ブロンドのレビュー・感想・評価
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思ったよりも「影」重視
マリリン・モンローの伝記ものは個人的にはもともと好み系なのだが、それを個人的推しのアナ・デ・アルマスが演じるとなれば期待値はおのずとマックスへ。
マリリンの光と影にスポットを当てるのは当然織り込み済みの内容なのだが、それにしても本作は思いの外「影」に重点を置いていて、マリリンの艶やかさをはるかに越える闇の部分にどうしても気が沈んでしまう。それに、マリリンの闇の部分を演じるにはバブリールックスのアナ・デ・アルマスでは少々イマドキ過ぎて地に足がつかなかったか。そして、不必要に長めの上映時間もマイナスに働いたかも知れない。
そんな中でも50~60年代のアメリカの活気とアナ・デ・アルマスの熱演はじゅうぶん観どころではあったものの、もっと映像と音楽に力を入れてもらえればもう少し違った観方ができたかも。いずれにしてもちょっと期待し過ぎたのかも知れない。
アナ様の演技が見どころ
オードリーヘップバーンの半生を描いた作品。
正直オードリーの知識はあまりなく、
アナ様が演じると知って観ました。
アナ様を初めて観たのは多分007でしたが、
全く雰囲気が違っていて
白人オードリーそのものでした!
声や表情は本人をあまり知らないので
似てたかは分からなかったですが
セクシーさは間違いなかったです。
作中のオードリーはかなり変わった性格をしていて、情緒の表現が複雑なはずなのですが、
しっかり演じていた気がします、すごい!
ストーリーはかなり暗くて
面白いとは言えないですが、
アナ様の演技のためだけに観てもいいかな
と思います、ちと長いですが。
セックスシンボル
2023年12月13日
映画 #ブロンド (2022年)鑑賞
#マリリン・モンロー の伝記映画
主演の #アナ・デ・アルマス の体当たり演技が注目点
アナ・デ・アルマスは可愛らしい役が多かったけど、この映画を見るとセックスシンボルにしか見えない
露骨な性的描写より動画配信サービス初のNC-17指定映画
わたしたちのうつくしき「パイセン」
NHKBS1で放送されていたフランス製作のドキュメンタリーによると、マリリン・モンローの生涯は以下のように語られると思う。
両親の不在で十分な教育が得られず、職業の選択肢がかなり限られていた。
そのため、自らの肢体を活かしてモデルからのし上がることを考えた。
要求を的確に理解しそれを実現するための努力を惜しまないモンローは、映画界の注意を引き、女優に転身。
チャンスを得るためには男性の歓心を得なければならないという理不尽と戦いつつ、過去のスターから演技の本質を学び続けたモンローは、徐々にファンが付き始める。
「品の無い」演技を評価しない20世紀フォックスの経営陣も、当代のセックスシンボルとしての地位を確立したモンローに屈せざるを得ず、ついには女優として最高の待遇を得る。
ここが人生のピーク。
男性の欲望を引き受ける女優から脱せないモンローはやがて人生に行き詰まることになる。
モンローが今も女性の支持を集めるのは、既成の男性優位社会と戦い続けたその強さと完璧に計算された性的魅力とを両立し続けたためである。
ポール・ヴァーホーベンが撮る最近の作品の主人公からモンローを感じるのもそのためかも。
彼女に励まされて戦い続けた後進の女性たちが、現在の映画界を導いた。
映画の主人公としてこれほどふさわしい人はいない。
本作はそういったモンローを描いているわけではない。
