ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
全439件中、221~240件目を表示
やめられない。
質問!観た方に聞きたいです!
最後に遺品からネックレスが出てきたからカイアが犯人だとなっているようですが、どう考えてもテイトですよね?
証拠として扱われた繊維がテイトにもついていることもわざとらしいまでにアピール。
渋るカイアを出版社に行かせて最大のアリバイを確保させたのはテイト。
ネックレスをはぎとる理由を持っているのはむしろカイアよりテイト。
だいたい家宅捜索でネックレスは出てきていないんですよ。繊維のもと同様に『誰かが』持っていたと考えるのが自然では?
なんでこれで彼が犯人だと誰も思わないのか?
見かけるものだと
①ネックレスを彼女が持っていたことに衝撃を受けていたから
自分が持っていて、おそらくなくしたなり処分したはずのネックレスをカイアが持っていたならそりゃ驚くでしょ。
②エンディングテーマが自然そのものであるカイアが犯人だと示唆に富んでいる。
余程のアホでない限り、テイトが自分のために犯した罪だとカイアは気が付きます。それは自分が引き起こさせた犯罪。十分に歌詞に合致すると思いますが。
明記されていない以上、悪魔の証明を求めることになってはしまいますが、テイトが犯人でないことを示すものが何一つとしてないんですよね……
スズメも良いけどザリガニも見なきゃ損
後半は一気に盛り上がる!
事前情報無し、予告編程度の知識で鑑賞。もちろん原作未読。
ミステリーっぽいスタートから、家庭内の不和や暴力が描かれる(この辺りが少しダレる感じw)。
雑貨屋の黒人夫婦だけが味方という過酷な環境(-_-;)
そしてせっかく良い雰囲気だった彼氏は、大学進学のために家族と同様に彼女のもとを去ってしまい、その隙間にチャラ男が入り込んでくるのだが、このチャラ男が絵に描いたようなクソ野郎で、暴力は振るうわ、二股をかけるわ、ストーキングをするわ、最低なヤツで、観客のヘイトを一身に浴びる事にww
そして後半は問題の法廷シーンへ。
あの検事のネチネチした追及がまた何とも嫌らしく、彼女の初老の弁護士とのコントラストが素晴らしい。
そして、懸命な弁護で彼女は無罪を勝ち取り、初恋の彼と結ばれて、永い年月を過ごした末に彼女の故郷でもある“沼地”で生涯を終える。
この辺りの平穏なシーンが続いたあとに、あの衝撃の結末。
だけど彼女を責める事は出来ないなぁ。
幕を閉じる
アメリカでヒットした小説の映画化、日本では全く知らない名前だったので、完全に知識ゼロの状態で鑑賞しました。
悪くはない、王道なミステリーなんですが、想像通りのことも起きないくらい普通のミステリーで驚きもなく、面白いとは言えないまでも、つまらないわけではない微妙な作品でした。
殺人容疑で疑われた沼の娘ことカイアが裁判にかけられる、それまでのお話がメインですが、基本的にはラブストーリーが展開されて、出会いと別れと暴力が付き纏う感じでした。最初の恋人のテイトは進学と留まる事で別れ、次のチェイスは町の人気者ですが、高圧的な態度でしか接して来ず、こいつが死んでも何も思わないなーと思える人間で、カイアを殴ったり家を荒らしたりとコイツなんで人気者なんだ?と思わざるを得ませんでした。しかも婚約者いるという隙のなさ。
ラブストーリー7割ミステリー3割くらいのバランスなので、物語が多くは動かず、ミステリーもあっさりめという満足度はやや低めになってしまいました。裁判終了後はカイアの人生の幕が閉じる瞬間まで描くというなかなか衝撃的な終わり方に持っていったのは少し驚きました。
役者陣はとても良くて、デイジー・エドガー=ジョーンズさんは初めて見ましたが、とても美しく、自然と一体化している煌びやかさがありました。嫌なやつを演じ切ったハリス・ディキソンもお見事です。夫妻も最高に人当たりが良くて好きです。
不思議な映画でした。アメリカの小説ってこんな感じなんだなーと思いました。原作にも触れてみようと思います。
鑑賞日 11/29
鑑賞時間 16:10〜18:25
座席 G-11
「私は湿地だった」
ノースカロライナ州の湿地帯で発見された若い男の死体。彼は町の裕福な家の青年だった。
やがてある少女が容疑者として挙げられる。
たった一人、その湿地帯で生きる「湿地の少女」。
彼女はなぜそう呼ばれるのか。
そして男の死の真相は…。
原作はアメリカ合衆国の動物学者、作家のディーリア・オーウェンズの同名小説。
リース・ウィザースプーンの製作会社ハロー・サンシャインが映像化権を獲得し、彼女自身もプロデューサーを務め、テイラー・スウィフトが志願して本作の楽曲を書き下ろすなど話題の多かった本作。
結末は正真正銘の衝撃!
