バルド、偽りの記録と一握りの真実のレビュー・感想・評価
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イニャリトゥの贅沢で正直なプライベートな映像集
冒頭、男の影が息を切らして荒野を高くジャンプしながら、何とか前に進もうとしている。しかし、なかなか距離が稼げない。それはまるで、子供の頃よく見た空を飛ぶ夢のもどかしさに似ている。
アレハンドロ・G・イニャリトゥが『アモーレス・ペロス』以来になる故郷のメキシコにカメラを据えた最新作は、そんな風に、イニャリトゥが心の旅路を思いつくままに回想し、それを現実と幻想が入り混じった映像に置き換えた作品になっている。とは言っても、時間軸を激しくシャッフルしたり、全編ほぼワンテイク、ワンショットにチャレンジしながら、テーマは明確だった過去作とは違い、『バルド~』は終始混沌としていて捉えどころがない。
それは、監督の分身と思しき主人公のジャーナリスト兼ドキュメンタリー作家のシルベリオの居場所のなさ、つまり、イニャリトゥ自身が感じている、映画界最高峰の栄誉を授かった今も、アメリカでは異国人でしかない孤独感や、監督としての方向性の喪失を現しているのではないだろうか。まあ、そんなの贅沢と言えばそれまでなのだが、同郷の盟友、アルフォンソ・キュアロンが、同じく自らの過去に目を向けた『ROMA/ローマ』や、パオロ・ソレンティーノの『Hands of God』と比べると、イニュリトゥの場合は、自らの中にこの映画を作った本当の意味を見出せなかったような気がする。贅沢だが正直、と言うのが筆者の感想だ。
それでも、冒頭のジャンプシーンに始まる珠玉の映像集は、たとえそれが159分間に及んでも、全く退屈しないし、時折物凄い没入感が体験できる。この超豪華な映像体験は、やはり劇場で試すのが相応しい。
大胆で野心的でありながら、最も個人的で内省的な領域を炙り出した異色作
とても評価の難しい作品だ。強靭な物語性で引き込むイニャリトゥのこれまでの作風に比べると、本作は点描的でもあるし、とっつきにくい。我々は砂漠で伸び縮みする影をずっと追いかけるかのように、光と影に満ちたマジックリアリズムをかき分け、かと思えば時に圧倒的な言葉の応酬に翻弄され、この映画が我々をどこへ誘おうとしているのか理解できぬまま、2時間半に身を委ねる。「バルド」とは一つの死から次なる生に至るまでの中間領域をいうらしい。なるほど、これは仕事、家族、人生、年齢、祖国の歴史、アイデンティティ、国と国の狭間できりもみする主人公の内面世界を赤裸々に吐露した、答えなき旅路だ。観る側の反応はきっと千差万別。私は幾度となく困惑したし、逆に吸い込まれそうなほどの繊細な感情、それを彩る映画的魔術に目が眩みもした。だからこそ嫌いになれないし、イニャリトゥという稀代の映画作家を見つめる上で欠かせぬ一作なのは確かだ。
ひょっこり
幻覚に似た話は嫌いではないが、面白く感じなかった。かなりの長尺。ウケ狙いの悪趣味な映像やいかにもの表現は鼻についたし、雄大な風景やインテリアのカメラワークなど、それそのものは力があるのだが、内面世界の表現としては、画力頼りな気もした。
中陰
2023年6月12日
映画 #バルド、偽りの記録と一握りの真実(2022年)鑑賞
#アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 監督作品
メキシコ人のアイデンティティというものをベースに虚構と現実が入り交じったような不思議な作品
真面目に見ると疲れますので、軽い気持ちで鑑賞されることをオススメします
おもしろいのかつまらないのか
こういう監督の内面を見れるような映画ってその監督に心酔してないと見るのがつらいね。ぼーっとしてるとキュアロンとごっちゃになっちゃうような私が見るべきものではなかったかも。もし心酔してたとしてもメキシコの歴史分かってなかったから途中で取り残されたかも。
夢なのか現実なのか過去なのか悪夢なのか
主人公シルベリオは監督自身の投影だが、過去と現在と妄想を行ったり来たりするためわかりにくく、決して大衆向けの映画ではない。
だがなぜか観終わってもう一度観たくなる映画だ。
ホドロフスキーの「リアリティのダンス」や、寺山修司の「田園に死す」などの過去の自分を自叙伝風に再構築する話に近いが、比喩的でより難解である。
