ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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湿地の中に
原作は全米ベストセラー小説で、日本でも本屋大賞を受賞。
全く知らなかったが、昨夏アメリカで公開されるや批評は鈍かったがスマッシュヒット。日本でも昨秋大ヒットには至らなかったが、見た人の評判は上々。
この何とも風変わりなタイトル、ミステリーという食指そそるジャンルやあらすじなどからストーリーの面白さ、予告編などで主演の新進デイジー・エドガー=ジョーンズの魅力に惹かれ、結構気になってた作品。
1969年、米ノースカロライナ州。“ザリガニが鳴く”とも言われる自然に覆われた湿地帯で、一人の青年の変死体が発見される。町の人気者で裕福な家の息子、チェイス。
容疑者として浮上したのは、彼との交際歴があった一人の少女。この湿地帯でたった一人で暮らし、“湿地の娘”と呼ばれるカイア。
裁判が始まり、事件の行方が追われると共に、カイアの歩んできた半生が語られていく…。
殺人か他殺かを巡る法廷ミステリー。
一人の少女と二人の青年のラブストーリー。
法廷ミステリー要素は面白くもあるが、ちと白熱さが弱くもある。ラブストーリーは予想通りにも展開していく。
が、主軸のカイアの生い立ちドラマには引き込まれるものがある。それは想像以上に悲しく、壮絶なものであった…。
幼少時から家族と共にこの湿地帯で暮らしていた。
家族一緒の穏やかな暮らしは長くは続かず。父親の暴力により、母親が家を去る。続くように兄弟たちも…。
暫くは父親と二人で暮らしていたが、やがてその父親も…。
家族に捨てられ、大自然の中にまだ幼い少女がたった一人…。
が、誰に頼る事なく、この地に留まり、生きていく。
生きる術は全て自然から学ぶ。過酷だが、これ以上ない教えと学び。
自然に善悪はない。生存本能。これらは終盤に響く。
貧しくも人並みの生活をしていかないといけない。貝採りで微々たるほどだが、賃金を稼ぐ。
自然の中で暮らし、貝採りなどで、動植物の豊富な知識が身に付いていく。そしてそれは後々花開く事に。
自然の中でずっと暮らし、人のいる町にも来ず、人との関わりも一切絶つ…って訳ではない。
幼少時一日だけ学校に通った事がある。が、裸足のみすぼらしい格好で嘲笑され、すぐ逃げ出す。
学も無く野生児そのもので、それ故“人と猿の中間”“夜目が光る”などの噂。
後々のあるシーンの台詞。私が拒絶したんじゃなく、町の皆が拒絶した。
日本でも“村八分”なんてのがある。うら若い女性とは言え、皆と違う者は除外者。差別偏見は容赦なく。
が、町の住人全員がカイアを毛嫌いしている訳ではない。
雑貨店を営む夫婦。カイアが採った貝を買ったり、靴を作ってくれたり、常々気遣ってくれる。唯一の人との接点。夫婦の優しさと眼差しが温かい。
そんなカイアも年頃の乙女に。自然の中で暮らしているから出会いなど…いや、運命的な出会いが。
幼少時にも会っている兄弟の友達、テイト。成長した彼と再会。
この田舎の地から大学進学を目指すほど優秀。
カイアは彼から読み書きを教わる。
テイトの性格は優しく誠実。
一緒に過ごす時間が何より欠けがえのないものになっていく。お互いに。
若い二人は自然と惹かれ合っていく。が…
町を出て進学が決まったテイト。この湿地から出ようとしないカイア。
やがてテイトは町を出、また戻って来る日を約束し、カイアはその日を楽しみにしていたのだが…。
カイアはまた一人に…。
カイアは湿地帯の動植物を記録し続ける日々を送っていた。家や周囲が私的財産になるには滞納金を払わねばならず、スケッチや記録を本にする事を出版社とやり取りしていた。
一人で生きていく。もう恋なんてしない。が、そんな彼女の前に現れたのが…
チェイス。カイアの生活範囲にズケズケ入ってくるほど、性格は積極的でちと横柄。
失恋の痛手を癒すのは、全く違う相手。
チェイスと身体の関係も結び、結婚の話も持ち上がったある日…。
あれから何年も経って、テイトが帰ってきた。大学を卒業し、町近くの自然研究所で働いているという。
テイトは再会の約束を破った事を謝罪する。自身の将来とここでカイアと暮らす事を天秤に掛け、傾いたのは…。が、自分の人生は彼女ナシでは成り立たない事と自分の不甲斐なさを詫びるが…、カイアは拒絶。
ある時テイトは町で、チェイスがただ身体の関係のみでカイアに近付いた事を知る。
そしてカイアもチェイスに婚約者がいる事を知る。
険悪になる二人。チェイスは強引にカイアを○○○しようとするが、カイアは抵抗。チェイスは激昂し、カイアの家をメチャクチャにしたり、いつ何時襲い掛かってくるか付きまとう。
まるで父親の暴力と恐怖から逃れた母親と同じ。
ずっとそれに怯え、恐れて暮らしていかなければならないのか…?
