イニシェリン島の精霊のレビュー・感想・評価
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首を捻りながら
一体何の話?と思いながら、分からないままに終わってしまって、本土の内戦のメタファーというのは、分かるけど、何が分からないかというと、コルムが急に友達をやめると言い出した理由で、人生の残りの時間を無駄に過ごさないためという、理由は語られるけどそれの腑に落ちなさで、劇中のパードリック同様に困惑してしまう。話しかけたら指を切り落とすからな!(俺の!)も、何で、そこまで・・・??とやっぱり困惑。自体がエスカレートしてって最後、和解?したような?決別したような?この話は何なんだろうと。
コルムがパードリックを嫌いになったようには見えないというところ、暴力警官に殴られたあと助け起こす仕草の優しさ。ここがすごく切なく、映画では冒頭から絶交がはじまってて描かれていなかった2人の友情が思われて、やっぱり、何故・・・?となる。
町山智浩さんの解説を聞いて、コルムが急にパードリックと関わりを断とうとしたのは、コルムがパードリックを愛していたからではないか、
という、
観点から思い返すと結構腑に落ちる。
そういえばパードリックと妹がベッドを並べて寝ていたのには引っかかりがあった。仲が良くても、成人した兄妹で同じ部屋にベッドを並べて寝るかな?と。
コルムはパードリックを愛していることに気付いてしまって、一緒にいない方がお互いに良いという判断をして、という風に考えると、指を切り落として投げつけるという常軌を逸した行動も、パードリックの方はコルムの気持ちに気付いてないからただただ困惑するという状況も、解けていくような気がする。神父に聞かれて、「まさか!」と答えてたから、そう思わないで観てしまってたけど、そうだったのではないか。
マクドナー監督の前作スリービルボードも、そいうえばサムロックウェル扮する暴力警官が実はゲイだったのではと仄めかすようなところがあって、だから本土内戦のメタファーとしてのおじさんたちの喧嘩の裏には、もうひとつ監督が意図していたものがあったのでは?
あとは、とにかくイニシェリン島の閉塞感がやばい!死ぬまでひたすら暇を潰していくしかない・・・。妹は出て行けて良かった。妹が船から見た黒い影は誰だったのか?私は島の精霊(死神)的なものかなと思った。
バリーコーガンの演技が素晴らしく、見ているとこっちまでソワソワと居心地が悪くなってくる!
一度失ったものを取り戻すことはできない。
一度失ったものを取り戻すことはできない。
友情と引き換えに静寂と平和を手に入れた男は、指と家を失い、
退屈だと言われた男は、退屈さを捨てるとともに善良さを失った。
恐ろしいのは、これが終わりではなく始まりであるということ。
いま、世界中で起きている終わりなき報復の連鎖のように。
個人間の些細な諍いを眺めていたと思ったら、有史以来愚かな人間たちが引き起こす大きな構造の中に飲み込まれていた、そんな物語。
愚かに見える主人公たちだが、犬を大事にするところはとても素晴らしい。犬は癒し。
退屈の果て
何もない
アイルランドの果て、イニシェリン島
長年の友人の絶交宣言を受ける
自身、周りから天然と言われるが
本人はまるで気付かず
「今度話しかけたら、指を切り落とすぞ!」
玄関に投げつけられた一本の指
シュールな笑える作品ではなく
シュールなのです
シリアスでもなく
この独特な路線を行く映画
妹は退屈な島を出る
片手の指全部を無くしたコルム
死に誘われたドミニク
雄大で美しいイニシェリン島
たしかに行ってみたいと思うが
住みたいとは思わない
少し変わった人間ドラマでした
コルムがパードリックを拒否した理由はこの際どうでもよい。 人間の不条理と孤独・そして自分を見つめる行為を、皮肉交じりに映像化しているのだから。
窓である。
石造りの窓が象徴的に使われていて、これは社会を映し出すもの、外の世界を見る、相手を見るという意味もあると読んだ。
オープニングで、パードリック(コリン・ファレル)がコルム(ブレンダン・グリーソン)の家の窓を覗く。ガラスの反射で初めは中の様子をうかがえないが、パードリックが体をずらすとコルムが背を向けてタバコをふかしている様子が見える。パードリックがまた体をずらすと再び反射で家の中は暗くなってしまう。
このシーンが作品すべてを表しているように感じた。相手との距離、こちらの出方によって(心の)中を垣間見ることができるような。距離が近すぎても見えないし、ガラスの反射は自分自身をも映すのにそれを自覚しないことには見たいものも見えてこない。
