TAR ターのレビュー・感想・評価
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十分な睡眠をとったうえでの鑑賞をお勧めします。
ケイトブランシェット主演、しかも彼女の最高傑作というふれこみもあり、気合を入れて朝イチ鑑賞。
予告で、超一流指揮者の転落劇ということは分かってたけど、そこまでの話が私には高尚過ぎて、もともと敷居が高いクラッシック界が余計に縁遠い存在に感じた。
映画が始まってすぐ、民族音楽とともにあれ?これってエンドロール?という画面が続き、その後、ターのインタビュー場面が続くので、睡眠たっぷりとった朝イチ鑑賞で良かった。
もしこれがレイトショーなら完全にここで寝落ちしてた気がする。。。
そこを乗り越えてから転落劇が始まるまで、あまりストーリーの起伏無く淡々と進んでいくので、クラッシック界と縁遠い自分としてはかなり長い時間に感じた。
が、転落劇が始まったら終わりまであっという間で、最後のシーン観てもう終わり?何これ???っていう感じ。私以外の人はこの映画理解できたのか?と周りを見回してしまった。
まぁ、その世界を突き詰めた超一流ゆえの慢心が引き起こした転落劇なんだろうけど、その超一流として生きていたターよりも、転落して最後モンハンのオーケストラの指揮者の時の方が案外幸せでは?と思えたりもした。
クラッシックというだけでも重いのに、そこに同性愛や、立場の特権利用など、現代におけるテーマを盛り込み、ケイトブランシェットという深みのある演技の女優さんを主演に据えたことで本当に重厚な映画になっているとは思うけれど、もう少しストーリーに起伏が欲しかったし、専門用語も多いので、観る人を選ぶ作品かもしれない。
アイロニーとサポート
Tar
冒頭のインタビューでも、ターは熟考し雰囲気に調和する形で答える。一歩自分と線を隔ててはいても、同業者と師匠のことを立てている。音楽に対しては、誠実に向き合い、文化を維持しようとしている
ケイトの演技によって、流れるように見せられる生き方だが、水面下では過去と現在の爆弾が近づいている。
口演の練習のためただ音声を流している、生家に戻った時に行われる会話、生きづらさを垣間見る。関係性も互いに複雑だが、それぞれに愛情を抱いているようにも思える。基本静寂の映画なのに(音楽も含めた)雑音が話題に上ったり、アートも大衆の評価から逃れられなかったり、振り返り思うことは多いが、最後のシーン、演者達を紹介するターの所作が希望を写している。
人間の欲望は尽きない!
この映画は気持ちのいい内容だったとは言えない。ベルリンフィル(実際はドレスデン交響楽団)の常任指揮者までになったターの人を蹴落としていく、おぞましき悪行とその結果であって、最後はフィリピンで娯楽のオーケストラの指揮をして、人生を再発見しようとしている。悪行といってもこうやって出世していって平気な顔をしている人びとは山ほどいると思う。また、フィリピンに行って、ビデオゲーム?モンスター・ハンターの音楽の指揮を
め、出直しているが、やり直していても似たような失敗を繰り返すような気がした。欲というのは永遠に続くと思わせている。
この映画の出だしはテックスト・チャットからで、何か不穏な雰囲気をすでに漂わせていた。読むことができないなと思っているうちに、ニューヨーカー ・フェスティバルでのアダム・ ゴプニック(Adam Gopnik)本人のター(ケイト・ブランシェット)へのインタビューに入る。そこで、ベルリン・フィルと。ええ!ベルリン・フィルに女のコンサートマスターはいるけど、指揮者はいない。おかしいなあと思いウィッキーで調べたら、本当の話じゃないと。(私はこの女優ケイト・ブランシェットを全く知らなかった)ちょっとがっかりしたが、私はクラシックが好きなので観てみた。
そのうち、ドラマだとわかったが、インタビューの前のアダムの略歴紹介で驚いた。東ペルーのウカヤリ川に住んでいるシピボ・コニボ民族(Shipibo-Conibo)の音楽まで研究していて、世界的に経歴のある女性指揮者でなんでもできる人なんだと感心して見ていた。ターはマーラに親和性があって、ベルルンフルで第五だけを残して全て演奏している。これを指揮すれば、マーラが完結するのだ。それに、第五のアダージオ(Mahler: Symphony No. 5 Fourth Movement (Adagietto))はロバートケネディーの葬儀の時、バーンスタインが指揮をしたと。バーンスタインはターの師匠なのであると。この結末はターにとって口惜しいだろうね。
ターはジュリアードでマスタークラスを持っていて教鞭をとっているがこのシーンは結構複雑で理解に苦しむ。彼女は指揮者の青年に音楽に挑戦させている。青年はバッハのような白人の男のクラッシックに拒否反応を示し彼女はその性別のステレオタイプに反論を示しているようだ。
ターは挑戦的な人で、その後ニューヨークで食事をした時、クリスタ・ テーラーの小説の初版本を受け取るが破り捨てる。自分も『ター オン ター 』という本を出版する予定だから。先を越された?というような、競争心のある、攻撃的な態度に出る。
この映画はターの芸術に対する狂気が丸見えで薄気味悪く、好感が持てなかった。ベルリンフィルを指揮をしている時も、完全主義と言おうか自分の思っている音楽を作れないから、時々は冗談も言ってるが、きみ悪く、ターの敬服しているレナードバーンスタインのような雰囲気は全く持ち合わせていなかった。
ターはベルリンに帰ったが、指揮者を解雇され、シャロンも疑惑だらけのターを信じることができなく、娘から離した。
ターはベルリンフィルが新しい指揮者でマーラーの第5番をライブ録音するところに入り込み、後任の指揮者エリオットに殴りかかる。おぞましい狂った姿のター。
最後の方で、一番好きなシーンだが、ターは故郷に戻り、レナード・バーンスタインが音楽の意味について語るコンサートの古いDVDを涙ながらに見ている。初心、忘れるべからずのいいシーンだ。ターはバーンスタインの言葉に共感して、この道に進んだはずだ。
TAR=汚名を着せる
主人公の栄光と転落を描くのだが、ハッキリ言って非常に分かりづらい。
結局どれを誰がどういう意図で行っていて、何が現実で何が幻覚や妄想だったのか。
メトロノームは誰が?フランチェスカがメールを消さなかったのは故意?動画を撮影してアップしたのは?
