「じわじわと沈殿していくような余韻に満たされる」ザリガニの鳴くところ REXさんの映画レビュー(感想・評価)
じわじわと沈殿していくような余韻に満たされる
不遇な人生を送ったカイアに深い同情を感じると共に、ほんの少し突き放されたような気持ち。観賞後に互いの感覚が私を引っ張り、不思議な後味となって残った。
でもやはり、最後に母を求める小さなカイアの眼差しが忘れられず、じわじわと哀しみで胸が浸たされていった。成長しても「小さなカイア」は彼女の心の中にずっと住み着いていて、その傷は癒えることはなかったのではと思うと、涙が出てきしてまう…。
暴力的だった父が一時みせた優しさの象徴である鞄を、成長してもずっと使っていたいじらしさ。皆に捨てられても誰かが帰ってくるのではと細い可能性にすがるいじらしさ。
「軍でもらった」という鞄。父親も戦争で傷つき、国に棄てられた元兵士なのだろうか。人を信用するななどの台詞から、彼もまた、気を病み、人に疎まれ無理解に苦しんでいた様子が窺える。
この映画が特別な魅力を放っているのは、移ろいゆく自然と湿地の美しさに、人間の心の移ろいやすさも同時に描かれ残酷さが加わっていることだろう。
カイアは、町の人々からは恐ろしい湿地に住んでいる世捨て人として拒絶され、ティトやチェイスにとっては童話のように美しい世界のお姫様でもある。しかし、チェイスの態度は希少な動物を狩るハンターそのものであり、カイアを所有物と勘違いし、力でねじ伏せようとする。
カイアがテイトにも黒人夫婦にも頼らず自力で恐怖に立ち向かうことを決意したのは、それまでも湿地で生き延びてきた強(したた)かさを身につけたからでもあり、人に何度も裏切られてきたことによる心の防衛でもあり、自然の成り行きだったと思う。
人として法で裁かれるなら罪になる。しかし人間も動物であるのならば、彼女は本能に従ったまでである。カイアが言ったように、そこに善悪というものはない。動物は縄張りを守るため、同じ種と戦う。捕食者がやってくるのならば、全力で抵抗する。
彼女を癒し支えになった動植物たちが、最終的に、生きるなら戦いなさい、と彼女の背中を押したのかもしれない。
裁判後にテイトの手を一瞬離したのは、罪悪感からだろうか。それともまた傷つくことを恐れたからだろうか?
カイアの心の淵と、人知れず小さな幸せを守り抜いた人生に思いを馳せる。小さなカイアの魂はあの沼地で、安らかに眠っているだろうか。
時代背景も重要で、スマホがある現代ではこれほど魅力的なストーリーにはならなかっだろうし、まだ社会的弱者であったであろう黒人夫妻が味方になるのも違和感がなく、自然の流れであった。白人であるカイアの父親に緊張し警戒する様子など、細かな演技もこの作品に複雑さを与えていると思う。