そして孤独である。
外部と閉ざされた「島」と「石造りの家」という空間で「存在」するだけの暮らし。この閉塞感が人をかたくなにさせ固執化してしまうのではないか。
シボーン(ケリー・コンドン)は外の世界へ出ていった。彼女は本を読み自分の居場所と生き方、つまり希望を手に入れようとしている。アイルランド内戦(1922年?)の頃の歴史的事情には詳しくないが、むしろ対岸の火事と並行して、人間の不条理と愚かさに気付くかどうかという暗示と受け止めた。
マーティン・マクドナー監督の描くねじ曲がった皮肉たっぷりの心の闇は説明できるものではなく、決してハッピーエンドではないが、この人の方向性は好ましいと感じる。
パードリックとコルムの対照的なキャラクターが、ドミニク(バリー・コーガン)というスパイスで味付けされ、寒々しい島と海岸線、余分なBGMを排した自然の音(動物の声、足音等)により味わい深い。
コリン・ファレルは役作りなのか、凡庸な顔の作りで、パードリックの困惑と孤独を上手く演じていたし、ブレンダン・グリーソンはもういてくれるだけでグー。
バリー・コーガンは『ベルファスト71』『聖なる鹿殺し』で注目していたが、今後独特の存在感で良い脇役として成長していくのだろう。
指切りは、鬱屈から抜け出るための代償だったのか?
深緑色や灰青色の物憂げなパステルカラーに満ちた島が語りかけてくる、人生の退化と諦め。生きていくには、それしかないのだ。嫌なら、自力で変えようとすればいいし、出て行けばいい。でも、そのために何を捨てられるのか、何を犠牲に出来るのか?
それまでの経緯も、二人の男の過去も描かれず、いきなり始まるコントじみた諍いと、コントのような惨劇。絶対、許すまじ! と言う強い怒りを表明する時、アイルランドでは、指を切り落とすのか? 映画を観た後に、調べてしまいました。
◉妹の決心
パードリックの妹シボーンの行動が、この作品の中で唯一の正解に思えました。兄を置いて島を出るしかない。キャッチの「すべてがうまく行っていた、昨日までは。」も事実ではないと思います。かつてもこれからも、この島でうまくいくことなどないはず。
私の洞察の浅さから、正解でないものが正解に見えているだけかも知れないです。やはりこの作品は惹かれるものはありますが、難解。
海と丘と、砂地と草地でできた、染み入るような美しい島の景観。道の分岐点で、通る人々を見下ろしていた聖母像。この島では、人生なんかどちらへ行こうと大した違いはない。何も考えずに生きて、酒を浴びながら死んでいくしかないのだ。
◉コルムの覚醒
「退屈な存在」であるパードリックを絶縁して、これからの人生は音楽に捧げるのだと宣言するコルム。島が与えた残り時間のあまりの少なさに怯えて、彼は叫ぶ。俺は何かを残したいんだ。
演奏家が自分の指を失くして、一体どうするのだろう。そこまでパードリックへの憎悪に身を委ねていいのか。遂にバイオリンを弾けなくなったコルムが、学生たちの演奏に聴き入る姿は凄絶だったが、疑問は膨らみ続けました。ただ、コルムはそれでも先の人生も見ていたように感じました。
すると指切りが示したものは、人生を変えて意味あるものにするには、時に理屈では考えられないほどの犠牲・代償が必要だと言うことの暗喩だったのでしょうか。
それぐらい、島の閉鎖世界の呪縛は強烈なものなんだと言われれば、理解できそうです。
ドミニクも思い詰めた姿でシボーンに告白、アッサリ振られると死んでしまった(自死だと思えました)。「命懸け」の恋の結果として、命を放棄した。
◉パードリックの不幸せ
「お前と居ても何の益もない」と決めつけられ、それを覆せないパードリックの悲哀。情けなさは、やがて激しい怒りに形を変える。
物言わぬロバやボーダーコリーが、パードリックの心の内を覗き込むようにして慰めてくれていた。いいや、もしかすると親友に馬糞の話しかしない飲ん兵衛オヤジに呆れていたのかも知れない。お前の話し相手は俺たちだ。
ただ、そもそもパードリックに特別な落ち度があったのかと言う問いに対する、スッキリした答えも思いつかなかったのです。
コルムの人生にとって、パードリックの存在自体が忌み嫌うべきものだったとすれば、あの泣き顔に共感したくなります。優しさでは、誰も覚えていてくれない……とまで言い放たれるし。辛いです。
沖の向こうの本島では、アイルランド内戦が勃発していた。それは悲惨な事実。一方でイニシェリン島では古い友人たちの不思議な戦闘が繰り広げられていた……。
後にこれが「コルムとパードリックの闘い」と呼ばれることになるのか?
