「タル・ベーラ meets シュヴァンクマイエル。リトアニア発、中世的幻想とゴチック的ロマンあふれる傑作!」ノベンバー じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
タル・ベーラ meets シュヴァンクマイエル。リトアニア発、中世的幻想とゴチック的ロマンあふれる傑作!
観る前から僕の大好物らしいのはよくわかっていながら、なんとなく観そびれていたのだが、封切りから2カ月近く経つのに、まだ終映もせず、劇場でやっている。この際せっかくだから観ておこうかと足を運んだら、まだ半分くらいお客さんが入ってるじゃないか! ちょっと感動した。
アヴァンタイトルの映像から、鷲づかみにされた。
水辺と狼。なんかタルコフスキーみたい。
と思ったら、カメラが引くと、じつは雪景色だとわかる。
雪を転がる狼と、眠る少女の並行モンタージュ。
白トビした、きわめて美しい幻想的な映像だ。
一転して、納屋の前で奇妙な骨と農具のオブジェのようなものが動いている。
最初、画面外で誰かが引っ張っているのかと思ったら、なんか自律歩行しているらしい!
三本脚で、タンブルウィード(回転草)のように。悪魔ブエルのように。
おおお、シュヴァンクマイエルじゃないか!!!
この自動歩行機械が、納屋に入っていく。
怯える牛たち。『LAMB/ラム』みたい。
殺すと思うでしょ? ところが違う。盗むのだ。
いきなり忍者映画の鎖鎌みたいに飛び出す捕縛鎖!
抵抗しながら、引きずられてゆく牛……って、なにいいい?? 飛んだ???
なんと、この自動歩行機械、こんどはタケコプターみたいに回転して、
牛を連れて飛翔しちゃうのだ!! プルプルプル!
ヤコペッティの『さらばアフリカ』みたいに、牛が飛んで行く。
牛目線で見降ろされる大地。ああ、またタルコフスキーみたいだ……。
美しくて、奇妙。神話的で、寓話的で、世俗的で、残酷だけどユーモラス。
数秒先に、何が起こるのかが、さっぱり予見できない。
意外な転調を繰り返し、ジャンル感も定まらない。
でも、これから始まる世界観と物語への期待はいや増しに高まる。
すごいアヴァンタイトルだと思う。
これだけで、監督とスタッフの力量がガツンと伝わる。
名刺代わりといったところか。
このあとの展開も、せいぜい頭がおかしい。
せっかく牛を盗んできてくれた「悪魔クラット」と呼ばれるこの奇怪な便利ロボットの使い魔に、農夫は禅問答のような命令を伝えて、混乱したクラットは頭から火を噴いて自爆してしまうのだ。で、それを見たヒロインのリーナは、「きれい、クリスマスツリーみたい」とうっとり……って、なんなんだ、このオフビートなノリは??