小説が映画の原作であるので、本作はいわゆる評伝映画ではない。
ほぼ24時間、隙間なく大衆の欲望を引き受ける「マリリン・モンロー」を演じなければならないノーマ・ジーンが、自身のアイデンティティを喪失(あるいは獲得することすらできない)し、人格が崩壊する様を描いたドラマだ。
古くは岡田有希子やチャールズ皇太子妃であったダイアナなど、大衆がどれだけ当代の偶像を追い詰めるかは、わたしたちは良く知っている。
その残虐性が、モノクロを基調として輪郭線が徐々に消失するといった美しい映像で描かれている。
アイデンティティを支えるのは、自身の理解に努力をおしまない家族である。
本作のモンローは、配偶者の無理解、母親の特殊な病気といった外在する条件に屈してしまい、幸福な家庭を形成する戦士にはなりえなかった。
男性社会という巨大な敵と戦い、スター女優の地位を守り続けた英傑も無敵ではなかった。
そういった人間の一類型を約160分の長尺で描いているので、見応えは十分。
死ぬ前にたっぷりとそして美しいこんな走馬灯を観たいと思わせる力作である。
ラストの切れ味がなかなかにお見事なので、長尺に怖じ気づくことなく見てほしい。
親子間とセックスとタイガーと赤ちゃん
最初はめっちゃ好きだった
親子間とセックスとタイガーと赤ちゃん
神秘的な音楽と感情的な俳優の表現
最悪な人生を輝いた色彩とシリアスなモノクロを交互に使い表しているのが好きでした。
ノーマ(マリリン)に子供がいれば彼女はもうちょっとマシに生きれたかも
でもそのあったかもしれない人生を運命は許さない
本当に可哀想
最後をもう少し濃く描いて欲しかったとも思う
でも人生とはこんなもんなのかも
マリリン・モンローの葬式を見たかったなぁ
クセが強い
既に酷評吹き荒れておりますが、アカデミー賞に向けて観賞。
これは批判されても仕方がないな〜という、時代錯誤な内容にびっくり。アナ・デ・アルマスちゃんが本当に美しく可憐でスタイル抜群なので、それだけで観て良かったなと思うし、どんなにストーリーが酷くても、監督の趣味全開の意味不明な演出でも、テンポが物凄く悪くても、最後まで飽きずに観れてしまいました。
というか俳優陣の演技以外は良いところが見つからない…。無駄な上半身ハダカが多すぎるのとか謎だし、ひたすら主人公が辛い目に合い続ける3時間という脳死展開だし(やっぱり監督の嗜好としか…)、そもそもこの同人誌のような企画が何故通ったのだろう。
マリリンモンローの関係者とアナ・デ・アルマスちゃんは怒っていいと思います。笑
心の置き場が…
「小説を元に…」付け加えたようなテロップが
後味の悪さを更に深めた…
あの時代の女性蔑視の醜さに腹が立って苛立って…それがスターであっても、いや!スターだからこそ標的にされてしまうハリウッド黄金期が怨めしく恨めしい
オスカー候補のアナ・デ・アルマス目当ての鑑賞ではありましたが誰に向けて?誰の為に?
製作された作品なのか心と頭を傾げるばかりでした…
現在足を骨折して暫く劇場鑑賞が無理なので楽しみにしていた配信作品でしたが
他の皆さんもおっしゃる通り途中でギブアップされたり気分が悪くなるのも否めないと…
モノクロ自体もただただ隠暗を助長する手法としか受け取れませんでした
映画ファンの大先輩に「マリリンのファンなら観ないほうがよいよ!」と言われました
アナのファンとしてもかなりキツかったです…撮影後のアナのメンタルは大丈夫だったのか心配になりましたが彼女の大熱演とオスカーノミネートには拍手を送らせて欲しい!!