それにしても絶交の後も、コルムがパードリックに見せた優しさが、何となく気味悪く、しかし非常に温かくて癒されました。結局は大事な大事な友人だった?
精霊の魔法の杖
まちがいなく忘れられない映画の一本になると思う。
脚本の妙、役者の演技、映像の効果、どれも最高だった。
最も心を鷲掴みにしたのがドミニクの存在だ。
物語を理解するための補助線としての役割に加え、バリー・コーガンの演技力で、不世出のキャラクターが誕生したと思う。
そのドミニクは冒頭不思議な棒を拾う。先に鉤が付いている。漁具にも見えるが、島育ちのドミニクもなんの道具かわからない。
そんな棒を手に、ドミニクはパードリックの傷心に寄り添い、シボーンを絶望から救う。
特にシボーンとの絡みが絶妙だった。シボーンが警官に「だからだれからも好かれないんだな」と言われ、もう死んじゃおうかな、という感じで湖のほとりに立っていると、警官の息子であるドミニクがやってきて唐突に愛を告白するのだ。シボーンはもちろん断るのだが、笑顔を取り戻している。島を去る勇気も得たはずだ。
哀れなドミニクは水死体となり、あの不思議な棒の鉤で岸に引き揚げられる。
あれは精霊の魔法の杖か、死神の鎌か。
ラストでは不気味な老女がその棒を手にパードリックとコルムを見つめている。精霊の企みはまだ続くらしい。
答えもない、カタルシスもない、救いもない映画だけれど、何度でも観たい。たぶんその度に発見があるだろう。
楽園追放を目論む蛇 救いは特にない(気がする)
『イニシェリン島の妖精』を見ました。
途中までは、突然の友情を断ち切られ、不意に自分自身のつまらなさに気付かされ、才能と仲間にも恵まれた元友が羨ましくも妬ましくもあり、みたいなSNSでありそうな話しのアイルランド版なのか、という感じがしていました。それは痛切ではあるものの、劇中でもあるように、12歳かよ、という話でもあります。
ここからネタバレします。
しかし、本当に指を切って投げつけるあたりから、話しは、一気に深刻な感じになってきます。創作に没入しようと思えば、別にもっと無視すればいいだけの話なのに、わざわざ指を切って投げつけるとは! これは、『死んでやる!』みたいなのと同じで、相手側にも好意があるのを前提にしてますよね。「ふーん、それで。そこらへんに捨てとけば」とは言われずに、心を揺るがす事を知っていて、それを狙っている。
楽園追放を目論む蛇。
ちょっと『トーマの心臓』のユリスモールとサイフリートも思い出した。
到底、善意とは思えないけど、「良い人」の楽園から連れ出して、人としての苦しみを味合わせる事が彼の計画であり、芸術だったのではないかなー。
でも、ロバが指を食べて死んでしまって、計画は狂い、蛇自身も傷を負う。
随所に挿入される十字架とマリア像。窓から(動物とか)何かが見ているシーン。神様は、この諍いすら見ていて、(終極的には)許している、という事なのか。そして人は、どこに行こうとも逃れられない(劇中にもあるように「満喫するってなんだ」)。
私自身としては、神様は全て見ているからと言って、救いには感じられないので、もっと救いが欲しかったなー、とは思う。
ドミニクは、あえて楽園を出ない選択をしているように見えるけど、死んじゃうって事は、その不可能性を意味してるのかな。あるいは、背負って死んだ、みたいな事になるのか…。
予言では、2人が死ぬと言われてるけど、1人しか死んでないように見えるけど、あと1人は??