突如始まる米墨戦争、死んだはずの父親との対話で縮む主人公、母の胎内に戻る赤子、夢なのか現実なのか過去なのか悪夢なのか、最期の最後にきてようやく仕組みがわかる、そんな映画だ。
長年アメリカに住んでいてもいまだに「移民」扱いされる主人公シルベリオの苛立ちは多くの日本人にはわかりづらいだろう。
「在日」と呼ばれ、3代日本に住んで日本語を話していてもいまだに選挙権もない人たちのほうがわかるのかもしれない。
長回しが多用される迫力のあるシーンは、映画館でこそ体験すべきものだっただけに、上映期間が短かったのが難点。
イニャリトゥ監督らしい作品
イニャリトゥ監督の自伝的映画。
メキシコ人ジャーナリストの人生を
不思議な映像で描かれていました。
家族、親、仲間、ライバル等
色んな人に包まれて主人公は自分を見つめ直す。
イニャリトゥらしい比喩的な表現や
哲学的な描写が散りばめられていますが
それほど頭をひねらずに観ることが出来ました。
作品全体がダウナー気分で常に根底に流れるペシミズム。 テレビ捨てて...
作品全体がダウナー気分で常に根底に流れるペシミズム。
テレビ捨ててメキシコに全然帰ってこないと叩かれた自分の経歴を揶揄したようなくだりが出てきたり、「成功を口に含んだら舌の上を転がして吐き出せ、でないと毒になるからな」「自分は父さんが与えたものを子供に与えられなかった。いい父になれなかった」とか、監督自身のこと?と思ってしまうような台詞の連続で、終始メタ的に自虐して見せる。
これを撮りながら常に死と隣り合わせだったのかも、、、と不安になる仕上がりだったし、産まれた子供がこの世が不安すぎるからと子宮に押し戻されるシーンは自身の子供を亡くしたトラウマがまだ根底にあるのかもだし、ギョッとするようなシーンもそれなりにあったので、全く万人受けではない。自省が行き過ぎると破滅に導かれる、この一言に尽きる映画。
足に楔を打たれるシーンは自分への戒めか。
虚構と現実がないまぜになり、どこまでが夢でどこまでが現実なのか、境目が曖昧。
「パパは白黒つけたがるけどそのままでいいこともあるの」
「そのままでいい」ことを体現するかのように、移民問題、メキシコの歴史、家族との衝突、アイデンティティの問題等等、全てが複雑に絡み合い、終始混沌としたまま漠然と観念的に展開される。
冒頭と終盤のシャドウジャンピングシーンを始め、絵的カタルシスを感じるシーンはたくさんあったが、終始観念的で、難解な作品であることは間違いない。
いい映画だったなあ
美しかった、
辛辣だし残酷だけど。
この世界観にどっぷり浸かれる感じすきだ。
意味わからない所もあるけど、それも含めて好きだ
やっぱ父親とのシーンが特別に良くて、名言連発でしたな。どんだけ父親好きなんだイニャリトゥ。
「うつはブルジョアの病だ。暇の産物だよ。俺たちは悲しむ暇もない。」
「人生は無意味な出来事の連続に過ぎない」
「恥は酒で紛らわせて、成功に乾杯しよう」
「いつも言ってたろ。"成功を口に含んだら、舌の上を転がして吐き出せ。でないと毒になるからな"」
イニャリトゥ 凡人には理解出来ぬ天才の世界
大躍進のメキシコ人監督三人衆、“スリーアミーゴス”。
アルフォンソ・キュアロン、ギレルモ・デル・トロ、そしてアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。
全員がオスカーを受賞。中でも、2年連続で監督賞を受賞したイニャリトゥは、手掛ける作品も才も他の2人とはベクトルが違う気がする。
デル・トロはダーク・ファンタジー、キュアロンは多彩なジャンルを手掛け、独自色を持ちつつ、エンタメにも徹している。
イニャリトゥは一貫して社会派やシリアスな作品。入り組んだ人間模様、物語構成。絶望と希望。時に難解でもある。
その演出の深みは、もはや巨匠の域と言っていい。
それ故、どうしても作品によって好き嫌い分かれてもしまう。
『アモーレス・ペロス』『バベル』『レヴェナント:蘇えりし者』は良かったが、『21グラム』『Beautiful/ビューティフル』『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』はハマらなかった。(←改めてみたら、自分でも驚くくらい半分ずつに分かれている!)
