「無力感の共有」福田村事件 てつさんの映画レビュー(感想・評価)
無力感の共有
井浦新氏演じる智一と田中麗奈氏演じる静子の夫婦が主役級なのに、観ている限りではなかなか行動のつながりの理解ができなかった。進行上、大きな役割を果たしているようにみえるのは、智一の友人である豊原功補氏演じる龍一と水道橋博士氏演じる秀吉と、永山瑛太氏演じる新助で、さらに東出昌人氏演じる倉蔵とコムアイ氏演じる咲江が、主役級の夫婦と対抗したカップルながら、それぞれ夫婦の生活に関わりができたり、虐殺事件への対応で静子と同様、止め役を果たそうとするところが鍵処だと感じた。集落において茶色の軍服を着ているのは憲兵かと思っていたが、在郷軍人会の制服だということがわかった。映画『キャタピラー』でも、よくみられていた。村長が民主主義思想をもち、理性的に行動したとしても、暴走を止めることができない無力感が漂っていた。
上映後に田中麗奈氏と森達也氏による舞台挨拶があり、田中氏は、覚悟をもって引き受け、参考文献に挙げられているものをできるだけ入手しながら役づくりに励み、森氏が監督になったことで、同じ所属事務所の井浦氏とも、ドキュメンタリー作家だから、自然に撮り進めるのではないかとも話し合っていたけれども、画をきっちり決めて撮影を進め、演出の意見もよく出されたという。森氏は、この作品はあまりヒットしないのではないかと心配していたけれども、NHK『クローズアップ現代』で取り上げられ、これだけ多くの観客が来ているということは、現代の時代の動きに危機感をもってこの作品に重ね合わせて注目している人がそれだけいるのだろう、初めての劇映画だけれど、プロデューサーの荒井晴彦氏等の企画も進んでいて、故若松孝二氏の関係者が集まって、主演に井浦氏がすでに決まっていて、そこに転校生のように自分がはいっていって、大集団スタッフのなかで初めて仕事をすることになった、脚本の歴史考証は、佐伯俊道氏がかなりやっていた、群像劇なので、観客がそれぞれ自分に重ね合わせて観ることができ、何度でも観返してほしい、田中氏からの配役の質問には、恋愛のような直感だと答えていた。
これまでの自分自身が直面してきた様々な理不尽においても、結局力及ばず無力感に苛まれることはよくあったし、ましてや異性から愛想を尽かされることもありがちだったので、智一の立ち位置が自分には相応しいのであろうし、研究者としても、様々な壁に阻まれて断念してきたことがたくさんあるので、これだけのエネルギーをかけて実相に迫ろうとした努力には敬意を表すべきであろう。