「これが原作ならこんなにハマらなかった」ベルサイユのばら ライブラさんの映画レビュー(感想・評価)
これが原作ならこんなにハマらなかった
原作の三大悪女が出て来ない。
物語の最後の証人になるロザリーが殆ど出て来ない。
マリーアントワネットのお目目が原作より大きくてお星様キラキラ。
前半の展開が主要4人に絞ったのも納得。
だけどそれをミュージカル仕立てにするのは賛否が別れる所。
「ベルサイユのばら」は宝塚で舞台化、TVアニメ化、フランス人による実写化がされているが、成功したのは原作と宝塚の舞台化だけ。
TVアニメを原作と同等に扱っている人がいるが、これは似て非なる物。TVアニメは打ち切りされている。
これには理由がある。
宝塚は脚本家がこれは原作者がマリーアントワネットの生涯を描く事を描いていると読み取り、物語の縦軸をマリーアントワネットに据えた事。
TVアニメは始めからオスカルが主人公。
しかも頭が昭和の男性監督が男性目線で作っているので、アニメ第1話はオスカルが本当は女性として生きたくてジェローデルと決闘する話。これで脱落した視聴者も多いのでは?
その後、マリーアントワネットの輿入れには悪役が替え玉騒動も入れている。オスカルが市民側に寝返るのも「私は平民(アンドレ)を好きになったから平民を味方する」って、オスカルが貴族を好きになったら平民の味方をしなかったのか!とツッコミの展開。アンドレの死亡も別にオスカルを庇って死ぬ訳でもない。オスカルが死亡する時も「フランス万歳」も入れていない。こんな糞アニメが原作と同等に扱われているのは大変不本意。
フランス人の実写版もアンドレとオスカルが逆転の性格。ロザリーがオスカル達に会うのはアンドレがロザリーを金で買おうとする。マリーアントワネットは殆ど出ない。今宵一夜の場面でもアンドレがオスカルを誘う展開。バスチーユはなくて、アンドレとオスカルが革命の行進に参加する所をアンドレが撃たれ、オスカルはアンドレを叫んで探す展開。これ当時の男性女性の関係を表しているだけで、ベルばらの魅力はオスカルが自分の意思があり、自分で見て自分で考えて行動するという当時は許されなかった行動にある。
尺の関係からか今回のアニメ劇場版は主人公の4人を中心にしたラブロマンス。
前半はマリーアントワネットを中心に描くが、花や額縁の演出とミュージカルの様な展開が続く。マリーアントワネットを描くのであれば宝塚の様に母親のマリーテレジアを出して歴史的な背景や仕組みを描いても良かったのでは?と思うがそれは大した事ではないかもしれない。
今回の劇場化に当たり、監督や脚本家は宝塚の舞台を参考にしていると思える部分が多くある。最後にオスカルとアンドレが天空で死後に結ばれるのは完全に宝塚のアンドレ・オスカル編のオマージュ。
原作と同じ様に後半はオスカルを中心にオスカルとアンドレと革命を中心に動く。ここに来るとミュージカルの演出がなくなる。前半もこれが出来なかったのか?と思う。
後半になって原作遵守の展開になる。
宝塚の舞台で一番納得がいかなかった部分、オスカルとアンドレが結ばれる「今宵一夜」の場面では、宝塚舞台が突然アンドレの事を「あなた」と言っているのに、この劇場版では「お前」と言うこれは良かったと思う。原作ではオスカルが病気に侵されていて、咳をしている所を狙われるが、劇場版では部下の死に注意を引かれて狙われ、アンドレがオスカルを庇って死ぬ。これも良い。
また、オスカルがバスチーユを落とすのもTVアニメとは違ってオスカルが適切な指示を出しているのが描かれていて、また死際に「フランス万歳」があって良かった。
オスカルの死後はエンドロールで王家滅亡を文字で語るだけ。マリーアントワネットが主人公ならば映像としての登場が原作にない「近衛隊に戻りなさい」だけでなく、マリーアントワネットのその後も観せるべきではなかったのだろうか。
この尺でベルばらをやるなら前半のラブロマンスをああいう感じで描くのは仕方なかったかもしれないが後半の原作遵守からして勿体ない。
フェルゼンがアメリカの独立戦争に行く件なども入れてアントワネットから離れる話を入れても良かったのでは?歴史的な事件をもう少し入れても良かったかも。
TVアニメよりはかなりまともだが、もしもこの劇場版が原作だったらこんなにベルばらにハマらなかったと思う。全体評価は65点