虚像、偶像…
この映画の通りの人生なら、彼女は幸せではない。。全編通して、幸せなシーンがほぼなく、後は苦しみしかない。父親はおらず、母親からの愛も受けず、結局この幼少期のトラウマがずっと引きずっている。不幸なことに中絶、流産と自らも子供に恵まれない。華々しいスポットライトより、その影の部分が人生を彩っている。また、世の男性のセックス・シンボルとしてのマリリン・モンローはその影の部分、ノーマ・ジーンから逃げ出したかったからこそ、演じられたのか、しかし、その反動は精神的にも耐え難いもので、薬に手を出してしまったのか。アナ・デ・アルマスの美しさを差し引いても、とにかく苦痛、苦悶の時間が長く続くので辛かった。
記憶に残る映画
鑑賞するにあたりマリリンモンローのことを全く知らなかったのでwikiで一通りどのような人物だったか予習をしてから鑑賞しました。
wikiのイメージだとキャリアウーマンでバリバリの実業家、自分が手に入れたいものは徹底的に人を利用してでも手に入れるようなエゴイスティックな人物なのかと想像していました。が本作品ではまた違う側面を切り取ったマリリンモンロー像が描かれています。
少し違和感がありましたが、どうやら今作は伝記ではなく小説をベースに作ったフィクションということで納得しました。
今作のモンローは弱々しく流されやすい悲劇の主人公という感じで描かれています。
これは今流行りのポリコレを意識して作ったのか?個人的にはもっと強いマリリンモンローが見たかったです。
作品として酷評されているのも個人的には納得です。
だがしかし、アナデアルマスの演技は目を見張るものがあります。
アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされたのがその証でしょう。
今作はマリリンモンローを観るのではなくアナデアルマスを観る為の作品です。
マリリンモンローも脇役から始まりあまりの美貌に話題を呼び主役を張るようになりセクシー女優から演技派女優にステップアップしたようにアナも007のちょい役から美貌を絶賛され今作で主演を務め可愛い女優から演技派女優へと自分の力で掴み取った姿はどこかマリリンモンローを重ねて見ている自分がいました。
今作がきっかけでマリリンモンローという人物を深く知れたことに感謝です。
で、なんで、今更、ノーマ・ジーンなんだ?!
ノーマ・ジーンの人生を、抽象的に芸術ぽく描いている。この話本当なのか?実際に存在した女優なんだから、きちんとリサーチすべきだ。
また、ノーマ・ジーンの人生観やアイデンティティが全く見えない。つまり、どうしてそうなったか?それが全く分からない。
マリリン・モンローのファンだったが、嫌いになりそうだ。
我が親父は、教育上として『お熱いのがお好き』は見るなと言っていた。バッチリ見たが。この映画は僕の性の目覚めの一本になった。
劇中に昔の映画が挿入されるが、出来れば、リメイクすべきだったと思うが。
マリリン・モンローを見る目が、共通して『7年目の浮気』のスカートが捲れるシーンと勝手に考えている。観客を馬鹿にしていると感じる。少なくとも、僕はこのシーンでちっとも心が動かされなかった。
コロコロと男が変わって、ノーマ・ジーンまで変わってしまう。つまり『ノーマ・ジーンは男によってこんなふうに変わった』って、男目線で語っているように思える。これでは、チャップリン・Jrだし、ジョー・ディマジオだし、アーサー・ミラーやケネディの人生観を語っているように見える。
アーサー・ミラーやジョンFケネディもこんな男だったのか?また、ロバート・ケネディじやなかったけ?付き合っていたの。こんな勝手な解釈で許されるのか?。
ビリー・ワイルダーとの関係もこの映画見て初めて知った。
でも、この映画は評価したくない。
マリリン・モンローが嫌いになりそうだし、ノーマ・ジーンは本当にこんな人物だったのか?まるで、タブロイド紙の三面記事を読むようだ。
要は彼女はマリリン・モンローに人格を乗っ取られ、そのまま天国にめされたと言いたいのだろう。たから、『ブロンド』なのだ。本当のノーマ・ジーンは金髪ではない事は誰でも知っている。ぬいぐるみのタイガーはノーマ・ジーンの髪の色。
エドワード・G、ロビンソン・Jrって言ったって誰も知らないだろ?!
さて 『なんてばかげた夢』の様な映画だったんだ。
大衆に愛され過ぎたスター・マリリン・モンローの悲しき内面
一面から見た真実かも知れないけれど、《負の側面》が過ぎませんか?
マリリン・モンローはセックス・シンボルで頭の中は空っぽ!!
