「実は無神論的実存主義に貫かれた物語なのにシニアの恋物語としても完璧な愛すべきドラマ」ミセス・ハリス、パリへ行く よねさんの映画レビュー(感想・評価)
実は無神論的実存主義に貫かれた物語なのにシニアの恋物語としても完璧な愛すべきドラマ
1957年のロンドン。エイダは未だ戦地から帰ってこない夫を待ちながら半地下のアパートで待ちながら家政婦として黙々と働いていた。ある日ある家の清掃中にご婦人が夫に内緒で買ったというディオールのオートクチュールのドレス“魅惑”を見つけた彼女はその美しさにたちまち心を奪われてしまう。自分もディオールのドレスが欲しい、その思いに駆られた彼女はせっせと貯金を始めるが・・・。
タイトルが示す通り、ロンドンとパリを舞台にした物語なので半分フランス映画の雰囲気。しかしながら本作で描かれる1957年のパリはエイダが駅で出会った浮浪者が“労働者達がこの街の王だ”と嘯くほど労働者のデモが街の至る所で起こっていて道路には堆くゴミが溜まって腐臭を放っている。そんな荒廃を傍に見ながらエイダが辿り着いたディオールの本店は貴族をはじめ裕福な人々しか集まらない世界。労働階級のエイダは早々に屈辱を味わうが、無二の親友バイ、馬券売りのアーチー、会計士のフォーベル、モデルのナターシャ、女優志望のパメラ、シャサーヌ侯爵、そしてハウス・オブ・ディオールを支えるスタッフ達との交流を経てドレスが出来上がるまでの短い休暇で人生観をごっそりひっくり返すような経験をする様がとにかく微笑ましくて美しいです。
本作が非常に特徴的なのは物語の根幹をサルトルの無神論的実存主義が支えていること。1957年のフランスはアルジェリアの独立運動が盛んとなっていた時期とも重なり、サルトルらがそれを熱烈に支持していた時代。エイダがフォーベルに窮地を救われるのも彼女が持参した現金目当てだし、劇中でもフォーベルとナターシャがサルトルの『存在と無』について語り、即自や対自という言葉も出てくるわけですが、確かにエイダはどんなに過酷な状況であっても神に祈ったりしないし、運命を神に委ねたりせず自分の意思で困難を乗り越えていく。エイダは劇中で何度も何度も“透明人間”扱いを受け彼女もそれに甘んじますが、これはまさしくエイダが“無”として生きてきたことを示していて、即自を象徴するものがディオールのドレスであり、対自はエイダを始めとするあるべき自分の姿を見つけることの出来た全ての登場人物そのもの。清貧に徹し黙々と働いてきたエイダが人生で培った経験と知恵で小さな革命を起こしていく様が当時のパリの空気とシンクロしていく清々しさに魂が震えます。
そんな背景に気付かなかったとしても本作は十二分に魅力的で、何者でもない主人公が階級を超えて人々を覚醒させていく物語は『アニー』のそれとなんとなく似ていて、満を辞して用意されるクライマックスには"I Don't Need Anything But You"を被せたい欲求に駆られました。そして何よりシニアの恋物語としても完璧で、『輝ける人生』にあったのとよく似た切なさと清々しさが印象的です。
主演で製作総指揮も手がけるレスリー・マンビルのキュートさがとにかく輝いていますが、イザベル・ユペール、ランベール・ウィルソンといったフランス映画界の重鎮の演技も見事。登場人物は皆素晴らしいですが、ディオールの看板女優でありながら自分の生き様に疑問を持ちエイダと心を通わせるナターシャを演じたアルバ・バプティスタの儚くも健気な美しさに心を奪われました。
意地悪な人が見れば116分丸々ディオールのプロパガンダということになってしまうかも知れませんが全然そんなことはなく、様々な感情が揺さぶられた後にがっつり涙を搾り取られる物凄く分厚いドラマです。