ちひろさんのレビュー・感想・評価
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優しくて温かくて、ちょっとさびしい
海辺の町の小さなお弁当屋さんの売り子さん・ちひろさん。ちひろさんが放つ自由で優しい空気が心地よく、偏見ゼロで人と接する姿が潔く、誰とも交わらない孤独さがちょっと寂しくてもどかしく、ただ心温まるだけじゃない酸っぱさも感じる不思議な作品でした。
人や物や命にさえあまり執着がないからなのか、ちひろさんの佇まいは店長が言うように幽霊のようで、どんな時もどこか心ココにあらず。それでも魅力的な人柄に人は集まり、ちひろさんも、ふわ〜っとその人達に寄り添う。
ちひろさんへの憧れと共に、どうか自分のことも幸せにしてあげてほしいと、多恵ちゃんと同じことを思いました。
とても素敵な作品。原作マンガも読んでみようかな。
複雑で少し難しい社会問題に立ち向かう映画
可愛いだけじゃダメかしら
2023年映画館鑑賞19作品目
4月9日(日)フォーラム仙台
リピーター割引1100円
原作未読
原作は『ショムニ』の安田弘之
監督と脚本は『愛がなんだ』『アイネクライネナハトムジーク』『mellow』『街の上で』『あの頃。』『猫は逃げた』の今泉力哉
脚本は他に『愛がなんだ』『影裏』『Arc アーク』の澤井香織
有村架純や今泉力哉監督のファンなら楽しめそう
話としては面白い
多少アレだけどほっこりはする
お弁当屋の看板娘として働く元風俗嬢
彼女は風俗嬢という経歴を隠さない
ちひろさんは愛されキャラ
死んでいたホームレスを土に埋めたり入院中の多恵を外に連れ出したり突然いなくなったり謎行動が目立つ
しかし映画を評価する上で些細なことだ
共感はさほど重要ではない
平凡な男性諸君には残念なお知らせ
この日は三本観たがいずれも性風俗絡みでしかも背中程度で乳首お尻ヘア無し
日活ロマンポルノとかじゃないわけだしスマホでいくらでもエグいのが観れる時代だから逆にいいかもしれない
女性俳優の腕の見せ所といえる
しかし現状の有村架純では元風俗嬢という役柄は荷が重すぎた
自分から誘っておいて騎乗位をしているわけだから表現者としてあれはない
もう若くはないんだから清純派とかアイドル女優じゃいかんでしょ
それなりのキャリアがある女優ならエロティシズムを表現できるはず
90年代前半フランスのコメディー映画で『可愛いだけじゃダメかしら』って作品があったけど今の有村架純を観たらその映画のタイトルを思い出した
まっ今泉力哉監督が要求したのかもしれないし原作のちひろさんがこんな感じかもしれないし実情はわからないがかなり物足りない芝居だった
やればできる人だと思うけどな
厳密にいえば若葉竜也の芝居も良くない
リアクションが薄い
新人じゃないんだから
ああいうシーンで女性俳優が恥ずかしがって演技が拙いなら男性俳優がカバーしないと
濡れ場は2人の役者の共同作業だから
あれならあのシーンをバッサリ切った方が良かった
本編始まる前におまけがあることを告知するのは良心的
あとオカジの由来って分からずじまい
オカジといえばコーチも務めた元日ハムの外野手岡持和彦氏だけど関連性あるのかな
久々聞いたよオカジって
配役
元風俗嬢で今は弁当屋さんで働くちひろこと古澤綾に有村架純
ちひろを敬愛する眼鏡をかけた女子高生のオカジこと瀬尾久仁子に豊嶋花
オカジの弟分になった小学生の佐竹マコトに嶋田鉄太
ちひろの友人で内海の店を手伝うようになったバジルにvan
ちひろが風俗嬢時代の風俗店店長で今では観賞用の魚屋の内海にリリー・フランキー
のこのこ弁当の店主の嫁で事故で盲目になり入院中の尾藤多恵に風吹ジュン
のこのこ弁当の店主の尾藤に平田満
のこのこ弁当の従業員の永井に根岸季衣
土木作業員の谷口に若葉竜也
バーで働いている育児放棄気味のマコトの母親のヒトミに佐久間由衣
オカジと同じ高校に通う同い年だが不登校で廃ビルの一室で漫画本を置いて過ごしているべっちんこと宇部千夏に長澤樹
浮浪者のおじさんに鈴木慶一
ちひろが幼少の時に出会った水商売っぽいチヒロに市川実和子
オカジの母の瀬尾みつ子に占部房子
オカジの父の瀬尾徹に斉藤陽一郎
