「みえかくれするもの」イニシェリン島の精霊 humさんの映画レビュー(感想・評価)
みえかくれするもの
永遠に続きそうな景色とありふれた毎日
目に見えるものも人の生命も関係もちぎれるように突然の終わりを告げることがある
いさかいは、誰かにはささいなことで、誰かにはささいなことではないからどこにでも起きる
寄り添えばなにが必要で不必要かがみえるのだろうが
そもそもの価値観はひとそれぞれ
そしてそれは変貌性を持つ
タイミングよく察知できなければそのボタンはかけちがいのまま
まわりには、異変を感じ声かけるひとあり、みてみぬふりをするひともあり
こまった噂がはじまれば、波紋は形をかえてさらに広がりだす
垂れこめる灰色の空と海
荒涼とした野原の短い草をたべ
のんびり過ごす家畜たち
ぽつりぽつりと神様が置いたように点在する住居
素朴な人々は
日曜になると古びた教会に通い
小さな店で小さな買い物
午後のアイリッシュパブは馴染みの顔でうまる
誰もが知り合いのその土地の赤土を守る平積み石の壁は濃くてせまいコミュニティの砦のようにもみえ長く長くむこうの風を塞く
いまも歴史を匂わすアイルランド
そこは小さなイニシェリン島
親しかった2人の男の訣別はここで勃発した
対岸の本土に轟く無情なエゴと変わらぬ本質をもって
徐々にひきさかれる心と心が
ダーンダーンと不穏なトーンで
カウントダウンされる
コルムは高齢で一人暮らしの演奏家
人生の残り時間を音楽に費やし作品を遺したい思いにかられる時がきた
胸をおさえる様子がちらりとあるが、体調の不安も本土の内戦状況も時間への思いをより身近なものとして捉え死生観を新たにしていたのだろう
一方、パードリックは同居の妹がすべての家事をこなしてくれ、取り急ぎの心配もない
仕事後は日課のようにパブで過ごし、たわいもない会話と酒が生きがいのよう
黒ビールの泡のような時間をいい気分で過ごせる気力も、若さも、暇も持ちあわせている
そんなパードリックがコルムから「お前は退屈だ、嫌いになった」と急に絶交宣言をくらうが腑に落ちない
自分に落ち度がないと思うから反論する
大切なロバがコルムの指のせいで死んでしまうと、深まる傷がさらに承認欲求を強固にする
コルムの家を焼き払ってでも恨みを示すのだが、事前に犬は避難させるように忠告を欠かさなかった良心の不思議
コルムは自らの約束通り次々指を切り落とす本気度をみせつけパードリックと離れたがる
しかし、何故かパードリックの窮地に居合わせると躊躇なく手をさしのべる
おそらく自然にみせる彼の人間性で、別れたい相手なのに見放しきれないのだ
加えて、何度かパードリックに〝おあいこ〟だと言う
このボールを受け取れば争いはおわると彼にチャンスを渡しているのだ
だが、パードリックはもはや抑制できず、そのボールを除けたりひどく投げ返したりする
ここには、屈辱感が強いほど自尊心を刺激することと相手(彼にとってのコルム)がどれほど大切な存在だったかという真実が出る
不条理なできごとに面した人間の複雑な感情と行動が皮肉なほど裏腹で滑稽だ
渦中を囲む人たちの反応も興味深かった
行動的で聡明なパードリックの妹シボーンは2人のヒートアップに呆れながらも事態の収拾を考え協力していた
だが、いつまでも一方通行で折り合おうとしない兄達
これを引き金に、噂という刺激を求めて湧く狭い近所付き合いにも耐えかね島を出る
自分軸で生きるために居場所を変える選択をした彼女にとって、すべては過去の世界
俺の飯は?俺はどうなる?と最後まで言ってた兄が見送る岸壁がためらいなく遠ざかる
風にふかれる船上の表情はさわやかだ
〝他人が絡みあう人生だけど
自分を生きるのは自分しかいないのよ。前からあなたたちに付き合っている時間はないと思ってたけど踏ん切りがついたわ。〟
そんなふうにふっきれた胸のうちが聞こえるかのようだった
しかし、そんな彼女も後に兄に快適になった近況を知らせ、最後に兄さんもこっちへ来れば?と綴る
彼女もまた見放さない人間性をみせるのだ
時間への思いなど遠の昔に通りこえてきたような老婆ミセス・マコーミックはどうか
