湯道のレビュー・感想・評価
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自分が「生かされている」ことに感謝ができるようになる一本
<映画のことば>
特別なことは何もありません。
天から降った雨をいただいて、
山から木をいただいて、
火をつけるくらいでしょ、
人間がするのは。
ぜんぶ自然のおかげです。
評論子ですが、映画の鑑賞方法の主力はレンタルと宅配のDVDが主力という評論子ですけれども。
そのために必要なテレビもDVDも、評論子が作ったものではなくて、どちらも誰かが作り出してくれたもの。
2年前からようやく映画館のある街に住むことができるようになった評論子ですけれども。
その映画館だって、雨後の筍のように自然に地面から生えて出てくるものではなくて、誰かが経営してくれて、それで、大スクリーンに映し出される映画が楽しめるというもの。
映画作品としての本作は、長く疎遠・不和だった兄弟同士の、共通の肉親(父)の死と、父が守ってきた銭湯の存廃の危機をきっかけとするお互いの見直しあいをヨコ糸に、人が生きる上でのための希望や喜びの「在りか」「受け止め方」がタテ糸が織り込まれているようなも、評論子には、思われました。
決して「風呂好き」というほどのオタクでもないのですけれども。
でも、風呂に入り、生活のリラクゼーション・モードとすることが日常生活の中では楽しみの一つにはなっている評論子には、楽しく観ることのできた一本でした。
佳作であったと思います。
<映画のことば>
風呂は、夢であり、希望だ。
(追記)
初めて知りました。本作を観て。銭湯の「ぬ」の板と「わ」の板の意味が。
聞いてみると「なるほど」と得心がいくのですが、聞かされてみないと、その意味はとんとわからないという、銭湯にまつわるトリビアだったと思います。
こういう一面もある作品で、その意味では日本の古き良き伝統習俗を伝える映画なのですから、文化庁あたりから「特選」ぐらいのお声がかかっても、不思議でないと思います(笑)。
風呂は暖かく気持ち良いもの、だから映画も
ゲラゲラ笑うようなコメディじゃないが、そこそこに暖かい人間模様が展開される。
出てくるキャストが端役でも見知った顔が出てくる。
主演の生田斗真、橋本環奈、濱田岳、柄本明と皆さんご存知の人々だ。
これだけのメンバーを揃えて、この抑えぎみのコメディを拵えた事は凄いのだが、メチャクチャ客が入る映画と思って作ったとは思えない。
だって、湯道の家元が毎回サブいダジャレ言うんだもんな。
お風呂の映画だよこれは…もっと熱くしてくれよ。
とまぁ文句は言いたいがそんなに悪い映画じゃないのは間違いないので、キャストのファンやこういったコメディに理解のある人なら問題なく楽しめる作品です。
予定と調和
日本人にはコンテンツにたいする独特の“思いやり”(とでも言うべきもの)があり、じっさいには面白くないものを愛でることができる素養をもっている──と感じることがある。
たとえば萌えやかわいいや和み要素を脳内で“面白い”と変換してしまえる能力がわれわれにはあるのではなかろうか。
かわいいに感興できる日本人の能力は、わびさびを解する日本人の心が現代社会に置き換わった因果であると、個人的にはみている。(キリッ)
たとえば孤独のグルメは松重豊ふんする井之頭五郎がいろんな飲食店でめしを食う映像作品になっているが、それに対して「くそつまんねえ」と一蹴するひとはいない。なぜならわたしたちの感性の中に松重豊や飲食店めぐりのデバイスを蔑ろ(ないがしろ)にできないという不文律が組み込まれているからだ。
たとえば「赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。」というネットフリックス映画があったが、橋本環奈や福田雄一というデバイス群がわたしたちの“思いやり”を介することで駄作があるていどのポジションを確立するわけである。
つまらない会話と展開であっても「きっと面白いことをやろうとしているにちがいない」という未達成の意思を汲み取って、なんとなく微笑んであげることもできるわけである。
これがじっさいには面白くないものを愛でる日本人独特の“思いやり能力”であり、この能力はクリエイターの素人化や、日本映画/ドラマの没落の遠因に繋がってくるのだが、それはさておき、今やこの“思いやり能力”に当て込んだ映像作品が映画/ドラマの主流になりつつある。