というトレーラーのラストに惹かれて鑑賞したが、正直途中でオチが分かってしまった。
原作は未読なので何とも言えないが、少なくとも映画本編ではそれとなくヒントを出していたような気がする。
「ザリガニの鳴くところ」の意味は最後までいまいちよく分からなかったが、とりあえず本作はミステリー的にどうこうと言うことではなく、さまざまな要素を詰め込んだストーリーがとにかく面白かった。
ー無垢な少女がたった一人であらゆる困難を乗り越えて成長していくー
どおりでペリーヌ物語や小公女セーラが面白かったわけだ。
ちなみにNetflixのテイラー・スウィフトを追ったドキュメンタリー「ミス・アメリカーナ」は、ある意味本作の戦うカイアを地で行く作品となっている。
価値観
ノースカロライナの湿地を舞台に起こる、ヒューマンミステリー。地元の人から「湿地の女」と呼ばれるカイヤの逮捕から、湿地で孤独に生きてきたカイヤの物語が紡がれていく。
この話の主題は「価値観」だと思う。「価値観」とは「生きる」「善悪」に象徴された我々が培ってきたものだ。法廷という「善悪」を裁く場で「生きる」ことを望んだカイヤの話が展開されることで、観客・読み手に「価値観」を通してミスリードを発生させることが出来ていた。
結末に向かうまでのストーリーとしては一貫性があった。父親の暴力によって引き裂かれた家族。孤独に生きてきた彼女の支えとなったテイト、チェイスの裏切りと暴力。
ラストで明らかになる真実は、カイヤの人生を振り返れば合点がいく。湿地で生き、自然の摂理の中で育った彼女にすれば「生きる」ための防衛反応であり、「善悪」とは我々の尺度で測られたものでしかないのだ。
振り返れば、暴力に屈しないと決めたカイヤは、ボートの音に気付き草むらに隠れ、石を握っていた。そして一度も無実は訴えていない。ただ湿地=homeに帰りたかっただけなのだ。
クライマックスでは、カイヤが「裁くのは彼ら自身よ」と陪審員への感情を弁護士に伝える。弁護士はカイヤの思いを受けて、「我々が持ってきた偏見を捨てて、事実のみで判決を下してほしい。今一人の人間としてカイヤを見るチャンスなのだ」と訴えかける。
このシーンを含めて弁護士を我々に重ねることが出来る。これまでに救うことが出来なかった彼女の言葉を自身の「価値観」で判断して弁護する。そこには、生い立ちを知った同情や目を背けた後ろめたさが渦巻く。そして、判決でやっぱりカイヤは「無実」なのだと安堵する。
今作の小説が高く評価された部分はこの「価値観」を描く上で、自然の摂理、生物の描写が細かく、クライマックスに向けてカイヤの生き方とリンクしていくところだろう。
だが映像では描き切れているとは言えない。最後にペンダントが出てきたところで、「カイヤが殺していたんだ」という驚きで終わってしまう。時間に限りがある中で、人間模様に時間を割かざるを得ず、自然の摂理を描く時間が足りなかったように思う。
今作を通して我々はあらゆる「価値観」で生きていることを思い知らされる。ミステリー要素は薄いかもしれないが、ヒューマンドラマとしては中々の見ごたえがある作品になっている。
主演のデイジー・エドガー=ジョーンズの演技は表情も豊かで素晴らしく、生物や植物のイラスト美も一見の価値はあるだろう。
ザリガニの鳴くところは自分で作るしかない
ある日ノースカロライナの湿地帯で男性の遺体が発見され、その湿地に1人で住む女性カイアが容疑者として捕えられ、彼女の生い立ちと裁判の行方が描かれていくミステリー。
テーマの1つが、自分と立場が異なる他者への理解、なのだろうけどその他者への理解がいかに不可能であるかを描いている話っぽかった。それも、結局この映画の登場人物は誰も他者への理解なんてできてなかったように見えたから。
カイアを好奇な目で見る外部の人はもちろん、カイアの味方の人達もカイアは清廉潔白という"偏見"を持っていたし、被害者のチェイスも男を知らない従順な自分だけの湿地の娘という"偏見"を持っていた。誰もカイアを真に理解していなかったのかなと思った。
それも、裁判で全く発言をしていないように、カイアって誰の方へも歩み寄ってないんよね。カイアの置かれた孤独で辛い立場も分かるけど、異なる立場どうしの迎合は対話から始まると思っていて、カイアからの歩み寄りも少しは必要だと思う。湿地におびき寄せるみたいなナレーションであったように、自分は口をつぐみながら周りの人を動かしてた。