的なイメージがありますが、
マリリンは非常に頭の良い女性だったようです。
「あなたはな何を着て寝てるんですか?」
の、質問に、
「シャネルの5番を着て寝るわ!」
と、茶目っ気たっぷりに答えたり、
また有名な歩き方(この映画では一度も出て来ませんが、)
(ピチピチのタイトスカートにハイヒールで歩く後ろ姿・・・)
(ヒップを左右に振って蠱惑的に歩く有名な歩き方・・・)
実はこれを考案したのはマリリンだと言う!!
《セルフプロモーションの達人》
・・・でしたね。
プラチナ・プロンドのヘアー。
(これも、実際には染めていて、地毛はブラウン)
この映画を観ると、不幸な生い立ちの娘・ノーマ・ジーンが、
マリリン・モンローという虚像と折り合いを付けられない、
どうしても自分の中で、マリリンとノーマが乖離して、
離れ離れの苦しみむ姿が濃厚に描かれます。
(モンローの美しく目を引く外面と、孤独で自信がなく
(コンプレックスに落ち込む内面の差・・・)
映画を昨夜観て、
悪夢にうなされました。
特に後半の飛行機の中で、ドラッグとシャンペンを飲んで、
起き上がれずに倒れ込み嘔吐する、あたりからは辛くて、
(私自身の気持ちを立て直すために、気晴らしをする必要が
(ある程でした・・・)
(あまりにも彼女が不幸にみえたから・・・)
(メンタルにキツイ映画です・・・)
この映画が描くのは、
《死に至る道程》を、描いているからかも知れません。
たった10年の活動期間で、30本の映画に出演。
吹き込んだレコード曲も25曲位、
映画の中でも歌われていた、
「I Wanna Be Love By You」
など今も残る名曲が多いです。
私がモンローの映画で観たのは、
「七年目の浮気」
換気口からの風で巻き上がるスカートのシーンで有名ですが、
見た印象は健康的なお色気・・・でした。
「ナイアガラ」
初の悪女役。
「百万長者と結婚する方法」
この映画で初めてモンローウォークを披露しています。
「イヴの総て」
ほんの数シーンのちょい役ですが、落ち目のスター、
ジュディ・デイビスに、溌剌とした若さと美しさを印象付ける
若手女優の役でした。
見事に数シーンで場をさらっています。
この4本だけなのですが、
マリリンはとても上手なコメディエンヌです。
主演のアナ・デ・アルマス。
凄い熱演でした。
見た目の美しさも圧倒的で、
似てる似てないより、マリリンそのものに見えました。
まるでマリリンが憑依したかのような熱演(もう怪演かも?)
彼女と関係の深かった男性5人。
チャップリンの息子のチャールズ・チャップリン・Jr.と
その友達。
2番目の夫、
有名な野球選手のジョー・ディマジオ。
3番目の夫、
「セールスマンの死」とマリリンの遺作「荒馬と女」の脚本。
などの、有名な劇作家のアーサー・ミラー。
演じたエイドリアン・ブロディは仕草とか扮装、着る洋服。
知的文化人を演じてこれまた凄いハマりよう。
不倫をしてたと噂されるケネディ大統領。
映画では最低のゲス男に描かれていて、
マリリンをコールガールのように扱っていて酷くて・・・。
しかし、マリリンがケネディの誕生日に歌った映像を見たことがあります。
こぼれんばかりの流し目と、これ以上有り得ない「甘ったるい声」で歌う
♪♪ハッピー・バースデイ・Mr.プレジデント♪♪
この歌のプレゼントも、虚像・・・なのですか?
多分この歌は全世界に発信したセックス・シンボルのお色気爆弾!!
(炸裂して傷つくのも実はマリリン自身だった?)
(媚びの売り過ぎですね・・・)
虚像が多いですね。
胎児のエコー写真の多用もあざといです。
薬に逃げて自殺か?過失か?
