ビー・ジーズ 栄光の軌跡のレビュー・感想・評価
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涙腺崩壊
楽曲提供の作品がどれもヒットしている辺りでも、うるうる来ていましたが・・エンディングの2017年グラストンベリーの映像でもう・・・
どんな物でも世界一になった事のある人は、やはりどこか違う。
ドキュメンタリーながら、奇をてらわない劇映画みたいな造りも良かった。
ビージーズはデイスコバンドだと勘違いしている人に見て欲しい
80年代から目立たなくなったのって、ディスコ音楽排斥運動があったんですね。ビージーズをデイスコのジャンルに当てはめるなんて、60年代を知らない、音楽を理解していない、若い世代の人達だけだと思うけど、全ての曲を聞いて下さいって言いたい。メロディーラインとハーモニーの美しさはとても素晴らしいです。当時、モーリスの役割が良く分からなかったけど、バリーとロビンの中和剤だったんですね。天才はエゴが強いので、ぶつかり合うと直ぐ解散してしまうのですが、彼が一番
重要なポジションだったんですね。窮地に立つほど、新しいタイプの音楽を創るバリーの才能は、本当に凄いです。
弟のアンディの方が先に亡くなってしまったのは、当時、かなりショックだったのですが、バリーが80年代も作曲家として、活躍していたので安心しました。今は、、長兄のバリーだけが健在で音楽活動し続けているとのことなので、日本で是非とも再度来日公演して欲しいです。
大好きなビージーズ、ビートルズ、イーグルスのメンバーが殆ど亡くなっているので悲しいなぁ・・・
60-70年代の音楽が最高に好き! K.C.ケイスンが登場したのには驚きと嬉しさで一杯です。
子供の時、ビージーズファンクラブの会員だった。
他のビージーズのドキュメンタリー映画より質がいい。実はケネスブラナーがBee Gees Biopic を監督すると聞いたので、The Bee Gees: How Can You Mend a Broken Heart (2020)を観てみた。
私は子供の時、ビートルズよりビージーズが好きで、ファンクラブに入っていて、クラブから手紙が届くのが待ち遠しかった。初期からwordsまで聴いていたような気がする。それに、キューカンバキャスルもよく覚えている。この映画から理解すると、1969か1970年まで聴いていたようだ。あまりにも前で、記憶が不確かだが、覚えていてよく口ずさんだ曲がいくつもある。
しかし、私は1973年の公演に行っているらしい。全く記憶がなく、実は兄弟に『私はビージーズの日本公演に行っているのか』と聞いてみた。馬鹿な話だが、記憶がないので。弟が「行ってるよ!モーリスが『女はどこだ、女は!』と叫んでいたと言ってたよ。」と。思い出した。それで、ビージーズが嫌いになったんだよね。冗談で言ってるんだけど、私はその冗談を理解できなかったんだよね。
Bee Gees live in Japan, 1973 日本語の歌詞付き
FuLL Concert Melbourne 1974
New York Mining Disaster 1941
I Started a Joke
I’ve Gotta Get a Message to You
Lonely Days
To Love Somebody
Massachusetts
How Can You Mend a Broken Heart
Holiday
Words
I Can't See Nobody:
Turn of the century
Tomorrow Tomorrow
など、口ずさんだ曲も、今は残念?
しかし、1970年以降は全く注目していなかったので、ジョントラボルタのSaturday Night Feverも聴いてみもしなかった。
ドキュメンタリーの最初は、カルフォルニア州オークランド、1979年7月、How Can You Mend a Broken Heart で始まる。
2019年マイアミ、バリーギブは自分の記憶をはなすと。ロビン、モリスは違った記憶があると。
1958年オーストラリアブリスベンで有名になる。
1967年イングランド ブライアンエプタインの仲間、ロバート・ステッグウッド(クラプトンのマネージャー)
New York Mining Disaster 1941 正式デビュー
アメリカのアトランティック・レコードに。To Love Somebody をオーティスレディングに、でもレコードにならなかった。
バリーとロビンは初期から上手くいかなかったんだね。モリスが仲裁役。
1969年にロビンはグループを抜けると。オーストラリアにロビンが一人でコンサート、でも、広告はビージーズと。観客は怒り出した。
ブライアンエプスタインの死
三人が戻り、Lonely Daysを出す。兄弟でなければ、戻らなかったとバリー・ この時代、麻薬と酒に溺れた時代だとバリー。
アラン・ケンドル加入。
人気が落ちて、イングランドのクラブで歌う。
クラプトンがマイアミで、ビージーズにあう。
1975年、バンドを作る。アトランティック・レコードで、新しい曲、R&
Bを制作。ジャイブ・トーキング
ディスコ
1979年 ドジャーズスタジアム、でコンサート、
スティーブ・ドールが中心になってデスコレコードを破壊。しかし、R&Bも含んでいると。アンチ・デスコ ムーブメント。ビージーズはこの影響を受けてしまった。ビージーズとして、何もできなくなった。ダンスも。何か他に考えなくてはならなくなった。アンディーはこの時、ドラッグに入って行った。
バーバラ・ストレトサンドが、曲を書いてくれと頼むが、バリーは自信がなくなった。デオンヌ・ワーウイック、ドリー・パートン。セリーヌ・ディオンなど。。作曲、
子供の頃から、家族のために収入を得ることを期待されていた。それに、そのために、他のグループとの競争心を燃やし、有名になった。エプスタインの仲間、ロバート・ステッグウッドの力もあるが三人のハーモニーがスターダムに乗せたと思う。歌える歌手で、ロビンの歌い方が好きだ。彼はよく、右手を耳に持っていき、自分の音を聞いている。左手では音の高低をとっている。うまく説明できないが、楽譜を指で押さえていると言った方がいいだろう。ビージーズが作詞作曲をしているが、ロビンがボーカルをとる曲の歌詞は心理状態を理解するのが難しい。Holidayと I Started a Jokeは恐ろしく暗く、薄気味悪いが、ロビンの人との会話下手、なかなか自分の心が出せない人柄にピッタリあっていて、 I Started a Jokeなんか、コミュニケーションが取れない人によくある内容だと思った。I Can't See Nobody これも傑作で、詩人だね。
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