オルガを追った先も人が住む場所には見えなかったが。。
ドイツ語のところで字幕が出ないことが多いのも不満。
物語として支障はないのかもしれないが、オケに指示を出すところなどは絶対に出すべきだった。
その内容や語調にリディアの人柄も、音楽や人との向き合い方も出てたハズだから。
全編通してだが、終盤は特に断片的なカットが細切れにされて意味不明。
「あれはモンスターハンターが云々」というのも見かけましたが。。
クラシック音楽を題材とした映画に特定のゲームを予備知識として求めるのは不誠実と感じます。
こちらも曖昧に描いているとは思うが、リディアが傲慢だとは自分は思わない。
音楽にも人にも彼女なりに真摯に向き合っていたのに、些細な行き違いと、嫉妬や逆恨みの連鎖があの結果を招いたように思えます。
古いビデオを見るリディアの目に光が消えていないところは救いか。
音
終始ケイトブランシェットが男前
男性で、このようなストーリーはありふれている気もする
成功からの転落。
最後ここで終わるのか!
って心の声が出てしまった笑
コスプレおたくの上映会的な感じなのか?
あれは、、、
色んな賞を総なめしたターの転落人生映画🎞️
会話劇の中で人名出てくるんだが関係性とかわかりにくい
誰が誰なんだと思いながら鑑賞
そして顔の傷治るの早いなぁ
ただ、アングルとか見せ方めっちゃ好きです😊
オーケストラの演奏カッコよかったです!
「情熱大陸」×「ブラックスワン」風
ジャンルも分からずに、ケイト・ブランシェットに釣られて観ましたが当たりでした。
頂点に登りつめた者が周囲の嫉妬や偏見や無知、無理解に苦しめられ、加えて自らの対応ミスもあって引きずり降ろされる話です。
引っ掛けがあったりわざとぼかしたりしてて一筋縄ではいかない感じです。
まず主人公が誹謗されている場面で、並外れた自己プロデュース力と上手く立ち回ったことによって実力以上の地位についた人間なのかなと思わせますが、違いました。才能も実力も十分にある人物です。
最初の会話が長くて集中がしにくいですが、生徒の指導や楽団の指揮になると実在の指揮者みたいでリディア・ターに圧倒されて目が離せません。その言葉も、指揮する姿もまさにカリスマです。
プレッシャーで次第に神経が参っていって幻覚に悩まされるあたりはホラーサスペンスのようです。
本作は映像や音が素晴らしいし、脚本が細部まで作り込まれています。再起を図って新たな音楽事務所に入ったら、ベテラン担当者を断られて新人を付けられるとか、会話も面白い。ターを取り巻く様々なタイプの人間描写も見ごたえがありました。聞き逃しや理解できなかったところもありましたが面白かったです。
ラストの感想。
落ちぶれた後のアジアの国での仕事は、外国の富裕層向けとみられる性的サービスの店なんかは現実にはなさそうで好きではないですが、ここでのシーンが長いのは、このままでは終わらないというターのしぶとさを表しているのだと思いました。ゲーム音楽の演奏会でも、手を抜く気は全く無く、気力がみなぎっているようでした。
それにしても、ハリウッドは汚物が好きみたいです。
……5/19追記……
一度しか観ていないのでうろ覚えですが……
上記に対応ミスと書きましたが、ジュリアードの学生への対応は良かったと思っています。彼は自分から音大に入っておいてバッハを全否定しています。私の勝手な想像ではそんな人がいるとは思えませんが、現実に居るとしたらかなりヤバい奴です。そういう偏った思想の学生を、ターは根気よく諭したと思いました。でも、学生の「クソ女め」のセリフは、ターがまるで陰湿ないじめをしたかのように思わせる効果がありました。
そして、誰かが(誰でもいい)それを録画し、悪意のある編集をしました。
また、記者会見で。後ろで聞いていた(というかちゃんと聞いてない)カップル。彼女が彼に「どうだった?」と聞き、彼は「例えがクソだ」と答えます。すると彼女は、自分は理解していないにもかかわらず、ターの事を『つまらない事を得意げに話す女』とインプットするでしょう。
こうして、SNSで特定の人をバッシングする構図が出来るのだなと思いました。
女優さんがどんな女優さんか、僕は知らない。だから、凄い演技なのか僕は分からない。
1.レズビアンの所だろうが、感覚が完全に男の目線に感じる。
2.話があちこち飛んで、起承転結が壊れている。
3.マーラーの5番とか登場するので、一瞬惹かれるが、長く続かない上に、そちらがメインテーマではないと分かる。
4/ジェー○ズ・レヴ○インの事件やカラ○ンの疑惑やフルト○ングラーの反ナチス行為は別物。この偉大な指揮者たちの行為をモデルにしているのは理解できるが、だから、許されたり、過大評価する必要はない。まぁ、そう言った事は音楽に限った事ではなく、例えば三島由紀夫先生の小説や、藤田嗣治画伯の絵画を、彼らの行動で評価する事は出来ない事と同じだと思う。
そもそも、名指揮者とか名演奏家等と評価しているが、例えば、ベルリンと日本国の元国営放送の楽団の差なんて、わかるのだろうか?
