「"愛嬌"」あの娘は知らない いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
"愛嬌"
『正面ではなく、どこか上目がちにみえる佇まいが女性の武器である"愛嬌"を思わせることに由来』
という花言葉がある、サンダーソニアを劇中に組込み、それとなくメタファーを溶かした演出を施している。それだけではなく、パンチラインの多さは逆に皮肉的ですら勘ぐるような、観客に”解釈”という試験を問うてるような作劇ですら感じられる
そもそもが芸能事務所が主催の、最初から自身の所属俳優が主役という縛りの中でのコンテスト入賞作であり、前回の監督作の『赤い星』の毒気を随分抜いたマイルドな仕上がりが印象的且つ、事務所の制約なのであろうと容易に想像出来るのは穿った観方か・・・
自分的にはNHK朝ドラ『なつぞら』での元気で強気な性格役の福地桃子が、父親が哀川翔というなかなかの血筋のなかでどんな演技を見せてくれるのかを期待して鑑賞した。
そして、前述の”愛嬌”である。今作のテーマは愛嬌を取り戻す薄幸な女の子のストーリーとしての仕上がりなのである。一寸詰め込み過ぎ(性的マイノリティ、不妊問題、問題を抱えた男女の邂逅)な感は否めないが、その根本は取り残された自分がそれでも日々を過ごす上で何かに縋りながら生きていくことで、希望なんてそんなあやふやな実体の無いものがなくてもやり過ごせる事が可能だということを観客に投げ掛ける内容だ。
ラスト近くの、夢の中での、恋人と死別した男が民宿の受付に座っているシーンは、希望なのかもしれないが、しかしそれは恋愛とは違う一種の”同志”として生活を共にしたいという叶わぬ願望なのであろう。でもそんな願望の火を灯しながら生活を続ける、そんな人生も大事なのだというメッセージを今作品では言葉少なく語っているような気がする。