劇場公開日 2023年5月12日

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「侮れない! 見事にハマった「問題作」」TAR ター ドミトリー・グーロフさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5侮れない! 見事にハマった「問題作」

2023年5月1日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

努力を重ねた末、壮年期で権力を掴んだ成功者が、自らの力を過信するあまり周囲が見えなくなって…という古典的な寓話。
しかし本作がユニークなのは、その見せ方です。第一に、主人公をX世代の白人レズビアンに設定したこと。第二に、物語の舞台を、今なお男性優位が根強いクラシック音楽界にしたこと。第三に、物語が進むにつれてホラー・ミステリー風にじわじわと「変調」していくこと。
この三つの仕掛けに、私はまんまとハマりました(笑)。

実のところ、本作に描かれる「クラシック音楽界」はかなり単純化されており戯画的です。例えば、歴代名指揮者たちのアルバムジャケットを素足(!)で選別するシーンだとか、マーラー・サイクル(マーラーの交響曲全曲録音)で最後のレコーディングが第5番、といかにも“映画映えする”設定であるとか、非白人系でパンジェンダーの男子学生の「わかりやすい」貧乏ゆすりだとか、民族音楽研究からクラシックへの道へ進んだという主人公のキャリア設定とか…。
(ちなみに交響曲第5番のオケ・リハのシーンで、主人公は楽団員に対し「ヴィスコンティのことは忘れるように。映画をよく知っていても演奏には全く役立たない」と言い放ちます。言うまでもなく、これは映画『ベニスに死す』のこと。)

映画前半ではそんなカリカチュアされた世界が業界用語てんこ盛りで描かれるものだから、「クラシック業界に場を借りた、イマドキな世代間/ジェンダー間の対立の話ね」などと油断して観ていると、いつの間にか前述のホラー・ミステリーゾーンに迷い込んでいて、あわあわする羽目に(笑)。
ここから得た「教訓」は、本作のケイト・ブランシェット同様、アンソニー・ホプキンスの怪演が圧巻だった『ファーザー』を思い起こし、伏線が張り巡らされた前半部から心してかかるべし!ということ(笑)。

ところで、全編を覆うミステリアスな空気感に一役買っていると感じたのが、ベルリンのアパートで主人公が作曲中のピアノ曲です。彼女の「不穏」な心象風景を象徴するかのような単音の連なり…。
と、ここで連想したのが、キューブリック監督の遺作『アイズ ワイド シャット』で使われていたリゲティ作曲「ムジカ・リチェルカータⅡ」です。おぉ怖っ!(余談ですが、本作のトッド・フィールド監督は俳優時代『アイズ ワイド…』に出演。ケイト・ブランシェットも、ノンクレジットながら登場人物の吹替を担当していたのだとか)。

ほかにも「不穏」繋がりでいうと、深夜、聴覚過敏に苛まれる主人公や、“何か”に怯える幼いひとり娘のシーン、アパートの隣人のエピソード、冷厳なベルリンの点景描写などからは、ルカ・グァダニーノ監督版『サスペリア』を思い起こしたし、湖・雨・水溜り・浴室シャワー・台所のシンク・コップの水など一連の「水」にまつわる事象は、タルコフスキー監督の『ストーカー』『ノスタルジア』を連想させます。あくまで個人的な印象ですが。

出演者では、ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルランのレズビアン役はもうここらでいいかな、と。むしろ、コンサートマスター役のニーナ・ホスは堂に入っており、見事な名演だと思いました。
そんなホスをブランシェットが、BGMにスタンダードナンバー「Here's That Rainy Day」をかけながら、ハグして慰めるシーンは、さらりと見逃しがちですが本作の白眉といえるほど素晴らしかったです。この曲、戦前のフランス映画『女だけの都』を原作としたブロードウェイミュージカルのナンバーだったのですね。本作で流れる曲はインストですが、原曲の歌詞を調べるとなかなか意味深で、この抱擁シーンと照合すると一層味わい深いですね。

だらだらと感想ついでに最後、もう一つだけ。
この作品は、私がステレオオーディオで交響曲のCDを最初に聴いた時のオドロキを彷彿とさせた初めての映画となりました。最初の1音でドッカーンとくる音圧の凄まじさをこれほど忠実に再現した映画は、ちょっと他に思い当たりません。ぜひともダイナミックレンジの広い劇場でご覧になることを猛烈プッシュしておきます。

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ドミトリー・グーロフ