この映画でも、ベルリンじゃなくて、ドレスデンな訳でしょう。
カラヤンは偉大な指揮者なのだろうが、デジタル音源で聞くのがやっとの事。フルトベングラーに至っては音源にステレオがない。やはり、どんなに名のない楽団であっても生のオーケストラの音にかなう訳が無い。
さて、
映画の中で『ユダヤ人が黒人のJAZZで食って来た』とか『バッハが女性差別主義者』とか言って『バッハが好きになれない?何故?』と貧乏ゆすりの青年にこの主人公が迫るが、その青年が突然切れる。その理由が分からなかった。そんな人物が、指揮者にはそもそもならないだろうと思う。また、女性主人公の話は、特別な極論ではない。
『バクダットカフェ』にバッハをこよなく愛する黒人青年が登場するが『黒人と見るとJAZZ』と言う『決めつけ』が、この演出家の偏見なような気がする。
オーケストラは指揮者が凄いのではない。作曲家から鑑賞者まで全部を含めた総合芸術だと思っている。そう、建物(音楽を聞く場所)もね。勿論、聞く人間の叡智も含んでいると僕は思っている。
ある意味、映画も同じだ。しかし、
沢山の人達で演奏するから、値段が高いのは分かるが、もう少し安くしてもらいたい。
6月4日にあるところへ、ショスタコーヴィチの革命を聞きに行く。市民楽団の演奏なので、恐縮するくらい安い。しかし、元国営放送の演奏を、テレビで見るよりも凄いはずだ。
もっとも、僕のモニターには元国営放送は映らない。
最後もおちぶれて、タイの楽団かベトナムの楽団ってことなのか?メコン川やメナム川にワニなんかいた?その感覚が、西洋人の黄禍論なのかもしれない。西洋のクラシックをアジア系の人たちが奏でる事が、西洋の人たちからすれば、違和感があるのか?どうやら、インドシナ半島にもワニいない訳では無い様だが、アリゲーターは中南米だし、クロコダイルも別の場所。大人しいクロコダイルの亜種がインドシナ半島にも生息するが。
追記
そのワニたちですが、専門家から聞いた話では、環境破壊が進んで、寧ろ、絶滅危惧種の類のようです。
面白くないわけじゃないんだけど‥
冒頭からの超長ゼリフはじめ、ケイト・ブランシェットの女優力というか、演技力はさすがの一言。
ただ、ストーリーが‥
天才指揮者の転落、みたいな内容と思っていたんですが、いや、大筋そういう流れなんですけど、なんか泡々としてるというか‥
何か凄く大きな出来事がおきるわけでもなく、いや、おきてるんですけど、メインの筋であろう自殺に追い込まれた弟子?との描写がほぼ無いので、2人の間で何があったのかもいまいちわからない‥
ブラック・スワンみたいな、劇的な流れを勝手に期待してたので、ちょっと肩透かしでした。
ʅ(◞‿◟)ʃ初めから最後まで置いてけぼり
メルカリかヤフオクで解説本を探したいと思います。
精神をやられ次第におかしくなっていくター。どこからが彼女の幻覚?
あのロシア人が出てきてからか?ターが襲われたのも幻覚だろうか?毎晩幻聴が聞こえているのは完全に統合失調症だろう。ラストシーンの観客は完璧に、、、、幻覚妄想か。
映画の中に伏線が多く出てきますが回収されたかも分からず。登場人物もよくわからず。隣の部屋の人との関係は?夢の中の人物は?
衝撃的最後との触れ込みであるが、患者が一般人をぶん殴った?感じなんでしょう。
ラストシーンはどう捉えるのか?精神疾患が発病してコレから大変な旅(治療)が始まるぞって私は勝手に思いましたけどね。(意外にあっているかも?)