出版社との話もあり、テイトの勧めもあって、カイアは珍しく町を出る。バスに乗り込むカイアの姿も目撃されている。
その夜、チェイスは湿地帯で…。
カイアには一見アリバイがある。が、その時間の絶対的なアリバイという訳ではない。
出版社の人たちと別のホテルに泊まり、深夜バスに乗り湿地帯に戻り、チェイスを殺した…と検察は主張。
弁護士は無理がある検察の主張に反論。陪審員に問う。差別偏見の色眼鏡を今こそ外すべきだと。
そして下された判決は…
ミステリー×ラブストーリー×波乱万丈なドラマで、非常にメロドラマチックな作りでもある。
が、湿地帯の雰囲気がそれにマッチ。ジメジメしながらも、ロマンチックさとドラマチックさが作品を駆り立てる。
湿地帯の美しい大自然映像は言うまでもなく。マイケル・ダナの音楽も美しく奏でる。
それほど有名俳優は出てないが、唯一のビッグネーム。カイアの弁護士役のデヴィッド・ストラザーンが渋い好助演。
しかし本作の特筆すべきはやはり、主演のデイジー・エドガー=ジョーンズだろう。
初めましての女優さんだが、美しさ、儚さ、脆さ、強さ、逞しさ、可愛らしさやいじらしさ…魅せる全ての表情や佇まいに魅了された。またまたこれから楽しみの逸材が。
カイアの幼少時の子役も達者な演技。
彼女の体現、プロデュースにリース・ウィザースプーン、監督も女性…メインスタッフの多くも女性で、ヒロインの心情にしっとりと寄り添う。
作品に魅了され、本作の為に書き下ろしたテイラー・スウィフトの主題歌が余韻を謳い上げる。
判決は、無罪。
カイアとテイトは結ばれ、この湿地で末長く暮らす。共に老い、カイアが天に召されるまで。
めでたしめでたしハッピーエンドだが、最後の最後に衝撃の事実。
もしそれが本当だとすると、一体どうやって…? 検察の主張通りなのか…?
不可解は残るが、テイトはその真実を…。
“ザリガニの鳴くところ”というタイトルからザリガニがキーパーソンになるのかと思いきや、ザリガニは一匹も登場しない。あくまでそういう場所に過ぎない。
ザリガニが鳴くなんて不思議な事。つまりは触手などが出す音が鳴き声のように聞こえる。何だかそれも神秘的。
そんな不思議な事すら起きる。
全ての秘密を抱き、包み込む。
真実を葬り去る。
愛と業の湿地の中に。
湿地の娘。のことを色々感じながら診てほしい。
操作ミスで吹替で見始めてしまったが、とても良かった♪
心理描写も分かりやすかった。
殺人事件の裁判を中心に、湿地の娘の人生を観ていくのだが、
どんだけ感情移入できるかによって、観え方が違う気がする。
私はこの娘の美しさ、境遇にガッツリ心を持ってかれたので、
観終わったときは、なかなかのなかなかでした。
犯人は誰か?
動機は?
