「ザリガニの鳴くところに行き着いた彼女は、そして湿地となった。」ザリガニの鳴くところ レントさんの映画レビュー(感想・評価)
ザリガニの鳴くところに行き着いた彼女は、そして湿地となった。
ザリガニが鳴くなんて聞いたことがない。おそらくこれは一種の比喩的表現だろう。ザリガニの鳴き声が聞こえるような世界、それはまさに人知を超えた自然界の奥深くを言うのだろう。
主人公カイアが幼き頃、湿地に建つ家で家族は仲睦まじく暮らしていた。しかし、ベトナム戦争帰還兵の父はPTSDで心を病み、家族への暴力が絶えなかった。家族はやがて幼い彼女だけを残して離散し、そして父もまた失踪する。
一人残されたカイアに対して偏見に満ちた世間の目は冷たく、雑貨屋の黒人夫婦を除いて誰も手を差し伸べるものはいなかった。彼女を受け入れてくれたのは自然豊かな湿地だけであり、その自然の宝庫に囲まれた家で彼女は生きる術を身に付け、たった一人生き抜いてゆく。
世間からの冷たい仕打ちに貝のように心を閉ざした彼女だったが、幼馴染のテイトは彼女をなにかと気遣い文字まで教える関係になる。
深い絆で結ばれた二人。しかし外の世界を拒絶し湿地から離れようとしないカイアへの思いと、外の世界とのはざまで揺れ動くテイトはカイアを裏切ってしまう。
愛する人を失ったカイアの心の隙をつくように現れたチェイスにカイアは身をゆだねるが、それも所詮はチェイスにもてあそばれただけであった。
家族を失い、唯一愛した人にも裏切られた彼女は更に世間を拒絶し、その心は湿地へと傾倒してゆく。孤独を紛らわすかのように湿地の自然観察に没頭する彼女はいつしかその自然と同化していった。
そんな時、チェイスの遺体が発見されカイアは容疑者として逮捕されてしまう。果たしてチェイスの死は事故か、カイアによる殺人なのか。
正直、出版社の人間との会食中の会話でラストの落ちは読めてしまうが、本作のテーマはもっと深いところにある。
身寄りのない幼い彼女に手を差し伸べず、狼少女だの、人と猿のあいのこだのと蔑み、拒絶した世間が今度は人間たちの尺度で彼女を裁こうとする。しかし、彼女にとって世間のいう善悪など関係ないのだ。彼女は世間からつまはじきに会い、世間とは隔絶した世界で生きてきたのだから。そんな彼女を今更、自分たち人間社会の尺度で裁くなど、彼女にとっては理不尽以外の何ものでもない。
開発によって住むところを奪われた野生動物が人里に降りてきて、農作物をあさったり、人を襲うことがある。彼らにしてみれば生きるための至極当然の行為である。しかし、人間は彼らを害獣と呼び、駆除してしまう。
自然に善悪などない。みな生きることに懸命なだけである。しかし、人間はそれに対して自分たちの尺度で善悪の区別をつけたがる。
彼女が犯したのは人間社会でいうところの殺人である。しかし、自然界では生き抜くための至極当然の行為だった。
たった一人社会から隔絶した世界で一人生き抜き、人間社会ではなく自然界に生きる彼女を人間の尺度で裁くことに一体どんな意味があるだろうか、と考えさせられた。けして殺人を肯定するわけではないけど。
本作のラストは確かに衝撃的だが、逆に妙に納得のいくものでもあった。後、弁護士さんは最高。
本当おっしゃるとおり、幼い頃からつまはじきにあわされていたんですよね。ホームレスやネグレクト家庭など、街でもつまはじきにあっている人が沢山います。助けないのがデフォルトになっていて、このことは私にも問われたと思います。
今の人間社会への異議申し立てにも通じる、構成の整った素晴らしいレビューを読むことができて幸せです。ありがとうございます。弁護士さん、最高でした!