が早急かつ簡単にわかる現代とは違い、当時の思想下で大震災後という強烈なストレス・心労下だと誰かが大きい声で同じことを延々と繰り返せば、容易に嘘が真実化してしまう・・そんなことを考えながら観賞し、特にラスト20分に釘付けになったのだと考えます。またこの映画のテーマの一つである「非差別部落と在日朝鮮人」について、これらを身近に感じながら齢を重ねてきた私にとってこの映画を観ないという選択肢はなく、またこれらが映画のなかで繋がったストーリー展開になっていることが新鮮で衝撃でした。
恥
自分の安っぽい感想を綴るのもおこがましいと
感じるほどに痛烈で衝撃的な作品でした。
震災の混乱期に起きた。
否
いつの時代にも、どの市町村でも起こりうるもので
集団心理の恐ろしさもさることながら
自分を保つために、自分より下の者を攻撃する習性に
嫌悪しつつ、己の中にもある差別感情にも
気が付かされ不快になります。
正直、いままで韓国という国は好きじゃなかったし
(エンタメや食文化は大好き)
いつまで反日感情をむき出しにするんだ。
だったら日本に来るなよ。まで思っていたのです。
でも、本作を観て、事件を知って
涙が止まりませんでした。
申し訳なさに、その非道さに、無常さに
このレビューを書いているいまも泣きそうです。
誰しもが見えない恐怖に抗えないとは思う。
集団となった時の安堵が狂気に変わる集団心理を
まざまざと見せつけられた思いです。
国のため、村のため、家族のためと言い訳を
していた在郷軍人会の面々には反吐が出そうです。
とはいえ、自分がその場にいて、目の前で繰り広げられる
狂気の沙汰を止める事が出来たか。
答えは「できる」と言いたい。「できる」人になりたいと思います。
物語上、不必要だなと思うシーンもいくつかあります。
ただ、どの出演者の皆さんも辛い役回りを
見事に演じていると思い、また多くの若者、これからの
日本を担っていく人たちに観て欲しいなと思う
日本の闇、負の歴史です。
映画は💦と思ったなら、せめてどんな悲惨な事件が
起きたのか、なぜいまこの事件が映画化されたのかを
調べて観て欲しいと思います。
集団のヒステリー
さすが森さん!と言いたい。
冒頭すぐの「戦争にいい戦争も悪い戦争もない」というセリフ。
山場(と言ってもいいのか?)虐殺の場面の「朝鮮人なら殺していいのか」
そして終わりに近いところでの「みんなそれぞれ名前があった」というセリフ。
どれも重たいけれど、とても大切な言葉。
見るべき映画…それも若い人に観てほしい。
それ以上に絶対見てほしいのは、腐り切った日本のマスメディアに携わる人。
女性記者の言葉を一つひとつ噛み締めて、みずからを律してほしい!いや、律せよ!
ジャニーズのチカラある人が犯した犯罪を死んでから騒ぎ立てる姿は、まるで福田村の人々の集団ヒステリーとどう違うのか?と、ジャニーズファンではないけれど、ふと思ったり。
最後の最後に、ナタ?で瑛太を一撃にした妻の夫が帰るシーン…とても残酷と思った。私がその妻だったら気が狂うなと思った。
朝鮮人なら殺してもええんか?!
今年の邦画ベスト1はこれで決まりだろう。関東大震災からきっかり100年に狙いを定めての公開、折しも政府が「朝鮮人虐殺の記録は見当たらない」としらばっくれる中でかつての軍国日本のみならずまさに今の「新たな戦前」に向いつつある日本を痛烈に糾弾する社会派エンタテイメントの傑作である。「記録が無い」は全く大ウソで震災の2か月後に神奈川県が「朝鮮人を145人殺しました」と内務省に詳細に報告した文章も残っている(東京新聞9/5)らしく、そもそも内務省が「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり・・各地に於て充分周密なる視察を加へ鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし(横浜市史)」と地方長官に打電し警察が率先してこのデマを流布したとされる。今作の切り口が鋭いのは、数千人にのぼるといわれる朝鮮人虐殺を正面から描くのではなく千葉県福田村での行商一行9人が「朝鮮人と間違われて殺された」という事件にスポットを当てた点であろう。真っ先に殺される行商のリーダー永山瑛太が言うように「朝鮮人なら殺してもええんか?」という叫びがこの映画の全てである。讃岐から来た行商一行の言葉がおかしいので「朝鮮人だろう」と疑われ、村の警官が行商人が示した「鑑札」を調べるからそれまで手を出してはならんと言う。つまり間違って日本人を殺してしまってはまずいけれども、朝鮮人なら殺してOKだというのだ。行商一行は香川県の被差別部落の出身であったことから公に告発をせず、事件は80年近く闇に埋もれていた。ずっとこの件を世に出そうと企画していた森達也と若松プロの荒井晴彦がタッグを組んだ奇跡的作品。撮影の桑原正が素晴らしく森達也のハンディカメラでは到底描けなかったであろう一級の名作が生まれた。
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