なぜ!?の疑問が最後まで拭えない。
内戦中のアイルランド、その対岸の孤島が舞台。
仲良かったと思っている男から急に絶交を言い渡され、戸惑う。
話しかけてくるなら、指を切ると宣言し、本当に切ってしまう。
最後までその絶交の理由が明かされない。そこが知りたいのに!と思っていたらエンドロール。
苦悩が描かれているという点では描写は素晴らしいと思うが、なぜ絶交宣言したのか、ということが分からないと、カルムの心情に近づけない。
内戦と近所のおっさんの争い。大きい小さいはあるものの、それを象徴していたのだろうか。
絶交の理由知ってる人、教えてほしい。
孤立した島の衰退
原題(タイトル)を理解しているのと、いないのではかなり違ったイメージになる作品。
日本語タイトルでは精霊と表してるが、この精霊という言葉から連想するものとはかなり違った印象を感じられ、観終わった後に解説を読んで原題の意味を理解した。
このタイトルからイメージするものとのギャップにより、主人公含めその島で生きることを選択した人々に起こる出来事の断片が風景画の様に思えた。
そのため掴みどころのない人々の感情と情景を静かな時間の中で見せられただけの様に感じた。
『バルタザールどこへ行く』を連想させた。
ロバの死が『ロベール・ブレッソン』の『バルタザールどこへ行く』を連想させた。民族、宗教、国の違いと争いをこの架空の島を舞台に描いた話だとは直ぐに理解出来る。しかし、この演出家の本当に言いたかった事はこのロバの死なのではないか?と感じた。『バルタザールどこへ行く』でも争いに巻き込まれる無垢なロバの死を描いている。ここでも同じだと思った。
何一つ予備知識無しで見たが、それが良かった。最初は眠かったが、この島の時間の流れが感じられ、それとは対象的に人々の時間が見事に止まっている。思考の流れとしては、実に矛盾があると思うが、デフォルメの範疇。傑作だと思った。
俗な言い方で締めくくれば、ウクライナとロシアの関係を言っているのかなぁ。
最後にもう一人死ぬんだと思いました。さて、殺したのでしょうか?やっぱり、自死したのでしょうか?
(最後の主人公の台詞から)
ライアンの娘だね。
嫌う権利を守る島の物語
めちゃくちゃ面白かった。
おじいさんとおじさんの仲違い、というか、ある日突然、親友だと思ってた人から「お前の事嫌い」とある男が告げられるところから始まる、ジャンルに収まらないストーリー。怖いし綺麗だし(風景)不可解だし驚くし笑えるし不穏だし可愛いし(動物)切ないし。笑いながら怖がって泣きそうになった。
嫌いになるのもわかるし、嫌われて不安で寂しくなるのもわかる。嫌う権利を認めながらも、嫌われた人の不可解さも認める島の繋がりの強さと鬱陶しさよ!
