「【11/27追記】 「ザリガニの鳴くところ」とは何か?/映画の趣旨上、採点内容でネタバレを含みうる可能性があるので安全のため伏せています。」ザリガニの鳴くところ yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
【11/27追記】 「ザリガニの鳴くところ」とは何か?/映画の趣旨上、採点内容でネタバレを含みうる可能性があるので安全のため伏せています。
今年335本目(合計610本目/今月(2022年11月度)22本目)。
他の方も書かれている通り、ある事件について容疑をかけられた女性が無罪を証明できるか?という趣旨のお話で、ジャンルとしては「法廷もの」という扱いかと思いますが、その背景としては職業差別や偏見などが見え隠れしています。
日本でいえば、刑事訴訟法の知識があればかなり有利ですが(立証責任はだれが負うのか、等の論点)、日本では司法試験(=弁護士になるための試験)以外では扱いませんし、一般の土日のドラマものでやっている範囲で一応足りますが、アメリカですので、やや応用的にみる知識も必要です(それでも何がなんだかわからない、ということにはならない)。
さて、圧倒的に不利な状況から彼女は無罪を主張し、それが認められるのか…。そこが問題になってきます。
この部分、そして「何が」トリックになっているのか等はどうしてもネタバレになってしまうし、ネタバレありにしようがどうしようが、映画の趣旨的に「書いちゃダメでしょ」ですので省略します。
さっそく採点いきましょう。
「日本での」(×アメリカの)法律系資格持ちの観点で気になったのは下記の部分です。
どうしてもこの部分は気になるのですよね…。しかもいくら文献調査(at 大阪市立中央図書館)しても出てこないという…。
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(減点0.3/日本の似た制度との比較において、理解に妨げが生じる)
・ 日本には陪審員制度はありませんが、重大な刑事事件の第一審(地裁)においては裁判員制度が設けられていることはご存じの通りです。すべての方が最終的に選ばれるわけではないので、ある程度余裕をみて「多めに」選ばれています。
しかしこの映画のように、「その事件の有罪無罪を扱うにあたって、明確に先入観が入ってしまう」場合、多めに呼ばれた「候補」の中からはずされるのが普通です。そうしないと公平な裁判にならないからです。また法律上、検察官・弁護士側も「理由を示さず」数名までは(通常は4人、特例3人)除外できます。これはどちらにとっても「公平な意味での裁判員制度」を目指すためのものです(裁判員法36条)。
ただ、日本は裁判員制度の導入からそうなっていますが、映画内ではそうなっておらず、「明らかに利害関係がありすぎる人」、換言すれば「有罪無罪について思い込みが最初からもう決まっている人」がずらずらっとならんています。要は「同じ町に住んでいる人」で「この被告人、嫌な人だったなぁ」というような感じだからです。
この点については、アメリカの陪審員制度においても日本と同じく同趣旨(明らかに利害関係のある人の除外や、理由を示さない除外等)があるのかないのかが不明で、その部分がわからないとこの映画、「評価がやや困難」になってしまいます(最悪、陪審員がついているとはいえ、裁判そのものが不公正であり成り立っていない」という考えも可能)。日本のそれと同じなら構いませんが、全く異なる(つまり、利害関係のありすぎる人が普通に来るというような状況も「起こりうる」ということ)のなら、それは追加で説明を入れないと、映画の趣旨・評価が大きく変わってしまうのです。
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(参考/減点なし/「地目」って何?)
・ 映画の中で、土地のやり取りが描かれますが、そのときに「地目は何にしようか」というセリフがあります。
行政書士の資格持ちというよりは、むしろ宅建よりの事案かなと思いますが、土地などの「使用用途」のこと(例えば、「宅地」や「畑」など)です。
(参考/「ザリガニの鳴くところ」とは何か」)
・ 日本には圧倒的に文献がなく、26日(土)に大阪市立図書館で調べてきた内容(英語を翻訳した内容)によります。
この映画はもとは小説(ディーリア・オーエンズの小説)ですが、彼女は小さいときからいじめを受けており、親(母親とされるが、父親とする資料もあり)、「いじめられたらいじめ返すのではなく、とにかく(殴り合いになるのではなく)逃げなさい」と教えられていた過去があります。
このことが、この「ザリガニ~」の小説にも色濃く残っています(この映画の小説はかなり分厚いです)。そのなかのいくつかのチャプターに、「ザリガニの鳴くところまで逃げる」と(映画内の主人公の関係者が)教えている部分があります。ザリガニは当然鳴きませんから、結局これは「何か不当なことがあったら、(当時の差別事情などを勘案して、まともにとりあうよりも)「どこまででも」逃げたほうがよい」という考え方があったようです。
※ 参考:大阪市立図書館