オカジの妹の瀬尾亜紀に太田結乃
ちひろの風俗時代の客の寺尾に芹澤興人
ラーメン屋に因縁をつけ谷口とトラブルになった客に岡部成司
ラーメン屋店員に嶺豪一
ちひろが弁当屋の後に就職した牛牧場の農夫に木村知貴
マコトとオカジ
孤独が人を強くする
血の繋がりだけではない愛情、隣人愛、博愛精神が溢れた作品だった。
ホームレスのおじさんを家に招き入れて風呂に入れる、死体を埋める、マコトやオカジとの交流などからも、少しぶっ飛びながらも優しさと愛に溢れている。
だけどその優しさの根底には、孤独や淋しさ、幼少期の壮絶な経験(具体的には描かれていない)があるのだろう。
そして、“ちひろさん”という名前にはある大きな秘密が……。
彼女の人に期待しないところ、恋愛にハマらないところ、近づくと離れてしまうところは、彼女の過去やいろんなものを見すぎてしまったゆえなのかもしれない。
ある意味悟りを開いてしまったのだ。
唯一の理解者である多恵ちゃんとの交流も心がじんわり温まる。
オカジが焼きそばを食べるシーンや、マコトの母に花束を返すシーンは感涙。
Netflixで観れるのありがたいね。
おすすめです。
孤独を手放さない生き方…
誰に対してもフラット、別け隔てなく接するちひろさん。それが家族だろうと他人だろうと。それは子供の頃から一人で生きてきた、元風俗嬢という人の裏世界を見てきた、そんな経験から来るものなのだろうか。ある意味、変に寄り添うわけでもなく、突き放すわけでもない、丁度よい距離感、それが周囲の孤独を抱えた人々に変化をもたらす。有村架純の飄々とした力感の抜けた、自然の演技が素晴らしい。普通は居心地良い場所に残るはずなのに、ちひろさん自身が孤独が好きなのだ。人に頼るわけでも頼られるわけでもなく。忙しく、疲れたときに見ると心地よい映画。
気になる事にはとことんこだわり、人が人を想う気持ちにはとても敏感。これは自由奔放に生きる元風俗嬢ちひろさんのお話です。
漫画が原作です。世界観が好きな作品。
今泉監督による映画化と知りまして、
これは観ないわけにはという訳で鑑賞です。
始まり始まり。
ちひろさんは、「元」風俗嬢。
”ちひろ” は、当時の源氏名。
今は弁当屋「のこのこ」で働いています。
弁当屋でも、彼女は ”ちひろ”を名乗り、
元風俗嬢であることを隠しません。
そんな”ちひろ”と彼女の周りの人たちとの
交流を描いた作品です。
原作がそうなのですが、ちひろだけでなく、
登場する人物がとても魅力的です。
・ひちろを盗撮する女子高生(オカジ)
・ホームレスのおじさん(照れ屋で無口)
・母子家庭の小学生男子(マコト)
・”のこのこ” の賄い婆さん(漬け物得意)
・風俗店の元・店長(今は金魚屋さん)
・ニューハーフの女性(バジルさん)
などなど。他にもたくさん。
ちひろさんと、こういった個性的な人たちとの
人間関係の描き方がとても秀逸なのですが
映画の中でもその辺りが、良く描かれていたように感じます。
今泉監督らしさが出ていたかと。 はい。
劇場公開されると思っていたらNETFLIX公開で
上映館は数えるくらいしか無かったので(しかも大都市圏のみ…)
これはしばらく観られないかな?と、思っていたのですが
近くの劇場で上映してくれました。
ようやく観られて満足です。
◇あれこれ
「イメージ通りの配役」
原作のイメージにぴったりのキャスティングと思ったのが
オカジ役の豊嶋花さん と (似てる)
賄いおばさんの根岸季衣さん。 (ぴったり)
最初の登場シーンでは、吹いてしまいました。
良い人選だなぁ と感心。
「地球へ」
竹宮恵子作のSFマンガ。1970年代後半の作品(…確か)。
今でも人気あるのならば、何か嬉しい。
キース・アニアン中尉 とか
ジョミー・マーキス・シン とか
ソルジャー・ブルー とか 名前がスラスラ出てきます^_^;
人類 対 ミュータントの闘い。
うーむ。
連載当時を思い出します。…何もかもみな懐かしい。
「今の貴女が」
"もし貴女の娘に生まれていたら"
”もっと違う自分だったかもしれない”
退院した「のこのこの奥さん」にそう話しかけるちひろに
優しい眼差しで応える、のこのこマスターの奥さん。
” そうね。でも私は、今の貴女が好きよ”