グルメやおひとりさまなどといった流行のデバイスをだしにしつつ、ただたんに西島秀俊や内野聖陽や武田梨奈がめしを食ってる様子を撮る作品があるように、じっさいには何でもないことを“思いやり能力”に当て込んでつくり、それを見ると「和めますよ」あるいは「癒やされますよ」と喧伝するわけである。じっさいにそれで癒やされる人がいるかいないかはともかくそういう不文律がまかり通っているという話である。
つまり松重豊がめしを食っている映像に「和める」もしくは「癒やされる」という慣用句・不文律があり、じっさいわたし/あなたが松重豊がめしを食う映像に一ミリも癒やされていなくても、それを「癒やされる」と表現せざる得ない“思いやり能力”が日本人にはある──と言いたいわけである。
この映画もそんなわたしたちの思いやり能力に当て込んであり、あたかも和めたり癒やされたりするかのような要素がてんこ盛りになっている。
まず銭湯というレトロデバイスからしてそれだし、そこへ橋本環奈や濱田岳や生田斗真といったかわいいやなごみ系やイケメンのデバイスが絡むことによってオールスターキャストの当て込み映画になっており、じっさいに当て込みどおりの評価を獲得している。
が、個人的には退屈した。いじわるで言っているのではなくふつうにつまらなかった。じぶんが爆笑した映画を比較検証してみるのがいい。たとえばわたしは熊のぬいぐるみが狂奔するTEDを見ながら爆笑した。思いやり能力なんて使わずに笑えた。しかしこれはどうだ。笑えるか?笑えなくてもいいが、面白いか?窪田正孝と角野卓造の湯道家元のシーンはどうだ?湯へ入る所作を教えてくれるが、あれ面白いと言えるのか?
そうは言っても鈴木雅之の演出なのでアート臭や日本映画臭はなく嫌なところはひとつもない。たんにつまらないだけで、嫌な要素はまったくなかった。
また、ほのぼの要素があり、ほのぼの要素は思いやり能力と相性がいい。それはauの三太郎シリーズCMみたいなもので、牧歌性には「つまらない」評価を避ける効果がある。
全体としてそのような“思いやり能力”に頼っており個人的には笑えたところも面白いと感じたところもなかった。
近年にわかに市民権を確立した“整う”という言葉がある。そういうものを権威化する意図がさっぱりわからない。サウナへ入って「整った」だなんて、なんと空虚な矜持であることだろう。
風呂だのサウナだのじぶんの好きなように入ったらいい。映画があるていどそういう結論だったのはよかったがいかんせんつまらなすぎた。
そうだ、お風呂に入ろう!
観終わってすぐお風呂に入りたくなった。お風呂にゆっくり入った時の幸せな時間。忙しい毎日を忘れ去れてくれますね。
銭湯確かに少なくなりました。近所の銭湯も閉まってしまいました。
「銭湯は昭和の異物ではない、未来に必要なお風呂」このセリフは良かった。未来に残すべき日本の良い文化なのかもしれない。
映画もお風呂と同じで、暖かかったですね。それぞれの人生、思いがお風呂でつながる。そして役者さんも素晴らしかったなぁ。たまにある笑いも良かった。
これぞ日本映画という感じ。
さて、今からお風呂に入ろう!
湯 are my sunshine
お風呂、入浴が人の心と身体をリフレッシュして
疲れがとれ、汚れがとれ、気分晴れ晴れ、生き返る。
お風呂は毎日の憩い。
癒しです。
無くてはならない時間。
一組の兄弟がいる。
三浦史郎(生田斗真)と三浦吾郎(濱田岳)
銭湯「まるきん温泉」の息子として生まれた。
弟の吾郎は、「まるきん温泉」の責任者。
秋山いづみ(橋本環奈)とともに、薪を割り、湯を沸かし、
タイルを毎日清掃してお客さんに「いい湯」を提供している。
兄の史郎は建築家。
仕事に行き詰まり、「まるきん温泉」を売却して、
マンションを建てようと帰ってくる。
まあ橋本環奈が番台にいること自体が事件だけれど。
「まるきん温泉」は実に気持ち良さそう。
毎日一番風呂に入りに来て、伸び伸びと歌を歌う天童よしみ。
後半で息子の○○○と男湯と女湯に分かれつつ歌う
「上を向いて歩こう」
ハートフルな歌声に聞き惚れる。
彼女にも彼にもドラマがある。
お客さんの人生が交差する。
特に定年退職する小日向文世。
「湯道、家元・二之湯薫明(角野卓造)と梶斎秋(窪田正孝)の元へ
「湯道」を研鑽に行っている。
彼は内風呂を檜風呂に改修するのが夢。
兎も角「風呂愛」と「湯へのこだわり」が心を打つ。
銭湯は「昭和の遺物なのか?」
廃れゆく文化なのか?
