「【”今作における熊とは何か。”今作は、20年間映画製作と海外渡航を禁じられたジャファル・パナヒ監督が、ドキュメンタリータッチでイランの現状を暗喩と皮肉を込めて、命懸けで描いた作品なのである。】」熊は、いない NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”今作における熊とは何か。”今作は、20年間映画製作と海外渡航を禁じられたジャファル・パナヒ監督が、ドキュメンタリータッチでイランの現状を暗喩と皮肉を込めて、命懸けで描いた作品なのである。】
■トルコとの国境に近い村に極秘滞在したパナヒ監督は、トルコ内でイラン脱出を図ろうとする男女バクティアールとザラとの映画をリモートで助監督レザに指示し撮影している。
そんな中、村の子供達をカメラで撮影するが、その後村人たちから若い男女ソルドゥーズとゴサルとの逢引きを撮ったのではと疑われ、村の掟により女の婚約者と言い張るヤクーブに糾弾される。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作では、二組の恋人達が描かれる。一組は映画の中で。もう一組はトルコとの国境に近い村の中で。
・映画の中の男女、バクティアールとザラは演技をしつつ、実はイランからの脱出を狙って居る事が徐々に分かる。
同じように、村のソルドゥーズとゴサル(彼女は映されない。)の関係を村の掟である”女の子が生まれた場合は、へその緒を切る前に結婚相手を決める”と言う旧弊的なモノにより婚約者となっている男ヤクーブから、パナヒ監督は糾弾される。
・結局、パナヒ監督は村長の申し入れを受け、写真は無いとカメラを見せるがそれでも納得しないヤクーブ。宣誓までさせられる監督は、村を去る決意をする。
<ジャファル・パナヒ監督は、それまでの映画作品では、イランの人権侵害、文化統制に対し、時にユーモアで抗議し、時に過酷な運命に対し、連帯感を示す事で抗議して来たが、今作の2組の男女の結末は、苦渋に満ちている。
バクティアールのパスポートが偽物と知ったザラは、トルコの湖に身を投げ、テヘランの大学で学んだ学のあるソルドゥーズはゴサルを連れ、国外へ逃亡しようとするが”何ものか”に射殺されてしまう。
ソルドゥーズが、川の中の大石に血だらけで突っ伏している道の横をジャファル・パナヒ監督は、沈鬱な顔をして通り過ぎるが、その後車を停める。サイドブレーキを引く音がして、そして画は暗転する。
当然の如く今作は上映禁止で、資料によるとジャファル・パナヒ監督は再び拘束されたようである。
パナヒ監督の制作した映画が、イラン国内で上映される日は来るのだろうか・・。>