ノベンバーのレビュー・感想・評価
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訳分からないけど、これも確かに映画だよな
「これがこの物語のリアリティです。さあ、始まりますよぉ~」と宣言するが如き冒頭のシーンに「何じゃこれは~」と度肝を抜かれました。それからは、魔女が出て来たり、甦る死者が出て来たり、悪魔との取り引きが出て来たりと、よく分からぬ中世の呪術的世界が広がります。しかし、見事に作り込まれたモノクロ映像に呑み込まれてホゲーッと見つめてしまうのです。 モノクロ映像は「黒」が如何に引き締まっているかに掛かっていると思っていたのですが、本作では「白」の微妙なグラデーションの美しさが際立っていました。そして、よく分からぬままのお話だったのですが、
「これも確かに映画だよな。ふむ、確かに」
と深く納得させられたのでした。恐らく初めて観たエストニア映画です。 (2022/12/20 鑑賞)
幻想的なゴシックラブストーリー
今週末公開の「エストニアの聖なるカンフーマスター」を観に行く前に、予習がてら監督ライナル・サルネットの他の作品を観てみようかと思いましたが…ジャンルが違い過ぎて全く参考にならなそうです(笑)
モノクロで描かれたゴシックラブストーリー。幻想的な世界観とドゥームメタルのような荒涼とした音楽。純愛と人間の醜さの対比は恐ろしくもあり、儚い希望でもある。この泥臭くも美しい物語は紛れもなく唯一無二の存在。
私は内容を「理解」できたとは言い難く、「感じた」というのが正直なところ。セリフが非常に少なく、よくわからなかった部分は調べて補いました。キリスト教関連の表現が出てくると日本人は厳しいですね(;´皿`)ぐぬぬ…
ドゥームメタルなんてマイナーな音楽ジャンルを例えに引っ張り出しましたが、本作の内容はまさにそれ。重苦しくゆっくりと、淡々と流れるストーリーは好みが割れそうです。しかしながら、映像は美しく、幻想的な雰囲気は本当に素晴らしい。観たものに強烈な印象を残すことでしょう。
あ!「ムカデ人間」のディーター・ラーザーが出演しててびっくりしたのを付け足しときます(笑)
【生者と死者と魔女と使い魔や疫病が共存する不可思議な世界での切ない恋を描いた、エストニア発の幻想優美なダーク・ラブ・ファンタジー作品。独特なる世界観をモノクロームで美しく描いた作品でもある。】
ー 舞台は、エストニアの寒村である。-
■今作では、様々な不可思議な生き物が実体を持つかの如くに描かれる。
1.生者
2.死者:白い顔をしているが、家族の元に帰り、食事をし、サウナに入る。
3.使い魔:獣の骨と古い工具が合体しており、クラットと呼ばれる。生霊と言っても良いかもしれない。
4.疫病:山羊や豚に姿を変え、寒村の中を徘徊する。
5.魔女:人間と取引するのに、3滴の血を要求する。
・今作では、上記の者たちがモノクロームの世界の中で共存している。キリスト教の要素も絡めながら、独特な世界観を構築している。
・そんな中、農家の娘リーナ(レア・レスト)は、ハンス(ヨルゲン・リーク)に恋をする。だが、ハンスは男爵の娘に恋い焦がれ、リーナには目もくれない。
リーナは父により、豚の様な男と一緒にされそうになるが、激しく拒絶し、ハンスを諦めきれない彼女は魔女に相談をする。
一方、愚かしきハンスも男爵の娘を想い、悪魔に魂を渡してしまうのである。
<そして、リーナは衣を纏い、ハンスを想い池の中に身を沈める。この水中でのリーナの髪が靡きながら、彼女が振り返る幻想優美なシーンが実に美しいのである。