わけわからん映画でした。
クラッシック音楽好きには堪らない❤️
冒頭からいきなりエンド・クレジット。「???」と思いつつ、クラッシックのCDは演奏者はもちろん、いつ・どこでの録音とか、ほーんと事細かにクレジットされてるんだよなー。なのに日本で良く出されていた、クラッシック名曲全集…的なのには、サラッとしか記録されてなくて😭などど余計な事を思っていたら、本編スタート🎵
ケイト・ブランシェット演じる、ターのカリスマ性や発する言葉にどんどん惹き込まれていきます。自信みなぎる声・仕草、もはや台詞ではなく、ケイトの知性から出て来る言葉のようにも思えて来ます。
インタビューやジュリアードのくだりは長過ぎる!という方もいらっしゃいましたが、そこはかとなく散りばめられたアレコレを拾い集めながら、照らし合わせながら、観る楽しみがありました。アバド、カラヤン、、、指揮を時計に例えるのも、なるほど味わい深く…。
ジュリアードの授業で、バッハをピアノで弾く場面では、グールド来るかな?と思ったら、ドンピシャりで(^^)
マーラーとアルマと言えば、ココシュカの「風の花嫁」の絵画が思い浮かんだり、ロマンチックな気持ちになったところで、あの演奏が重なって来ます。
オーケストラの音を指揮台で浴びたい、演奏者の中で聴いてみたい、、、そんな欲望もこの映画では叶えてもらえます。とにかく、音が良い!でも、でも…まだ本物のマエストロの指揮には、0.01ミリくらい足りないかなー…惜しい惜しい惜しいー(←などと超偉そうに、すみません🙇♀️)。オーケストラをコントロールする、うねりを出す瞬間をもっともっと観たかったかも。
そして、団員さん達の目。冷ややかだったり、認めたり…。ターの要求に、皆で気持ちを合わせて、高みにまで達した時の表情などなど、良かったです。
ターの音楽への向き合い方は、最初から最後まで常に誠実でした。ただ、クリスタの死には瞬間的に心に蓋をしてしまった。指揮者として自分の感情も、コントロールするため?自分の築いて来た地位を守りたいため?本能的に?
けれども、ターの本当の声はそれ(心に蓋をする事)は違う‼️と叫んでいる。だって、これではどんどん音楽の本質からかけ離れて行ってしまうのだから。それゆえ、徐々にターの精神が蝕まれ始めるのです( ; ; )
実家に帰り、昔のビデオを見て、バーンスタイン?の言葉に涙するター。
立ち直りのきっかけは、アジアにあった。「Bunkamura」の単語が出て来た時は嬉しかった!
ドン底まで叩き落とされたターですが、音楽には寄り添い続ける…だから、曲を知るために川を渡り滝を行き、そして同時にエネルギーをチャージする。
ザンッ!と終わって、クラブミュージック的な音楽と共に、楽曲のクレジットが流れ始めます。狐につままれたように、呆気に取られて、ある意味エブエブより、不可解だー(/ _ ; )と思いました。が、
あれはモンスター・ハンターを下敷きにしているのですね。ネタバレのレビューを読んで、なるほどでした。
音に怯え、音楽に癒される、そして何よりケイト・ブランシェットに魅了され続ける映画。映画館で観る価値ある、映画でした。
ケイトの予習に「あるスキャンダルの覚え書き」を観て行ったので、尚更のこと感慨深かったです、、、
一体なに??
どこに向かってるんだろうという気持ちで観ていて、最終的に、えっどこに着いたの??という、何だったのか気になり過ぎてパンフレットを買った。町山智浩さんの映画秘宝noteも聞いて、観た後も色々楽しめる!
ケイト・ブランシェットが凄い、とにかく。
途中からホラーになってくところが面白かった。最後まで観ると最初に戻ってもう一周観たくなる。伏線が全部回収されて終わりではなく、余白が残るところもいい。
クラシック音楽好きな方オーケストラ演奏が好きな方、ヒューマンドラマが好きな方 観て(団員感覚で)、音の良い映画館で!
内容、予告編、本編内容は未読未見、キャストのみ把握し、クラシック音楽からのドラマと勝手に予見、鑑賞しました。
内容は、クラシック音楽のベルリンヒルオーケストラ初の主席女性指揮者「TARター」が為に起こる本人の人間的な部分と、才能(音楽の解釈と表現方法)と、現場楽団員の心模様に人間関係の危うさ〓→現指導すした者+以前指導していた人物の出来事などの事件から・・この界隈のトップに立っていたTARターの進路に不協和音が起こり、業界、マスコミ、他、+身辺周(オーケストラ員と同居して育てている幼女、他)。現代社会であるが上での、LGBT、パワハラ、セクハラ、などが絡み合い、TARターの運命は・・・。
映画本編は、始まりは淡々と起伏なく進行していき、どういった展開の映画かと身を任せる時間が流れます・・が、この部分からが物語の後半部分に多大な影響をもたらすことになるドラマの始まりです。
TARターを演じた「ケイト・ブランシエット」の振舞い(目線、指先、仕草、英語、ドイツ語)すべてがカリスマ・マエストロそのもので、俳優の演技以上のものを感じるほど
・架空のドラマと知りながらも、映画鑑賞時は本物のドキュメンタリー作品を見ているかの錯覚を囚われました
(ドラマにでてくる今の社会環境、登場人物実名多数、ドラマ中での会話実名実話の事柄多数・・)
本物チェリスト ソフィー・カウアー 出演演奏
撮影時のワンカット長回し、長セリフ、オーケストラ指揮、・・・