そう、やはり既にそのステージにはおらず、だ
深く遠くをのぞく眼光で島の人々の一挙一動を常に眺め、ところどころに現れて無言でたたずむ
そして時折、近寄りぼそっと発する予知的な警告
的中してしまった二つの死の予言は、ロバとドミニクも〝絶交〟事件を発端にした被害者だと暗に語る
ロバは投げられた血みどろの指を喉につまらせ死んでしまった
ドミニクはみんなにバカにされていたが嫌がらず話をしてくれるシボーンに失恋後、彼女の離島を知り滅入ったに違いないし、騒動の最中、父からの虐待について告げ口したことがばれ、よりひどい仕打ちをされただろう
希望も涙も枯れた彼の死は闇に葬られたわけだ
ミセス・マコーミックは、まるで自然災害が発生する前の兆しと同じ気配を漂わせて
〝予兆を見逃すな。警告を軽んじるな。〟と訴えている
彼女の生きる精霊と化したオーラは、アイルランドの精霊バンシーと時空を越えつながっているかのよう…
自分のことだけに夢中になり俯瞰しなくなることの恐ろしさを伝授するための存在におもえるのだ
そして、登場人物に若者やこどもがほとんど出てこないこと、男女比などの違和感がある
それは不自然な操作がまかりとおる地上のアンバランスさの象徴のようにもみえ、権力の乱用(警官は息子を虐待し、違法に酒を取得し、気に入らない相手に暴力で対応する。死刑の仕事に立ち会うのは手当がよいからで、楽しみにしているという。)(船でわざわざやってくる神父は島民に丁寧に扱われ、ご機嫌麗しく、時々良心にさいなまれ懺悔に来る真面目なコルムにカチンとくれば我をわすれて罵声をあげまくる。)は、差別や支配を優位性の中毒症状のごとくやめられない人間の愚かさを言いたかったのではないか
馬やロバ、犬…戦争をしない人間以外の動物は与えられた境遇のなかで立場を全うする
どんな感情にもまっすぐ寄り添うあの子たちと亡くなったドミニクの純粋さはどこかが似ていた
劇伴のケルト音楽は、そんな魂たちを讃え鎮めさせ、風にのり草の海を駆け巡らせる
共有って?
自由って?
他者の考えを認めるって?
自分を主張するって?
他に求めすぎるね
みんなちがうのに
尊重するってことを
ずいぶん難しくしちゃうよね
人間たちって
だから距離がわからくなるんだね
おじさんもさ、ダーンダーンのあの時
〝せいぜいがんばれ なんの戦いかしらんが。〟みたいに
いってたよねー
うん、あのおじさんもがんばって
ゆびをなくしちゃったねー
なんのたたかいかしらんけどね
動物たちはいがみあう人間をみて井戸端会議をひらきこんな話をしていたかもね
そしてもっと妄想すると、作者は相も変わらず繰り返し混迷するこの世に生きる〝私〟という人間を構成するいろいろな断片を、この別れに関係したキャラクターに投影し問いかけたかったのではないだろうか
そう考えると、自分のなかにも否定はできない覚えのある要素がひとつ、ふたつ…いやみっつ…
美しくて長いダークなおとぎ話をそっと閉じたあと、最後のふたつの言葉が胸にのこる
そして、じんわりじんわりなにかが押しよせる後味がたっぷりな個性極まる逸品だ
修正済み
共感、コメントありがとうございます。動物たちの井戸端会議、確かに行われていそうですね。
遠く離れた島の少し昔の話ですが、今の自分の事に置き換えて観ざるおえなくなる、とても印象的な作品でした。
ずっとコルムさんに否定的だったのですが、つい最近、ある出来事から、(限られた自分の時間を食い潰す)友人の存在に疑問を持つコルムさんの考えも少し理解できるようになってきました。もう一度見たらまた違う感想を持つのかもしれません。
共感有り難うございます。
確かにパードリックは純朴そのもので、可哀そうなのですが、付きまとうことはあっても、「見放さない人間性」が備わっていたとは思えないです。
コルムもシボーンも、秘めたる優しさを持っていたようですね。
すばらしいレビューですすね。
否定的なコメントや戦争の喩えという捉え方が多い中、映画のそのままを捉えたレビューでとてもよったです。
この映画を見て、何日か経ちましたが、未だに整理できていません。なのに、何かしら心に残る作品でした。