色々考えながら、観ていってほしい。
ちなみに、ザリガニが鳴くシーンを期待したいが、
そういう作品ではなかった(笑)
広大なる湿地帯での、生の連環
原作はディーリア・オーウェンズの同名小説。
【ストーリー】
1969年、ノースカロライナ州。
湿地帯の物見やぐらの足元で、チェイス・アンドリュースの墜死体が発見される。
物見やぐらは足場の一部が外されており、保安官たちはそこから落下したと判断する。
チェイスは田舎町の上流階級に属する男で、彼と交流があり、殺害の動機もあるキャサリン・クラーク、通称「湿地の娘」が容疑者としてあげられる。
この片田舎の町に溶け込めず異物としてあつかわれてきたキャサリン。
彼女が幼いころ、飲んだくれのろくでなしの父親から絶え間ないDVを受け、母は去り兄もついて出ていった。
やがて父もその姿を消し、彼女は広大なる湿地のあばら屋で、たった一人で生きてきた。
収入は採取したムール貝を売る事で得ていた。
店を営むジャンピンとメイベル夫妻は情にあつく、幼い頃から裸足で貝を売りにくるキャサリンを、事ごと世話してやっていた。
思春期が訪れて美しく成長したキャサリンのところに、兄の友人のテイト・ウォーカーが訪問するようになる。
優柔不断だが優しいテイトは、彼女に読み書きを教える。
勉強が楽しくなり、生物のスケッチをためている彼女の成果を、テイトは出版社へと送る。
「詳細なスケッチに、見入ってしまいました」
好意的な返事があり、出版に前向きになるキャサリン。
だがテイトも、再会の約束を守らず、彼女の前から姿を消す。
孤独をもてあますキャサリンの前に現れたのが、傲慢さを隠しもしないチェイスだった。
とまどいながらチェイスと深い仲になるキャサリン。
だがチェイスには婚約者がいた。
それを知ったキャサリンがチェイスを避けると、チェイスはその横暴な本性をあらわす。
あわやのところで反撃して逃げたものの、チェイスに家を荒らされ、キャサリンは怯えて暮らすようになる。
町に戻ったテイトがキャサリンの身を案じるも、彼女はテイトを寄せ付けようとしない。
——そして、チェイスが物見台から謎の墜死を遂げる。
果たしてこれは殺人なのか事故なのか。
すべての情報が詳らかになり、評決の時がおとずれる。
舟でしか移動できないような、ノースカロライナ大湿地を舞台に、一人の女性が歩んできた人生がえがかれます。
美しい自然の中で、身を切られるような孤独と辛さ悲しさを描きつつ、生命に対する賛歌となっております。
それにしても主演のデイジー・エドガー=ジョーンズ、美しい。
大自然に負けず美しくて、彼女がいるだけで、風景を一葉の絵にしております。
アイテム面でも、貝のペンダントの使い方、巧かったなあ。
アメリカ南部の湿地帯という珍しい舞台の、抒情あふれるミステリ。
湿地の特異なる生態も楽しみつつ、じっくりと味わえる作品ですよ。
少しハードなファンタジー?
野性少女の出会った湿地帯の自然とバイオレンス男たち
本作は、米国南部の湿地帯で親の監護も教育もろくに受けないまま成長した少女の一代記でである。エピソードとしては彼女が巻き込まれた殺人事件の公判の行方が中心のようだが、それは添え物で、主に彼女の付き合ってきた2つのもの、バイオレンス男たちと湿地帯の自然との関わりを描いている。
バイオレンス男たちとは、第一に父親、第二に強引に言い寄ってきて彼女を弄んだ若い男性である。この描写に映画はかなりの比重を割いていて、彼らが母親や子供たちをいかに虐待し家族を離散に追い込んだか、婚約者がいるにも拘わらず結婚を匂わせて、いかに性欲のはけ口としたかを延々と描いている。
これは原作者の境遇に近いものがあったせいかもしれないが、別にそこに特殊なものがあるわけではないから、実は映画としては結構退屈させられる。
それより学校に行かなかった彼女に文字を教え、独学の方法を身につけさせ男のおかげで、やがて彼女が自然観察の書籍を何冊も刊行できる教養を身につけていく過程の方が遥かに面白い。
その根底にあるのは湿地帯での、水と魚や貝、鳥たちに囲まれた生活、ムール貝を採って売っては生活費を捻出するという生活、移動は常にボートで行う興味深い風景である。
その2つの中で彼女を弄んだバイオレンス男が死亡したことから彼女に嫌疑がかけられ、公判で真相が追及されるという展開だが、検察側は馬鹿げた状況証拠しか提示できないし、特に意外な事実が出てきたり、証拠がひっくり返ったり…という緊迫したものもなく、さほど惹きつけられはしない。
映画の最後になって、ようやく一つの事実が明らかになってサスペンス風味を添えていて面白い。これはまあ、オマケみたいなものだろうw
文芸エロス調で撮るべき素材。
丁寧に
タイトルに興味がなく見なかったが驚く程に良かった!
湿地の自然豊かな情景とミステリーが静かに溶け込む作品
独女カマキリ
理不尽な暴力を受け続けてきた者が、それを法によらずに強制排除することは自然の摂理にかなっているのではないか。この映画ならびに動物学者ディーリア・オーエンズがしたためた“湿地”ベストセラーミステリーが掲げたテーマは見た目以上に重く、ややもすると戦争や革命を助長する危険な思想といえなくもないのである。ゆえに本作に対する体制擁護の立場をつらぬく評論家たちの評価は例によって一様に芳しくない。
戦地から戻ってきたPTSD父さんのドメバイのせいで一家が離散してしまい、人里離れた湿地に一人取り残されたカイヤ(デイジー・エドガー=ジョーンズ)。やがてそのドメバイ父親も死に、学校にも通わず孤独な生活を強いられてきたカイヤだったが、沼で偶然知り合った同じ年頃の青年テイトと意気投合、将来を約束した2人だったが...
