「【行政の監視つきでしか会えない二人の子供を心から愛する母の”正義”と、行政の”正義”の齟齬を描いた作品。今作は、不器用だが真の母の愛を子供達に与えようとする女性の姿を描き出した作品でもある】」ドライビング・バニー NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【行政の監視つきでしか会えない二人の子供を心から愛する母の”正義”と、行政の”正義”の齟齬を描いた作品。今作は、不器用だが真の母の愛を子供達に与えようとする女性の姿を描き出した作品でもある】
ー 今作の原題は”The Justice of Bunny King"である。-
■”ある事情”のため、家庭支援局の監視つきでしか子供たちと会えないバニー(エシー・デイヴィス)は、家族水入らずで暮らせるよう妹夫婦の家に居候し、道路で車の窓洗いをしながらお金を貯めていた。
ある日、彼女は妹の新しい夫ビーバンが姪のトーニャ(トーマシン・マッケンジー)に言い寄るのを目撃し、ビーバンに手を上げてしまう。
それが原因で妹の家を追い出されてしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・後半にバニーが家庭支援局の監視つきでしか息子ルーベンと幼き娘シャインに会えない理由が明らかになるが、前半はそこに敢えて触れていない点が奏功していると思う。
・バニーは息子ルーベンと幼き娘シャインに一目でも会いたいが故に、禁止されている里親の家へ直接会いに行ってしまう。
ー バニーの直情的な行動原理。それは彼女の”正義”なのだろうが、社会の規範には会っていない。故に、息子ルーベンと幼き娘シャインは別の里親に預けられてしまうのである。ー
・バニーは息子ルーベンと幼き娘シャインと会うために家庭支援局に乗り込み、占拠する。そして、建物内を子供たちが喜ぶようにトーニャと家庭支援局のトリッシュと共に飾り付ける。
ー 何とも切ないシーンであるが、家庭支援局のトリッシュの姿に救われる。-
■ここは推論だが、バニーが夫を殺害した理由は子供を守るためではなかったか。出なければ、息子ルーベンと幼き娘シャインがあんなに、バニーに懐いている訳はない。
・そして、占拠した家庭支援局から警察の配慮で息子ルーベンと幼き娘シャインと電話でバニーが泣きながら会話するシーンは、こちらも沁みてしまったよ・・。
<子供を愛しすぎるが故に、社会の”正義”に反してでも、自らの”正義”を貫こうとするバニーの姿は、矢張り心を撃つ。
それと真逆のトーニャの母が、トーニャの言い分も聞かずに、新しい夫ビーバンの言葉を信じてしまう姿の対照的な事。
今作は、不器用だが真の母の愛を、子供達に与えようとする女性の姿を描き出した作品である。>