蟻の王のレビュー・感想・評価
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西洋の同性愛の戦いは半端ない。 酷い裁判もさることながら、家族の意...
西洋の同性愛の戦いは半端ない。
酷い裁判もさることながら、家族の意識、野蛮な治療!!救いは二人の関係が逆境でも愛情を維持していて意識が世間に飲まれてない事かなあ。
「そんな人間は居ない」事にするグロテスクさ
1960年代、アリの研究者としてそして劇作家として知られていたアルド・ブライバンティとその教え子である青年との同性愛関係に対して、「教唆罪」(一個人をそそのかし完全に従属させた罪)という何にでも応用可能な罪名で裁いたという事実に基づくお話です。しかも、青年は「矯正施設」(同性愛は「矯正」すべき病の認識)にて、激しい電気ショックという拷問同様の「治療」を受けねばならなかったのでした。
イギリスでもフランスでもほんの数十年前まで同性愛は違法だった事は映画を通じて知っていましたが、カソリックの総本山イタリアではそんな法の縛りはなかったのです。それも「この国に同性愛者は存在しない。ゆえにそれを裁く法も必要ない」とのムッソリーニの意思を引きずっての事だったとは。
しかし、逆に言えば法の縛りがないから、同性愛者への無軌道な弾圧も可能になります。だから、「教唆罪」などという無理筋の法を持ち出してしょっぴく。権力の何とも愚劣な姿です。
【イタリアの詩人、劇作家、演出家、蟻の生態学者として知られるアルド・ブライバンティが、同性愛者を裁く法律が存在しない国で、権力が作り出した教唆罪に問われても、人間の尊厳を失わない姿が印象的な作品。】
■1959年、イタリア。
アルド・ブライバンティ(ルイジ・ロ・カーショ)は、主催している芸術サークルで、兄マンニコに連れられてやってきたエットレ(レオナルド・マルテーゼ)という若者と出会う。
2人は惹かれあい、やがてローマで暮らし始めるが、エットレの母、兄マンニコにより教唆罪を問う裁判に掛けられる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・冒頭、精神病院に入れられたエットレが電気ショック療法を無理やり施行されるシーンが出るが、1960年代のイタリアでは同性愛は差別と偏見に晒されていた。
・劇中には出て来ないが、アルド・ブライバンティの教唆罪を問う裁判では、パゾリーニ監督や、ウンベルト・エーコらが彼のために活動した。
が、パゾリーニ監督は「ソドムの市」を制作後、何者かに虐殺されている。
・ジャンニ・アメリオ監督は、今作で実在しない新聞記者エンニオ(エリオ・ジェルマーノ)を登場させ、アルドを支援させる。
今作で、同性愛への差別や同調圧力への批判が濃厚に漂うのは、監督の想いを新聞記者エンニオの姿や言葉に投影させているからであろう。
<アルドは裁判中の序盤、一切裁判官を見ないし自分の意見も言わない。だが、エットレの人格を歪めたと糾弾する検事たちを前に、彼は裁判の再後半に言う。
"他人が何を言おうと、心の中は誰にも侵せない自由の王国なのだ。"、と。
今作は、同性愛者への差別と偏見に立ち向かった実在した芸術家とお互いに愛し合った青年の生き方に基づく”人間の尊厳とは何か。”を観る側に問うてくる作品なのである。>
私には難しかった
蟻の王といっても、昆虫うじゃうじゃのパニック映画ではない。が、映画タイトルにするほど蟻の要素が強いわけでもない。史実に基づく映画だそうだが、見終わった後、何がテーマだったのか考えさせられた。(いまだにわからない)
イタリアのファシズムを扱う映画はとにかく残酷で暗い。元が実話だから...
イタリアのファシズムを扱う映画はとにかく残酷で暗い。元が実話だから仕方ないか。そんな中でも微かな希望があったのには少し救われた。
同性愛が許されない時代のイタリアが強烈
昨年鑑賞した『シチリア・サマー』、『インスペクション ここで生きる』が同じテーマを扱っているかなと思います。
同性愛が許されなかった時代のイタリア、本作では1960年代を描いていますが、『シチリア・サマー』は1980年代ですから
全く変化していないのですよね。今は変化しているのか、私としてはすごく疑問が残ります。
そう簡単にこういった偏見がなくせるのか、人間の建前と本音は別なのでは?と、どうしても考えてしまいます。
本作で更生施設(病院)が出てきて、電気ショックで同性愛を治療しようとするショッキングなシーンがあるのですが、
さすがにこれは拷問だろうと思いましたし、その治療を受けた男性は病んでしまってしまうわけで、
人間の尊厳とは?ということも深く考えさせられました。
『シチリア・サマー』では、更生施設というワードは出てきましたが、どういうことをされるのかまでは描写されなかったので、
本作でショックを受けました。
本作は法廷シーンが中心に描かれているので、ちょっと思っていた内容とは違っていたのですが、
実にせつない、やるせない気持ちになる映画でしたね。
ただ、こういう作品は多くの方に観ていただいて、多様性の本質、人間の本質といったことに
思いを馳せていただければ良いな〜と思います。
イケオジ祭り! でも先生は予告でイメージしたのと違った。ほんとに王...
