「強い者イジメ」TAR ター シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
強い者イジメ
今回は一部ネタバレしていますが、元々ネタバレという概念が意味を成さない作品でした。
いやぁ~、中々の曲者映画でしたねぇ。
なんか、鑑賞者(社会)をかなり挑発している様にも思える作品で、まるで映画鑑賞偏差値を測られている様にも感じられ、映画ファンにとっては下手な感想は書けないというプレッシャーまで感じてしまう作品でした。
なので、そこそこ映画好きを自称している人たちは褒めるしかない様な構造の作品でもあって、私も観終わって思わず唸ってしまった一人です(苦笑)
本作の主人公であるターという人物像は、映画の情報でちゃんと見せていてそこに嘘はないが、それはあくまでも断片的なピースであって、観客はその情報を繋げて全体像を想像するのであって、下手に断定的な解釈の感想になると「こいつ、なにを見ているんだよ」って話になってしまう怖さがある作品なのです。
そこで、今回は何故こんなにも観客にとって意地悪な作品を撮ったのか?を、私なりに考えてみました。ちょっと長くなるかも知れませんので悪しからず。
それはけっこう単純に、今のマスメディアやネット社会の全世界的に共通した問題に対する問題提起であり、異議申し立てだったように思えるのです。
まず、その問題点を箇条書きで挙げると
・信憑性のない情報
・情報の漏洩
・プライバシーの侵害
・匿名性の悪用
・依存症の問題
などが代表的な問題点ですが、本作でも上の4項目でターの精神は壊されてしまいました。
ネット社会ではこれを“キャンセルカルチャー”と表現している様で、意味合いとしては「特定の著名人などを糾弾し社会から排除しようとする動き」のことで、現実社会でも下種な芸能不倫ネタから“ミートゥー運動”まで様々な事例で溢れています。
ターは人格的に見るとかなり問題はありそうだし、全面的に応援したくなるようなタイプでもないが、ここまでやられなければならないのか?を考えると、やはりやられる側よりもやる側の方が病み(闇)が大きいと思います。
本作ではターの仕事とプライベートが交互に映し出され、仕事に於いては才能を遺憾なく発揮し大きな問題はなく、むしろ周辺の愚鈍さが目立つほどで、プライベートの方は曖昧な情報しか映画では得られないが、彼女に関わって不幸になったとしてもその責任は五分五分の筈。
それでも普通の(才能)の人々は、特別な(才能)にヤッカミ、嫉妬し抹殺しようとする。
私は彼女の様な人間に好意は持てないかも知れないが、才能は才能として認めたい方の人間なので、例えば冒頭の生徒への指導のエピソードも真っ当な指導だと思えたし、逆に生徒の方が何百年前の大作曲家に対し、その当時の文化や世相や常識を無視し、今現在の己の価値観だけで作品までも全否定する姿こそ、上記の問題点を象徴するようなネット民寄りに感じてしまいました。音楽偏差値の低い私でもそう思ってしまいましたよ。でも、あのシーンを見てあの子が可哀想と思った(映画偏差値の低い)観客も結構いるのでしょうね。
正論に対して“クソ女”としか返せない幼稚さや、周囲の学生もあとで盗み撮りの編集動画をUPする矮小さなど、音楽の超名門校の生徒ですら、特別な才能との違いにはこの程度の行動を起こしてしまう情けなさに加えて憐憫まで描かれていました。
まあ、刺さるか刺さらないか別にして、とにかく今を描いた傑作であることは間違いないのでしょうね。
とりあえず、私はケイト・ブランシェットのファンなので、彼女の演技を堪能できただけでも満足でした。
ラストシーンは意味が分からなかったのですが、後で別の人のレビューを読んで理解しました。どうせなら、あのシーンは日本で撮って貰いたかったですねぇ。