渇いた鉢のレビュー・感想・評価
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いずれにしても、松村の生き様は胸に痛い
妻とは「できちゃった婚」であることを、結婚式に列席した友人・知人にはオープンにできるほど、気さくな人間関係に囲まれていたはずなのに、ある出来事を契機として、その生活がどんどん荒(すさ)んでいく様子は、見るに忍びないものでした。
親子3人で朝食の食卓を囲んでいたときの松村は、出勤前のワイシャツ姿でしたから、いわゆる「ホワイトカラー」の職には就いていた様子。
後にブルーカラーの現場作業員に変わったのも(そしてそこでは、人間関係にもあまり恵まれていないかのような)、事件を契機に、彼の生活がすっかり荒んでしまったたことと、無関係ではなかったことと思います。評論子は。
かつては(娘が楽しく遊んだ彼女のおもちゃの一つだった?)ゾウさんの如雨露で水やりをしていたのに、生活が変わってしまってからは、その日課も、すっかり怠ってしまっていたよう。
手入れを怠って、すっかり乾いてしまった植木鉢が、彼の荒んだ生活そのものを雄弁に物語って、余りがあったと言えると思います。
それでも、鉢は乾いてしまっても、松村は、そんな不遇にあって、松村が「自分の生き様」について熟慮に熟慮を重ね、それを定めかねているさまは、「渇いている(渇望している)」とは言えても、決して「乾いてしまってはいない」(干からびてしまってはいない)―。
そう思いました。評論子は。
そしてそれが、本作のタイトルが「渇いた」鉢なのであって、「乾いた」鉢ではないことの謂(い)いなのだとも思います。
もう少しだけ説明的なセリフがあった方が、観ている方としてはストーリーの展開を掴(つか)みやすかったなどの難点もありましたし、監督の(独特の?)イマジネーションの世界に付いていくのは、正直、いささか大変でしたけれども。
映画作品としては、なかなかの佳作だったと思います。
評論子は。
「僕にはもう何も無いんですよ・・・」
兎に角、胸を締め付けられるシーンの連続であり、現実と想像のシークエンスがシームレスに混ざり合う構成である そして娘の格好でのシークエンスは正に妄想が具現化した造りで、その異様さに心が揺さぶられる
他のサイトレビューでは冗長とのことだが、確かにテンポは遅い それはこの主人公の追体験を表現する演出になっているから、観客にとっては絶対逃げられない(逃げたければ途中退席)過酷な義務を強いる造りなのであり、その忖度無い覚悟に賛辞を贈りたい 決して迎合しない矜持を映画作品として完成させた監督は立派だと思う 編集面、BGM等細かさも要求したいが、それ以上に今作の掛ける意気込みを充分に共有できた
その中でも特に自分が注目すべき点は市井の被害者家族に対する残虐な誹謗中傷の留守電により、死ななくてもよい妻が自殺をしてしまったシーン
何度も何度もこの繰り返しに、どうして脱却できないのかと暗澹たる想いに心が沈む
昨今のLGBTQ+問題に於けるネット上のヘイト発言(本人達はいっぱしの論客と勘違いしてるだろうが)と紛うことなく同等の内容である 勝手な妄想、勝手な悲観、そして冷静を装う勝手な正義漢 自身の人生に於いての理不尽さが解消されない事への不平不満を、弱い人にぶつけることで溜飲が下げられる性根の浅ましさ、歪んだ信条 その根幹は"上にぶつけても問題解決しない諦めと、しかし被害者はお前だけじゃないという弱者同士の潰し合い"という極めて為政者にとって都合の良いサイクルを弱者自ら自己構築してしまっている事が原因なのであろう このウィークポイントを解消する為の施策・・・これが一番の人類のアップデートすべき重要課題であることが今作に於けるメッセージだと強く感じた
如雨露
7歳の娘が行方不明から亡くなって、その後妻をも亡くした男のその後の話。
3年前というのも大分後にならなきゃ判らなかったけれど、娘に何があったか、妻がどうなったか等、BGMが大き過ぎて留守電がしっかり聞こえないは森の中が引きの画だはと判り難い。
その後も、どこ?誰?とか、なんで知ってる?とか、思念?とか、後にならなきゃ判らなかったり、結局判らなかったりが多く非常に勿体ないし、正直、妄想というか夢の件もなんだかあんまり描いてる場面が上手くないなと。
ワンボックス連れ込みの奇をてらった演出も、この作品に合っているとは思えないし、グリーンボーイも中途半端だし、望月の言動も安っぽいし…。
かなりキツいテーマでやり切れなさとかマスゴミや世間の目の残酷さ等、話し自体は非常に良かったんだけど、構成や表現が自分とは合わな過ぎた。
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