死んでしまったマリリン。
エルヴィスも、
フィリップ・シーモア・ホフマンも、
ヒース・レジャーも・・・
ハリウッドの栄光は、心の平安とはほど遠いものの
ようです。
ディマジオがマリリンの死後、週に3回も花を20年間贈り続けて、
死の最後の言葉が、
「やっとマリリンの所へ行けるな・・・」
だったそうです。
大衆に愛されされ過ぎたスター。
栄光は永遠です。
(幸せではなかったけれど・・・)
私が麻痺しているのか、衝撃も動揺も小さかった
モンローの映画は「七年目の浮気」しか観たことがないものです。幼少期から始まり、実在の人物と関係して進んでいくので伝記ものかと思いましたが、いろいろな方のレビューを観ているとどうやら史実とは大幅に異なるようで、思い違いをしなくてよかったです。
私は「悩ましい」という表現をしようと感じた女性はあとにもさきにもモンローだけでしたが、その目を奪われる魅惑がアナ・デ・アルマスからもわき出ていました。すごい。
正直に申し上げて、この映画をNetflixで自室でただ一人観ている時、アナ・デ・アルマスが胸を露出させたり口淫の描写が映ると、性的に興奮しました。それこそ鑑賞を続けられないほどに。これは搾取なのでしょうか。ちゃんと感情移入していれば興奮なんてしないでしょ!と怒られるんですか私は。一方誰でも見れる映画ドットコムに興奮しましたと書き込む行為は糾弾されて然るべきと思います。
スポットライトの下で輝くスターは、本当の自分と乖離して苦しみ、実は皆が思うような幸せの絶頂ではないのだという話は既に一般論となりつつあると思います。この映画を観て、ああ、モンローもそうだったんだ(なかでも壮絶だとは思います)と思いましたが、麻痺し堕落しきった私の心は「まあ時代も時代だしそんなもんなのかな」と衝撃もなしでした。というか全てがおかしい現代で「こんなのおかしい」と言うのも疲れてきました。
メディアでセクシーな衣装を着て笑顔を振り撒き、それを見た男子がポスターを部屋の壁に貼るようなスターって、現代にはいませんよね。風紀を乱す、とか言われるんでしょうか。けどエロい目で見られるのではなく、エロい目で見させて魅了するモンローには憧れてしまいます。心ない男は今も昔も多いどころか増えてきてるように感じますが、数多の苦しみのなかにありながら70年後も残っている映画で日本男子を魅了し、その髪型や顔や身体を脳裏に焼きつけるモンローを愛し、尊敬します。
無題
現代文化は思考よりもイメージが雄弁だ。エンタメ業界はいつだって「思考なきイメージ」の氾濫が大手を振っている。イメージをもてはやし賛美すると同時に、臨界点を過ぎると集団で弾劾し非難する。『ブロンド』というタイトルは、そういうイメージ偏重主義の揶揄か。
聖マリアやキリストの絵画のように、型やイメージは、時代の移行と共に変化する。マリリンモンロー のイメージも歴史の移行期に変換されてきた。
ウォーホルの有名なモンローは、表面的には愛されるアイコンへのオマージュのように見えるが、死や腐敗、暴力といったテーマが潜んでいる。
アイコンのイメージが編集されるプロセスは、人間の歴史のプロセスだ。
男性社会のおぞましさ、欲望に搾取される性、見る側が支配する消費社会。制度的にも習慣的にも受け入れてはいけない。我々は、それらとはっきりと決別するプロセスの中にいる。だから今、砕けた心を掻き集めるようにしながら愛を希求するイメージにマリリンモンロー を編集したのだろう。