良いイメージも悪いイメージも全ては偏見。そもそも他者への理解自体が偏見ってことか、と最後の最後で悟った(笑)
まぁでもずっと孤独で生きてきて、幸せだと思っていた家族揃っていたあの頃が、自分も暴力を経験することで初めて最初から安心出来る場所ではなかったことがわかったら、そりゃ自分で安心出来る場所を作らなきゃってなるだろうなと思った。
湿地と共に生きた女性
映画館にて鑑賞しました。
ミステリー小説が原作ということですが、なぜ人が死んだのかという点よりも、被告人となった主人公の半生がメインで描かれていきます。
ひどい家庭環境と偏見の中で生きてきた主人公の人生は、見ている側にも辛くなります。見ているとなんとなく主人公に同情していきますね。
結果、主人公は無罪となりましたが、彼女の死後、裁判でも話題に出てきた貝のネックレスが見つかります。よくよく考えると、劇中で主人公は殺人については認否については明言しているシーンはなかったな、と思いました。(自分の記憶の中では。)
湿地で生活し、湿地の一部となった彼女にとっては、出版社の人に話したように、生きるためには善も悪もなかったのでしょう。(だからといって彼女がチェイスを殺したかどうかも分からないですが。)そう考えると、善と悪を作る生き物って人間だけなのかも、とふとよく分からないことを考えたりもしました。
湿地帯もカイアの映像もきれい!
何故高評価なのか理解できない。
冒頭部分で青年の変死体が発見され、カイヤという主人公の女性が、その嫌疑を掛けられる。
その後、弁護士にカイヤが自身の半生を語るという形で、カイヤの生い立ちの回想がはじまるわけだが...
その生い立ちが、面白みに欠けている。
もう少し情緒豊かに表現してくれれば、また違った感想になったかもしれないが、実に単調で淡々としている。
父親によるDVや母親の家出、恋人の裏切り等、孤独な立場に立たされるカイヤであるが、それらが叙事詩のようにあったことを並べただけのようで、心の琴線には触れなかった。
本来、孤独の描写とかは好きな性分であるので、感情移入もできるし、グッとくるはずであるのに、この映画の鑑賞に際しては、まるでそれを感じなかった。
また、父親によるDVや学校に打ち解けられないカイヤが、色恋に対しては、その傷やハンデなど微塵もないが如く、事も投げに、心開いて、対応できる点なども、ご都合主義に思えてしまった。
中盤辺りから、そのようなストーリーに対する懐疑心が生まれてしまったので、終局に当たっても、「そうなの。でも、だからなんだろう」と思えてしまった、
どこかで似たようなドラマを観たことがあるような即視感も相まって。
一つよかった点を上げるとすれば、壮大な自然を映した映像美だろう。
そこだけよかった。
ということで、私には何故この映画の評価が高いのかまるで分からなかった。
羽化
導入の音楽と湿地の描写で催眠術をかけられたような感覚だ。不思議な空気の中を漂ってた。
嫌いではない。
なんか書く事が多すぎてなかなか文章がまとまらない。大前提にあるのは、1人の女性が人としての生活に馴染んでいく成長譚なんだけど、このキャラ設定が巧妙で…童話の主人公みたいなのである。
もうどんなドラマを背負わせても成り立つような設定で、彼女の半生を追っかけていく事になる。
その過程で起こる事件の犯人探しが、もう一つの柱。
冒頭は彼女の2人目の彼氏が死んでいる所から始まる。その容疑者として糾弾される主人公。
ここにも設定は強烈に活かされてて、偏見や疎外感、他人への恐怖、拒絶そして邂逅なんかが盛り込まれてる。
その弁護人への説明という形で、彼女の生い立ちが紹介されていく。
DVとか初恋とか、孤独とか帰る場所とか、開放感とか隠れ場所とか、人の温もりとか…彼女が人と交わる事で知る、全ての感情が瑞々しい。
現在の時間軸に戻る頃には彼女にゾッコンだ。
犯人探しが終わってみれば、生存戦略とか捕食とか擬態とか、おおよそ人以外の動物が当たり前のようにやっている生命維持活動なわけで、彼女の言葉を借りると「善悪ではなく、知恵」なのだと「他者から身を守る為に身につけた知恵を行使するに過ぎない」と。
そんな倫理観が根底に潜んでた。
だからなのかなんなのか、彼女は人に満たない存在のように見えてた。
だからこそ神秘的だったり、幻想的に思えてたのかもしれない。人の感性とは違う感性で動いている彼女。いずれにせよ、そんなキャラを作り上げた役者にも演出にも拍手喝采を送りたい。