ケイト・ブランシエット マエストロブリが際立っている。
楽曲は
マーラー 交響曲5番
エルガー チェロ協奏曲
をメインに演奏し、ドラマが進行。
1番の残念が、ある程度の時間をさいて演奏を聞かせてほしいが、ドラマ優先の進行のため短時間に終始。
★Digital5.1CH鑑賞
★重低音 3
★音圧 4
★分離度 5
★サイド、(左右、後、活躍度)3
★サラウンド 3
本編は、ほぼスクリーン側で、分離度の良い左、中央、右で高音質でダイナミックレンジの広い音を場面に応じて聴かせてくれる。要所要所ではサラウンド左、右、独立して使用。
オーケストラ演奏部分はスクリーン、サラウンド左右後方(映画館を演奏会場内音響や、コンサートホール音響)をダイナミックレンジ豊かに重層にクリアに生々しく聴かせてくれる。
※ 余談ですがDOLBYクレジットされてますが、残念ながら上映がなく、dtsxも無く、今回初めてTOHO日比谷
のスクリーン1(カスタム オーダーメイドスピーカー システム)に入ったのですが、オーディオ的に従来映画音響としてはダイナミックレンジ、音の解像度、音域、広がり、厚み、最高でした。作品の音造りが良かっただけかもしれませんが。場内シート、壁、装飾、構造、高低差、私的に完璧でした。ボヘミアンラプソディのようなエンターテイメントてなく、巨匠指揮者TARのドキュメンタリー映画と錯覚して見てしまった。(実話でないのは知っていましたが)
エルガーのチェロ協奏曲を、TAR指揮のもと、本物チェリスト演奏が、圧巻の演奏と共にその映像で、リアルなシアター音響があいまって聴かせてくれ、満足感極まる。
ただただ願いは・・1曲とは言わないものの、一楽章くらい・・・聴かせてほしかった。
さっぱり分からん ベトナムで酒店?
今週の大本命として観て来ましたが、正直なところ、さっぱり分からない内容でした。セリフに音楽の専門用語が多いです。勿論、私の理解力不足です。
クリスタの自死があるのですが、そもそもクリスタって誰?という感じでした。
中盤で、ターを襲った男も誰か分からずでした。
ターが最後に行った所は、ネタバレ解説を見るとベトナムだったのですね。セリフで大阪と字幕にあったり、酒店の看板もあったので、日本にも行ったのかしら。
最後にコスプレのような人達が出てきて、さらに混乱しました。
スリラーだけど、伏線が繋がってない感じで、すっきりしませんでした。
クラシック音楽好きならわかると思うが
最初の1時間半くらいはクラシック音楽の詳しいうんちくがたくさん出てきて、わかる人には面白かろう、という話。うんちくはほとんどが正鵠を得ていて、ややクラシック音楽オタクの私にはとても面白かったです。私にとってリアリティの担保にはなる。例えばカラヤンがその権威を利用してひいきの若い女性クラリネット奏者(ザビーネ・マイヤー)をベルリンフィルに入団させようとしてもめたことなんかも思い出させますし、バーンスタインが世界を回って若者のオーケストラを指導していたことなんかを想起させるシーンもある。EGOT獲得(メル・ブルックスも獲ってると言って笑うシーンもあるが笑、クラシック音楽業界だけでない業績もあるということ)、ベルリンフィル首席着任がどれだけ凄いことか、ということを知ってる必要はありますね。ただ、こんな話を続けて落としどころはどういう話なんだろう、と不安になります。ていうかわかんない人には全然面白くないし物語に入れないでしょう。というか長いことストーリー成分が薄い笑。丁寧にリディアの人物像を描いたってわけですね。こういう人物だから後々ああいうことになるという布石ではある。一応必要な描写なんです。
ブーランジェ、オルソップ、シュトゥッツマン、ジミー(!)・レヴァイン、チャールズ(って呼んでました! 日本では「シャルル」だ)・デュトワ、デュ・プレ、バレンボイム、MTT(ディスられてましたね笑)とか、どんな人たちだか知ってますか?当のオルソップはこの映画を観て文句を言ってるらしい。まあ世間はリディアをオルソップになぞらえて見るだろうしねえ。
それから、ベルリン・フィルハーモニーザールとして現れるホール。ちょっと本家と似てるけど(知らない人は似てることすら分からないし、知ってる人には似て非なるものだと判るところが微妙だ笑)ドレスデンにあるホールですね。
音楽はマーラーの5番がメインです。劇中で5番がリュッケルトの詩に唯一関連がない、って言ってるけどなぜだろう。ここには私は異を唱えたい。事実はリュッケルトに最も関係あるのに。4楽章(アダージェット)なんて同時期に書かれた「リュッケルトの詩による歌曲集」の「私はこの世に忘れられ」とそっくりの曲だよ。リハーサルのとき「ヴィスコンティの映画で知られてるけど気にしないで」なんていってたのに字幕は「有名だけどね」程度だったのはいささか残念。この映画を観るような人ならヴィスコンティを出したほうがニヤリとするだろうに。ことさら他でもない5番を選んでるってのいうも、ヴィスコンティとその映画の同性愛を想起させる狙いもあるんでしょう。
これを含めリハーサルシーンでドイツ語の指示には字幕を出さなかったのはどういうことだろう?手抜きだったら許せん。でも音楽の指示だからなんとなくはわかりましたけどね。