今作の独特なる世界感は、ライナル・サルネット監督により完璧にコントロールされており、破綻が無く、観る側を蠱惑的な世界に誘ってくれるのである。
北欧ダークファンタジー作品に新たなる逸品が生まれたと言っても良い作品である。>
良く分からないけど心地よい
何度もうわーこの映画イヤって思ってもおかしくない瞬間は訪れたのに、なぜかものすごい好きなところで着地しました。冒頭の動く木の枝が牛を殺そうとしてる(ように見えた)シーンであー呪い系かー苦手だなーと思ったら、今度は火花バチバチして瓦解、ん?マッドドクター?とさっぱり分からないまま先に進み、分からないながらも出てくるキャラがみんな力強くて引き続き見てしまう。ハンス最初は控えめなハンサムくんに見えたけど、男爵の娘に惚れてから、明らかに笑顔が汚くなって、レイプさえも厭わない態度。こんなになってもリーナはまだハンスにぞっこん。でも全体変なことだらけだからこんなことは気になりません。村人たちは不潔で貪欲で狡猾、男爵と娘も不気味、誰にも感情移入できないまま、完全な第三者として見ていられるのは意外と楽でした。七転八倒紆余曲折の末、なぜか純愛映画として終わるのがもうコメディなのかなと思うほど。気が触れた人が作ったのかなと思うけど、でもこんなに見やすい白黒映画は初めてだから、きっと技術的にもレベルが高いのでしょう。
冒頭のシーンであまりにパンチがありすぎて、すごい引き込まれて ちょ...
冒頭のシーンであまりにパンチがありすぎて、すごい引き込まれて
ちょっと進んで当たりでどうゆう映画か検討がつかず面食らったが
最後まで見ると、なかなか好みの映画だった。
ハネケの白いリボンとかブレッソンみたいな雰囲気を感じつつエキセントリックな映像もあって面白かった。
あらゆる対比が映像美で描かれる
冬の色の少ない世界を、モノクロで描くことによってさらに、映像の美しさ、陰と陽のコントラストが際立つ。
モノクロの映画はやや眠くなりがちで、この作品も途中、人間、動物、神、悪魔などが入り混じってよくわからなくなり、眠気が。。
ただ、クライマックスへの展開と映像の美しさには目を見張るものがある。まさに、息をのむ美しさ。
テーマとしても、いろいろな神、貧富、恋愛が複雑に絡みあって、カオスというより、独特の世界観が成り立っていた。
白と黒、信仰とお金と恋愛、欲と命、対比が際立つ作品だった。
2023年劇場鑑賞41本目
豚の解体が好きだ
兎に角、"盗む"が徹頭徹尾続くストーリーである 決してエストニアという国の特性ではなく、環境、若しくは前時代的発想ではそれがスタンダードだったのだろうとは想像出来るし、それを咎めようとは思わない 自分だってその時代に生まれれば同じ事を当然のようにやると思う
と同時に、ファンタジーが溢れているストーリーということは何かのメタファーとも取れる作品であり、寓話、もっと言えば絵本的構成になっている今作品に強烈に惹き引せられる理由が存分に理解出来る 最後はシェークスピア的に悲劇で終わるけど、そこまでの物語も悲恋として心に突き刺さる内容である
”希望を”一切除外した作品、あっぱれである あっぱれと言えば、自然に人間に有らざるモノをここまで自然に溶け込ませている点、ここまでの作品は他に無いと感嘆させる
土着信仰的おとぎ話の世界観と詩的な映像
事前情報をあまり入れずに観ました。
アート映画といわれるジャンルのようです。
自身の感性で観ることをおすすめします。
人ならざるものが当たり前にある不思議な世界観。
幻想・ファンタジーというよりも、妖怪やつくも神といったものが思い浮かびました。土着信仰的おとぎ話や神話のエピソードのようです。