イケオジ祭り!
でも先生は予告でイメージしたのと違った。ほんとに王だった。
最後の雨はなにかなー。蟻の巣って大雨で流されちゃうのかな。
神父に預ける方がアブナいよ
ここで教授が迫害される理由を同性愛のみに帰してしまうと問題が矮小化されるのではないか?つまり、様々な社会的属性(性的指向、支持政党、人種・民族・宗教etc.)を理由にした多数派による少数派排除の標的は同性愛者に限らないということだ。評者がより深刻だと感じるのは、愚者による知性の圧殺である。これは、モノを考える、という人間を人間たらしめている根本の否定だと思うのだ。
ところで、あの記者は顔つきも表情も若い頃のデニーロみたいでいい感じだった。
1964年か…
60年くらい前でもまだこんな世の中だったんだなー、と。ある意味、時代の変化もすごい。前半を教授と学生の関係に、後半は裁判に揺れる世の中にしてお話がくっきり展開でわかりやすい。今のご時世でも教授と学生、っていう関係はちょっとまずい気もするけど…。罪人はいない、ってセリフは核心だね。
罪人などいないのに
はなから有罪ありきの裁判なのは予想していた。
原告側の証言は本当で、被告側の証言は嘘という差別と偏見にまみれた胸糞裁判。
公正であるべきはずの判事ですら、アルドとエットレの話を聞く気などさらさらない。
エットレは前半の美青年な風貌から一変、証人として登場した時には、同じ役者なのか疑ってしまいそうなくらい、まるで別人。
冒頭、治療の描写に関するお断りが出るけど、裁判が酷すぎて治療は平気。しかしエットレのこめかみは痛々しかった。
終始、あの母親が嫌いだった。
息子の希望など関係ない、将来まで自分の思い通りにしたい、エットレが離れたのはアルドのせいで、自分のせいとは微塵も思っていない。
思い出したらまた腹が立ってきた。
愛とは…
裁判ものが好きなんで、気はのらなかったが拝見
イタリアに行ったことあるが、イメージとしてはマザコンが多く犯罪が多発しているイメージ
本作品にもマザコン感は出ていたが、同性愛も昔から多かったんだなぁ〰️と
裁判は日本とかなり異なるイメージ
だったが、裁判官自体が世間知らずが多いから多数派びいきに成らざる得ないのは日本と似ているかな〰️
裁判官も調書だけ読んでジャッジするだけだからつかえないのは万国共通 何が平等なのかな〰️
人は自分とは違う得体の知れない物に対して、無知が故の不安・恐怖を抱...
人は自分とは違う得体の知れない物に対して、無知が故の不安・恐怖を抱き不寛容から差別・偏見をする。特にマイノリティに対してはそうで、この映画の様に悲劇的な事が起きる。それを史実を通してこの映画は描いている。現代にも通じるものがあり一見の価値ありです。しかし、胸が痛くなります。
蟻の第二の胃は他の蟻を生かすため🐜蟻が群れるのは1匹で居ると迷うから
有名で素晴らしい芸術家だから、天才だから(パゾリーニやヴィスコンティを想起してしまう)、或いは「普通の」「私達」を笑わせてくれる頭のいい「お笑い」の人だから(日本のTVでよく見かける)、という理由でもなければ昔も現在も認められず「存在しない」とされるのが同性を愛する人達だ。この映画を見て、組合運動が盛んで共産党が活躍していたイタリアで、同じ党員なのに仲間を助けようとしない保守的で付和雷同の世間と馬鹿げた法廷場面に少なからずショックを受けた。
戦時中のレジスタンス活動がアルドの減刑の理由で、「法」という名の権威は二人の人間を苦しめた本当の理由に蓋をした。背景にあるのはホモソーシャル・ホモフォビア社会、カトリック信仰、そしてエビデンスなき「治療」という変てこな医学の存在だろう。
「法」の名称は異なるが、ドイツでも60年代に男性の同性愛を犯罪とする法律があった(映画「大いなる自由」で初めて知った)。そういった明らかな過去があるから西欧では批判と反省ができるんだろう。そして同性婚も異性婚も全く同じ婚姻とする社会にすることができるんだろう、偏見と差別は消えないにせよ。禁止も罰則も刑罰もなく犯罪ですらなかった日本には反省の機会すらない。別姓婚ですら実現していない。偏見と差別だけはのさばらさせたままで。
エットレ役の男の子が輝いていた。親から離れて自分の道を歩み出す、まさにその年頃にエットレはアルドに出会った。アルドはニーチェやソクラテスやシェークスピアなど過去の哲学や文学の大物を引用して話すことが多い。当時においてそういう方向性のインテリはどうなんだろう?と思った。大文字の文学史・哲学史側にいるインテリで、ちょっと胡散臭いような、知識に飢えている若者を眩惑させてしまうタイプのような気がした。アルドはエットレに震えるほど繊細に接しているのに。
それでもこの映画の登場人物、誰一人として欠けてはならない存在感があり、セリフの一つ一つが心に沁みた。共産党機関紙「ウニタ」の記者エンニオがアルドとエットレを理解し彼等の側に立って記事を書くに至る経緯とエンニオの理性には説得力があった。
人物の顔のアップが多い中で、遠景で街や自然の情景が挟み込まれいてそれがとても生きていた。映像と脚本とキャスティング、そして、イタリアにこのような過去があったことを美しい映像とともに掘り起こしたアメリオ監督に感謝の気持ちを抱いた。
おまけ
記者エンニオ役を演じたのはエリオ・ジェルマーノなのかー!びっくり!この映画のジェルマーノは勇気と正義と理性の記者だった。そのジェルマーノが2024年5月のイタリア映画祭の「信頼」のあの主役とは!(トニ・セルヴィッロとエドアルド・レオと、あと数名の濃い顔除いて)イタリア人俳優をまだよく見分けられない!ちょっと痩せたり太ったり、あるいは髭のあるなしやヘアスタイル、時代背景にあった服やその人物の職業やタイプで鮮やかに演じ分ける!なんと素晴らしい!