さて物語。本編には迷路模様などいろいろ謎めいたアイテムが出てきますが、別に回収されません笑。つじつまが合わないところは全部妄想ってことなんでしょう。予告編にはもっと迷路模様のシーンが出てきてるんですが本編映像には出てこない。本当は「《3人》での南米のフィールドワーク」などが描写されていたんでしょうがカットされたんでしょうね。この辺がちゃんと描写されていればクリスタとの関係とか、もっと分りやすかったと思います(「伏線が回収されません」なんて批判は少ないでしょう笑)が、3時間を超えちゃうんでしょうねえ....でも公開版の本編は竜頭蛇尾というか尻すぼみ、もしくは説明不足の感はありますね。リディアの描写をあれだけ丁寧にやったのに。そのバランスどうよ。
表面的に見ると、傲慢で権力に酔ったカリスマが権威をかさに着て悪事を働き失脚するって話かと思いこみがちですが、そんなに単純な話ではなさそうです。表向きリディアの言動はそれなりにまともです。ジュリアードのアカハラっぽいエピソードも私はリディアの言い分の方が真っ当だと思うし、副指揮者セバスチャンの解任だって(理由はともかく)本人と話してちゃんと筋を通そうとした。なまじっか(醜聞や批判を恐れて?そんなものは怖くないはずだがなぜか微妙にバランスをとって)正当な判断としてフランチェスカを副指揮者に指名しなかった。そのために却って大きな困難を招いてる。あくまでわがままを通すのならフランチェスカを選びそうなものなのに(副指揮者としての資質については曖昧でしたが)。クリスタの家族による告発も、本当に性的搾取があったのかどうかについて明示的には描写されていない。「(真偽は別として)告発されたらおしまいなんだ」っていう皮肉なセリフもありましたが。この辺りは観客によっていずれの解釈(リディアが徹頭徹尾悪者として描かれているわけではない)もできるようオープンになっていて興味深い(でもメールを削除したりして怪しくもある笑)。いずれにせよ悪意のあるSNSに引っかかったらもうおしまいという、必ずしも本人の善悪とか真偽と関係のないキャンセルカルチャーを皮肉ってることにもなってるんですね。その一方、栄光の陰で生活や健康や心は蝕まれていく、という芸術家の悲劇もしっかり表現されていました。このような多義的で重層的なヒロインをケイト・ブランシェットが完璧に演じておりました。ケイト・ブランシェットが当てられなければこの映画は断念する、って監督は言ってたそうです。
終盤はちょっとかわいそうでしたが、あそこまで狂気に走っちゃうか、ってのはやや疑問。
でも総じてつくりは悪くなかったとは思う。K. ブランシェットの演技がいいから一定レベルなんだな。
冒頭のプライベートジェットでのTikTok(動画チャット)は誰が撮影して誰とチャットしてるか、ってことについて考察します。順当に考えればベルリンから(インタビュー番組出演のため)NYに飛んでいる最中にフランチェスカがクリスタとチャットしてるんでしょうね。直後にNYのシーンになりますし。「まだ愛してるの?」みたいな文面からも腑に落ちます。
チャット主はオルガだって説もありますが、私は違うと思います。後半にリディアが告発されて公聴会みたいなのに出席するためにNYに飛ぶシーンがあります。この時にオルガが撮影したという説です。違うと思う理由(1)この映画はシーンの急展開はありますが、時間軸はそれほど大きく前後しません。終盤のフライトシーンが冒頭に来る必然性は薄い。ありえないとは言えませんが。違うと思う理由(2)チャットの内容からするとオルガはフランチェスカと対話してることになります。クリスタが死んでから後のフライトですから。フランチェスカとリディアの過去を知っていないと書けない内容です。とするとオルガはフランチェスカと前からの知り合いであるということになる。オルガはフランチェスカ側が送り込んだ刺客だ、ということになります。これは私は無理があると思う。リディアが依怙贔屓するようなルックスで、しかもブラインドオーディションで皆から余裕で認められるほどの腕前の刺客を用意することは不可能だと思う。リディアの没落のきっかけになったことは確かだけど、それを狙った刺客だとすると迂遠すぎる(絶対そうなるかわからない)気もするし。映画なんだからありだよね、と言われればそれまでですが随分なご都合主義で、それではこの映画の価値が下がると思います。刺客じゃないまでもフランチェスカに丸め込まれた、と考えられなくもないですが、それにしてはチャットの内容が深入りしてる。
チャット主がクリスタだって説。プライベートジェットにリディアと2人きりで乗ることはなかったでしょうからありえません。クリスタとリディアに関係があったのはベルリンに住むよりずっと前の話(リディアのプライベートジェットもなかった頃)だし、そのころの行動は《3人》が基本だったようですし。というわけでフランチェスカで決まりです。
いずれにせよ明示的には示されてないから、観客に解釈の自由は残されていますけどね。
最後のシーンについて、知らない人にはモンハンとは分からない(とか近くにオタクがいないとこの映画の理解に至らない)って文句言ってる人がいるけど、少なくともエンドロールに"Monster Hunter Orchestra"ってメンバー表が出てきますから、こういうモンハンのコンサートがあるんだな、ってことは察しが付くと思うんだけどね。