では、本作は…?
ズバリ結論から言うと、ダメだった。
いや、ダメダメと言った方がいいだろう。イニャリトゥの作品の中でも最もハマらなかった。
理由は明白。私が苦手とする作風であったから。
一部では本作はイニャリトゥの自伝的作品と言われているが、そうではない。そもそも本人曰く、自伝には興味が無いとか。
架空の主人公に自分やこれまでや今を投影した作品と言えよう。
アメリカで活躍するジャーナリスト兼ドキュメンタリー作家。権威ある国際的な賞を受賞する事になり、母国メキシコに帰ってくる。母国への旅路の中で、男が向き合ったもの、辿り着いたものとは…?
主人公にはイニャリトゥ本人の反映色濃い。
活動拠点はメキシコからハリウッドへ。ハリウッドでアカデミー賞を2度も受賞し、その名声は揺るぎないものに。そんな今、母国に再び戻って作品を撮り…。
半分パーソナルな作品であり、半分誰にでも投影出来る作品として作ったという。
半分自伝的作品ならば…、嫌いな作風ではない。昨今、名匠たちの自伝的作品ブーム。同郷のキュアロンの『ROMA/ローマ』やケネス・ブラナーの『ベルファスト』も良かったし、スピルバーグの『フェイブルマンズ』もメチャ期待している。
が、本作は半自伝的作品でありそうには非ず、中枢はある一人の男の心の彷徨。その中に苦悩や価値観、倫理観、哲学などが浮かび上がり、例えるなら、フェリーニの『8 1/2』を彷彿。
恥ずかしながら私、そういう作品が苦手。
つまり、天才の苦悩。凡人の私に、天才の苦悩など分かりも共感も出来ないのだから。
開幕は出産シーン。産まれてきたのだが、こんな世界より胎内に戻りたがっていると、胎児を再び母体の中へ…という奇妙な幻想シークエンス。「生まれてきてすみません」なんて言葉があるが、天才はいつもこんな事考えているのか…?
TVのトーク番組に出て、辛辣司会者から槍玉に。母国にそっぽ向き、アメリカに尾を振る。世論の声や自問自答…?
亡き父親との再会、家族との向き合い…などは分からなくもない。
パーティーでの狂騒もともかく、随所随所の幻想的なシーン。街行く人々が次々倒れ、遥か上空に彗星が落ちたり、水浸しの室内、これはリアルか、監督が反映した世界の姿か、映画の撮影か…?
