「狂気化する群衆心理は人間の本性(追記有)」福田村事件 ブログ「地政学への知性」さんの映画レビュー(感想・評価)
狂気化する群衆心理は人間の本性(追記有)
関東大震災から100年という日に公開された実話に基づくストーリー
1923年9月1日は、関東大震災から100年の節目。関東大震災の直後、多くの朝鮮人が犠牲になった。朝鮮人たちが「放火している」、「井戸に毒を混入している」、「略奪をしている」などの流布やデマを信じきった民衆の行動が招いた惨劇だ。この映画で犠牲者の中心として扱われているのは、朝鮮人ではなく日本人である。現在の千葉県野田市にあたる当時の野田村に香川県から来た行商が朝鮮人と間違えられて惨殺されたのだ。この事件を本映画では被害者側からだけの視点ではなく加害者側からの視点で描く。正直、筆者が映画を見る前に思ったのは、日韓関係が改善に向かっている時期に、韓国人の反日感情を再燃させるようなものを日本人が作ったのかと直感したが、その直感は事件について無知な筆者の的外れなものであった。100年前に発生したこの事件は、特殊な環境で起きた異例の事件ではない。現代の世界中のあちこちで現在進行形で起きていてもおかしくないことであり、我が国もその例外ではない。どこでも起こり得る、誰もが被害者にも加害者になり得ると訴えているように思えてならない。
野田村という半ば閉ざされた空間で生きようとした3種類の加害者
この映画で加害者として扱われている野田村は、震災で大きな被害を受けたわけではなかった。しかし未曾有の災害、というより災害に乗じて根拠のない噂を信じた結果、在郷軍人会などが中心となって自警団を組織し、朝鮮人に対する差別意識、恐怖心に加え、最高潮に達した警戒心のあまり、たまたま香川から来て村に入ろうとした行商人を朝鮮人と決めつけ殺害してしまったのである。ただ、村の中の全ての人がそのような人達であったとはしていない。筆者は映画の中で殺害現場にいた人たちは3種類に区分した。1つ目は、前述の表現がそのまま当てはまる人たちだが、村の中で周りの人たちと支え合い村の中で生きていく人たち、つまり村の中心層である。2つ目は村を出入りする人たちを渡す船頭と自由や民主主義思想で村の人たちを啓蒙しようとする村長、すなわち、村で生きながらも村の外の世界に眼を向け、中心層をある種冷めた目で見ることができる人たちで、3つの層と中心層の中間層である。3つ目は村で生まれ育ちながらも村には馴染まず村の外の人となったもの(朝鮮に行って帰ってきた)と新聞記者であり、ほとんど外側で村を客観的に見ている外層である。
殺戮に手を下していな人も加害者として描写
この事件で起きた殺戮で、第一の中心層の人々は当然直接の加害者として描かれている。ただ、第二層、第三の層の人たちも加害者と見ている。第三の層は、朝鮮人がこの機に乗じて放火や略奪などしてるなどということが事実でないことや政府や新聞までもがデマの流布に加担していることを知りながら、歯止めを掛けられなかったという意味での責任である。第二の層は、第三の層ほどの確信は持っていないが、第一の層より外の世界との接点があり、デマや流布を鵜呑みにしないで良心に基づいて行動しようとするが、結局は村人として生きていかなければならない境遇に囚われて、目の前で起きている殺戮を止められなかった責任である。
悪意ある情報に脆弱な中心層
冷静に考えれば、日本に滞在している朝鮮人たちも同時に被災して困窮しているはずだから、そのようなことは起こらないだろうし、そのような噂が立っても広がらないだろう。しかし、行政やメディアまでもが根拠のない噂を拡散した。そうした情報を鵜呑みにして、忠実に守ろうとする人たちが野田村の人々だった。彼らは農村として団結して生活し、お国が兵隊を出せと言えば命を投げ出す志願者を出す。伝統を守って生活し、なかには色事などで揉め事も起こるが、最後は村民として団結して生きる。昔も今も変わらない自分の置かれた境遇に反発心もありながら、受け入れ必死に生きていく決して特殊とは言えない人々なのだ。これを特殊だと言えばみんながそれぞれ特殊であるということではないか。不貞など今でもあるし、これからもなくならない。普通選挙も始まっていないから政治は上の人がやることで自分たちは従うしかない、変えられないと思っているし、実際に変えられない。今の人々にも選挙権は持っているが行使しないで、自分たちは変えられないと思っている点で当時の人とは全く違うと言い切れるだろうか。
(追記)
他の方のレビューを拝見していると行商の親方の最後の言葉に反応しているものが少なくない。確かに平等を訴えている言葉を発した後に自分の夫が朝鮮人に殺されたと思い込んでいた女性に殺され、それが堰を切ったように虐殺の場に発展したのは衝撃的なシーンであった。ただこの部分は実話だろうか?裁判の証言記録を見たりして書き上げられたのだろうか。混乱した状況で何がトリガーになったのかが検証されたのか。映画を通じてメッセージを伝えたい思いが出ているのはわかるが、割り引いて冷静になって考えてみても良い気がするのだ。
「共感」ありがとうございます。ありがたいコメントに恐縮しています。励みになります。今年も映画からどんな学びが得られるのか楽しみながら過ごしましょう。
今晩は。
今作品のレビューにて追記部分の解釈が高所大所からの視点で書かれている事に対し、敬意を表します。
映画は当たり前ですが、見る人によって感想は変わりますが、このサイトの優れたるレビュアーの方々は、他のレビュアーのレビューを読み込んだ上でレビューを上げている方が多いと思います。
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(追記)
他の方のレビューを拝見していると行商の親方の最後の言葉に反応しているものが少なくない。
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私もそうですが、別視点の見方をした方も居るんだな、と思い、成程と思いました。返信は不要ですよ。では。