細かいことですが日本のポスターが"TÁR"でなくアクセントなしの"TAR"になっているところがちょっと気に入りません。この「アクサン」あるなしはリディアの人物描写の一部なんです。彼女の本名はLinda Tarrなんですが(最後の方で実家へ帰ると この名前が出てくる)、ヨーロッパ(非英語)風に見える(聞える)ようにLydia Tárという芸名を使っているのです(アメリカの音楽家はヨーロッパでは格下に扱われる傾向があるから)。冒頭の長いインタビューシーンでもわかるように、彼女は周到なイメージ戦略をとっているということ。芸名もその一環。この映画の広報担当者は報道に対して「重要な注意事項が 1 つあります。タイトルは TÁR です。常にすべて大文字で、文字 A の上にアクセントが付いています」というメールを送ったそうです。ある動画で彼女は「(監督に告げられた映画の題の)Tarって変な苗字だな、って考えてるときにたまたまブダペストの薬局の看板の一部に「tár」って部分があったのでこれだ、って思って監督に写メしたら採用になった。Tarの上にアクセントをつけたのはブダペストなの」って言ってました笑。 また、トッド・フィールド監督とケイト・ブランシェットがこの映画を語るYoutubeで、監督が「アクセント付きの"Tár"はアイスランド語で「涙」の意味だ」って言ってケイトが「そうそう、アイスランド語だったわよね」と応えてるなんてのもありました(だからこのタイトルにした、とは言ってない)。意味深いタイトル。ま、とにかく邦題つける人/ポスター作る人も気を遣ってほしいってこった。
フランチェスカ役のノエミ・メルランってどっかで見たなと思ったら「燃える女の肖像」の彼女ね。ちょっとエマ・ワトソンに似てると思ったから覚えてた。
ちょっとトリビア:最後の東南アジアのロケはフィリピン:ルソン島だと思います。なぜなら「地獄の黙示録」はここで撮られたからです。それから、泳いではダメな理由として「川にクロコダイルがいるからだ」といわれてリディアが「こんな内陸に?」と尋ねると「マーロン・ブランドーの映画云々」と答えるという話になってますが、クロコダイルは和名「入り江わに」というくらいで、アメリカの方では海辺にいるワニなんですね。だから「内陸?」の疑問が出るというわけです。ですが、調べたところフィリピンのクロコダイルはむしろ淡水を好むようです。だから地獄の黙示録と関係なく、もともと内陸にも棲んでるらしい。「マーロン・ブランドー云々」はジョーク(もしくは都市伝説?笑)なわけだ。どーでもいいか。
旋律 栄光 絶望 狂気
分野を超えて評価される天才指揮者ター。
自著や新盤の出版を控え注目を集める最中、様々な問題に頭を抱えることとなる。
世間からの注目が集まれば、当然指揮者としての彼女だけでなく、人間性などにもフォーカスが当てられる。
中でも彼女の失墜に影響したであろうクリスタについて、回想にある通り肉体関係があったことはおそらく間違いがないにしろ、クリスタに対する音楽的な評価に私情が含まれていたかどうかまでは描かれていない。
その空白を補完する一つとして、チェロのソロパート担当をオーディションするシーンがある。
このシーンではステージに奏者の姿はなく、チェロの演奏だけが聴こえる。
ターは奏者個人への感情を排してオーケストラに臨んでいる姿が描かれているのではないだろうか。
ただ、各所の描写から特別な感情を抱いていたことは事実なのだろう。それら含め、序盤で揶揄していたロボットに彼女がなりきれなかった部分であり、終盤で流れた言葉には表しきれない複雑な感情の賜物である。
バッハやベートーヴェンの時代とは異なり、スキャンダルで才能が潰える時代。ことの良し悪しとは別に、この顛末に哀愁を感じる。
カリスマは、 主体者も客体も実体は脆弱な関係でしかない。
ケイト・ブランシェットを主演に、
天才的な才能を持った女性指揮者の苦悩を描いたドラマ。
カリスマは、
主体者も客体も実体は脆弱な関係でしかない。
魔性を受容されている時はいいが、
オケの様な共存的となったコミュニティで、
一端でも傲慢と解されるとカリスマはオケ破壊者へと排他されて行く。
そんな世界を独創的なマエストロとして日常を維持していくことの凄まじさは当然のごとく凋落して行くしか見えて来ない。
華々しいマエストロの世界ではない日常の苦悩を描いているのだろうが、
カリスマゆえ、若手であり、女性であり、外様であるが故の本当の困難はこんなものであろうかと思えた。
そんな隙を突かれて、
指揮台を乗っ取られて、
その場で、
首席指揮者が、女性が、若い故に、蹴り上げるとは、
いやいや意外な唐突な展開に度肝を抜かれました。
ター
更には、メコンに入り込んで、
地獄の黙示録よろしくドブからの再起を始める?
この気合いがこそが本当のカリスマに見える。
ター
少し小さな神経質な演技だったが、
蹴りは見事でしター
^^
ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター。
天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、
いまはマーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。
そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。
^_^
I will get you !