モノクロ映像ですが質感が生々しく感じられます。そして白がほんとうに美しい。
村人たちの滑稽で醜悪な恋模様との対比で、主人公と彼の純粋な恋心がいっそう清く美しく際立っています。
意味が分からない描写もありましたが、それが神秘的にも感じられるような面白く美しい作品でした。
途中、登場人物が詩をよむシーンで、この映画って詩的だなと思いました。
詩的な映像と感じたけれど、なにがどうと言葉で表現できる気がしません。感性に触れられたという気がします。
エストニアでベストセラーの小説が原作だそうですが、元はどのように言語化されているのかまったく想像できません。
エストニアの「お盆」のお話。静謐な美しいモノクロームの映像、神と悪魔が日常的に存在する土俗的な世界観等々、一見所謂難解な映画のようだけど、本質はコメディ(単に喜劇という意味ではなく)だと思う。
①日本のお盆と同じ様に(かどうか分からんけど…今までお盆に帰ってきた死者に会ったことないから)帰ってくる死者、悪魔に貰った魂が入っている動く農道具や話す雪だるまのクラッツ、美女や山羊・豚の姿で訪れる疫病、魔女、狼に憑依できる娘等々、エストニアの寒村を舞台にした土俗的かつ幻想的・お伽噺的な世界の中で、恋(愛というより恋だな)の一途さと儚さ・人間の欲深さ/罪深さ/狡さ/愚かさ/いい加減さ/どうしようもなさ/馬鹿らしさ/可笑しさを描き出した「悲劇」の反対に位置する意味での「喜劇」だと思う。
そう思うとなかなか癖になりそうな映画である。
②大概のヨーロッパ映画では、キリスト教に触れることを避けて通れないが、国毎にキリスト教が流布する前の土俗的な信仰が透けて見えるのも興味深い。(日本でも仏教が流布したり神道として整理される前の土俗信仰が未だに各地方に残っているし)
ホラーでダークな純愛物語
モノクロでシリアスで暗く難解、幻想的…
眠くなります…
『ヴァージニア』と似てるけど、コッチの方が、よりシリアスで暗い(笑)
十字路、悪魔、魔女…
幻想的なホラー世界で、物語の芯には一途な純愛が貫いている感じかな?
ホラーコーティングされたダークな純愛物語。
タル・ベーラ meets シュヴァンクマイエル。リトアニア発、中世的幻想とゴチック的ロマンあふれる傑作!
観る前から僕の大好物らしいのはよくわかっていながら、なんとなく観そびれていたのだが、封切りから2カ月近く経つのに、まだ終映もせず、劇場でやっている。この際せっかくだから観ておこうかと足を運んだら、まだ半分くらいお客さんが入ってるじゃないか! ちょっと感動した。
アヴァンタイトルの映像から、鷲づかみにされた。
水辺と狼。なんかタルコフスキーみたい。
と思ったら、カメラが引くと、じつは雪景色だとわかる。
雪を転がる狼と、眠る少女の並行モンタージュ。
白トビした、きわめて美しい幻想的な映像だ。
一転して、納屋の前で奇妙な骨と農具のオブジェのようなものが動いている。
最初、画面外で誰かが引っ張っているのかと思ったら、なんか自律歩行しているらしい!
三本脚で、タンブルウィード(回転草)のように。悪魔ブエルのように。
おおお、シュヴァンクマイエルじゃないか!!!
この自動歩行機械が、納屋に入っていく。
怯える牛たち。『LAMB/ラム』みたい。
殺すと思うでしょ? ところが違う。盗むのだ。
いきなり忍者映画の鎖鎌みたいに飛び出す捕縛鎖!
抵抗しながら、引きずられてゆく牛……って、なにいいい?? 飛んだ???
なんと、この自動歩行機械、こんどはタケコプターみたいに回転して、
牛を連れて飛翔しちゃうのだ!! プルプルプル!