人に話したくなる映画だ(話しかけることで嫌われたくはないけど)。
絶望の作品
全く救いがない。閉鎖された島民たちの退屈な日々を描いた作品。馬の糞の話を2時間もされたなら気が狂うのも解る。島民自ら自分自身を無意識の内に見放し、信仰からも見放された島。全く救いが無い。その現実に気付いた極小数な人たちは行動を起こす。作品製作、移住、そして自殺。余りにも悲しい作品だ。だが主人公のコリン・ファレルは気付かない。渦中に居ても気付かない。人は良いが考える力、知性に欠けている。その不幸が生涯を貫く。ただパブで呑む酒だけが一時の救いなのだ。私たち日本人も決して他人事ではない。今の日本もイニシェリン島と同じで、絶望しかない。表面的には人の良い国民であり、大学進学率も低くはない国だが、やはり「考える」という意味での知性に欠けた現実に気付かない国民が大多数である。この作品を鑑賞したのならば、考えるべきだ。そして、この国の政治を根本から糾すことが喫緊だと理解すべきだ。
よかった
老人が喧嘩する話なんか予告でさぞつまらないだろうとモチベーションが上がらなかったのだけど、評判がいいので見る。すると、思っていたほどつまらなくなく、退屈しないまま最後まで見る。しかしやっぱり見て損したとは思わないが、特に感動や興奮もなく見ても見なくてもどっちでもいい。ただ、人々の負の側面がリアルに描かれていて好みだ。
100年前のイギリスの島での暮らしぶりが見れる。電気がなくてろうそくの生活で、人々は午後2時からパブでお酒を飲む。そこで話のつまらない友達に毎日動物のうんちの話をされたらそれはたまらないだろう。しかしだからと言って指を切るなんて、怖い。
愛では死神から逃れられない
傑作だと思います。過剰に開放された現代において、このような寓話的で閉じた物語を一つの映画という秩序として立ち上げようとする意志を歓迎します。
死神(=Banshee)は二人が死ぬことを予言しました。死神がパードリックに言ったセリフをそのまま受け取り、この二人とはパートリックとシボーンの兄妹二人をもともとは指していたと私は考えます。冒頭に死神が暖炉の近くで二人の親の死んだ期日を尋ねていたことは示唆的です。
湖でシボーンがドミニクに会う直前、死神はシボーンに手招きしました。あのまま行っていればシボーンは死んでしまっていたでしょう。しかしドミニクはシボーンに愛の告白をし、そのためにシボーンの代わりとして湖で死にました。
パートリックはコルムの家に火をつけ死神の約束した死から逃れました。しかしコルムは死ななかった。最後に死神はコルムの家を訪れましたけども、憎しみ合うパートリックとコルムを眺めるだけでした。
パートリックとコルムは半分ずつ死んだのでしょう。死神の予言は実現し、二人は激しい闘争関係にある癒着して分割不可能な一人となったのです。死神はそれを愛すでしょう。
死神から逃れるためには愛ではなく闘争です。私はこの映画の提示したそのような秩序に魂が痙攣するような感動を覚えます。払うべき代償を払いながら、この世界におけるある代え難い真実の叫びを引き受けたような気がするのです。
寓話的な作品としては理解できるのですが……
事前情報をあまり調べてなかったので、もう少しサスペンス要素やファンタジー要素があると思ってたのですが、全然違いました。
決して出来の悪い映画ではありませんし、寓話的に解釈して素晴らしい出来の映画だとも思ってますが……、コルムは少しやりすぎですし、パードリックは常にダメな方の選択をしてしまうし、シボーンは耐え切れず途中退場しちゃうし、なによりもドミニクが不憫すぎます。
何ともやりきれない気持ちで映画館を後にすることになり、直前に見た「金の国 水の国」の多幸感がが台無しです。順番逆に見ればよかった……。
全然関係ないですが、なんとなくコリン・ファレルさんは博多華丸さんに似てるなぁ、と思ってましたが、この映画を見て、それが確信に変わりました。
予言の二人目とは
最近気になっていた「公正世界仮説」を思い出した。パードリックは繰り返し自分はいい奴だと主張する。彼は自分はいい奴なのだからいい扱いをされるべきだと思っている。ただ現実は違う。親友と思っていた一緒にパブで飲んでいたコルムに断絶を言い渡される。しかしパードリックはそれを受け入れることができない。なぜなら彼はいい奴でありそしてその過去の習慣は彼の全てだからだ。コルムはコルムでおそらく自分は正しいと考えている。だからこそどんどん関係は悪化していく…