答えは一つ。
湯 are my sunshine
日本人に生まれて良かった!!
湯船に肩まで浸かれる幸せを、噛み締めました。
ほっこり
亡き父が遺した銭湯「まるきん温泉」に戻ってきた建築家の三浦史朗(生田斗真)は、店を切り盛りする弟・悟朗(濱田岳)に、銭湯をたたんでマンションに建て替えることを伝える。
最初は銭湯の何が良いのか全くわからなかった史朗が、店主を務めたりで徐々に考えが変わっていく…というストーリー
全体通して意外にも中弛みするような展開はなく(小日向さんと窪田さんところは謎な感じだったが、それも最後は回収)人との繋がりを感じるような素敵な物語だった。
銭湯に限らず、こういった古き良きものが今でも継がれているということは、そこに一定の必要としている人がいるから成り立っていることを改めて感じた。
登場人物ひとりひとりの個性と演技も素晴らしく、思った以上に楽しめた。
幸せとは何か
初日舞台挨拶付きを鑑賞。
予告でドタバタコメディを想像していたら、ホロッとするハートフルなストーリー。悪者も出て来ないし、まさに銭湯に浸かったかのような観終わった後ほっこりする映画。
幸せとは何か、を考えた。
心ぽかぽか
日本の大切な文化の一つ、湯船につかるお風呂、温泉、そして銭湯。
本作はメインテーマの銭湯はもちろん、湯船につかることで誰もが味わえる小さな幸せを優しく描いています。
銭湯に集う人々の群像劇ですが、一つ一つのエピソードはとても普通。でもそれが良い。特に笹野さん演じるご夫婦のエピソードがじんわり胸に響きました。
最後はもう一捻り欲しかったけれど(銭湯だけで経営的に厳しいのは事実だし)、まぁいっか。笑
お家に帰ってお風呂に入るのが楽しみです♪
湯道ってそういうことなのか!
湯道って、予告で見た時に温泉とか銭湯通みたいなことで捉えていたけど、茶道とか華道とかと並ぶものとしてでてくるんですね。
それがまずびっくりしました。
なるほど、お風呂を楽しむための作法、、とは。
潰れかけの銭湯を売ろうとする兄と守ろうとする弟。そして住み込みバイトのいづみ。兄弟といづみと銭湯に来るお客さんたちとの触れ合いの中で、銭湯は町の人たちの心の癒しであり、支えであり、一つの故郷なんだと気付かせられる物語。
銭湯はほとんど行ったことはないが、周りに結構あって、それがどんどん潰れていったのを見て、寂しく思った記憶はある。今や建物を生かしてカフェになってるところもあり、雰囲気を楽しむことはある。
近所にも人気の銭湯があって、車で遠くから通う人もいる。この映画を見たら行きたくなった。(行ってないけど)
あんなふうに木をくべて沸かす銭湯っていうのは、今もあるのかなあ?
前に東山行った時に撮影していたお店が出てきてびっくり‼️
これの撮影だったのかー、、
ビニールシート貼って中見えないようにして、警備もいて、厳重にしてるなあと思ったけど、寺島さん、戸田さん、斗真もいたと思うと、、見たかった‼️
銭湯好きの輩としては・・・
何ともフジテレビ的映画の、特長プンプンの作品
踊ったり、海難救助だったり、大騙し合い大会モノだったり・・と、説得力の有る骨太企画作品も有るのですが。
演技派、有名処続々ですが、思った処の役処に、想像通りの演出での大名行列❗️
風呂大好きで、特に銭湯巡りをしていたモノですから、オリジナル下町の銭湯物語作品っと言った、メディア情報から心持ちにしていました。
アットホームコメディドラマとしても、かつての銭湯舞台TVドラマにも現実感が、およばなく、何よりもお風呂の銭湯の良さ、素晴らしさを、台詞で
「銭湯は素晴らしい❗」
「お風呂は素敵❗」
っと連呼するのは、チョイと違うのでは⁉️
そこはそれ、映画ですもの演出でじわ~んっと
話しの盛り込み方も、迷走気味に加え、笑えない駄洒落やコント⁉️に我慢を強いられ。
最後にみんなお風呂に入り、楽しく歌う‼️
なんか適当に濁された感じで席を立った私です。
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