100%の肯定。 ですよ。
一生に一度でいいから言われてみたい
そう思った素敵な言葉です。
◇最後に
ちひろの性格描写が、原作よりもかなり
マイルドになっている気がしました。
そのためエンドロール直前までは、
「ワサビ抜きの寿司」を食べているような
何となく物足りないな、という感覚も正直ありました。
エンドロール後のラーメン屋での一コマ。
「餃子が大きいね」 と口にするちひろ。
「ありがとうございます」と店主。
「なんでお礼? 餃子が大きいのよ」
「はい。ありがとうございます」
「…」 ※繰り返す
注文時に「普通」と聞いていたことに対して
ちひろが ” これを普通とは言わないわ ” と
伝えようとする場面なのですが
皮肉混じりの感想のために意図が伝わりません。
話がかみ合わないまま会話を繰り返す という
なんとも可笑しい場面なわけですが、
この「餃子の大きさ」のような、どうでもいいことで
「攻めのスイッチ」が入ってしまうと さあ大変。
ちひろの別の一面が描かれる場面なのですが
もしかしたら今泉監督自身が、
「ちひろのこんな面を入れて無かった」 と感じて
最後に追加したのかな などと
思ってたりしています。
◇最後にその2
マコトが母親に贈った花束を
ちひろの入れ知恵と思い込み、地面に投げ捨てる母親。
それを無言で拾い上げ
「これを捨てたらダメ。絶対に後悔するから」
と胸元に押しつけるように渡す、ちひろ。
この場面のちひろが好きです。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
ネトフリ編
ムーンライダースの鈴木慶一がうらやましい/お醤油2ついただきます😅
公開からだいぶ経ちましたが、市原隼人の「おいしい給食」に出ていた豊嶋花ちゃんがとてもかわいいので、やっと観られて幸せ。豊嶋花ちゃんの足の指もうんと可愛かった。
いきなりのストーカー盗撮には参りましたけど。
それだけ素敵なちひろさん。
焼きそばで泣くシーンがよかったなぁ
「深夜食堂」シリーズを見ているみたいな気持ちになってしまいました。
ファッションヘルスの客が言った宇宙人の話し。違う星から来た人、同じ星の人。地球はいろんな宇宙人を容れている箱。かなりガッテンしました。
今泉力哉作品でした。途中からそうなんじゃないかと思いましたよ。
しかし、ホームレスおじさん役の鈴木慶一がうらやましかった~
ひとっ風呂浴びてく?
言われてみたい
ちひろさんのおみ足とってもキレイ。
ちひろさんはソープにも従事された事があるのでしょうか?
豊嶋花ちゃんの足と比べるとうんと色っぽい🙏
墓掘り後には無性にラーメンが食べたくなるちひろさん。
怖い。
けど、
彼女なりの達観した独特の世界観は大いに世界平和の役に立つかもと思ってしまうほど。
ミューズでした
マリア様ァ~
生栗の渋皮を剥くのはとても大変。包丁が必要です。目が見えなくなった人にはかなり危険な作業で、指を切ってしまいそう。
弁当屋の平田満の奥さんは根岸季衣だとずっと思っていたら、風吹ジュンだった。箱根細工からのドングリ。
武蔵野館のディスプレイに履歴書が二枚飾ってあって、写真の髪型が違うんです。ひとつはリリーフランキーの店用。ひとつはのこのこ弁当用。
本名はちひろじゃなくて綾。
親にもらった名前より、自分と同じ星から来た人と思える人の名前を名乗る気持ちわかります。
お弁当屋さんの看板娘が元・風俗嬢だと噂が広まったら、独身男性が多い田舎の港町では繁盛して仕方ないかもしれませんけど、やっぱりカワイイからですよね。
お醤油ふたついただきます😅
ロケ地は釣具屋さんの看板にUSA釣具店ってあったから、焼津の小川港ですね。のこのこ弁当ロケ地巡礼を兼ねて釣りに行きたくなりました。
エンドロールの後の寸劇は必要だったかなぁ。餃子の大きさとか言っておきながら、今泉力哉監督が有村架純に「おっきいわぁ~」って言わせたかっただけじゃないの?
ちょっとクソガキっぽいよ。今泉君。
【追記】
朝の連ドラ「あまちゃん」の第一話(一週目)に有村架純と豊嶋花がそれぞれ春子(小泉今日子)の高校生時と小学生時の回想シーンで出演していて、縁を感じて嬉しくなりました。
ぜんぜん分からない・・・
どうしたい?