この後テイトに捨てられたと思ったカイヤは、町でみかけた青年チェイスと知り合うのだが、これが父親とおんなじとんでもないドメバイ男。ある日、チェイスの死体が湿地の家付近で発見されたために、チェイスと付き合っていたカイヤに容疑がかけられてしまう。映画はチェイス事件の法廷劇に、事件にいたるカイヤのボッチ物語がカットバックされる構成になっている。
動物観察の才能を持つカイヤが劇中こんなことを述べるのだ。「カマキリのメスは2つの目的のためオスに誘いにかける。ひとつは生殖のため、ひとつはオスを食べるため。自然に善悪の区別はないわ」と。原作小説には、オスを補食するために光るホタルのメスの話もしつこく登場するらしく、自分の身を守るための暴力を肯定するような発言が、やたらと目につく映画ないし小説なのである。
それもそのはず、原作者ディーリア・オーエンズの夫は、自然保護の立場から移住先のアフリカで密猟者を容赦なく撃ち殺していたらしく、ザンビア政府からも出頭を求められているのだそう。力ではかなわない相手に暴力を振るわれ続けてきた時は、周囲が何も助けてくれない以上、暴力に訴えるしかないではないか。そもそも自然とはそういう摂理で成り立っているのだから、カイヤがおかした◯◯は正当防衛として許されて当然だ、と。
しかしこの考えを容認してしまうと、ロシアのウクライナ侵行や無差別テロ、エコテロリズムも正当防衛で一様に片付けられてしまうおそれもあるわけで、世の中がマッドマックスのようなカオス状態に陥ることを世の支配者層は最もおそれているのである。それ故、現代の御用哲学者連中は今更“スピノザ”の道徳論なんぞを持ち出したりするのだが、むしろその(自然界には存在しない)道徳心自体が差別や格差、疎外を生んでいる気がするのである。
自然の中で育ったカイヤが、父親やBFの暴力や、地元住民の疎外から逃れるためには、ザリガニの鳴くところ=人間界の道徳ルールが及ばない場所に逃げ込むしか無かったのがいい証拠である。それは、この世界のシステム自体が自然のメカニズムに反して作られているからではないのだろうか。ディーリア・オーエンズが投げ掛ける命題は、平和になれすぎた私たちに重苦しくのしかかるのである。
比較的キレイなサスペンス映画。
映画館で見なかったことを後悔しました。
なんでこんなに
生きるためには…
衝撃のラスト。カイヤがチェイスを殺害していたとは。自然界では善悪ではなく、生きるために必要なこと。父親に暴力をふるわれ、子供達を置き去りにして、逃げるしか無かった母親を見て育ったなら尚更。主演のデイジー・エドガー=ジョーンズの透明感、孤独から解放されたときの表情が輝きを放っていた。脇を固めるデビッド・ストラザーンが良い。
"すへては自然の摂理のなかで"
異質なものを疎外する人間の性。
いやーな映画。描かれる父や恋人のクソな所業がとにかく許せなくて、映画のこととは思えないほどに腹立たしい。報道されることは氷山の一角で、いまだに至る所でこのようなことが起こっていることに嫌気がさす。
だからこそ、裁判後に訪れる穏やかで幸せな時間がとても沁みる。かつて話題になった某洗剤のCMでもあったのような老夫婦像。
そして、大ラスの展開はやっぱりといった感じで、してやったり。
湿地の正義
湿地で孤独に少女が暮らすなんて、あり得ないし非現実的、と途中でやめてしまおうかと思ったが、映像の美しさに最後まで見てしまった。
鳥や虫たちがとても美しくて表現されている。
カイヤの世界は結局1.3km2の湿地の中にあったのだろう。
町のルールとは無縁で生きる。
自然には善悪はなく、ただ生きる知恵がある。
彼女も生きるために知恵を使ったのだろう。
町で暮らそうと言うチェイスではなく、一緒に湿地でくらしてくれるテイトを選んだのもそのためだろう。
だけど、そのために親切にしてくれる町の皆を騙したというのは、ちょっといただけない。テイトだけがその十字架を背負うのだが、それもね。
って事で、マイナス1です。
でもまぁ、女子供を殴る男は救いようがないので殺したくなる気持ちはよくわかる。警察を使えばいいのに、と思ってしまう私は町の人間なのでしょうね。
英語のタイトル見てびっくり
Where the crawdads sing.
crawって吐き気がするって時に使われるそうで、むかつく父親って意味でザリガニを選んでるのでは、と思った。
だとしたら、父親も殺されていたりして??なんて。家族が湿地から出ていくシーンは描かれてたけど、父親のシーンてあったっけ??
そうなると、彼女が頑なに湿地に執着したわけも、施設に行くのを拒んだ訳も違う意味合いに捉えられるし、カイアの姿が全く違く見えてくる。
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