タイトルの指すものが分からない。
そもそもザリガニって鳴くのかと疑問にも思う。
鳴くならその場所がどこかにはあるのだろうし、鳴かないなら現実には存在しない場所である。
ラストになって、母親の幻が現れる。
そん時になんか奇妙なSEがあった様に思えて、それがザリガニの鳴き声だとするなら、その場所は母の腕の中なのかもしれない。
もしくは考えられない程の静謐が存在する場所なのだろう。日常生活からは連想できないし、切り離さないと生まれてこない場所にも思う。
このレビューのタイトルを「羽化」にしたのはそのまま成長という意味合いなのだけれど、彼女には「羽化」の方がしっくりくるように思え…自然界で羽化する事は、弱肉強食の世界を生き抜いてきたという事で、その為に他者を殺害していった成果とも捉えられる。
幼体から成虫に変態する生命の神秘の裏側には、須くそういった行為が行われている。
人間の法を犯してはいるものの、自然界の摂理には反していないなんて言う、とても危険な感想を抱いた。
それもこれも、彼女のキャラ設定によるものなのだろう。
■ 追記
偶然「woke」という単語を見つけた。
最近のディズニー映画への批評の一つだった。
woke…簡単に言うと、社会に根強く残る偏見や先入観に目を向けて是正もしくは排除していこうとする事なんだとか。ネットのスラングらしい。
この視点が生まれた事で、なんだか輪郭がしっかりしたように感じた。
彼女単体は素敵で魅力的な女性であるが、肌の色も人種も違わないけど、そのコミュニティからしたら異質な存在として描かれてる。
まぁ、そう捉えてしまう歴史があった事は否めず、彼女に非がないとも言い切れないのだけれど、彼女が自ら招いた結果にも思えない。
人格形成の大部分を担う幼少期にある大人の存在だ。分かりやすく嫌悪感を抱きやすい人物像ではあるが、この世界に先に生まれ既存の価値観を受け入れ継承してきた存在がある。日常的に彼女に流れ込んでくる価値観は止めようがない事の象徴でもあるのだろうか。
極めて難しい事ではあるけれど、他者への理解の深度を深めるって事なのかと思う。
伝統や慣習に隷従するのではなく、ちゃんと個人として向き合える社会って事なのだろうか。
オレンジのドレスを着た彼女は、とても愛くるしい。そのドレスを纏う姿が滑稽に映るのも意図的なサインなのだろう。
その土地を離れ、彼女への偏見が無いコミュニティに参加している時の彼女は、ちゃんと受け入れられてる。
彼女に問題があるわけではなく、彼女を取り巻く環境への問題提起でもあるのだろう。
言動に違和感はあるものの「作家」としての特異性が、それらを肯定しているようにも思う。
なんか、そんなこんなでとても複合的なメッセージを含んだ作品でもあった。
ただ、そんな膨大で複雑なメッセージをミステリーという視点で束ねた本作は、やはり見事だと思える。
物語として途切れる事もないし、突出するものもない。作品を的確に表現してみせた俳優陣や演出には賞賛しかない。
■ 追記
成長譚とは書いてみたものの、彼女にとってコレは成長なのだろうかとフと思う。
妥協ないしは順応なのかもしれない。
自分が育ってきた経緯から成長と捉えはするが、彼女が認識するものは違うのかもしれない。
そう思うと、既存の価値観を覆すと言えば聞こえはいいが、破壊に等しく…多様性を重んじる風潮ではあるものの、暗黙のルールの存在は否めず、その暗黙のルールが様々な人にとって受け入れやすいものである事を願う。
Jumpin' Marsh Girl KYA
小学校高学年の頃、川縁でアメリカザリガニ獲りが流行っていた。捕まえて水槽に入れて飼う生徒もいたけど、無残に殺してしまう奴もいた。今思い出すと、小学生の残忍性しか感じられないけど、危険外来種と教えられ、戦争でアメリカに敗れた日本人の復讐心がザリガニに向けられたのかもしれない。そんな少年時代。ザリガニが食べられるものだとは知らなかった。
爆竹とともに爆破させられたザリガニ。殺した理由は少年がゴジラ映画の見過ぎだったせいかもしれません。エビラなんてエビというよりザリガニっぽかったですもんね~。大人たちもよく言ってました「ザリガニなんて汚いもの触るな!放射能に汚染されてるかもしれないんだぞ!」と。いや、それも映画の見過ぎですね・・・まぁ、とにかくザリガニに関する記憶はこんなもの。それが「鳴く」というのも驚きでしたが、「sing」だって?!