病気扱いをする狂気
同性愛が認められない1968年にアルド・ブライバンティは、同性愛を罰する罪がなかったため、若者をそそのかしたという、「教唆」の罪で初めて逮捕され裁判となった。
この実際に起こった「ブライバンティ事件」を描いた作品。
たかだか60年ほど前まで、欧米では同性愛が精神病とみなされ、治療の対象だった。
たまたま恋愛の対象が同性だっただけなのに、病気扱い。
脳に電気ショックを与えて精神を破壊させてしまう。
なんて残酷な仕打ち…
現代は性的嗜好に関しては、やっと容認されてきたってところ。
もっともっと寛容な世界になりますように。
異質な者をを排斥してしまう人の心が変わりますように。
余韻の残る哀しいラストに、そう願わずにはいられなかったです。
心掴まれた
心掴まれる傑作!時代の波が与える残酷さ。今では考えれない事実の数々はまさに衝撃的。それでも滲み出る決死の覚悟。屈しない闘争心に並々ならぬ勇気を。何度も離れて、繋がって…。透明感溢れる情景や音楽は至極の夢心地。そして、2人の紡ぐ真実の愛に幾度も涙した!
本当の愛とは何だろう?
美しいイタリアの風景や街並み、温かみのある優しい光に包まれたシーンとは対照的に、物事や正義の捉え方の違い、差別、偏見から生じる悲劇を描いた作品。本当の愛とは何かを深く考えさせられた。
エットレ役のレオナルド・マルターゼ(ジュード・ロウ似のイケメン!)は本作が映画デビューとの事だが、目で心の機微を語る演技が本当に素晴らしく、圧巻のラストシーンに涙した。
これは純愛
学者なのにまるで毒婦のような言われようのアルドと、子犬みたいな純粋な目をした美しいエットレの恋物語。
これは純愛なのでは?
ラストシーンが目に焼き付いて離れない。
1960年の伊で同性愛がどのように扱われたかを描かれているけど、私はエットレのアルドを慕う純真さにやられてしまった。
イタリアの風景も美しくて、アルドの作った塔もまた雰囲気があってよかった。門がね!門がいいよ、門が!
以下、アフタートークからの学び↓
これは実際に起こった事件を元に作られているとのことだけど、本場のイタリア人もアルドの事件を知っている人は少ないそう。
ネタバレになるから言えないけど、エットレに起こった恐ろしいことは、その後は無くなったのだとか。それでもこのイタリアファシズム時代に決められた条例とかでまだ残っていることがあるようで、この話のように存在しない罪に問われる人もいるらしい。
実際には二人は二度と会わなかったと聞いて、ラストシーンの美しさがまた心に沁みた。一言で言えば、もうゆるしてあげて、と思った。
心震わす愛の尊さを繊細に描く映画
イタリア映画祭の特別上映で見た。未知の歴史の一齣を読むようなものかと思っていたが、繊細で心が振るわせられる映画だった。同性愛に不寛容だった1960年代のイタリア社会で実際に起こった事件をもとにしていて、当時の前衛演劇やローマの同性愛者たちのパーティーの描写もあるが、主人公の実在の詩人とそれに関わった人々の感情が細やかに描かれている。当時の社会の厳しさも容赦なく描かれるが、人物の描き方に性別を問わず人を愛することの尊さが感じられる。この映画は全国で上映されればよいのだが。
昨年末にノーベル賞受賞作家アニー・エルノーが中絶が禁じられていた60年代のフランスを書いた原作に基づく「あのこと」を見ていたので、60年代を考えるインスピレーションがまた、得られた。
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