しかし、この手法(誰もが知っているアイコンを使ってかわいそうな人を語るという手法)は『ジョーカー』と同じで、今の映画界の流行りのようで好きじゃない。伝えたいことはわかるけど、仰々しい演出で鑑賞者に決まった感情を提供するのはブルジョワ的。映画はそもそも大衆のものだ。
(私が言うブルジョワ的とは、お金に余裕のある人がほどこしを与えて悦にいる態度を指します)
ミッキーマウスがどんな役に扮しても許されるように、マリリンモンローというアイコンが、女性の苦難を全て引き受けた物語だとすれば、本作は全ての女性の物語かもしれない。私にも共感する場面がいくつかあった。しかし、同じ痛みを見いだして共感することにどんな意味があるのだろう。思考なき快楽か。鑑賞者に与えておけばいいという作り手のブルジョワ思考がやはり透けて見える。
マリリンモンロー という実在の人物がフィクションと現実と織り交ぜて描かれることは、死者を踏みにじり公然と虐めているようで見ていられない。私はやっぱり、実在の人物を取り上げることには、もっともっと慎重であるべきだと思う。
表情豊かなアナが魅力的で見入ってしまったけど、アナを鑑賞することによって、私も見る側になって消費しているという矛盾をどうしたものか。
暗くて陰鬱な映画
マリリン・モンローが幸せな人生を歩んだとは言わないけど、何もこんなに暗い部分ばかり寄せ集めなくてもと思う。
もっと強くて人生に積極的な女性だったと思うし、彼女の華やかな活躍の姿を肯定的に描かれた部分があっても良かった。
特に胎児に焦点を当てた部分見ていて嫌な気持ちになった。
殆ど眉を顰めながら見ていた。
アナは綺麗だけどあまりマリリンには見えない。もうちょっと肉感的なイメージがあるので。
ノーマ・ジーンが演じるマリリン・モンロー
数多くの伝記が出ており、日本でも小説となっているマリリン・モンローの生涯を描く。
心の病に陥った母、父を知らないノーマ・ジーン(アナ・デ・アルマス)は体を張って映画女優になる。
強い父親代わりにジョー・ディマジオ、賢い父親代わりにアーサー・ミラーと結婚するが破綻、ケネディ大統領とも付き合う。
睡眠薬の飲み過ぎ事故とされているが、真相は・・・。
アナ・デ・アルマスは正しく体当たり演技で、時々、マリリンに見えてしまった。
彼女の最高の名演はマリリン・モンローを演じたことだったかもしれない。そして幸か不幸かカメラは彼女を愛してしまった。それがノーマ・ジーンの悲劇だと思う。
①力作である。秀作と言ってもいいかもしれない。マリリン・モンローという映画スターの仮面を被り続けなければならなかった一人の女性の魂の彷徨を扇情的・感傷的ではなく理性的に描いている。3時間近い長尺だが破綻なく最後まで目が離せない。②アナ・デ・アルマスは、全裸も厭わない熱演。彼女のキャリアでもトップクラスの、映画史に残っても良い演技かも知れない。決して似た顔ではないのだが、観ている間に何度となく実際のマリリン・モンローの顔がダブって見えた。『マリリン七日間の恋』のミッシェル・ウィリアムのマリリン・モンローぶりも素晴らしかったがそれに勝るとも劣らないと思う。③
アナ・デ・アルマスの今後の飛躍に期待!
自宅レイトショーNetflix作品『ブロンド』
007/ノー・タイム・トゥ・ダイで、注目のアナ・デ・アルマスが、マリリン・モンローを演じる伝記ドラマ
モンローを演じるって事で、体当たり演技で全てを曝け出してます!!
彼女の目線を色んな手法で表現する映像はいい感じですが・・・・170分は長い^^;;;
エルビス同様に周りに翻弄されるスターの苦悩は、演じた彼女のメンタルを心配してしまう。
次回作は、明るい役の彼女が観たいと思います。
気持ち悪いが制作者の拘りを感じた!!
