「自然の美しさと恐ろしさを圧倒的な映像美で描く」ザリガニの鳴くところ 山のトンネルさんの映画レビュー(感想・評価)
自然の美しさと恐ろしさを圧倒的な映像美で描く
2022年に見た映画の中でTOP5に入る。
「ザリガニの鳴くところ」は、ノースカロライナ州の湿地を舞台にした物語である。主人公の少女カイアは、幼い頃に家族に見捨てられ、一人で湿地で生きていくことを余儀なくされる。彼女は自然と共生する方法を学び、その過程で自然の本質を深く理解していく。この作品は、カイアの人生を通じて、我々が忘れかけている自然本来の姿や、人間と自然の関係、そして孤独や生存、偏見といったテーマについて考える機会を提供してくれる。
この物語を支えているのが、湿地帯の美しさを余すところなく描き出す卓越した映像美だ。デイジー・エドガー=ジョーンズ演じるカイアの繊細な演技と相まって、観客は冒頭から現代社会から切り離された自然の世界に引き込まれていく。
しかし、この美しい自然は同時に危険も内包している。湿地帯は美しくも危険な場所であり、カイアは常に自然の脅威と向き合いながら生きている。これは、我々が忘れてしまった自然の両義性、つまり慈愛と無慈悲さを併せ持つ存在としての自然を思い起こさせる。
この環境の中で、カイアは生存のための知恵と技術を磨いていく。彼女の習得した技能は、自然の一部となることで得られた、本能的かつ洗練された知恵の結晶といえる。
「ザリガニの鳴くところ」は、現代社会で失われつつある自然との共生の在り方も問いかけている。カイアの生き方は、自然に耽溺することで得られる自由と、同時にそれがもたらす孤独や危険にも言及している。
カイアが享受する自由は、湿地帯の豊かな自然の中で、彼女は学校教育という社会の枠組みから解放され、自然を教師として生きる術を学んでいく姿として描かれる。鳥の羽根を集め、貝殻を拾い、自然の中で自由に探究心を育んでいく様子は、現代社会では失われつつある子供時代の原風景を思い起こさせる。
しかし、この自由は同時に深い孤独をもたらす。カイアは、社会から隔絶された環境で、人との触れ合いや愛情を得られない孤独な日々を送る。この孤独は、彼女の内面に深い傷を残し、人間関係を築く上での障壁となっていく。
さらに、自然の中での生活は常に危険と隣り合わせである。例えば、突然の嵐や野生動物との遭遇など、文明社会では経験しない危険が日常的に存在する。また、社会から孤立していることで、人間社会の危険にも無防備になる可能性がある。
オリビア・ニューマン監督の繊細な演出は、これらのテーマを巧みに織り交ぜ、観る者に考察を促す。特に最後のワンシーンの見せ方は、鑑賞者にとって「自然」そのものを考える役割として、この上なく機能しているといえるだろう。
この映画は、我々に自然の本来の姿を再認識させ、人間と自然の関係性を見つめ直す機会を与えてくれる。また、自然の中で生きることの美しさと厳しさ、そして人間社会との関わりの重要性を、観る者に深く考えさせる作品となっている。
まとめると、この作品は単なる自然讃歌ではないということだ。それは、自然的であることの美しさと困難さ、自然の持つ慈愛と残酷さ、そして現代の人間が社会から切り離されることの困難さを描き出す、複雑で壮大な物語なのである。「ザリガニの鳴くところ」は、我々に忘れかけていた自然の本質を思い出させ、自然との新たな関係性を模索するよう促している。