音楽と真摯に向き合い自らの地位を築いたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の主席指揮者ターをケイト・ブランシェットが怪演。その自信に満ちた佇まいが美しい。
スタイリッシュで、時に荒々しく、時に聖母のように振る舞い、時に身勝手で、時に少女のように怯える…。ケイト・ブランシェットの鬼気迫る演技に、広い劇場内に点在して座った観客達は皆、静まり返ってスクリーンを見つめていた。
ヒリヒリと…ざらついた余韻を残す作品。
ー告発されたら有罪も同じ
映画館での鑑賞
天才はこう潰されゆく
ケイト・ブランシェット
1969年オーストラリア
メルボルン生まれ
舞台女優からキャリアをスタート
1998年の「エリザベス」で主役を演じ
大ブレイク
「ロードオブザリング(2004)」
のガラドリエル
「アビエイター(2004)」
のキャサリン・ヘプバーン
など主役を食いかねない存在感
を常に発揮しスクリーンを
常に引き締める存在である
近年でも
「ドント・ルック・アップ」
「ナイトメア・アリー」
などでも印象的な
演技を見せつけている
そんな天才が
天才女性指揮者リディア・ター
を演じる今作
どうだったか
かなり特異な構成で序盤は
置いてけぼり感が半端ない
ものの徐々に理屈が
わかってくるとリディアへの
共感性が上がっていき
何とも言えない気分になって
いく展開は知らず知らず
引き込まれっぱなしでした
女性指揮者として
その才能をほしいままにする
リディア・ターは
インタビューでもマーラーの
音楽性について
インテリジェントに語り
音楽に対する妥協のない姿勢は
音楽学校においての指導に
ついても思想にとらわれない
音楽性への理解を生徒に促すなど
徹底していました
うわーこんな人絶対
共感できんわという導入
しかしかたや私生活では
レズビアンで同性婚カップル
と移民の養子を引き受けながら
その娘のいじめに対しても
真摯に向き合う姿勢を見せる
親としての使命をれっきと
果たしている人の親な側面が
描かれるごとに徐々に
この天才に対する共感性も
出てくるのです
ところが
そのリディアに依存する
同じ女性指揮者クリスタを
精神的に不安定で
仕事ができる状態ではないと
プログラムから外す意見を
秘密裏にしていた
ことで見放されたと思った
クリスタは自殺
それによって残されたメール
等によってその自殺がリディアの
態度によって起こされたものだ
という遺族からの告発など
予想外の事態に巻き込まれ
信頼していた秘書の
フランチェスカもその概要の
公表に加担してしまいます
そこにはリディアに対する
あまりに高い情愛の念からくる
嫉妬などといった感情も含まれて
いるのでしょう
リディアの思わぬ方向に事態は
進んでいきやがて
精神的に追い詰められ
立場をも失っていきます
印象的なのはリディアが
心血を注いで追及した
音楽の世界も
世間一般の人からすれば
アパートの隣の部屋から
聞こえてくる「騒音」
であることなど
それが現実だよねと思いつつ
他意なく直接言われると
堪えるものなんだろうなと
思わされる場面がありました
孤高の天才の立ち振る舞い
一般人には理解されないところ
あると思います
天才という表現も
畏敬の念でありながら
あいつは普通じゃないと世間が
その人を突き放すものです
大谷翔平もそうでしょう
彼のストイックなまでの
野球に対する姿勢は常人の
理解を超えているところが
あると思いますが
きっと大谷翔平にも
なんら普通の人間と変わらない
人隣りがあると思います
でも世間は突き放してしまう
面白いのはこの映画における
「指揮者」要素がどんどん
なくなっていくあたり
もはや天才の世界の話に
なくなっていってる展開
この辺はあえて
そうしているんでしょうね
そんな才能を持った人間の
苦悩がきちんと描かれている
作品だったと思います
序盤の展開が置いてけぼり過ぎて
評価は上がりにくいかもしれませんが
個人的には普段見ている
映画と違った変化球的で
なかなかいい作品でした
EGOT
エミー賞、グラミー賞、オスカー、トニー賞の頭文字を取ったもので、エンタメ界における主要な4つの賞すべてを獲得した人とのこと 間違いなくアート&エンタメでのラスボスって感じのポジションである
では、本作の主人公はその評価を間違いなく甘受する人物なのだろうか?というのが本作に於いて問われる筋立てである
権力闘争、政治力等々、人間社会に於いて自分にとって本当に苦手な分野での作品である 事前情報でパワハラシーンの羅列ということだが、テレビドラマのようなあからさまな内容では無く、リアリティを伴った"さもありなん"的出来事なのが、今作の深みを際立たせてる 男女の差がもし無くなったとしたら、次に訪れる格差は老若であろう そこも示唆している件もあり、サイコホラー的要素も含めた、まぁてんこ盛りの展開であった なので一言では言い表し難い数々の視点を散りばめられた出来である 初めの冗長部分も、後半への布石としての罠の張り巡らせ方の用意周到さ、それを演じる俳優の非凡さに構成の緻密さを感じざるを得ないのである
人に拠っては、単に頂点まで上り詰めた人間のしっぺ返しを朗々と紡いだ、平家物語的な流れと思うだろうが、しかし昔と違って、そう簡単に人は殺されないし、死にはしない 何度目かのチャンスを目論んでサバイヴする人間の強かさを表現する作りとして本作は興味深いのである それが喩えエンタメの極北であるゲーム音楽だとしてもだ 芸術とエンタメ、これが邂逅する未来が訪れるかもしれない示唆に富んだ作品だと思うのは見当違いだろうか?
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