ヤコペッティの『さらばアフリカ』みたいに、牛が飛んで行く。
牛目線で見降ろされる大地。ああ、またタルコフスキーみたいだ……。
美しくて、奇妙。神話的で、寓話的で、世俗的で、残酷だけどユーモラス。
数秒先に、何が起こるのかが、さっぱり予見できない。
意外な転調を繰り返し、ジャンル感も定まらない。
でも、これから始まる世界観と物語への期待はいや増しに高まる。
すごいアヴァンタイトルだと思う。
これだけで、監督とスタッフの力量がガツンと伝わる。
名刺代わりといったところか。
このあとの展開も、せいぜい頭がおかしい。
せっかく牛を盗んできてくれた「悪魔クラット」と呼ばれるこの奇怪な便利ロボットの使い魔に、農夫は禅問答のような命令を伝えて、混乱したクラットは頭から火を噴いて自爆してしまうのだ。で、それを見たヒロインのリーナは、「きれい、クリスマスツリーみたい」とうっとり……って、なんなんだ、このオフビートなノリは??
ここで描かれる農村は歪んでいる。出てくる農民たちも歪んでいる。
でも、それはなぜかとても美しくて、とてもいとおしい。
本編が始まっても、その豊穣な「中世の闇」の香りには、ただくらくらさせられるばかりだ。
このあいだまで同じイメージフォーラムでやっていた、チェコのフランチシェク・ヴラーチル監督の『マルケータ・ラザロヴァー』を彷彿させる世界観だが、ひたすら殺伐としているうえにナラティヴの異様にわかりにくかったあの作品と比べれば、寓話のような恋物語が中核にあって観やすいし、コミカルな演出も多いし、何より「悪魔クラット」というとっておきのキラーアイテムがある。
タル・ベーラ、タルコフスキー、パラジャーノフ、ベルイマン、ドライヤーあたりの影響を色濃く感じさせる、深みのあるアーティスティックなモノクロ映像に、テリー・ギリアムの『ジャバーウォッキー』やシュヴァンクマイエルのようなストップモーションのギミックがかけ合わされて、独特のアニミズムに支配された中世的世界が生み出されている。
11月になると死者が蘇り、生者とテーブルを囲み、サウナに一緒に入る世界。
農民が悪魔を呼び出して契約し、その結果生み出された使い魔が徘徊する世界。
疫病が人や動物の姿を借りて村に侵入して、村人とのコンゲームを繰り広げる世界。
舞台は19世紀というが、展開されているのはあやまたず「幻想の中世」とでもいうべきものだ。
下ネタ満載の部分も含めて、『神々のたそがれ』や『異端の鳥』と同種の、ヒエロニムス・ボス的な中世世界の再現をもくろむ映画だといっていいだろう。
上で挙げた作品群では比較的希薄だが、この作品では顕著に観られるのが、「愛と性」の要素だ。
物語からは、いわゆる19世紀「ゴチック小説」の二本の柱というべき、「恐怖」と「恋愛」が、抑圧された「性」の問題と合わせて、濃密に感じとることができるのだ。
ヒロインは狼に変身(もしくは憑依)して、夜な夜な白銀の平原を疾駆し、身体のほてりをしずめる。一方、深窓の令嬢は、夢遊病で毎夜徘徊し、うろうろと屋根にあがって、落ちかけては誰かに助けれられている。「狼化」は『キャット・ピープル』や『獣は月夜に夢を見る』と同様に、成熟した女性の抑えがたい性的興奮が獣性に仮託されたものと捉えるべきだし、「夢遊病」もまたゴチック的文脈ではたいてい女性と結びつけられて、性的な抑圧と関連付けられることの多い主題だ。
監督は、ブリューゲルやホガースの絵画作品に登場するような欲深い農民たちの、非キリスト教的な土俗世界――死者と悪魔と便利ロボの闊歩する世界を、面白おかしく描写する一方で、片思いの連鎖する「悲恋」物語を、残酷童話とでもいうべき救いのないタッチで語ってゆく。
お話自体は、ちょっと想い人のハンスがアホの子すぎるし、ヒロインのリーナもたいがい自分勝手なので、いらっとさせられる部分もあるが、恋愛ものとしてちゃんと成立しているし、ノリとしても、笑いとシリアス、静謐な風景描写と暴力的なアクションの取り合わせが絶妙だ。
個人的には、女性の姿で疫病が村の境界(川)を渡り、山羊や豚に姿を変えて潜入してくる(それを農民たちが悪知恵でやり過ごす)あたりが大好き。あれ、わざわざ農民に声をかけて渡河させてもらうのって、「吸血鬼は招かれないと境界線を越えられない」って話の延長だよね?