対岸のアイルランド内戦も同じことなのだろう。隣人が仲間が、己の正義から対立をし無垢な命が失われる戦争につながる。パードリックもコルムも無垢な命について悼む心まで忘れているわけじゃない。彼らには人間性がちゃんとある。にも関わらず、取り返しのつかないことを行っていくのだ。大義の名のもと、エスカレートしていく彼らをもはや誰も止めようともしない。傍観、または悲しみながら遠ざかるのみ。そして彼らにはけして日常は戻らない。アイルランド内戦が終わったとて同じこと、近くないにしてもどこかで砲撃が、銃声は響いている。なんて辛い重い現実なんだろう。
人が抱く、間違ってないよな?自分は悪くないよな?痛い思いをするのはきっと悪いことをしたやつだけであるべきだよな?この感覚の持つ攻撃性について考えさせられる作品だった。グロにとても弱いのでところどころの映像は自分にはきついところがあったが、それでも観てよかったと思える作品だった。
以降ネタバレに当たるであろう個人的感想
予言の2名死ぬがひっかかっていた。
だからこそ、最終的にはパードリックとコルムは殺し合いになりどちらかが生き残るのだろうと思っていた。
しかしその場面は起きず、コルムはおあいこだと言い犬の世話をまた頼むということをにおわせ、パードリックは「anytime」と答える。この会話の違和感はなんなのだろう。やはり、この会話はパードリックの幻想であり、パードリックの襲撃に微動だにしなかったコルムは予言のとおりの二人目の死者であり、コルムの愛犬はパードリックに託されざるを得なかったと考えるべきな気がする。
こんな島には行きたくない
何と理不尽で不条理な。途中から2人の関係性が内戦の暗喩だと気付くのですが、一切の共感を拒絶するかのような展開。にしても、美しい映像と俳優たちの圧倒的な演技には平伏。ラストがちょっとの救いなのでしょうね。痛いシーンがあるので減点です(笑)。
人間の欲求の本質をえぐり出す
誰もが当たり前に持つであろう些細な欲求の行きつく先が容赦無く描かれている。
登場人物も取り立てて悪人という訳では無く、むしろどこにでも居そうな人々。
誰が特別悪い訳では無いのに、最悪の結末へと落ちていく。。。
もし僅かな楽しさや喜びや救い等を求めるなら観るべきでは無いかもしれない。
でも人間の欲求というものの真実を深く探求したいという方には絶対おすすめ!
自分もこの世の苦悩の根本は欲求であるという考えなのだけれど、まだまだ甘かったと思い知らされた。それはあまりの悪い展開に、最後はなんらかの救いがあるだろうと心のどこかで期待していたから。エンドロールが流れてわずかな期待が裏切られたことを理解した。
人間の欲求というものの醜さ、エゴのぶつかり合い、そして終わることの無い争い・・・
それらが凝縮されて自分に突き刺さった
観終わった時のなんとも言えない後味が、実際の社会にある人間関係そのものであると感じた。
妹も見た?
雄大な景色のおかげで、100年前の設定でも違和感無く観られる。
読み解く力の無い私には、結局なぜ友達を辞めなければならないのか、分からず。。。
作曲作業も3、4日で終わるなら、コリン・ファレルの相手しても良くない?
コリン・ファレルが船に乗る妹に手を振るシーン。
兄の横に見えたのは死神?
島向こうの内戦と仲たがいの喧嘩
長年良き?友人としてつきあってきた男(コリン:ブレンダン・グリーソン)から
「残り少ない人生は知的に行きたいので馬鹿なお前とは付き合えない」
と言われた男(パードリック:コリンファース)達の物語
バードリックが可愛がっているのはロバ
コリンが可愛がっているのは牧羊犬
動物でも資質を表しているのは皮肉だ
でもどちらも凄く可愛い
コリンの一方的な絶交宣言に戸惑い、理由を聞き苦悩するバードック
この下りは泣けてきた
*不思議なのはこの映画、観客のすすり泣きが聞こえるのだが
どの場面でも違う部分で聞こえる所
ラストでは超えてはならない線引きをどちらかが超える
島向こうの内戦をなぞらえて2人が語り合う部分は印象的
戦争も仲違いも規模が違うだけで
傷ついた方が許すことはむずかしい
非常に身近に感じる映画だった
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