店長とたえさんに救われる
ジタバタするから沈むんだ
人はじっとしてれば勝手に浮かんでくる
ダメな時は底で眠っていれば良いんだって言ってもらえた
たえさんには孤独で居る事を許してもらえた
ちひろさんに感じる漠然とした不安感は自分も持っていてちひろさんのように生きていきたいけれど、中々そういうわけにもいかない
だとしても自分らしさを殺してまで生きていく必要はないな
まったりと
『元風俗嬢であることを隠そうとせず、海辺の小さな街にある弁当屋でひょうひょうと働く女性。それぞれの孤独をかかえた人たちが、彼女のもとに引き寄せられるように集まり癒やされていく。』
──という概説読んだだけで、なんか癪にさわった。ので見た。わら
不憫なor苛酷な気配や環境をもった人たちを描き弁解がましく釣っていく。喩えが伝わってくれるか解らないが日本映画って授乳見せているTiktokerがおっぱいで釣るつもりは毛頭ありませんて言ってるようなもの。かわいそうと美醜にもとづいて善悪に二極化されてしまうおなじみの日本映画世界。
元風俗嬢だけどつましく生きてますよってのはYouTubeの釣りサムネみたいなもの。日本人はじぶんや他人の来歴に“汚れ”を探し、あるとそれをシンパシー得るネタにする。日本映画もそういうアピールを常套にしている。このマーケティングを解りやすく言うと“かわいそうなんだから金よこせ”。
──
ヤフコメなどには犯罪報道によせて“世も末”発言が無数にあがってくる。
ひとは過剰一般化するのが好きで身の回りの事態が世相を縮図していると思い込むが、じっさい統計的に犯罪は減っている。
たぶん間違いなく日本人はこの惑星でも一二をあらそえる平和な環境に住んでいる。
にもかかわらず、過酷な環境を訴えて不幸自慢してしまう習性を日本人はもっている。
それはおそらく甘い人間だと思われて舐められることを怖れる──からだ。
甘ちゃんだと思われないようになんらかの経験値をアピールする必要がある。──と考える。
そんな日本人が編み出した不幸自慢のフレーズがたくさんある。
以前こうツイートしたことがある。
『限界、ギリギリ、崖っぷち、ぼっち、ワンオペ。貧困や過労や孤独や確執、病気や心疾患。負の属性をうったえるマーケティングだらけ。かといって裕福で健康で友達沢山いて彼女or彼氏もいて・・・というのは日本ではアピールに使いにくい。みんな必死でじぶんの「負」をさがしている。平和です。』
YouTubeには「限界」や「ギリギリ」や「崖っぷち」という語の入ったサムネで釣っている動画が圧倒的に多い。
じゃあいったいなにが限界だというのか?なにがギリギリだったり崖っぷちなんですか?かりにそういう状態だとして、それは紛争でコロされた罹災者や慰留地で虐待される難民や食えずに死んでいく途上国の孤児よりも限界やギリギリや崖っぷちなのか?
そうでないなら、なぜそんな「負」を恥ずかしげもなく掲げるのか?
だってわたしもあなたも好きなものを食べ爆弾も叫び声も降ってこない暖かい布団のなかで眠るのであって、基本的に、なに不自由ない生活環境を享受しているのに不幸だと宣ってしまうのは虚偽ではありませんか?──とは思いませんか?
──と言いたいのは、不幸自慢が日本映画の特長になっているから。
なんだったらNetFlixにあがるほとんどの日本映画もそれだしとうぜん今泉力哉もぜんぶそんな感じ。
──という展開で日本映画全般をけなすのもじぶんのレビューのワンパターンになっているのは知っています。わら
──
こういうエクスキューズの映画でかならず出てくるのが悲哀を浮き彫りにするための“悪”側の人物像でここでは豊嶋花が演じる通称オカジの父親だった。ハラスメントと神経質とサイコパスを併せ持った継父でフェミやお涙系にはこういうわけのわかんない非人間的おっさんキャラが必ず使われる。
日本映画にでてくるおっさんはみんなペドかペドじゃなければサイコパスか汚部屋か全方向ハラスメントかいずれでもなけりゃ貧乏人。固定概念が植え付けられ迷惑だし安易。
とはいえ案外まったりと展開する話でお涙も抑えめだった。
典型的な日本映画だが目くじら立てるような映画ではなかった。
ヒトミっていう片親パン与えてそうなお水(演:佐久間由衣)がつくった焼きそば食べたオカジが泣き出すところはじわっときた。にんげんの温かみって高級品食ってるときは解んねえもんなあ。
ぜんぜん弁解しないでたんたんと描いて大団円になればよかった。気の毒な雰囲気をいろいろ描かないほうがよかった。
たとえばThe Spitfire Grill(1996)(邦題:この森で、天使はバスを降りた)と比べるとみずからの来歴を弁解するにしても巧拙のちがいがはっきりわかる。
主人公に同情するのは結構。だけど主人公が同情を請うのは演出上の負け。だと思う。
──
雑談だが、お涙ちょうだいなコンテンツがウケることに随伴してColabo問題みたいな“弱者”や“かわいそうな気配”というのが日本ではものすごい儲かるってことがよく解る。だからリテラシーが必要なんだ。かわいそうを押し出してくるやつに盲目的に金なげちゃだめだ。──という話。
USA釣具店が気になる
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