さて、そんなザリガニ。映画には登場しませんでした。せめて鳴き声だけでも・・・と思ってたけど、ストーリーにのめり込み過ぎたためラストまで忘れてしまってました。まずはmarshとswampの違いなど、英語の勉強もさせてくれたこの映画。俳優たちの発音もチェイス(ハリス・ディキンソン)聞き取りやすく、わかりやすい。そして、子役たちが皆良かった。もちろん弁護士役のデビッド・ストラザーンの演技も最高。
主人公カイアの語りから、いきなりの変死体発見シーン。女ったらしのボンボンなんだから、誰でも殺意持つやろ!的な被害者。事故死かもしれないけど、それじゃストーリーが面白くない。どうせなら『スタンド・バイ・ミー』のように子どもたちに発見させてやれ的な展開だ。湿地帯にて1人で育った少女というから、もっとオオカミ少女みたいな主人公だと思っていたのに、服装は洗濯が行き届いていて綺麗。しかも、言葉もまともだし・・・。そんな彼女を人間らしく変えたのが兄の幼なじみでもあったテイト。学校に行かない彼女に文字を教え、鳥や魚など小動物の知識を交換したりする。そして恋人同士へと発展。羽根を見ただけで鳥の名前を当てるなんて、鳥マニア必見の映画でもあったと思う。ハクガンの群れのシーンは印象的だ。と、トンビ、ワシ、タカの区別がつかないkossyが言っても説得力なし。
容疑者として捕まったカイア(本名キャサリ・ダニエル・クラーク)に接見する弁護士ミルトン。彼の前で自身の半生を語るシーンと法廷でのシーンが同時進行する。母、そして兄、姉たちが湿地帯の自宅から逃げていき、ついにDV炸裂の父までもが去ってしまう幼少期。そして、黒人夫婦のジャンピンの店の手助けを受けながら1人で生活した過去。こっそり種やガソリンを渡していたテイトとの再会から恋人へ。そして別れ・・・別れる前に、テイトは彼女の描く絵を出版社に送れとアドバイスをくれた。
数年間また湿地帯の一軒家で一人暮らしだったカイアだったが、目の前に現われたのが胡散臭いチェイス。2人の映像がメインとなるため、そんなに悪い奴じゃなさそう。2人は恋人へと発展。住み慣れた一軒家を守るため滞納していた税金を払わなければならなくなり、思い出したように出版社に描きためた絵を送り、採用される。だけど、チェイスには婚約者がいるとわかり・・・
殺人事件(単なる事故かも)が起きたのが1969年。カイアが誕生したのが1945年。そして判決後から現代にいたるまでの幸せな日々をスピーディに描き、判決の感動も収まらないまま、驚愕のエンディングを迎える。見つからなかった貝殻のネックレスがこんなところに!
それにしても犯人はてっきり生死さえ不明だったテイトかと思っていたのに、そんなラストを持ってくるか!ホタルの話が絶妙に生かされてるなぁ。本当の交尾の誘いと嘘の誘い。まだ他にも伏線になる小動物の話があったかもしれない。再鑑賞する際にはチェックしなきゃ・・・
ストーリーそのものよりも湿原地帯の暗いながらも美しい風景やカイアの描く小動物画の数々が心和ませてくれた。また、音楽も良かった。テイラー・スウィフトの曲もいいけど、エンドクレジットで気になったバンドメンバー一覧で、楽器に「Sea Shell」って項目があった。音楽も要チェックだなぁ♪
全439件中、221~240件目を表示