意味不明と難解が入り交じり、私の頭の中はショート状態。
イニャリトゥは現実と虚構を交錯させ、個人の心の彷徨、苦悩、家族との関係、自身のアイデンティティーを織り交ぜた渾身作なのだろうが、凡人の私にゃ全く響かず。
それどころか結局ただの自己陶酔にしか思えなくて、映像美は圧巻だったが、話も監督の込めたものもちんぷんかんぷん。
しんどい2時間半だった…。
一抹の望みと一握りの睡魔
予備知識一切なしで鑑賞しはじめたら最初の1時間は何がなんだかさっぱりわからなかった笑
イニャリトゥ監督ということで期待値が高めでしたが、睡魔との闘いだった。
この話はハリウッドでアカデミー賞受賞したメキシコ出身のイニャリトゥ監督自身の話で、まさにリアルタイムの監督の悩みを映画にした自伝的映画だったことがわかった。ケネス・ブラナーのベルファストや盟友キュアロンのローマ等の監督自伝映画は幼少期の記憶を扱っていましたが、この映画はまさにリアルタイムのイニャリトゥ監督。
そのアメリカとメキシコの歴史的な背景を知らないと詳しくはわかりませんが、メキシコにとってはテキサスもカリフォルニアもアメリカに奪われた土地であり、ハリウッドにアカデミー賞を受け取りに行くイニャリトゥ監督に対して、やはり良い気持ちにならないメキシコの方が多くいたのも想像できました。
そしてアメリカにもここをあなた(メキシコ人)には家と呼ばせないという、差別的なことがトランプ政権化で特に顕著に行われていたのか、イニャリトゥ監督自身のアイデンティティに迫る内容になっていた。
メキシコの街や荒野を歩く映像は65mmフィルムで撮られ、圧巻のクオリティ。
夢と現実を行き来するような不思議な映画だった
またしても…。
ハズレ。つまらない。
オチまでが疲れた。
ダラダラとこねくり回すような内容に辟易。
言いたいことをストレートに表現してほしい。
みなさん評価が高いですね。
こういう作品に高評価を与える人を映画好きというのなら
私は違うんですね。
鼻につくイニャリトゥ自省の旅 =『バードマン』×『8 2/1』
ここにいるけどいない音と夢…長すぎ詰め込みすぎ?いい父親になれなかった自分への戒め・後悔、自責の念か。不思議な光景が繰り広げられては歳を重ね、年を取ること。
そういう夢を見てるドキュフィクション。シルベリオ…心理ドラマで何よりイニャリトゥ監督自身についての内省的でシュールなコメディ。(国際的)成功の弊害について。現実離れした成功の裏に、庶民・民衆の代弁者などでは決してない。愛されてなどいない。一人でろくに電車にも乗れないブルジョワの贅沢な悩み。腹の足しにもならない賞を取って時の人として祭り上げられるような、公私を晒されては好き勝手に食い荒らされ、勝手に頭の中の考えを読まれては笑いものにされるセレブリティ、有名人、公人。事ある事に槍玉にも上げられる。ここで繰り広げられる心象風景は、頭で考えてしまえば退屈で、"一体自分は今何を長々と見せられているのだ"と。ただ、うまくハマって感じられればきっと何か違うものになるはずだとも思える。
国の歴史と共に時を超える己との対話。マルティン!気取った監督のよく分からん映画の小難しい話。ヌードという生まれたままの姿で自伝的要素、長回し、ハリウッドで学び培ってきたこと。圧巻のロケーションを捉える卓越した美しい撮影による鼻につくけどストーリーテリングの巧さ。例えば近年のテレンス・マリック作品も思い出すような(一歩間違えれば眠くなるような?)トーンと距離感。
スピーチは考えた?カネにしか興味がない国が賞をくれて、何を語るのか楽しみだ。生まれて間もなく亡くなった赤子の存在、あるいは不在という象徴。酷い世の中だから外に出たくない赤ちゃんマテオ。何か言いたそうによく出てくる。人は亡くなるけど概念は残り続ける。例えばただの負け戦が英雄として誇張して語り継がれたり、なにか変なメキシコという国もまた曲名の分からない曲のように。メスカルを。
