「目眩するほどの面白さ。私は何を目撃してしまったのだろうか?」TAR ター kebabpapaさんの映画レビュー(感想・評価)
目眩するほどの面白さ。私は何を目撃してしまったのだろうか?
完璧主義で、冷徹な超実利主義な天才指揮者ターが、ある過去の行いが原因で、次第に身近な人間に嫌われて全てを失ってしまうだけの話、なのだが、眩暈するほど面白い。
実際、劇場を出た後、クラクラしてしまったのは、2時間38分の上映時間による空腹のせいだけではないだろう。
映画の最初のおよそ1/3はターの、世界最高峰のオーケストラであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を統べる指揮者として、そして、同性のパートナーと養子の子の3人で構成された家族の長(実際、自分でパバと言ってる)としての、完璧な生活が描かれる。
このパートでは、彼女が指揮をするオーケストラのメンバーはもちろんのこと、世界的な名声を持つ友人の男性指揮者など社会的地位のある人間から畏敬の念を抱かれているターの、この世界で大成功を果たした女性として人物像が浮き上がる。
そして同時に彼女は、マーラーやバッハといった偉大な作曲家が後世に残したスコアを完璧に理解し、それをオーケストレーションでどう表現すべきかを完全に自分のものにしている。まるで音楽の神の信託を受けたイタコまたはインタープリターだ。
そんなターは、家庭でも完璧に大黒柱を担う。しかも、働いてるだけであぐらをかいているような旧時代の父親であるはずもなく、娘の学校への送迎もするし、パートナーの精神的不安定さのケアもでき、LGBTQ的にもジェンダー平等的にも花丸人生だ。
だが、映画では彼女のそんな姿をハートウォーミングな形で描いていない。常に画面のトーンはひんやりとしているのだ。
ターの公私における有能ぶりは翻すと、人生を完全にコントロールでき、他者を手なづけ従わせられているだけであり、画面からはそんな彼女の情の薄い心の有様がうっすらと滲み出ている。
綻びはすでに始まっている。
誰かがSNS上でターを馬鹿にしている映画ど頭の会話。アシスタント・シャロンの、いつもどことなく憂いと不安定さをかかえている表情。ターの聴覚過敏。そして、極めつけはロシアからやってきた小悪魔的な新世代のチェリスト・オルガ。
かつて社会において男性が掌握していたパワー、権力を身につけたターが、現実世界においてそれらの男性の一部が欲望のアンコントロール、力の過信、他者の軽視によって人生を転落していったのと同じ末路を辿った後、この映画がたどり着いた終着点。それは、ターに残されたわずかな希望を痛烈なアイロニーにのせて提示される。それを果たして私たちは、どうとらえるべきなのだろうか。