「名もなきユダヤ人たちへ」ペルシャン・レッスン 戦場の教室 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
名もなきユダヤ人たちへ
このホロコースト映画は、おそらくラストのオチありきで組み立てられた作品だろう。ユダヤ人強制収容所でナチス親衛隊将校たちに美食を提供するコッホ大尉が、いくらペルシア語を学ぶためとはいえ、なぜあれほどまでにユダヤ人青年ジルを躍起になって守ろうとしたのだろう。テヘランに移住した兄と和解するためというのは口実で、当初からナチスドイツ戦局不利を予想していて、チャンスあらばテヘランにいつでも逃亡できる計画を予め立てていたからではないだろうか。
ユダヤ人収容者の名前と偽ペルシャ語の単語を結びつけ、2840語という途方もない架空単語を作り出し記憶したユダヤ人青年ジル。その言語能力の高さもさることながら、発話障害のあるイタリア系ユダヤ人の身代わりになろうとしたジルの精神的疲労が、相当のレベルに達していたことが伝わって来る映画なのである。偽ペルシャ語がいつバレるとも知れない恐怖にビクビクするよりも、いっそのこと“話すことができない”人間になってそのまま死んでしまった方がかえって楽になれるんじゃないのか。ユダヤ人青年にとっての収容所生活はそれほど地獄だったのだろう。
目をつけられた伍長に度重なる暴行を加えられ生死の境をさまようジル。その時ジルは無意識下で偽言語によるうわ言を繰り返すのである。「お母さんの家に帰りたい....」その言葉の意味はコッホ大尉にのみ通じる“暗号”となって、ジルの命をも奇跡的に救うことになるのである。一時は“ラージ”の記憶違いでコッホに疑われたジルではあったが、“スモール”所長の陰口が仇となって前線収容所に飛ばされる尻軽女班長とは対照的に、見事特権を回復するのである。
ナチスが退却する時に収容所のユダヤ人名簿を全て焼き捨てさせたのは有名な話だが、もし仮にペルシャ語教師兼名簿作成係に主人公が任命されさえすれば“その名”を思い出して、この現代に再び甦らせることができるのではないか。本作の原作者ヴォルフガング・コールハーゼは、ナチスに無惨にも殺されていった〈名もなきユダヤ人〉たちに“名前を与える”架空のシナリオによって、そこに鎮魂の意をこめたのだろう。