ここにそんなもの無いはずなのに!白昼夢でも見ているかのように夢見心地よい浮遊・酩酊感と共に、見ていると不思議な感覚に陥るよう…まるで自分を見失い、人(他者)の人生を生きる。伸びる影に実体はない、付き纏っては彷徨い歩く。そのさまに時に息を呑み、魅せられる。幻想的で悪夢にもなり得る魅惑的なショットを積み重ねては浸る。庭、鏡、霊、銅像と(生き)地獄、歌や踊りに口笛という音楽。
自分をメキシコ人だと?今の私は無国籍だ。自分を責めるダブルスタンダード。自分が批判するのはいいけど他者からあれこれと批判されるのは許しがたい、そんな祖国への矛盾した思いを抱えて。内世界・夢と現実の境界が曖昧に溶け合い、入り混じるような己との対話セルフセラピー。騒がしく入り乱れる人、人、人の中でここにいるけど行方不明なアイデンティティー・クライシス。白人でも黒人でもない褐色の肌、肌の色から"プリエト(黒んぼ)"と呼ばれる。ここはあんたの家じゃない。
いい父親になるチャンスを棒に振って、確かに存在している…?ジャーナリズムは何を信じるかでなく、どこに注目するか。考えに何の意味がある?目の前を通り過ぎていく人生は、記憶の断片が絡み合う騒乱。そんなことを思う歳だ。昨今の軽薄さをはじめ主張が過ぎる。自分を不確定な立ち位置に置くことに意固地になっている。貧しい移民を撮って、自分を語る。知った風なつもりになって、パラドックスの中心にいる気取った知識人。"もったいぶってて意味もなく幻想的"、監督自身が今まで言われてきたようなこと。足を取られ虚構の中に埋没する被写体。カメラを向けること、虚構あるいは作られた真実。
アメリカがバハカリフォルニアを買収
パコとギドとエルネスト
タフガイは踊らない
概念が神々を食べた!
勝手に関連作品『バードマン』『8 1/2』『アネット』
夢と現実が入り乱れて、かなり困惑する。 理解は諦めて映像を楽しむ見...
夢と現実が入り乱れて、かなり困惑する。
理解は諦めて映像を楽しむ見方が良さそう。
序盤の砂漠での大ジャンプは自分も夢見た内容だから映像化してくれて勝手に興奮した。
アメリカで成功した主人公。アメリカそして、祖国メキシコどちらの立場も認めてもらえない孤独感、監督自身の思いなのかな?
◇混沌のメキシコ、混濁した自我の投影
題材はアメリカ🇺🇸で成功を収めたメキシコ🇲🇽人の作家が故郷に錦を飾るという自伝的物語がベースになっています。メキシコに感じる違和感、アメリカに戻っても移民として扱われる憤り。自分自身の存在が根無草のように定まらないことに思いが至ります。
米墨<🇺🇸 🇲🇽>戦争(1846〜1848)によって、アメリカはメキシコからテキサスもカリフォルニアも手に入れました。現在のアメリカの繁栄はメキシコ領土併合の上に成り立っていると言っても過言でありません。メキシコ人から見れば、虐げられた歴史。
歴史背景の物語と平行して、自分自身の自我の物語が展開します。メキシコ人の誇りと言う程、確立された政治的主張を持っているわけでもなく、世界を変えるような正義感があるわけでもない。内省的な個人的な物語、妻、子供たち、両親についての自嘲的でさえある語りが、斬新な映像世界の中に繰り広げられます。
イニャリトゥ監督、やっぱり凄い。私は大好きです、この奔放な世界観。一流の芸術家でありながら、どこか世俗的な人間味を感じるところ、「クスクス🤭」と和む瞬間を秘めてます。緊張感に満ちた時間とグダグダの時間を絶妙にブレンドした映画が成立しています。
イニャリトゥ監督自身の創造意欲、制作動機が、自らの人間としての弱さ、曖昧さに対して誠実に作品化されて感じられました。その赤裸々な映像時間に晒されることによって、ふと観ている自分自身について思いが及ぶような感覚になる自我投影作品でした。
2022
#Bardo#BardoFalseChronicleofaHandfulofTruths #Bardofalsacrónicadeunascuantasverdades