ここで描かれる農村は歪んでいる。出てくる農民たちも歪んでいる。
でも、それはなぜかとても美しくて、とてもいとおしい。
本編が始まっても、その豊穣な「中世の闇」の香りには、ただくらくらさせられるばかりだ。
このあいだまで同じイメージフォーラムでやっていた、チェコのフランチシェク・ヴラーチル監督の『マルケータ・ラザロヴァー』を彷彿させる世界観だが、ひたすら殺伐としているうえにナラティヴの異様にわかりにくかったあの作品と比べれば、寓話のような恋物語が中核にあって観やすいし、コミカルな演出も多いし、何より「悪魔クラット」というとっておきのキラーアイテムがある。
タル・ベーラ、タルコフスキー、パラジャーノフ、ベルイマン、ドライヤーあたりの影響を色濃く感じさせる、深みのあるアーティスティックなモノクロ映像に、テリー・ギリアムの『ジャバーウォッキー』やシュヴァンクマイエルのようなストップモーションのギミックがかけ合わされて、独特のアニミズムに支配された中世的世界が生み出されている。
11月になると死者が蘇り、生者とテーブルを囲み、サウナに一緒に入る世界。
農民が悪魔を呼び出して契約し、その結果生み出された使い魔が徘徊する世界。
疫病が人や動物の姿を借りて村に侵入して、村人とのコンゲームを繰り広げる世界。
舞台は19世紀というが、展開されているのはあやまたず「幻想の中世」とでもいうべきものだ。
下ネタ満載の部分も含めて、『神々のたそがれ』や『異端の鳥』と同種の、ヒエロニムス・ボス的な中世世界の再現をもくろむ映画だといっていいだろう。
上で挙げた作品群では比較的希薄だが、この作品では顕著に観られるのが、「愛と性」の要素だ。
物語からは、いわゆる19世紀「ゴチック小説」の二本の柱というべき、「恐怖」と「恋愛」が、抑圧された「性」の問題と合わせて、濃密に感じとることができるのだ。
ヒロインは狼に変身(もしくは憑依)して、夜な夜な白銀の平原を疾駆し、身体のほてりをしずめる。一方、深窓の令嬢は、夢遊病で毎夜徘徊し、うろうろと屋根にあがって、落ちかけては誰かに助けれられている。「狼化」は『キャット・ピープル』や『獣は月夜に夢を見る』と同様に、成熟した女性の抑えがたい性的興奮が獣性に仮託されたものと捉えるべきだし、「夢遊病」もまたゴチック的文脈ではたいてい女性と結びつけられて、性的な抑圧と関連付けられることの多い主題だ。
監督は、ブリューゲルやホガースの絵画作品に登場するような欲深い農民たちの、非キリスト教的な土俗世界――死者と悪魔と便利ロボの闊歩する世界を、面白おかしく描写する一方で、片思いの連鎖する「悲恋」物語を、残酷童話とでもいうべき救いのないタッチで語ってゆく。
お話自体は、ちょっと想い人のハンスがアホの子すぎるし、ヒロインのリーナもたいがい自分勝手なので、いらっとさせられる部分もあるが、恋愛ものとしてちゃんと成立しているし、ノリとしても、笑いとシリアス、静謐な風景描写と暴力的なアクションの取り合わせが絶妙だ。
個人的には、女性の姿で疫病が村の境界(川)を渡り、山羊や豚に姿を変えて潜入してくる(それを農民たちが悪知恵でやり過ごす)あたりが大好き。あれ、わざわざ農民に声をかけて渡河させてもらうのって、「吸血鬼は招かれないと境界線を越えられない」って話の延長だよね?
まさに『赤死病の仮面』だが、動物の姿で犠牲者を嗅ぎまわるあたりは、動物媒介病としての黒死病の現実ともリンクしてるし、『すずめの戸締まり』のダイジンじゃないけど、古来厄災は動物の姿を借りて現れるものであり、フォークロアの再現としてとても説得力がある。
それと、やはり撮影(マルト・タニエル)の素晴らしさが、作品の価値を何倍にも高めている。
令嬢がベッドで眠るシーンがフューズリの『夢魔』やティツィアーノ(ダナエ、ヴィーナスなど)を思わせるなど、絵画史的引用も豊富。総じて、画面の隅々まで撮り方と演出に「意図」が満ちていて、緊張感がとぎれない。ラストのなんとなく『シェイプ・オブ・ウォーター』風の映像も、一見して忘れがたい幻想的な光景を現出していた。
あとね、もうとにかく、使い魔のクラットたちがバリバリ可愛いんですよ!!
不器用だけど、献身的で、一生懸命で、でも人や動物とは異質の価値観で動いていて……。
とくに、詩人としてハンスに恋の何たるかを伝授する雪だるまクラットの最期とか、ちょっとぐっとくるものが。シラノみたいな(笑)。
エストニアという国は、決して映画製作が盛んだとはいいがたいらしい。
そんな地域から、これだけの完成度の中世的な幻想ゴチック映画が出てくるというのは、ちょっと破格の出来事といっていいのでは。
久しぶりに、BDが出たら買いたい作品に出逢った気がする。