まさに『赤死病の仮面』だが、動物の姿で犠牲者を嗅ぎまわるあたりは、動物媒介病としての黒死病の現実ともリンクしてるし、『すずめの戸締まり』のダイジンじゃないけど、古来厄災は動物の姿を借りて現れるものであり、フォークロアの再現としてとても説得力がある。
それと、やはり撮影(マルト・タニエル)の素晴らしさが、作品の価値を何倍にも高めている。
令嬢がベッドで眠るシーンがフューズリの『夢魔』やティツィアーノ(ダナエ、ヴィーナスなど)を思わせるなど、絵画史的引用も豊富。総じて、画面の隅々まで撮り方と演出に「意図」が満ちていて、緊張感がとぎれない。ラストのなんとなく『シェイプ・オブ・ウォーター』風の映像も、一見して忘れがたい幻想的な光景を現出していた。
あとね、もうとにかく、使い魔のクラットたちがバリバリ可愛いんですよ!!
不器用だけど、献身的で、一生懸命で、でも人や動物とは異質の価値観で動いていて……。
とくに、詩人としてハンスに恋の何たるかを伝授する雪だるまクラットの最期とか、ちょっとぐっとくるものが。シラノみたいな(笑)。
エストニアという国は、決して映画製作が盛んだとはいいがたいらしい。
そんな地域から、これだけの完成度の中世的な幻想ゴチック映画が出てくるというのは、ちょっと破格の出来事といっていいのでは。
久しぶりに、BDが出たら買いたい作品に出逢った気がする。
ダークなファンタジーの傑作
19世紀のエストニア。
このときドイツの支配下か。
いきなり生物ではない『物』が意思を持っているかの如く動き回る。“すべてのものには霊が宿る”というアニミズムの思想を映像化したのだろうが、何故か無性に恐かった。
さらには亡き先祖が甦る「死者の日」。
多くの死者が甦り各々の家に帰って行った。
そう、意識の中にある非現実的な事象を映像で具現化していく。美しいモノクロ映像と相まって観る我々のイマジネーションを刺激する。
縦糸となるのは二つの実らぬ恋心。
こちらは対照的に生身の人間の温もりを感じるリアリズム。報われないのに追いかけてしまうのも人間の摂理。悲劇に向かって突き進んだ。
古きエストニアの寒村での生活は窃盗と使い魔とともに... 狡猾さが至上命題の人間関係の中に在って一途な恋が美しくも残酷に雪原を木魂する幻想的モノクロ映画!!
19世紀のエストニアのとある貧しい寒村を舞台に、隣人間での窃盗が常態化した卑俗な処世術と若い男女の一方通行の悲恋のコントラストを鮮やかに描きつつ、死者や悪魔あるいは使い魔までビジュアルとして共存する幻想的なモノクロ映画。人間の美醜をシンプルなラブストーリーに集約させた構成はお伽噺的であり、峻厳な自然と陰影の深いキャラクターの相貌が浮世離れした世界観をより際立たせています。
人間が召し使いのように使役する使い魔クラットに、贄と交換でそのクラットを提供してくれる悪魔、11月1日の万礼節に現世に舞い戻る死者たち、そして果ては疫病まで人間ないしそれに準じた姿を伴って画面に現れます。一般的な邦画洋画であればそうした人ならざる存在の具体化は作品をチープ化させてしまうことも多いですが、本作ではそれらが違和感をもたらすどころか作品全体の異界感を見事に醸し出しており、それでいて互いにこすっからい騙し合いに終始しているところが滑稽でありブラックユーモアとも言えるでしょう。
それゆえに人間同士だけでなく悪魔や疾病とも騙し合う究極のコンゲーム映画でもあるのですが、モノクロの静謐な画面と瀟洒な演出が相俟って脂っこさは皆無な不思議な味わいでした。
19世紀のエストニア。 翌日11月を迎えるその日は、死者を迎える日...