#アレハンドロゴンサレスイニャリトゥ 監督 #AlejandroGonzálezIñárritu
#ニコラスジャコボーン 脚本 #バードマンあるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡 長い題名といえば#Morrissey ♪
#NicolásGiacobone
#ブライスデスナー 音楽 #TheNational #BryceDessner
#ダリウスコンジ 撮影 イラン🇮🇷人の撮監。#Se7en も撮ってます。
#DariusKhondji
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#ダニエルヒメネスカチョ /シルベリオ・ガマ--アメリカで成功を収めたジャーナリスト兼ドキュメンタリー作家。久々に母国メキシコに帰国して歓迎されます。>> メキシコやラテン・アメリカの俳優としては最も成功を収めている一人らしいです。確かに存在感抜群の演技でした。髪型と髭のせいかイニャリトゥ監督に被ります。
#DanielGiménezCacho
・グリセルダシシリアニ /ルシア--シルベリオの奥さん。繰り返される出産シーンは夫婦のトラウマ、何かの象徴なのでしょうか?>>あっさりしていて好感持てる女優さんでした。
#GriseldaSiciliani
・ヒメナラマドリッド /ルシア--シルベリオの娘。父娘の会話もしんみりきます。
#XimenaLamadrid
伝記的、架空の実話??
怒涛の二年連続オスカー獲得からイニャリトゥの新作はNetflixで長編映画監督デビュー作『アモーレス・ペロス』以来のメキシコを舞台に自伝的内容の物語?にしては戸惑う描写の連続で序盤から呆気に取られてしまう。
幼少期に焦点を当てた『リアリティのダンス』から監督自身の自伝的内容の続編でもある『エンドレス・ポエトリー』を撮ったアレハンドロ・ホドロフスキーに近いものを感じながら『ホーリー・マウンテン』のラストを想起させられる場面も、イニャリトゥはホドロフスキーの領域に突入してしまった、確かにフェデリコ・フェリーニの『81/2』を観た時の感覚を、テリー・ギリアムの要素も感じながら、同郷でもあるアルフォンソ・キュアロンがNetflixで撮った『ROMA/ローマ』も監督自身の半自伝的内容であり、イニャリトゥの作品で他の監督や作品をイメージするのが初めてのような気もする本作。
現実からの非現実、夢の世界と混乱させられる展開に映像の優雅さが素晴らしく、軸になる物語が破綻しているようで難解に思われながらも理解出来る伏線回収を丁寧に描けているけれど不思議な感覚は拭えない。
メキシコの民族音楽が流れる中で皆が踊るシーン、主人公の顔がアップになり音楽が途切れ唐突にアカペラで流れるデヴィッド・ボウイの「Let's Dance」が印象的で度肝を抜かれた。
奇妙ではあるが面白い映画
終始妄想と現実が入り混じってなんとも奇妙な映画だった
例えば赤ちゃんが生まれるも元の場所に戻りたいと言ってお腹に戻ったりとにかく奇妙
それでいて自伝的でありメタ的な要素もあり移民問題やアメリカ批判もありで色んな要素があった
そしてそれらの描写にちゃんと意味があったのが良かった
面白かったです
映画を観る喜びに満たされる逸品
今年のベストの一本となるアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作。
自分にとっては「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」がオールタイムベストの一本となる大切な監督。
今作は自伝なんだろうなぁ。
主人公は職業こそ違うがイニャリトゥと重なった。
家族や祖国メキシコ🇲🇽への思い、そして自身の内面を素晴らしい映像で綴った。159分のゴージャスな時を過ごした。
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