チャップリンの息子が出てきた辺りでウワッとなりましたが、それは序の口に過ぎませんでした。思い込みの激しい女性のSNSをずっと観続けるくらいの気持ち悪さのある映画でした。アクセサリー感覚の女であまり共感は得られないと思いますが、制作者の思い入れの強さを感じました。私もある程度年を取って、その時付き合っていた人と時間を振り返る事がありますが、このような時間旅行もあるのだなと思いました。父に捨てられ母は精神病でしたが、一生パパ…パパ…言ってて印象に残りました。
サディステイック
ブロンドはJoyce Carol Oatesの小説にもとづくマリリン・モンローの伝記映画です。じっさいの経歴に準拠した話ですがフィクションになっています。
本質的なものをとらえていると感じましたが、不幸な生い立ちに翻弄され、男にもてあそばれ、マスコミに搾取され・・・ひたすらモンローの不遇が描写され、見ていて疲れました。
海外のクリティカルレスポンスも、すべての批評家がアナ・デ・アルマスの演技を称賛する一方で、悪意のあるフェミニスト映画のように「かわいそうな被害者的モンロー像」が強調されていることで評価を落としていました。
結果、どのメディアの評点でも平均値にとどまりました。可も不可もなく──ではなく、良いところもあったが悪いところもあった──という感じでした。
ただしアナ・デ・アルマスは株をあげました。
本作のWikipediaに──予告編が公開された際、キューバ人であるアルマスの起用が不適切であるというクレームが入ったそうです。が、モンロー財団がアルマスを擁護した──とのエピソードが記載されていました。
今までいくつかモンローの伝記映画を見てきたように思いますが確かにアルマスのモンローは出色でした。ただ前述したようにAndrew Dominik監督の演出はサディスティック(モンローがいじめ抜かれる)で、ラティーナであるアナ・デ・アルマスの本来の持ち味(=明るさ)は殺されていました。じっさいのモンローだってもっと明るい人だったのではないでしょうか。
また画が非常に扇情的でした。VOD(Netflix、Hulu、HBO Maxなど)では裸や性描写によって視聴者が釣れるそうです。統計的に確立されているようで、VOD公開の新作は劇場公開の新作よりも描写が過剰化傾向にあるそうです。
──
マリリン・モンローという人は、演技ができるセクシー女優でした。これはこんにちまでさんざん言われているモンロー評だと思います。でも実際に演技ができるセクシー女優というものが、どれだけ希少なのか考えると、愕然とします。
戦略としてセクシーの路線から芸能へ入ってくる──これはエンタメにおける女の世界共通の経路です。かのじょらはみんな手始めに身体で売って段階的に登っていくことを思い描いています。しかしいったい何人がその路線を脱却できるでしょう。
その希少性を考えながらビリー・ワイルダー監督のお熱いのがお好きやジョン・ヒューストン監督の荒馬と女を見るのは興味深いものです。
お熱いのがお好きのシュガー・ケーン・コワルチェック(マリリン・モンロー)は頭のわるい女です。女だけの楽団で歌手とウクレレを兼任しています。思慮に欠けますがカラ元気で底抜けに明るく飛び抜けにセクシーです。
モンローはけれん味(はったり・ごまかし)無しでシュガー・ケーン・コワルチェックでした。男を惑わせる肢体と色香を持ちながら警戒心のまるでない「ソサイエティ・シンコペーターズ」のウクレレ奏者でした。
とうぜんその様子からは当時彼女が抱えていた疾病や苦悩は見えませんが、月日を経た現代ではモンローの演じた尻軽な女性像が、彼女の思慮深さの裏返しであることを知らない人はいません。
おそらく男より同性である女のほうが共感しているのではないでしょうか。
芸能をめざす女たちがマリリン・モンローのようなポジションを目標にするのはもちろん、概して女たちはマリリン・モンローのように(媚びではなく)素で男をひきつけながらある種超然としていられる存在に憧れを抱いているに違いありません。
しかしスクリーンのモンローは演技だったとはいえ、あの魅力です。
牽強付会ではありますが、ざっくりと現代の女優やYouTuberやTikTokerと比較してみると再び愕然とします。
媚びも自己顕示もしていないのにみんながモンローに吸い寄せられていったのです。亡くなって60年も経っているのに追憶の伝記映画がつくられるのです。
アナ・デ・アルマス熱演っ❗
ストーリーは間延びしてたけど、アナ・デ・アルマスの演技は素晴らしかった❗😆
リアルタイムのマリリン・モンローは知らないけど、きっとこんな感じだったんだろうなぁ、と思わせるほど良かったです。
それにしても、エルヴィスもフレディもマリリンも、やっぱスーパースターは大変ですね🙏
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