19世紀のエストニア。
翌日11月を迎えるその日は、死者を迎える日。
死んだ者たちが蘇って、飲んだり食ったりした上にサウナに入るのだ。
しかし、死んだ者たちの本当の姿は、大きな鶏。
サウナいっぱいの大きさなのだ・・・
といったところからはじまる物語で、魔術や精霊、人狼などが徘徊する世界の物語。
物語の中心は、農夫の娘リーナ。
彼女が思いを寄せる青年ハンスはドイツ人男爵の娘に恋焦がれている。
が、リーナの思いも、ハンスの思いも一方通行、相手は振り返らない・・・
と、大筋はラブロマンス。
なれど、全編を覆う禍々しさは傑出しており、ダレ場であるサイドストーリーすら息が抜けない。
この緊張と緊張と緊張がこの映画の良さなのだが、あまりに緊張しすぎて卒倒しそう。
冒頭から登場する、農機具などを組み合わせて魂を吹き込んだ使い魔クラットなどは、描き方によってはコミックリリーフになると思うのだけれど・・・
結末は・・・悲恋。
オフィーリアの最期を思わすような悲恋の物語。
もう一度観ると、可笑しいシーンで笑えるようになっているかもしれません。
評価が難しい。音楽がもっと良いのを使っていたならと思う。
この映画の紹介文を読んだら、なんと私がかねてから夢想している創作小説の世界と全く同一ではないか。舞台が日本からエストニアに変わっただけなのである。世の中には私を同じことを考えている人がいるとは思ってもいなかった。
東京だけの上映で落胆していたら、名古屋の今池シネマテークで上映されると知り、早速駆けつけた。
この手の映画に合理性を求めるのは間違っている。己の感性で映像や演技で見ていくしかない。
想像どおりだった場面や期待外れの場面もあって、本当に評価がしにくい。美しい映像が幾多もあると評する人もいるが、私はそうとも思えない。
ベルイマンの死神が出てくる映画の方が美しいと感じる。使われる音楽も疑問だ。マルチェロやベートーヴェンの音楽はあっていた。その他疑問だ。
Blu-ray買っちゃうやつ。
ちょっと前の「マルケータラザロヴァ」見たいな感じかなと思って観たけど、やはり現代に作られた物でテンポが良く、表現が多様で飽きずに見れた。
エストニアといへば今でこそIT先進国として有名ですがこんな自分達の古い部分を認めている所も素敵すぎて羨ましい。ハロウィンや万聖節はもともとキリスト教拡大のため古いアニミズムをキリスト教的にとり込んだ物、その自然への恐れを内包する土着で人間臭い、獣臭い感じが全編に濃厚に吹き出しています。
死人の魂と食事してサウナ入るの凄いな、、、サウナがどんだけ古くから北欧で生活の一部だったのか再確認した。
まあ話は報われぬ悲恋物なんだけど、森の魔物、使い魔、魔女、農民、領主、牧師、総動員で白黒なのに情報量多めで賑やかです。映像も美し過ぎる。
ムカデ人間博士の遺作ですが、怪しい領主役を見事に演じて居ます、、R.I.P.
欧州モノクロあるある
2022-209M 「ノベンバー」
なんだか解らないが、意識高い系な劇場の芸風と、ポスタービジュアルのジャケ買いで鑑賞を決意。たいてい、この手で決めた作品は退屈極まりない場合が多く、マーケットでは10分で退散ということがママある。
まあ、結果は予想通りだが、欧州のモノクロ作品にありがち(『ニーチェの馬』や『ライトハウス』)な、映画作家の陰キャな世界観が満溢した、評価とビジネスが反比例する、バイヤーが10分でスクリーニングルームを飛び出すタイプの一品だぅた。
全26件中、1~20件目を表示